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第5章
バチ当たりな嘘つき3
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「いらっしゃいませ」
番頭をやっていたのは、ぼくと同い年か二、三歳上の女の人だった。匂いからしておそらくアルファ。
これが最後のチャンス。事情を話せば助けてくれるかも……。
でも、彼女を巻き込んだら、どうする?
友だちや家族、パートナーを愛していて、彼女のことを愛してくれる人たちもいるんじゃないか? だとしたら、彼女がいなくなったら、その人たちはきっと泣いて悲しむ。
だったら――大丈夫だ。
ぼくひとりが世界から消えても困る人は多くない。
両親は「残念だ」の一言で終わる。
大学の友だちも、ぼくが死んで一時的に残念に思うことはあっても――流行でなくなったものが人々の記憶から消えていくように――忘れるだろう。
エリナたちだって、ウジウジ恋を引きずっているめんどくさいやつがいなくなったら、清々するはず。
航大は――唯一ぼくが世界から消えたら泣いてくれるかも。でも、ぼくがいなくなれば一夜の過ちによる罪悪感を味わう必要はなくなる。
足元へ目線をやり、黙り込む。
「お客様、いかがしました。どこか具合でも悪いのですか?」
番頭の女の人に声を掛けられる。
どうしようと迷っていると男が「いやー、さっきまでケンカをしていましてね! それでこいつ、機嫌が悪いんですよー」と息を吐くように、真っ赤な嘘をつく。「なっ、そうだろ?」
「……はい」
返事をすれば、男と女の人が何か世間話をする声がする。べつにイヤホンをつけて音楽を流しているわけでもないのに、彼らが何を話しているのか、よく聞きとれない。
男は、ここの常連なのだろうかと考えながら、ぼうっと突っ立っていることしかできない。
風呂上がりの子どもたちの面倒を見る母親や若い女性グループ、仕事帰りらしきおじさんたちの姿を目にする。
この場所で、まったく守備範囲でない男たちとセックスをする。
その事実を受け入れられず茫然とする。
男がぼくの分の料金も勝手に払い、そのまま手を引かれて男湯の暖簾をくぐる。
一階、二階の人の多い場所ではなく、薄暗い地下のほうへと連れて行かれる。冷たい石造りの階段を上り下りする人はおらず、ぼくたちは下へ下へと階段を下りていった。
「ようやく来たか、ソウジ。待ちくたびれたよ」
男の友だちは、誕生日やクリスマスでプレゼントやごちそうを前にした子どものように、目を爛々とさせる。
「ごめんねえ! 秋くんがさ、なかなか言うこと聞いてくれなくて……」
「これが最近話題になってる噂のビチクソか」
――さっさとひん剥いてケツマンに突っ込もうぜ。
――ヤベえ、早くチンコ舐めさせてぇ。
――ああ、もうチンポビンビンでやべえよ。
下品なワードが飛び交う。男たちの舐めるような視線が全身にまとわりつく。
手足の震えが収まらず、冷たい汗がひっきりなしに毛穴から放出される。
「他のやつらはどうした?」
「中でもう始めてるぞ」
「そっか、ここに来るのも久しぶりだから、みんな楽しんでるんだな」
「ほんとはさ、中学生とか高校生がよかったんだけど、最近は警察もうるさいじゃん。だから現役大学生を連れてきたんだよ。一年生!」
「高校卒業してまだ、そんなに経ってないかわいいオメガを連れ込んだりしたから、もう他の連中も興奮してヤバいよ」
「マジで!? あー、早くオレも突っ込みたいわ」
オメガの子どもがいる。そんな話を聞き、無理矢理連れてこられてなければいいなとか、避妊はちゃんとしているのかな? と他人事のように思う。
湯気で白く曇った銭湯のガラス戸へ目線をやる。
