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第8章

呪縛にかかりし者

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 ――ぴちょん、ぴちょん。

 滴が天井から床の水溜まりへと落ちていき、波紋を作る。薄暗いトンネルのような作りをした地下迷宮を、急ぎ足で満月は歩いていた。じめじめしとた暗い石造りの廊下を進む。まるで死人のようにぐったりとして、身動きひとつしない日向を横抱きにして運んだ。満月は、劇場にいたときと同じで黒いタキシードを身に纏っていた。

 一方日向は、ここに来たときの服装ではなく、満月が纏う黒のタキシードと対になる白いタキシードへと着替えさせられていた。顔には白いレースのベールがかけられ、まるで花嫁のような格好だ。いつもならうっすらと桃色に上気している頬に血色はなく、唇は青紫色になっている。

 満月の影である黒坊主は満月の後ろを這っていた。触手を操り、重い袋を引きずって運ぶようにして、朔夜の足を摑んで引っ張っている。窓ガラスにつめを立てたような鳴き声を発して満月に声を掛ける。黒坊主は朔夜の死体をどのように処分するのかを満月に尋ねた。

「そいつは霊安室の棺の中にでも入れておけ」

 黒坊主はこくりと頷き、地下へと続く階段を下りていく。

 満月は黒坊主がいなくなった後も歩き続けた。

 しばらくすると、いかにも重そうな鉄の扉が現れる。扉は呪文もなしに、自動ドアのようにひとりでに開いた。

 扉の向こう側には、近世ヨーロッパの王族や貴族が使っていたような豪勢な部屋があった。大きさや色も、形もさまざまなランプが床や天井を飾り、幻想的な雰囲気を醸し出している。部屋の真ん中には、天蓋つきのベッドがあり、シーツの上には黒薔薇の花びらが無作為に散りばめられている。

 満月は慎重な手付きで二十六歳の日向をベッドの上へ寝かせた。

 それからベッドの端に腰掛けて腕を組み、長い足を組んだ状態で目をつぶった。まるで居眠りでもしているような格好をして、現実の世界の出来事を垣間見る。



 朔夜と日向は病室のベッドに横たわり、眠っていた。点滴やら管で繋がれ、周りにはよくわからない機械が山ほどある。

 女の看護師は、朔夜のバイタルに異常が発生したのを目にし、血相を変えた。

 慌ただしく男の医師がやってきて指示を出し、看護師に薬やら医療器具を取ってこさせようとしている。

 ザアザアとひどい音がする。窓から見える景色は灰色一色。どうやら向こうでは、まだ雨が降っているらしい。



 満月は目を開けて息をついた。




 深い眠りにつき、目を覚まさない日向に向かって満月は手を伸ばした。丁寧な手つきで日向の濡羽色をした髪を梳いた。さらさらと絹糸のような触り心地をした髪は、ヒムカとどこまでも同じで満月は自分が人間だった頃のことを思い出し、郷愁を覚える。

 満月は、食い入るように日向の顔を見つめていた。

 まるでヒムカが蘇り、生き返って目の前にいるような錯覚を覚える。

「遺伝子とは不思議なものだな。なぜ、かくもこのようにおまえの容姿は、ヒムカに瓜二つなのだ。でも、おまえはヒムカではない……」と満月は沈んだ声で独り言を口にした。

 満月は、日向の髪を梳くのをやめると寝台の横にある戸棚から、手の平に乗るほどの小さな宝石箱を取り出した。そして中に入っている古めかしい鍵を手に取り、日向に向かって微笑みかける。

「一体全体、おまえは何をしようと考えているんだ? すべて無駄だと知りながら……」

 日向に問いかても寝息が聞こえるだけで返事はない。



 満月は、日向の胸元に鍵を当てる。するとハート型の錠前が突如として現れる。鍵を錠前に差し込み回すとカチッと音がして、寝台の横に白い扉が現れる。同時に鍵は細かい砂のようになって、満月の手の中からなくなる。

 満月は立ち上がるとドアノブを回し、扉の中へ入る。日向の記憶をかいざんするために、彼の精神世界へ干渉する。

 扉が閉ざされると、扉は跡形もなく消えてしまった。



 日向は満月が消えた後も寝台の上で眠り続けていた。愛しいひとの名前を口ずさみ、涙を一粒零したのだった。
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