ひとりぼっちの魔術師

鶴機 亀輔

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ひとりぼっちの魔術師

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「お師匠様。わたし、あなたのことが最初から大嫌いだったの。あなたが偉大な魔術師だったから近づいただけなのよ」

「そうかい、それでほかに何か言うことはないかな?」

「ないわ。あるとしたら『わたしのことを恨んで、死の呪いなんかかけないでください』とか? でも、それも難しい話よね。弟子であり、恋人である女にだまされて、ろうにぶち込まれたんですもの」

「きみがやらなくても、ほかの魔女や女たちがやっただろう。大したことじゃないよ、恨んだりするもんか」

「そう、それは好都合だわ。それでは――永遠にさようなら、偉大な魔術師様」

 魔女は、ニヤリと口元に笑みを浮かべて笑う。魔術師の男をひとり、魔法で作った地下牢へと残し、踊るように軽やかな足取りでせん階段を駆け上っていった。

 だが、魔術師の男は呪いの言葉をひとつとして吐こうとはしなかった。冷たくジメジメした壁にもたれ、息をつく。

「……知ってたよ。きみが私のことを、これっぽっちも愛していなかったことくらい」



 魔女はただ、魔女である亡き母のように魔法を使えるようになりたかったのだ。そんな純粋な思いから魔術師の男の弟子となる道を選んだのである。彼女は魔術師の男のことを誉れ高き師として、尊敬できる父や、頼りがいのある兄のような存在として見ていたのだ。

 だが、無類の女好きである魔術師の男は、美しい容姿をした少女が将来、世にも類まれない美しい魔女となる未来を垣間見たのである。そして無邪気に己に懐く少女のことを気に入ってしまった。

 幼い少女を手元に起き、魔法や魔術を教え、熱心に育てた。

 種が芽吹き、葉をつけ、つぼみから美しい花となる日を、ずっと楽しみにしていたのだ。

 そうして、弟子であった幼かった少女が見目麗しい容姿をした魔女になると、魔術師の男は彼女に「恋人になってほしい」と迫ったのである。「恋人になれば、魔族や神々しか知らない神秘の力さえも、きみに伝授しよう」という条件を突きつけた。

 学ぶことに貪欲だった魔女は、魔術師の男の条件をみ、恋人となった。

 しかしながら、すでに魔女には、魔術師の男など眼中にないくらいに夢中になっている男がいたのだ。

 魔術師の男も、その事実に勘づいていた。それでも彼女を欲しいと願ってしまったのだ。

 魔術師の男は何度も魔女を恋人から、自分の妻にしようと、ありとあらゆる手段を講じた。魅了の魔術、れ薬、やく……。

 幼い頃から魔法や魔術を習ってきた魔女は、師である魔術師の男の魔法をことごとく破った。

 しびれをきらした魔術師の男は、とうとう恋人であることを逆手に取って、魔女を強引に押し倒した。

 不思議なことに彼女が「許してほしい」と涙を流せば、乱暴を働く気はすっかり失せてしまう。彼女に嫌われてしまえば世界が終わる――そんな物理的に絶対あり得ない妄想に取りかれ、手を出すことができなくなってしまったのだ。それこそ、魔法でもかけられたかのように……。



 地上へと戻ることは二度とできない。

 牢獄の魔法は罪人を捕える魔法だ。七つの大罪を犯した生きとし生けるものを死ぬまで閉じ込める拘束魔法だ。

 うら若き乙女も、老婆も、人妻も取っ替え引っ替えして泣かせてきた魔術師の男は、むろん色欲の戒律を破ったために拘束されている。

 魔術師の男は三角座りをして、カビだらけの天井を仰いだ。ぴちょん、ぴちょんと水滴が落ちてくる。

「あの子に、この呪文を教えたのは間違いだったね。だけど『全部、教える』と言った手前、教えないわけにもいかなかったし――なんて言い訳だよな。私も歳を取ったものだ」

 十代後半にしか見えない風貌をしているが、男はその身に膨大な魔力を宿し、すでに何百年と生きていた。母親が神の祝福を受けた花の精霊で、父親が森の神である男は、魔物や神々と同じように千年、二千年と生き続ける長寿だったのだ。

「たかだか人間と魔女の混血児に恋をするなんて、ずいぶんもうろくしたものだな」

 長時間天井を眺め続け、凝りに凝った首を左右にひねり、肩を回す。それから魔術師の男は、格子窓の向こうに見える青空と草原を見つめた。



   *



 魔術師の男は洗濯の魔術を使い、シーツや布団、洋服を洗った。今日はいい天気だと魔法の杖を振って、洗濯物を洗濯竿ざおに干していれば、ドン! と足に衝撃を受ける。弟子の少女が勢いよく腰に抱きついてきたのだ。