「ねえ、秋くん。いつまでも、そんなところで立ってないでよ。早く、おじさんたちの前でストリップショーして」と男の友だちに声を掛けられる。
脂でテカテカした顔の中心にある鼻をふくらませて鼻息は荒い。すでに男の醜い男根は固く勃起していた。
だけど、ぼくは何もせず、何も答えない。
だんだん視界が暗く狭くなっていく。プールの中で潜っているときみたいに人の声がくぐもって聞こえる。
すると男のイモムシみたいな手がぼくの首元を這った。汗でじっとり濡れてベトベトしている手が触れて気持ち悪い。
「緊張してる? それとも恥ずかしいのかな? じゃあ、おじさんたちで服を脱がせてあげるからね」
そうしてシャツの中に男の手が侵入し、ベルトに手をかけられる。
「いや! やめ……」
「はいはい、はいはい。皆さん動かないでねー。警察でーす」
突然青い制服を着た男がふたり階段のあるほうからやってきた。
イメプレか何かが始まるのかと思っていれば、男たちがあわててタオルや桶で股間を隠し始める。銭湯の中へ行こうとしたり、警官らしき男たちのいる階段のほうへと走る。
が、警官の男に捕まえられ、拘束された。
「動かないでって言ってるでしょう。逃げるのはなしだからね!」と男が警察手帳を取り出して、男たちに見せつける。「何回も注意してるでしょ。ここは風俗店じゃなくて、ただの公衆浴場だって。お店の人たちから何回も苦情の電話が来てるし、常連のお客様たちが迷惑してる声があがってるんですよ。この間も説明しましたよね――ソウジさん」
「いや、おまわりさん。これは……」とぼくをここまで連れてきた男が真っ青な顔で、警官に言い訳をする。
もうひとりの警官が銭湯の中に突入し、「おまえら、その子に何をしてる!」と警告をしている声が耳に入る。
「詳しいお話は、署で聞かせていただきますからね。――きみ、大丈夫?」
警官に声を掛けられ、張り詰めていた糸が解ける。ぼくは、その場にヘタリと座り込んでしまった。
番頭をやっていたのは、ぼくと同い年か二、三歳上の女の人だった。匂いからしておそらくアルファ。
これが最後のチャンス。事情を話せば助けてくれるかも……。
でも、彼女を巻き込んだら、どうする?
友だちや家族、パートナーを愛していて、彼女のことを愛してくれる人たちもいるんじゃないか? だとしたら、彼女がいなくなったら、その人たちはきっと泣いて悲しむ。
だったら――大丈夫だ。
ぼくひとりが世界から消えても困る人は多くない。
両親は「残念だ」の一言で終わる。
大学の友だちも、ぼくが死んで一時的に残念に思うことはあっても――流行でなくなったものが人々の記憶から消えていくように――忘れるだろう。
エリナたちだって、ウジウジ恋を引きずっているめんどくさいやつがいなくなったら、清々するはず。
航大は――唯一ぼくが世界から消えたら泣いてくれるかも。でも、ぼくがいなくなれば一夜の過ちによる罪悪感を味わう必要はなくなる。
足元へ目線をやり、黙り込む。
「お客様、いかがしました。どこか具合でも悪いのですか?」
番頭の女の人に声を掛けられる。
どうしようと迷っていると男が「いやー、さっきまでケンカをしていましてね! それでこいつ、機嫌が悪いんですよー」と息を吐くように、真っ赤な嘘をつく。「なっ、そうだろ?」
「……はい」
返事をすれば、男と女の人が何か世間話をする声がする。べつにイヤホンをつけて音楽を流しているわけでもないのに、彼らが何を話しているのか、よく聞きとれない。
男は、ここの常連なのだろうかと考えながら、ぼうっと突っ立っていることしかできない。
風呂上がりの子どもたちの面倒を見る母親や若い女性グループ、仕事帰りらしきおじさんたちの姿を目にする。
この場所で、まったく守備範囲でない男たちとセックスをする。
