黒魔女とエセ紳士

鶴機 亀輔

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第1章

突然の来訪者1

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   *



 セミの声を聞きながら目を開ける。生ぬるくなった玄関のフローリングの床から身を起こし、頭をく。

 足が痛い。紺色のラメが入ったピンヒールを適当に脱いで立ち上がる。

 二十年以上も前の夢を見るなんて疲れているのかしら。体調不良の前兆?

 麻でできた白のロングカーディガンは汗でぐっしょりれている。カーディガンを脱ぎ捨てて脱衣所のかごに入れる。

 黒のタンクトップ姿でキッチンに向かい、水切りかごの中にあった水色のグラスを手に取る。蛇口をひねって、でてきたのは熱湯のように熱い水道水だった。飲む気になんてなれなくて、そのままお湯だか、水だか判別のつかない液体を流しへ捨てる。

 そのままリビングに向かい、扉を開く。むわっとした熱気が押し寄せてくる。早く帰ってこれると思って冷房を消したから外と変わらない……いや、もっと熱い気がする。まるでサウナみたいだ。急いでクーラーのリモコンを手に取り、冷房をつける。ピッと音がしたと同時に、ひんやりとした冷気が吹きこんできて、ほっと息をつく。

 それでも一番安いクーラーだから、一気に部屋の中が涼しくなるわけもなく、ミニ冷蔵庫の扉を開ける。昨晩作った水出し紅茶のボトルを手に取った。キンキンに冷えている茶色い液体を水色のグラスに注ぎ、一気飲みする。喉から胃に向って冷たい液体が流し込まれ、内側から冷えていくのがたまらない。周りに人もいないから、ビールを飲んだときみたいに息をつく。

 このまま二杯目を飲もうとしたら玄関のチャイムが鳴って、あたしは眉間にしわを寄せた。

 また電気料金のプランの変更? それとも宅配?

 汗だくでくさいし、メイクもろくに落としていない状態で人前に出たくなくて、居留守を使う。

 長期旅行で人のいない家に侵入したのに、近所のおばさんがやってきて、あわてて隠れた強盗犯のように息を殺す。

 しばらくすると玄関のドアをダンダンと叩く音がする。

「絹香ー、開けてー。いちだよー」と甘ったれたソプラノボイスがする。

 あたしは、ため息をついて、こたつ型のテーブルの上に紅茶のボトルと空のグラスを置いた。そのまま玄関まで歩いていき、ドアを開ける。

 そこには地雷系ファッションとメイクをした女が立っていた。彼女ははしが転がって笑う子どもみたいに、何が楽しいのかケラケラ笑う。

「なんだ、やっぱりいたんだ! 居留守使わないでよー。てゆーか、めちゃくちゃ寝起きって感じなんだが。もしかして寝てた?」

「そっ、あんたの言う通り寝起きよ。悪い?」

「えー、機嫌超最悪って感じー? 私が会いに来たのに、うれしくないの?」

 コテンと小首を傾げて上目づかいをする姿を見て、かわりいなんて思う自分にウンザリする。

「うれしいとか、うれしくないの問題なわけ。つい二週間前にあたし、あんたにフラれたんだけど?」

「もー、人聞き悪いな。フッてなんかいないよ!? あれはちょっとタイミングが悪かっただけ! てか、そんなことよりも、マジ熱いから部屋の中に入れてよ。……ダメ?」

 えへへと屈託なく笑う彼女の頬は血色がなく、顔色は青白い。ファンデやおしろいのせいなんかじゃない。まともにご飯を食べていないのだ。コンシーラーやチークで隠しているものの黒クマも、うっすら見えて、彼女が何日も寝ていないことが伺えた。

 仕方なくドアを抑えたままの状態で身体を横にやる。

「……いいわよ」

「やったー! おじゃましまーす!」

 意気揚々とキャリーケースをガラガラと引き入れ、厚底の黒い靴を脱ぐ。膝をついて靴を揃え、冷房のかかった部屋に寝転がった。いつも、ここ来るとき使っている大きなうさぎのぬいぐるみを抱き寄せて、彼女は自分の家にでもいるみたいにダラダラし始めた。

「あー……癒される。絹香の家、来るとね、おばあちゃんのうちを思い出すから好きー」

「ちょっと待ってよ。それ、どういう意味? ババくさいってわけ?」

 お香を焚くのが好きだった。それも海外のインドとか、中東のじゃなく、日本のお香。ご先祖様のお仏壇に線香をあげるときや、おばあちゃんの着物の匂いを思い出して安心するから。

 香水やアロマキャンドルの香りは、母親を思い出すから苦手。

 てっきり、けなされているのかと思って大きな声を出してしまった。

 キョトンとした顔をしてから壱架は口元に手をやり、ケラケラ笑う。

「おっかしいの、ババくさいとかウケるー! 自分で言っちゃう?」

「うっさいわね。文句があるなら、この部屋、今すぐ出てってもらうからね」

「嘘、嘘! 違うよ。なんかね、昔懐かしって感じ。レトロとかノスタルジーみたいでエモいんだよね」

「つまり?」

「もう察し、悪すぎ! あのね、『ここにいていいよ』って言ってもらえてる感じがするの。クソじじいとクソばばあの怒鳴り合う声を聞かなくていいし、甘えても怒られたり、殴られない。安心するんだ」



 ――だったら、ずっとここにいればいいじゃない。

 喉の奥まで出かかった言葉を、あたしは無理やり呑み込んだ。

「それはどうも。で、朝ご飯は食べたの? どうせ食べてないんでしょ」
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