21 / 106
第3章
桃8
しおりを挟む
すかさず耕助が燈夜と朔夜の間に割って入った。
「燈夜ー、いくらなんでも言葉尻がきついぞ。言い過ぎだ。朔夜も、嘘をついていると将来、泥棒さんになっちゃうぞ。いい子だから、お兄ちゃんにごめんなさいをしような」
まだ何か言いたげな様子で燈夜は唇を嚙みしめた。
朔夜も朔夜で、嘘つき呼ばわりされるのは心外だと顔を真っ赤にし、地団駄を踏む。
「嘘じゃねえ! 桃だって全部食ってねえよ!」
朔夜が自分の非を認めずに、意固地になって嘘をつき通そうとしているのだと思った燈夜は、侮蔑の眼差しを朔夜へ向ける。
「しつこいぞ、おまえ。母さんの言うことを聞かずに桃を食べたりするから苦しい思いをするんだろ。自業自得だ」
「違う! 嘘じゃねえ! ほんとだもん……ほんとなのに……」
大粒の涙をこぼし、朔夜はわあわあ泣き始めた。
「やめろよ。俺が、おまえをいじめてるみたいじゃないか……」
悔しげな顔をして泣いている弟のことを見つめてから燈夜は、父親へ声を掛けた。
「父さん。悪いけど、夜間にやってる病院を探して。俺は朔夜の保険証とお薬手帳を準備するから。着替えも取ってくる」
「あ、ああ……急いで調べる!」
耕助が慌ただしく和室を出て行き、黒電話のある廊下のほうへ走っていった。
燈夜は、じめじめして蒸し暑い和室の中を見回す。押入れの近くにあったクーラーのリモコンを手に取ってクーラーの電源を入れた。押入れからくたびれた座布団を一枚取り出して朔夜を座らせた。
「兄ちゃん……?」
「仮病で蕁麻疹は出ないからな。俺は苦しんでいる病人を目の前にして、駄々をこねるガキとは違う」
「ちょっと、燈夜。そういう言い方は、いくらなんでもひどいんじゃない? 朔夜に謝りなさい」
「っ! だって……」
「『だって』じゃないわよ! どうしてなの? 他の子にはやさしいのに、なんでじつの弟には、冷たい態度しかとれないの?」
真弓が朔夜のことを擁護すると燈夜は、迷子になって帰り道がわからなくなった子どものような顔をした。
「そんなの母さんが一番よくわかっているだろ」
しぼり出すような声で言い、ふたりに背を向ける。
「とにかく母さん。朔夜のことをお願い。こっちはこっちで準備をするから」
「えっ? ええ、わかったわ。ありがとう、燈夜」
ところどころに染みのある、雲の絵が描かれた襖を静かに閉めて燈夜も和室から出ていく。
朔夜は座布団の上で三角座りをして燈夜への恨み言を口にしていた。
真弓は朔夜の隣に座り、紺色のエプロンのポケットからポケットティッシュを出し、朔夜に手渡した。
鼻を嚙みながら朔夜は「母ちゃん、俺……嘘つきじゃねえ。……信じてくれよ」と神に縋るような心持ちで訴えた。
「もちろんよ。私は、あんたのことを信じるわ」
朔夜は泣くのをぴたりとやめ、そろそろと頭を上げて母親の灰色の瞳を見た。瞳を不安げに揺らして、言葉だけでは読み取れない彼女の真意を探る。
「なんで……?」
「当たり前でしょ。あんたが、嘘のつけない馬鹿正直な子だって私が一番よく知ってるんだから! あんたが嘘をついているとは思わない。でもね、耕助や燈夜が言っていることも嘘じゃないの。あんたからちゃんと話を聞かないと、どうなっているのかわからないわ。ゆっくりでいいから何があったのか、よく思い出してみて」
朔夜は頭を横に振る。
「駄目だ、何も思い出せねえよ……」と頭を抱える。
「そう……じゃあ、お母さんの覚えていることを話すわね。そうすれば何か思い出すことがあるかも」
真弓は、項垂れている朔夜の肩を抱き寄せた。
朔夜は、母の話に耳を傾ける。
自分が母の言うことを聞き、デザート用のフォークを出し、うさぎと満月の絵が描かれた皿を机に並べたことを思い出す。
――満月?