その事実を受け入れられず茫然とする。
男がぼくの分の料金も勝手に払い、そのまま手を引かれて男湯の暖簾をくぐる。
一階、二階の人の多い場所ではなく、薄暗い地下のほうへと連れて行かれる。冷たい石造りの階段を上り下りする人はおらず、ぼくたちは下へ下へと階段を下りていった。
「ようやく来たか、ソウジ。待ちくたびれたよ」
男の友だちは、誕生日やクリスマスでプレゼントやごちそうを前にした子どものように、目を爛々とさせる。
「ごめんねえ! 秋くんがさ、なかなか言うこと聞いてくれなくて……」
「これが最近話題になってる噂のビチクソか」
――さっさとひん剥いてケツマンに突っ込もうぜ。
――ヤベえ、早くチンコ舐めさせてぇ。
――ああ、もうチンポビンビンでやべえよ。
下品なワードが飛び交う。男たちの舐めるような視線が全身にまとわりつく。
手足の震えが収まらず、冷たい汗がひっきりなしに毛穴から放出される。
「他のやつらはどうした?」
「中でもう始めてるぞ」
「そっか、ここに来るのも久しぶりだから、みんな楽しんでるんだな」
「ほんとはさ、中学生とか高校生がよかったんだけど、最近は警察もうるさいじゃん。だから現役大学生を連れてきたんだよ。一年生!」
「高校卒業してまだ、そんなに経ってないかわいいオメガを連れ込んだりしたから、もう他の連中も興奮してヤバいよ」
「マジで!? あー、早くオレも突っ込みたいわ」
オメガの子どもがいる。そんな話を聞き、無理矢理連れてこられてなければいいなとか、避妊はちゃんとしているのかな? と他人事のように思う。
湯気で白く曇った銭湯のガラス戸へ目線をやる。
「ねえ、秋くん。いつまでも、そんなところで立ってないでよ。早く、おじさんたちの前でストリップショーして」と男の友だちに声を掛けられる。
脂でテカテカした顔の中心にある鼻をふくらませて鼻息は荒い。すでに男の醜い男根は固く勃起していた。
だけど、ぼくは何もせず、何も答えない。
だんだん視界が暗く狭くなっていく。プールの中で潜っているときみたいに人の声がくぐもって聞こえる。
すると男のイモムシみたいな手がぼくの首元を這った。汗でじっとり濡れてベトベトしている手が触れて気持ち悪い。
「緊張してる? それとも恥ずかしいのかな? じゃあ、おじさんたちで服を脱がせてあげるからね」
そうしてシャツの中に男の手が侵入し、ベルトに手をかけられる。
「いや! やめ……」
「はいはい、はいはい。皆さん動かないでねー。警察でーす」
突然青い制服を着た男がふたり階段のあるほうからやってきた。
イメプレか何かが始まるのかと思っていれば、男たちがあわててタオルや桶で股間を隠し始める。銭湯の中へ行こうとしたり、警官らしき男たちのいる階段のほうへと走る。
が、警官の男に捕まえられ、拘束された。
「動かないでって言ってるでしょう。逃げるのはなしだからね!」と男が警察手帳を取り出して、男たちに見せつける。「何回も注意してるでしょ。ここは風俗店じゃなくて、ただの公衆浴場だって。お店の人たちから何回も苦情の電話が来てるし、常連のお客様たちが迷惑してる声があがってるんですよ。この間も説明しましたよね――ソウジさん」
「いや、おまわりさん。これは……」とぼくをここまで連れてきた男が真っ青な顔で、警官に言い訳をする。
もうひとりの警官が銭湯の中に突入し、「おまえら、その子に何をしてる!」と警告をしている声が耳に入る。
「詳しいお話は、署で聞かせていただきますからね。――きみ、大丈夫?」
警官に声を掛けられ、張り詰めていた糸が解ける。ぼくは、その場にヘタリと座り込んでしまった。
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