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第1章
ある男の意見4
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幼い俺は兄の手を摑み、夢の国に連れていってほしいとせがんだ。
兄は「迷子になったら許さないからな」と怒った口調で言ったが、口元には笑みを浮かべていたし、眉はつり上がっていない。何より「やったー!」と俺が両手を上げて喜んだときに、珍しく顔がほころんでいたのだ。
俺が生まれてから両親は、親戚のせいで引っ越しを余儀なくされ、転職をすることも多かった。長期休みをとれず、家族四人で泊りがけで出かけることは本家へ行くとき以外、まずなかった。
だがこの町に来てからは引っ越しをする必要もなくなり、両親の仕事も安定したんだ。
だからゴールデンウィークの初日に泊まりがけで夢の国へ行くことが決まったときは、思わず飛び上がってしまうくらいに嬉しかった。両親も、兄も、もちろん俺も夢の国へ行くのを楽しみにしていたんだ。
だけど当日の朝に事件が起きた。
「兄ちゃん、朝だよ! おはよう、起きて!」
「朔夜……」
兄の声はひどくガラつき、いつもと調子が違った。まるで他人の声を聞いているようで俺は困惑する。
「なんだ? 風邪か?」
「違う……今、起きるから……」
「だったら、早く起きてくれよ! 布団も片付けなきゃ駄目なんだぞ! 遅れちまうよ!?」
「ごめ……今、やる……」
よろよろと起き上がったかと思うと、むせるような咳をした。そのままバタリと床に倒れてしまったのである。
「兄ちゃん、どうしたんだよ? なあ、起きろって!」
「燈夜、いつまで寝てるの? さっさと起きて……燈夜、大丈夫!?」
そうして布団の中の住人となった兄の顔色は紙のように白く、全身に汗をぐっしょりかいていた。激しく咳き込んでは、ぜいぜい、ひゅうひゅうと喘鳴し、胸を上下させる姿はいかにも苦しそうだった。
両親は仕事のない日だというのに、朝から大忙しだった。母はあちこちに電話を掛けていたし、父は兄の体温を測り氷枕を準備してと大忙しだ。
「兄ちゃん……」
いやな予感がすると思っていれば、予感的中。夢の国へ行くのは急遽中止となり、休日診療を行っている病院へ兄を連れていくことになった。
「やだやだ、みんなで夢の国に行くんだ!」
俺は夢の国へ行けなくなったことを怒り、駄々をこねた。床へ寝転がって手足をジタバタさせていた。
「いい加減にしろ、朔夜! お兄ちゃんが死んでもいいのか!?」と父にこっぴどく叱られてしまう。
「やだー!」
「だったら、おとなしく家で留守番してるんだ! 頼むから言うことを聞いてくれよ」
「やだ、やだ、やだー!」
母は兄の心配ばかりして、「朔夜、お願いだからわがままを言わないで。すぐにおばあちゃんが来て、面倒を見てくれるから。家でいい子にしてて、ねっ?」と口早に言うばかり。
外まで彼らを追いかけていくと父から「しつこいぞ、おまえ!」と怒声を浴びせられる。
父が本気で怒った姿を見たことがなかった俺は、驚きのあまりアスファルトの地面にしりもちをつき、ビービー泣いたのだ。
父は、すまなそうな顔をして、うろたえた。が、母のヒステリックな声を耳にして、車の中にいる兄のほうへ意識が向かう。
「ごめんな、朔夜。急がないとお兄ちゃんが危ないんだ。頼むからお父さんを困らせないでくれよ、なっ? わかってくれ」
そう言い残して父は、白い軽自動車――全体的にデコボコしているオートマチックの中古車――の運転席へと乗りこんだ。
「待って、俺も連れてってよ!」
子供の叫び声は車のエンジン音にかき消され、車はあっという間に遠ざかり、見えなくなってしまった。自分だけ取り残された現実を受け入れられなくて、駐車場の地面にうずくまり、大泣きをした。
そして五分と経たないうちに泣きやんだ。
「父ちゃんたちの馬鹿……! もう知らねえ!」
約束を破り、当日になって具合の悪くなった兄や両親の態度に腹が立ち、むしゃくしゃしていた俺は、祖母が来るのも待たずにポストの合鍵を使って家を飛び出した。三輪車を漕いで友だちの家へ遊びに行ったんだ。
結果、どこも留守だった。
ゴールデンウィークの初日で、しかも上天気だったからみんな外へ出かけてしまったのだ。
だったら、まだ目を通していない本を読もうと図書館を目指す。
図書館のドアには鍵が、かかっていた。ドアの前には「おやすみ」という文字と「ごめんなさい」とお辞儀をする白ヤギと黒ヤギの立て看板があった。
運の悪いことに、図書館はちょうど休館日だったのだ。
「ったく……どこのどいつだよ、ゴールデンウイークなんて休みを考えたのは! こんなんで、どう楽しめっつーんだよ!?」
呪いの言葉を空に向かって吐いた。
気さくに話しかけてくれる司書の声が掛かるわけもなし。
結局、トボトボと三輪車を押し歩いて公園へ行くことにした。
その道中も――いつもだったら畑仕事に勤しむ老人とその後ろをついて歩くカラスや、犬を散歩させる人の姿をちらほら目にするのだが、一度も見かけなかった。外で昼寝する猫一匹、電線の上で囀るスズメの子一羽すらいない。