『お師匠様!』

『どうしたんだい、何かいいことでもあったかな?』

 魔術師の男は目を細めて腰をかがめ、亜麻色の髪を優しくでた。

『はい! とっても素敵な本を見つけたんです!』

 すると弟子の少女は息を巻いて『世界の美しいモンスターと美しい植物』という本を取り出した。

『きみは本が好きかい?』と魔術師の男が問いかければ、弟子の少女は『はい、大好きです!』と元気よく答えた。『本はとても素敵ですね。わたしを自由な世界へと連れて行ってくれます。その世界でわたしは、鳥にも、魚にも、太陽にも、星にも、月にもなれるんです。亡くなった賢者の教えを聞くことも、現実には存在しない人たちの声を聞くこともできるんですよ!』

『そう、それはよかったね』

『でも……』

『でも?』

『本を同時に何百札も何千札も見ることはできないんですね』

 魔術師の男は、弟子の少女の発した言葉に吹き出した。

 弟子の少女は『笑うなんて、ひどいです!』と頬を膨らませる。

『いやー、それは目がいくつもあるの魔物でも難しいと思うよ?』

『違います! そういうことを言っているわけではありません!』

『じゃあ、どういう意味なんだい? ずいぶんと強欲なお願いだね』

『もう、お師匠様ったら……ぜんぜんわたしの話を聞いてくださらないんですね! もう知りません!』

 いよいよ弟子の少女は本気で腹を立て、そっぽを向いてしまう。

『ごめんね、悪かったよ』と魔術師の男は、弟子の少女に謝った。『それで、どうしてそんなことを考えついたのか聞かせてくれるかな?』

『……一度に何百冊も、何千冊も本を読めれば、忘れることがないからです』

『忘れることがない?』

『はい……私、一度では本の内容を覚えられません。何度も何十回も読んで、かすかに覚えたか、覚えないかといったところです。でも、お師匠様のところで奉公させていただいて、お師匠様のお持ちになっている本だけでなく、王立図書館の本や、書店の本、異国の本も読ませていただいています。お母様のところにいたときに想像していた以上の本を読んで勉強したり、人間界の人間たちのルールや暮らしぶりを覚えています。娯楽としても見ています。だから覚えると同時に――忘れてしまうんです。自分が今までどんな本を読んできたのか、全部口にできません。吟遊詩人たちのように、そらんじることすら、できないんです』

 弟子の少女は、古びた本をギュッと離さないように抱きしめた。

『この本も、お師匠様の本棚にあったものではありません。地下室の倉庫でガラクタやゴミと一緒にホコリをかぶっていたものなんですよ。私が見つけなかったら、そのまま誰にも見つけないままだったかも。本の虫に食われて駄目になってしまっていたかもしれません。……だって忘れてしまうのも、捨てられてしまうのも悲しいことですから』

 弟子の少女の父親である人間の男は、弟子の少女の母親が魔女とは知らずに夫婦になってしまった。だが、人間とは異なるとんがった耳をして、黒髪に赤い目をした赤子が生まれてきたのを目にすると男は血相を変えた。そして彼女たちのことを気味悪がり、遠方の村へ捨てたのだ。

 母親は善良な白魔女だった。少女を育てながら薬草や煎じ薬を売っていたのだが、運悪く病が流行し、それに対処できなかった。そのため「悪魔に仕える魔女」として火あぶりの刑に処せられてしまったのだ。

 そうして人々は、「悪い魔女」の子供である少女のことも気味悪がった。最初からなかったものとして、両親のない幼い彼女を放置したのである。

『――それは悪いことをしたね』

『謝らないでください。お師匠様も東奔西走していて、お忙しい身ですし。わざとこの本に残酷な仕打ちをしたわけではないとわかっています。それでも私は、お師匠様のようにあらゆる場所や時間を見られる眼が羨ましいです。その眼があれば、私は自分が読んだ本を、永久的に忘れられずにいます』

『この眼は、そんなにいいものではないんだよ。それとね、きみは忘れてしまうなんて言っているけど、きみの読んだ本に関する記憶は本当の意味では失われてないんだよ』

『どういうことでしょう?』と弟子の少女は戸惑いの声をあげる。

『きみは今日まで食べてきたもの、飲んできたものをすべて覚えている?』

『いえ 覚えていません』

 弟子の少女は首を横に振った。

『そうだろう。それをすべて覚えていたり、記録をとっている人間やモンスターはそういない。だけど、今日まできみが食べてきたもの、飲んできたものの名前や形、色をきみが頭の中に覚えていなくても、それはきみの身体の一部となっているんだ。それはきみの中で血と肉となり、きみが大人となる手伝いをしてくれる』