朔夜は顔を勢いよく上げ、「そうだ!」と叫んだ。
「あいつ、満月って名乗ったんだよ。あいつとは、リビングで出会ったんだ。満月さんは『桃をもらいに来た』って言ってたよ!」
「叢雲満月? そんな名前の子がいたかしら? でも、まさか――」
それっきり真弓は口を閉ざした。人差し指を唇に当て何事かを思案していた。
少しずつ、朔夜の中で満月の顔がはっきりしてくる。もう少しで黒いクレヨンがなくなると意識を集中させる。
不意に窓を引っかく不快な音がして、朔夜は掃き出し窓のほうへ目を向けた。そこに映っているものを見るなり、仏壇のほうへと目線をやる。
仏壇の前に例の黒いのっぺらぼうが立っていた。
黒いのっぺらぼうは足音も立てずに、真弓の背後へすばやく移動し、触手を伸ばした。
朔夜は「やめろ!」と叫ぼうとして、ひゅっと息を呑んだ。
瞬間、朔夜の身体に異変が生じる。
視界がぐにゃりと歪み、身体中のありとあらゆるところが痛痒くなったのだ。咳が止まらなくなり、喉に圧迫感を感じて息ができなくなる。ナイフで刺されているかのような激痛が腹部に走る。
猛烈な痛みにたえきれなくなった朔夜は座っている体勢を崩し、畳の上に倒れ込んだ。
「朔夜、どうしたの!?」
「燈夜ー、いくらなんでも言葉尻がきついぞ。言い過ぎだ。朔夜も、嘘をついていると将来、泥棒さんになっちゃうぞ。いい子だから、お兄ちゃんにごめんなさいをしような」
まだ何か言いたげな様子で燈夜は唇を嚙みしめた。
朔夜も朔夜で、嘘つき呼ばわりされるのは心外だと顔を真っ赤にし、地団駄を踏む。
「嘘じゃねえ! 桃だって全部食ってねえよ!」
朔夜が自分の非を認めずに、意固地になって嘘をつき通そうとしているのだと思った燈夜は、侮蔑の眼差しを朔夜へ向ける。
「しつこいぞ、おまえ。母さんの言うことを聞かずに桃を食べたりするから苦しい思いをするんだろ。自業自得だ」
「違う! 嘘じゃねえ! ほんとだもん……ほんとなのに……」
大粒の涙をこぼし、朔夜はわあわあ泣き始めた。
「やめろよ。俺が、おまえをいじめてるみたいじゃないか……」
悔しげな顔をして泣いている弟のことを見つめてから燈夜は、父親へ声を掛けた。
「父さん。悪いけど、夜間にやってる病院を探して。俺は朔夜の保険証とお薬手帳を準備するから。着替えも取ってくる」
「あ、ああ……急いで調べる!」
耕助が慌ただしく和室を出て行き、黒電話のある廊下のほうへ走っていった。
燈夜は、じめじめして蒸し暑い和室の中を見回す。押入れの近くにあったクーラーのリモコンを手に取ってクーラーの電源を入れた。押入れからくたびれた座布団を一枚取り出して朔夜を座らせた。
「兄ちゃん……?」
「仮病で蕁麻疹は出ないからな。俺は苦しんでいる病人を目の前にして、駄々をこねるガキとは違う」
「ちょっと、燈夜。そういう言い方は、いくらなんでもひどいんじゃない? 朔夜に謝りなさい」
「っ! だって……」
「『だって』じゃないわよ! どうしてなの? 他の子にはやさしいのに、なんでじつの弟には、冷たい態度しかとれないの?」
真弓が朔夜のことを擁護すると燈夜は、迷子になって帰り道がわからなくなった子どものような顔をした。
「そんなの母さんが一番よくわかっているだろ」
しぼり出すような声で言い、ふたりに背を向ける。
「とにかく母さん。朔夜のことをお願い。こっちはこっちで準備をするから」
「えっ? ええ、わかったわ。ありがとう、燈夜」
ところどころに染みのある、雲の絵が描かれた襖を静かに閉めて燈夜も和室から出ていく。
朔夜は座布団の上で三角座りをして燈夜への恨み言を口にしていた。
真弓は朔夜の隣に座り、紺色のエプロンのポケットからポケットティッシュを出し、朔夜に手渡した。
鼻を嚙みながら朔夜は「母ちゃん、俺……嘘つきじゃねえ。……信じてくれよ」と神に縋るような心持ちで訴えた。
「もちろんよ。私は、あんたのことを信じるわ」
朔夜は泣くのをぴたりとやめ、そろそろと頭を上げて母親の灰色の瞳を見た。瞳を不安げに揺らして、言葉だけでは読み取れない彼女の真意を探る。
「なんで……?」
「当たり前でしょ。あんたが、嘘のつけない馬鹿正直な子だって私が一番よく知ってるんだから! あんたが嘘をついているとは思わない。でもね、耕助や燈夜が言っていることも嘘じゃないの。あんたからちゃんと話を聞かないと、どうなっているのかわからないわ。ゆっくりでいいから何があったのか、よく思い出してみて」