町の公園は規模が小さく、遊具といったらブランコとすべり台に鉄棒、後は砂場だけだった。ただ、幼稚園と小学校の中間にあったから町の子供が集まりやすかった。
兄は「迷子になったら許さないからな」と怒った口調で言ったが、口元には笑みを浮かべていたし、眉はつり上がっていない。何より「やったー!」と俺が両手を上げて喜んだときに、珍しく顔がほころんでいたのだ。
俺が生まれてから両親は、親戚のせいで引っ越しを余儀なくされ、転職をすることも多かった。長期休みをとれず、家族四人で泊りがけで出かけることは本家へ行くとき以外、まずなかった。
だがこの町に来てからは引っ越しをする必要もなくなり、両親の仕事も安定したんだ。
だからゴールデンウィークの初日に泊まりがけで夢の国へ行くことが決まったときは、思わず飛び上がってしまうくらいに嬉しかった。両親も、兄も、もちろん俺も夢の国へ行くのを楽しみにしていたんだ。
だけど当日の朝に事件が起きた。
「兄ちゃん、朝だよ! おはよう、起きて!」
「朔夜……」
兄の声はひどくガラつき、いつもと調子が違った。まるで他人の声を聞いているようで俺は困惑する。
「なんだ? 風邪か?」
「違う……今、起きるから……」
「だったら、早く起きてくれよ! 布団も片付けなきゃ駄目なんだぞ! 遅れちまうよ!?」
「ごめ……今、やる……」
よろよろと起き上がったかと思うと、むせるような咳をした。そのままバタリと床に倒れてしまったのである。
「兄ちゃん、どうしたんだよ? なあ、起きろって!」
「燈夜、いつまで寝てるの? さっさと起きて……燈夜、大丈夫!?」
そうして布団の中の住人となった兄の顔色は紙のように白く、全身に汗をぐっしょりかいていた。激しく咳き込んでは、ぜいぜい、ひゅうひゅうと喘鳴し、胸を上下させる姿はいかにも苦しそうだった。
両親は仕事のない日だというのに、朝から大忙しだった。母はあちこちに電話を掛けていたし、父は兄の体温を測り氷枕を準備してと大忙しだ。
「兄ちゃん……」
いやな予感がすると思っていれば、予感的中。夢の国へ行くのは急遽中止となり、休日診療を行っている病院へ兄を連れていくことになった。
「やだやだ、みんなで夢の国に行くんだ!」
俺は夢の国へ行けなくなったことを怒り、駄々をこねた。床へ寝転がって手足をジタバタさせていた。
「いい加減にしろ、朔夜! お兄ちゃんが死んでもいいのか!?」と父にこっぴどく叱られてしまう。
「やだー!」
「だったら、おとなしく家で留守番してるんだ! 頼むから言うことを聞いてくれよ」
「やだ、やだ、やだー!」
母は兄の心配ばかりして、「朔夜、お願いだからわがままを言わないで。すぐにおばあちゃんが来て、面倒を見てくれるから。家でいい子にしてて、ねっ?」と口早に言うばかり。
外まで彼らを追いかけていくと父から「しつこいぞ、おまえ!」と怒声を浴びせられる。
父が本気で怒った姿を見たことがなかった俺は、驚きのあまりアスファルトの地面にしりもちをつき、ビービー泣いたのだ。
父は、すまなそうな顔をして、うろたえた。が、母のヒステリックな声を耳にして、車の中にいる兄のほうへ意識が向かう。
「ごめんな、朔夜。急がないとお兄ちゃんが危ないんだ。頼むからお父さんを困らせないでくれよ、なっ? わかってくれ」
そう言い残して父は、白い軽自動車――全体的にデコボコしているオートマチックの中古車――の運転席へと乗りこんだ。
「待って、俺も連れてってよ!」
子供の叫び声は車のエンジン音にかき消され、車はあっという間に遠ざかり、見えなくなってしまった。自分だけ取り残された現実を受け入れられなくて、駐車場の地面にうずくまり、大泣きをした。
そして五分と経たないうちに泣きやんだ。
「父ちゃんたちの馬鹿……! もう知らねえ!」
約束を破り、当日になって具合の悪くなった兄や両親の態度に腹が立ち、むしゃくしゃしていた俺は、祖母が来るのも待たずにポストの合鍵を使って家を飛び出した。三輪車を漕いで友だちの家へ遊びに行ったんだ。
結果、どこも留守だった。
ゴールデンウィークの初日で、しかも上天気だったからみんな外へ出かけてしまったのだ。
だったら、まだ目を通していない本を読もうと図書館を目指す。
図書館のドアには鍵が、かかっていた。ドアの前には「おやすみ」という文字と「ごめんなさい」とお辞儀をする白ヤギと黒ヤギの立て看板があった。
運の悪いことに、図書館はちょうど休館日だったのだ。
「ったく……どこのどいつだよ、ゴールデンウイークなんて休みを考えたのは! こんなんで、どう楽しめっつーんだよ!?」
呪いの言葉を空に向かって吐いた。
気さくに話しかけてくれる司書の声が掛かるわけもなし。
結局、トボトボと三輪車を押し歩いて公園へ行くことにした。
その道中も――いつもだったら畑仕事に勤しむ老人とその後ろをついて歩くカラスや、犬を散歩させる人の姿をちらほら目にするのだが、一度も見かけなかった。外で昼寝する猫一匹、電線の上で囀るスズメの子一羽すらいない。
町の公園は規模が小さく、遊具といったらブランコとすべり台に鉄棒、後は砂場だけだった。ただ、幼稚園と小学校の中間にあったから町の子供が集まりやすかった。
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