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第9章
憧憬2
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「そういうことになるわね。だからあいつ、中間とか期末のテストで教科書の内容をそのまま出すような問題は、全問正解できちゃうの。ほとんど生徒が入ることのない備品倉庫のものの位置も、先生たちより、ずっと理解してる。そんでもってテレビのニュースや新聞なんかも見ているから、ここ十年分のカレンダー代わりになるのよ」
「すごいですね……! じゃあひなちゃんの動きをすべて覚えているから、ああやって戦えるってことですか? チート技ですね……」
「って、みんな思うわよね」
絹香は、ものの価値を見定めるような目つきで朔夜のほうを見据えた。
「それだけじゃ机上の空論よ。身体が追いつかないもの」
「身体が追いつかない?」
絹香の言葉の意味を理解できなかった菖蒲は、絹香の言葉を繰り返した。
「ひなちゃんも、あたしも有段者で二段、持っているわ。部門は違えど、わたしたち、地区大会で優勝をしてる。そんでもって、ひなちゃんは、さっきの試合でアルファであるあたしに勝ったのよ」
「そうですよね。では、どうしてひなちゃんは、叢雲くんに勝てないのでしょう?」
「どうしてだと思う?」
ベータである菖蒲は頬に人差し指を当て考えた。保健の授業で習った『アルファ>オメガ』の力関係についてや朔夜と日向が魂の番であることを思い出す。
「それは叢雲くんが、ひなちゃんの彼氏で、アルファだからじゃないですか。オメガはアルファには力でかなわないと聞きますし、ましてや彼らは魂の番。運命の人相手じゃ、ひなちゃんも力をうまく発揮できないのではないでしょうか」
「そう――周りの人たちには、そういうふうに見えているのね」と絹香は、何度も首を縦に振った。
独り合点している絹香に対して、菖蒲は不満そうな声で尋ねる。
「一体どういうことなんですか? もったいぶらずに教えてくださいよ!」
「覚えてる? 剣道の授業の初日に、さあちゃんが、あたしにボロ負けしたこと。おまけに光輝に喉を突かれて手も足もでなかったのよ」
「あっ……」
菖蒲は、絹香の発言を聞くと頬にやっていた手を、口元へと当てる。
「剣道の授業が始まった六月から、あいつの手が傷だらけになって、しょっちゅう絆創膏やテーピングをしている状態になってたのに気づいた?」
「てっきり料理の練習か、習い事の空手で手を痛めてるのかと思っていました」
「あいつ、料理は得意よ。包丁で手ぇ切ることなんて、めったにないわ。空手だって県大会で入賞するくらいだもの。無茶をするようなやつじゃないから空手で怪我なんてしない。あれはね、竹刀を握ったことのない人間が、必死で剣道の練習をしたから豆ができてたの。潰れたり、潰したりを繰り返して、手が傷だらけになったわけ」
菖蒲は口を閉じ、絹香の言葉に耳を傾けた。
「あたしとひなちゃんが通っている道場は、さあちゃんのおじいちゃんである喜助さんが、やっているのよ。あいつ、空手を習っていて忙しいのに『体育で剣道の授業をやるから期間限定で教えてほしい』って師範に頭を下げたの。師範は厳しい人よ。自分の孫相手なのに、みっちりしごいたわ。いえ、むしろ自分の孫だから厳しくしたのかしら? とにかく最初はへたくそで、竹刀の握り方ひとつとっても師範に怒られていて、見れたものじゃなかったわ。
でも……師範やひなちゃんに稽古をつけてもらっているうちに、教わったことをスポンジみたいにどんどん吸収していったの。尋常じゃないスピードでメキメキ上達して、見ているこっちがビックリよ。道場で稽古をつけてもらうだけでなく、家とかで素振りでもしてたんじゃないかしら?」
「なぜですか? どうして叢雲くんは、そこまで頑張るんdす?」
真剣な顔つきをして菖蒲は尋ねた。彼女は絹香の黒い瞳をじっと見つめる。
「叢雲くんが真面目で頑張り屋さんなのは、わかります。でも、そこまでやる必用ってありますか? 彼、完璧主義ではないですよね。それなのに、どうして……」
「ひなちゃんのためよ」
絹香は劣勢状態の日向へと目を向ける。
「ひなちゃんね、昔はいじめられっ子だったの」
「えっ? “王子さま”と呼ばれて、皆さんから慕われているひなちゃんが?」
「そうよ。光輝たちに、しょっちゅう意地悪されてね。さあちゃんやあたしが守ってたの。ひなちゃんのお母さんは、光輝やあいつの両親をよく思っていなかったわ。そりゃそうよね。自分がおなかを痛めて命懸けで生んだ、大切なひとり息子をいじめ、そのいじめを黙認してるようなやつが親やってるんだもん。腹を立てるのは当然よ。でも……ひなちゃんのお父さんはね、光輝の父親と仲がいいのよ」
「ええっ!? どうしてです?」
「さあね、大人の事情ってやつなんじゃない? ひなちゃんのおうちは複雑なの。ひなちゃんは、お父さんや碓氷の家のおばあさんや親戚とあまり仲がよくないから」
「あの単身赴任をしていて、ろくすっぽ家に帰ってこないお父さん――ですね」
声を潜めて菖蒲は喋り、絹香は静かに頷いた。