朔夜は頭を横に振る。
「駄目だ、何も思い出せねえよ……」と頭を抱える。
「そう……じゃあ、お母さんの覚えていることを話すわね。そうすれば何か思い出すことがあるかも」
真弓は、項垂れている朔夜の肩を抱き寄せた。
朔夜は、母の話に耳を傾ける。
自分が母の言うことを聞き、デザート用のフォークを出し、うさぎと満月の絵が描かれた皿を机に並べたことを思い出す。
――満月?
朔夜は顔を勢いよく上げ、「そうだ!」と叫んだ。
「あいつ、満月って名乗ったんだよ。あいつとは、リビングで出会ったんだ。満月さんは『桃をもらいに来た』って言ってたよ!」
「叢雲満月? そんな名前の子がいたかしら? でも、まさか――」
それっきり真弓は口を閉ざした。人差し指を唇に当て何事かを思案していた。
少しずつ、朔夜の中で満月の顔がはっきりしてくる。もう少しで黒いクレヨンがなくなると意識を集中させる。
不意に窓を引っかく不快な音がして、朔夜は掃き出し窓のほうへ目を向けた。そこに映っているものを見るなり、仏壇のほうへと目線をやる。
仏壇の前に例の黒いのっぺらぼうが立っていた。
黒いのっぺらぼうは足音も立てずに、真弓の背後へすばやく移動し、触手を伸ばした。
朔夜は「やめろ!」と叫ぼうとして、ひゅっと息を呑んだ。
瞬間、朔夜の身体に異変が生じる。
視界がぐにゃりと歪み、身体中のありとあらゆるところが痛痒くなったのだ。咳が止まらなくなり、喉に圧迫感を感じて息ができなくなる。ナイフで刺されているかのような激痛が腹部に走る。
猛烈な痛みにたえきれなくなった朔夜は座っている体勢を崩し、畳の上に倒れ込んだ。
「朔夜、どうしたの!?」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
元ベータ後天性オメガ
桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。
ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。
主人公(受)
17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。
ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。
藤宮春樹(ふじみやはるき)
友人兼ライバル(攻)
金髪イケメン身長182cm
ベータを偽っているアルファ
名前決まりました(1月26日)
決まるまではナナシくん‥。
大上礼央(おおかみれお)
名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥
⭐︎コメント受付中
前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。
宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

孤独を癒して
星屑
BL
運命の番として出会った2人。
「運命」という言葉がピッタリの出会い方をした、
デロデロに甘やかしたいアルファと、守られるだけじゃないオメガの話。
*不定期更新。
*感想などいただけると励みになります。
*完結は絶対させます!

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話
ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。
βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。
そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。
イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。
3部構成のうち、1部まで公開予定です。
イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。
最新はTwitterに掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる