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第1章
突然の来訪者3
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細く、薄い肩を上下させながら、壱架は写真立てのあるほうを指差した。ポロポロと涙を両目からこぼしたかと思うと、その場でしゃがみ込み、嗚咽を漏らす。
無言のままあたしは膝を折り、痛々しく泣く壱架の肩をそっと抱きしめる。
激情に駆られていた姿が嘘みたいに壱架は静かに涙を流していた。
「……また番にひどいことをされたの?」
あたしの言葉に壱架は返事をしない。間違っていれば、すぐに「違う」と否定する壱架が無言を貫くときは、肯定であることを知っている。思わずため息をついてしまう。
「浮気?」
「……浮気のほうがよかったよ」と壱架は涙声で返事をした。「あいつ、私に隠れて私以外の女を『仕事だから』って何人も抱いてるの」
店は本番ありを許してないのにな、と壱架はつぶやいた。
「それでケンカしたわけね」
「ケンカ? ケンカじゃないよ」
壱架が力なく笑う。
「セフレや彼女じゃないんだよ? 私があいつの番になったの! なのに、それなのに……『オメガの分際でオレのやることに、いちいち口出しするな』って、引っ叩かれた。ありえなくない? ぜんぜん仕事と関係ないときも、女と遊んでるみたいだし。この間なんか、部屋を掃除してたら女物のピアスとか、指輪が出てきたの。自分のやってることを棚上げして、オメガであることをめちゃくちゃなじられて……結局アパート追い出されるとかマジ最悪」
「アパートの契約者って、あんたじゃなかったっけ。名義変更でもしたの? それとも、あの男に任せてる?」
「してないよ。そのまんま。家賃も、水道光熱費も全部、あたしが払ってる」
「だったら、壱架が追い出される筋合いはないはずよ。それに、あっちのほうが生活が安定してないでしょ。あんた、服飾店で正社員として働いているんだから。なんで追い出されたのよ?」
すると壱架は、緩慢な動きであたしから離れた。指先で涙を拭い、涙で濡れた黒いまつ毛を、しばたたかせた。
「馬鹿だね、絹香。番になると結婚したのと同じ状態になるんだよ。でも、ベータたちの結婚と違うのは、オメガが番になる前の財産も番であるアルファとの共有財産になること。私が努力して稼いだものも、大切なものもあいつが持つ権利がある」
「でも、あんたは番の解消を考えているんでしょ。大家さんはなんて?」
「事情もよく知らないくせして『オメガであるおまえが悪いんだろ』って話をろくすっぽ聞いてくれなかったよ。あいつがどんな男か知りもしないで『アルファと番を解消したら大変だ』なんて言ってきて、ウザかった……結局、今はあいつが我が物顔で居座ってる。多分、女も連日、連れ込んでるんじゃないかな」
もとから150センチメートルと背が低い。おまけに体重も子どもみたいに軽くて、腕なんかちょっと強く握ったら折れてしまうんじゃないかってくらい細い。
でも基本的にいつもケラケラ笑ってる。服を買いに出かけてたまたま仕事で接客してる姿を何度か見かけたけど――いつも、ちゃらんぽらんなことをしている子とはとうてい思えなかった。
胸を張ってしゃきっとした態度で接客している姿は、女のあたしから見てもカッコよかった。何より、お客さんに似合う服をさがしている姿は真剣そのもの。お客さんが壱架の選んだ服を着て、うれしそうにしているとき・洋服を買ってもらえるときなんか、めちゃくちゃいい顔で笑ってる。すっごく「服が大好き!」って雰囲気が出てて綺麗な花のように活き活きしていた。
でも、今は違う。
ひどく疲れ果てている。
寒空の下に立っている一本の木についた枯れ葉のように頼りない。強風が吹いただけで、どこかへ吹いていってしまうような危うさがあった。
そんなことを思っているうちに、すっくと立ち上がる。
「ごめんね、いきなり大声出したりして!」と――さっきまでヒステリックにさけび、肩を震わせて泣いていたのが嘘みたいな様子で、えへへと笑う。「なる早で新しいアパート見つけるし、ここでお世話になる間、家賃とか食費も払うよ! だから、少しの間、ここにいさせてください……」と頭を下げる。
彼女にならって、あたしも立ち上がった。
「事情を知ったら、なおのこと、あんたを放って置けるわけないでしょ? 好きなだけいなさいよ」
「っ……! 絹香……」と彼女がパッと頭を上げる。
「“腹が減っては戦はできぬ”っていうじゃない。さっさと朝ご飯にしましょ。あんたは適当に自分の荷物、整理しちゃって」
「ごめん、ありがと……」
ほっとした顔で謝罪と礼を同時に言ったかと思うと、さっそくキャリーケースの中身を取り出し始める。
その姿を横目で見てから冷蔵庫のほうへ足を進める。中に入れてあった食パンと卵、それから牛乳とバターを取り出して、キッチンの前に立つ。
「ねえ、絹香」