「『居場所がないわけじゃない』って本人も言ってるし、実際にお母さんや、お母さんの実家である天道の家のおじいちゃん、おばあちゃんとの仲は良好よ。けど、ひなちゃんの逃げ場所が、どこにもなかったの」
「すごいですね……! じゃあひなちゃんの動きをすべて覚えているから、ああやって戦えるってことですか? チート技ですね……」
「って、みんな思うわよね」
絹香は、ものの価値を見定めるような目つきで朔夜のほうを見据えた。
「それだけじゃ机上の空論よ。身体が追いつかないもの」
「身体が追いつかない?」
絹香の言葉の意味を理解できなかった菖蒲は、絹香の言葉を繰り返した。
「ひなちゃんも、あたしも有段者で二段、持っているわ。部門は違えど、わたしたち、地区大会で優勝をしてる。そんでもって、ひなちゃんは、さっきの試合でアルファであるあたしに勝ったのよ」
「そうですよね。では、どうしてひなちゃんは、叢雲くんに勝てないのでしょう?」
「どうしてだと思う?」
ベータである菖蒲は頬に人差し指を当て考えた。保健の授業で習った『アルファ>オメガ』の力関係についてや朔夜と日向が魂の番であることを思い出す。
「それは叢雲くんが、ひなちゃんの彼氏で、アルファだからじゃないですか。オメガはアルファには力でかなわないと聞きますし、ましてや彼らは魂の番。運命の人相手じゃ、ひなちゃんも力をうまく発揮できないのではないでしょうか」
「そう――周りの人たちには、そういうふうに見えているのね」と絹香は、何度も首を縦に振った。
独り合点している絹香に対して、菖蒲は不満そうな声で尋ねる。
「一体どういうことなんですか? もったいぶらずに教えてくださいよ!」
「覚えてる? 剣道の授業の初日に、さあちゃんが、あたしにボロ負けしたこと。おまけに光輝に喉を突かれて手も足もでなかったのよ」
「あっ……」
菖蒲は、絹香の発言を聞くと頬にやっていた手を、口元へと当てる。
「剣道の授業が始まった六月から、あいつの手が傷だらけになって、しょっちゅう絆創膏やテーピングをしている状態になってたのに気づいた?」
「てっきり料理の練習か、習い事の空手で手を痛めてるのかと思っていました」
「あいつ、料理は得意よ。包丁で手ぇ切ることなんて、めったにないわ。空手だって県大会で入賞するくらいだもの。無茶をするようなやつじゃないから空手で怪我なんてしない。あれはね、竹刀を握ったことのない人間が、必死で剣道の練習をしたから豆ができてたの。潰れたり、潰したりを繰り返して、手が傷だらけになったわけ」
菖蒲は口を閉じ、絹香の言葉に耳を傾けた。
「あたしとひなちゃんが通っている道場は、さあちゃんのおじいちゃんである喜助さんが、やっているのよ。あいつ、空手を習っていて忙しいのに『体育で剣道の授業をやるから期間限定で教えてほしい』って師範に頭を下げたの。師範は厳しい人よ。自分の孫相手なのに、みっちりしごいたわ。いえ、むしろ自分の孫だから厳しくしたのかしら? とにかく最初はへたくそで、竹刀の握り方ひとつとっても師範に怒られていて、見れたものじゃなかったわ。
でも……師範やひなちゃんに稽古をつけてもらっているうちに、教わったことをスポンジみたいにどんどん吸収していったの。尋常じゃないスピードでメキメキ上達して、見ているこっちがビックリよ。道場で稽古をつけてもらうだけでなく、家とかで素振りでもしてたんじゃないかしら?」
「なぜですか? どうして叢雲くんは、そこまで頑張るんdす?」
真剣な顔つきをして菖蒲は尋ねた。彼女は絹香の黒い瞳をじっと見つめる。
「叢雲くんが真面目で頑張り屋さんなのは、わかります。でも、そこまでやる必用ってありますか? 彼、完璧主義ではないですよね。それなのに、どうして……」
「ひなちゃんのためよ」
絹香は劣勢状態の日向へと目を向ける。
「ひなちゃんね、昔はいじめられっ子だったの」
「えっ? “王子さま”と呼ばれて、皆さんから慕われているひなちゃんが?」
「そうよ。光輝たちに、しょっちゅう意地悪されてね。さあちゃんやあたしが守ってたの。ひなちゃんのお母さんは、光輝やあいつの両親をよく思っていなかったわ。そりゃそうよね。自分がおなかを痛めて命懸けで生んだ、大切なひとり息子をいじめ、そのいじめを黙認してるようなやつが親やってるんだもん。腹を立てるのは当然よ。でも……ひなちゃんのお父さんはね、光輝の父親と仲がいいのよ」
「ええっ!? どうしてです?」
「さあね、大人の事情ってやつなんじゃない? ひなちゃんのおうちは複雑なの。ひなちゃんは、お父さんや碓氷の家のおばあさんや親戚とあまり仲がよくないから」
「あの単身赴任をしていて、ろくすっぽ家に帰ってこないお父さん――ですね」
声を潜めて菖蒲は喋り、絹香は静かに頷いた。
「『居場所がないわけじゃない』って本人も言ってるし、実際にお母さんや、お母さんの実家である天道の家のおじいちゃん、おばあちゃんとの仲は良好よ。けど、ひなちゃんの逃げ場所が、どこにもなかったの」
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