『つまり?』

 きょとんとしている弟子の少女を愛しく思いながら、魔術師の男は弟子の少女を抱き上げた。

『きみが忘れてしまったと言っている読んできた本も、きみの知恵や教養、感情となって、きみをあらゆるものから守り、強くしてくれるんだよ』

『んー……難しくて、よくわかりません……』

『そのうち、わかるようになるよ。さあ、洗濯物も終わったし、魔法の練習の続きをしようじゃないか』

『はい! 今日もいっぱい教えてくださいね、お師匠様!』



   *



 ここには本がないなと思いながら、男は目を閉じた。

 魔女は、思い人である勇者を守りながら、冒険をする。そして最後には盛大に結婚をして、勇者と結ばれる。子供や孫にも恵まれ、夫となった騎士とも夫婦円満な生活を送り、愛する夫や子供たちに看取られて大往生するのだ。

 これほど美しいハッピーエンドはないだろう。だが、そこには魔術師の男の姿はない。脇役や通行人にすらなれない。彼女の口から魔術師の男の名前は永遠に紡がれなかったのだ。

 魔女に「恋人になれ」と強要し、挙句の果てには無理やり夫婦の契りを結ぼうとした師がいたことなど、とうの昔に忘れてしまったのである。彼女は最初から魔術師の男の存在を、なかったことにしてしまったのだ。

 魔術師の男は目を開き、口元に笑みを浮かべた。

「……退屈なのは嫌いなんだ。きみのいない世界は、まさしく退屈そのもの。こんな牢獄を魔法で王宮のように仕立て上げたって、孤独であることには変わりないんだ。でも私には無限とも思えるような長い時間がある。だったらは、きみがいつか望んだものを作ってみようじゃないか」

 魔術師の男は杖を手にして立ち上がった。



   *



 どれほどの歳月が経ったのだろうか?

 十年、二十年。あるいは百年、千年――それ以上の歳月が経ったのかもしれない。

 どちらにせよ魔女は、とっくの昔に寿命で死んだ。魔術師の男の見知った人間も皆、あの世へ旅立ってしまった。

 魔術師の男だけが魔女と最後に言葉を交わしたときと同じ容姿をしている。

 壊れた城塞の跡や、自分の見知った人物の墓が忘れられ、風化していく様を、人間ではない眼で男は見続けていた。

 馬ではなく戦車で、剣ではなく銃で、大砲ではなく爆弾で――どんな形にせよ、人間たちが争いを続ける姿を、暗い穴蔵のような牢獄から静かに見つめ続けていたのだ。



 ついに魔術師の男は、雪の降る夜に自身の魔力と魔術、培ってきた魔法を駆使して一冊の本を作り出したのだった。

 それはあらゆる世界に通じ、あらゆる世界に出現し、あらゆる物語を記録し続ける本だった。物語を読むたびに本は成長し、本の中で新たな世界と物語が永遠に作られ、つづられ続ける。終わりと始まりを繰り返す魔法の本だ。本は人の喜びを、悲しみを、怒りをいつまでも集積し続けていく。集積した物語を求める人間のもとへと現れる。永遠に忘れられることのない本だ。

 そして、その本の番人であり、鍵となるのは魔術師の男、本人だ。

 魔術師の男は、まばゆい光を放つ金の本に微笑みかけた。赤子でも抱くような手つきで大切そうに本を抱きしめ、まぶたを閉じた。

 外の世界では、その日は戦いも休戦となり、敵・味方関係なく祝いの言葉を口にし合う。

 飾り付けられたモミの木を眺める若い男女や、友だちや仕事仲間と過ごす人々。無邪気に笑う子供たちの姿が目の裏に浮かぶ。

 男は深呼吸をして七色に光る目を見開いた。

「自分が生きている世界には、同じ顔をした人間が三人いるそうだね。だったら、こことは異なる世界に行けば、僕のことを心から愛してくれるきみとも会えるんじゃないかな? って思うんだ。この世界で亡くなってしまったきみと同じ魂をもつきみが、どこかにいる。そうしたら、そのときは、また最初からやり直したいな。それで――最後まできみに言えなかった言葉を、言わせてほしいんだ」

 すると男の姿はうそのように消えてしまう。

 薄暗い牢屋には、金色に輝く本が一冊、地面に落ちていた。
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