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第7章

絶望と希望の二律背反2

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 日向の頬に殴られたような跡や、切り傷がある。首には手形もついている。裸の状態でいる彼の腹部にはあざや乾いた精液が付着している。上半身にはおびただしい数のキスマークと歯型。手の甲にはつめ跡。そして手首には擦過傷があり、血が滲んでいる。

 朔夜は、日向がどんな目に遭ったのかを察し、頬を引き攣らせた。そして自分の手に日向の愛液が付着していること、ズボンのチャックが下りている状況から答えを導き出してしまう。

 一方、日向は、朔夜が一時的にでも満月の監視下でなくなった喜びを嚙みしめていて、自分がどんな姿でいるのかが頭から抜けていた。「どうしたの?」と困惑した声を出し、朔夜の様子がおかしいことに不安な顔をする。

「おまえ、その格好……」

 朔夜の焦りを含んだ声を耳にして、ようやく日向は視線を自分の身体へとやった。そして現状を思い出し、顔色を悪くする。

 すぐさま胸元を両手で隠して、その場で身体を縮こまらせる。

「ご、ごめんなさい。これは、その……」と言葉を詰まらせる。

 辺りを見回して朔夜は、日向の身体を包めるものが何かないか探した。激しく損壊した照明器具の近くに、脱ぎっぱなしの黒いコートを発見する。

 すぐさま朔夜はコートを取りに行った。コートを手に取ると念入りにガラスの破片や、ほこりを、はたき落とす。日向のもとへ戻り、彼の肩にコートをかけてやった。

 顔を上げて日向は、朔夜のことを見つめる。

 朔夜は、ひどく疲れきったような、げんなりしたような顔をしていた。

 日向のことを見ていられないと視線を床へ移し、日向から距離をおく。

 だんまりを決め込んだ朔夜の様子に当惑しながら、日向は朔夜がくれたコートに腕を通し、ボタンをかけて立ち上がった。躊躇いがちな様子で「あの……」と朔夜に声を掛ける。

「無理に喋らなくていい。俺がやったんだろ」

 即座に日向は、朔夜の言葉を否定する。

「違う。これは、【亡霊】がやったこと。――叢雲さんのせいじゃありません」

 すぐに朔夜は腰を下ろして正座をし、床に手を付き、日向に向かって頭を下げた。

「謝っても許されないことをした。おまえをこんなことに巻き込んで、いやな思いをさせて……すまない」

「やめてください!」

 眉を八の字にして日向は首を横に振る。

「違う、違うんです。あなたのせいではありません!」

 しかし朔夜は頭を上げようとはしなかった。額を床に擦りつけ、謝罪の言葉を口にする。

「いいや、俺のせいだ! 言い訳でしかないけど、油断してた。満月に『言うことを聞かないなら、兎卯子たちを殺す』と言われて、焦ったんだ。そのせいで、あいつに付け入る隙を与え、結婚を控えたおまえに、とんでもねえことをした……」

 日向は朔夜の前で膝を付いて、彼の鳶色の頭を上げさせた。

「お願いです。そのように、ご自分を責めないでください」

 罪悪感にさいなまれている朔夜のことを、日向はじっと観察した。

 もとから朔夜は白人のように色が白かったが、今は極度の貧血を起こしているのか、青白い。目の下には、くっきりと黒いクマがあり、ひどくやつれた顔をしている。

 死刑判決を言い渡される罪人のような様子をした朔夜を安心させたくて、日向は微笑んだ。

「【亡霊】はいわば自然災害のようなもの。たまたま、偶然が重なって運悪く、このような状況下になってしまっただけです。あなたは悪くありません」

 しかし、朔夜は苦痛を堪え忍ぶような表情をして、膝の上に乗せた拳を握り締めた。

「けど、【あいつ】が目を覚ましたきっかけは、俺だ。『騙されるなよ』っておまえに言っておきながら、まんまと騙された。満月の手で踊らされて、おまえや、おふくろたちや周りの人間を巻き込んだ。ひでぇことも、ずいぶんとしてきた。道化もいいところだ……」

「叢雲さん」と日向は、朔夜に声を掛け、彼の強張っている肩へと手を置いた。「それでも、あなたを憎んだり、嫌わずにいる人たちがいます。あなたの本質を理解し、信じている人たちが」

「……兎卯子だけでなく、おふくろにも会ったのか?」

「ええ、会いました。おばさんは、あなたが帰ってくるのを切に願っています。おじさんや燈夜先輩も心配していました。『あんたの帰ってくる場所は、ちゃんとここにある』って、おばさんが言ってましたよ」

 お日さまのような笑顔で日向は、朔夜の質問に答えた。

「ったく、余計なことをしやがって……」と兎卯子や、母である真弓への悪態をつきながら朔夜は、目を潤ませ、口元を緩めた。

「……むしろ僕のほうが、あなたに謝らなければいけません。【亡霊】に記憶を書き換えられたからといって、ひどい言葉を口にして、あなたを傷つけました。許していだけるとは思ってはいません。それでも……謝らせてください。ごめんなさい」

 日向が頭を下げようとすれば、朔夜が「やめてくれ。そんなこと、おまえはしなくていい」と制止する。

 慌てて日向が頭を上げれば、朔夜は優しい手つきで自分の肩に置かれていた日向の手を離させ、「仕方ねえんだよ」と力なく言う。
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