砂糖やバット、フライパンとボールを戸棚から取り出していれば壱架に声を掛けられれる。「何?」と返事をしながら、まな板の上に重ねて置いたパンの耳を、パン切り包丁で切り落としていく。
「もう――黒髪のロングヘアにはしないの?」
無言のままあたしは膝を折り、痛々しく泣く壱架の肩をそっと抱きしめる。
激情に駆られていた姿が嘘みたいに壱架は静かに涙を流していた。
「……また番にひどいことをされたの?」
あたしの言葉に壱架は返事をしない。間違っていれば、すぐに「違う」と否定する壱架が無言を貫くときは、肯定であることを知っている。思わずため息をついてしまう。
「浮気?」
「……浮気のほうがよかったよ」と壱架は涙声で返事をした。「あいつ、私に隠れて私以外の女を『仕事だから』って何人も抱いてるの」
店は本番ありを許してないのにな、と壱架はつぶやいた。
「それでケンカしたわけね」
「ケンカ? ケンカじゃないよ」
壱架が力なく笑う。
「セフレや彼女じゃないんだよ? 私があいつの番になったの! なのに、それなのに……『オメガの分際でオレのやることに、いちいち口出しするな』って、引っ叩かれた。ありえなくない? ぜんぜん仕事と関係ないときも、女と遊んでるみたいだし。この間なんか、部屋を掃除してたら女物のピアスとか、指輪が出てきたの。自分のやってることを棚上げして、オメガであることをめちゃくちゃなじられて……結局アパート追い出されるとかマジ最悪」
「アパートの契約者って、あんたじゃなかったっけ。名義変更でもしたの? それとも、あの男に任せてる?」
「してないよ。そのまんま。家賃も、水道光熱費も全部、あたしが払ってる」
「だったら、壱架が追い出される筋合いはないはずよ。それに、あっちのほうが生活が安定してないでしょ。あんた、服飾店で正社員として働いているんだから。なんで追い出されたのよ?」
すると壱架は、緩慢な動きであたしから離れた。指先で涙を拭い、涙で濡れた黒いまつ毛を、しばたたかせた。
「馬鹿だね、絹香。番になると結婚したのと同じ状態になるんだよ。でも、ベータたちの結婚と違うのは、オメガが番になる前の財産も番であるアルファとの共有財産になること。私が努力して稼いだものも、大切なものもあいつが持つ権利がある」
「でも、あんたは番の解消を考えているんでしょ。大家さんはなんて?」
「事情もよく知らないくせして『オメガであるおまえが悪いんだろ』って話をろくすっぽ聞いてくれなかったよ。あいつがどんな男か知りもしないで『アルファと番を解消したら大変だ』なんて言ってきて、ウザかった……結局、今はあいつが我が物顔で居座ってる。多分、女も連日、連れ込んでるんじゃないかな」
もとから150センチメートルと背が低い。おまけに体重も子どもみたいに軽くて、腕なんかちょっと強く握ったら折れてしまうんじゃないかってくらい細い。
でも基本的にいつもケラケラ笑ってる。服を買いに出かけてたまたま仕事で接客してる姿を何度か見かけたけど――いつも、ちゃらんぽらんなことをしている子とはとうてい思えなかった。
胸を張ってしゃきっとした態度で接客している姿は、女のあたしから見てもカッコよかった。何より、お客さんに似合う服をさがしている姿は真剣そのもの。お客さんが壱架の選んだ服を着て、うれしそうにしているとき・洋服を買ってもらえるときなんか、めちゃくちゃいい顔で笑ってる。すっごく「服が大好き!」って雰囲気が出てて綺麗な花のように活き活きしていた。
でも、今は違う。
ひどく疲れ果てている。
寒空の下に立っている一本の木についた枯れ葉のように頼りない。強風が吹いただけで、どこかへ吹いていってしまうような危うさがあった。
そんなことを思っているうちに、すっくと立ち上がる。
「ごめんね、いきなり大声出したりして!」と――さっきまでヒステリックにさけび、肩を震わせて泣いていたのが嘘みたいな様子で、えへへと笑う。「なる早で新しいアパート見つけるし、ここでお世話になる間、家賃とか食費も払うよ! だから、少しの間、ここにいさせてください……」と頭を下げる。
彼女にならって、あたしも立ち上がった。
「事情を知ったら、なおのこと、あんたを放って置けるわけないでしょ? 好きなだけいなさいよ」
「っ……! 絹香……」と彼女がパッと頭を上げる。
「“腹が減っては戦はできぬ”っていうじゃない。さっさと朝ご飯にしましょ。あんたは適当に自分の荷物、整理しちゃって」
「ごめん、ありがと……」
ほっとした顔で謝罪と礼を同時に言ったかと思うと、さっそくキャリーケースの中身を取り出し始める。
その姿を横目で見てから冷蔵庫のほうへ足を進める。中に入れてあった食パンと卵、それから牛乳とバターを取り出して、キッチンの前に立つ。
「ねえ、絹香」
砂糖やバット、フライパンとボールを戸棚から取り出していれば壱架に声を掛けられれる。「何?」と返事をしながら、まな板の上に重ねて置いたパンの耳を、パン切り包丁で切り落としていく。
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