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11.未来
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恋をするのはいけないことだと、姐さんたちに教わった。
恋を売る遊女が恋をしても、つらい未来が待っているだけなのだから、と。
それなのに、一体自分はどうしてしまったのだろう。そう深雪は呆然としていた。
恋なんて、自分から一番遠いものだと思っていた。
「ただの客じゃない……」
男がぽつりと呟くのを見て、深雪はハッと顔を上げる。
自分はとんでもないことを、うっかり口にしてしまったのではないかと思ったのだ。
でも、男の顔はひどく落ち込んでいるように見えた。
「ただの客にもなれてないのか……」
なんとも見当外れな男の発言に、深雪は思わず小さな笑みをこぼす。
ああ、どうしてそんなことが思えるのか。
「そんなこと、あるはずがないでしょう」
言わなければいいと分かっているのに、深雪は思わずそう言ってしまっていた。
勝手に動いた口を恥じながら、同時に後悔はしていなかった。
湧いて出たような想いをぶつけたいなんて思わなかったけれど、完全に秘めておけるほど、深雪は達観してはいなかった。
「私は先生が来てくることが、一番嬉しいのに」
客を喜ばせようとする言葉ではなく、心からの言葉としてこんなことを言うのは、深雪にとって初めてだった。
男はひどく驚いた顔をして、それからじわじわと赤く染まっていく顔を、深雪はじっと見つめていた。
それから幾日も経った頃、男は深雪を訪ねてきた。その間も男は深雪を訪ねてはいたが、いつもより格段に口数は少なかった。
けれど今回は、部屋に入ってすぐに男は口を開いた。
「君にここを出る気はある?」
その問いかけに深雪は呆然と男を見上げた。
「うちに本なら山ほどある」
「金も、まあ、ないことはない」
「おそらく、これから先、節約すれば、食うに困ることはないと思う」
そんな風にまくし立てる男を見て、深雪は思わず笑ってしまった。
「一度も抱いたことのない女を?」
深雪の言葉に男は驚いたように瞬きを繰り返す。
「抱く、抱かないで、恋の気持ちは変わるのかい?」
男の問いかけに、深雪はふわりと笑う。それもそうですね、と言う深雪の言葉にはひどく重みがあった。
それは今まで良いとも言っていない人に抱かれてきたことの延長線だった。
この先に幸せがあるだろうかと、深雪は考える。
男の背後にある緊張感やら何やらでぐるぐるしたものを見て、深雪はまた笑う。
私で良ければ、と告げた声に男はもちろん笑ったのだ。
いつの日かの門を出た先、一人と一人が手を繋いでいた。
「本当に迎えに来るとは思いませんでした」
そんな女の声に笑う男。それは誰より物事を見通す女さえ見通せなかった幸せな未来だった。
恋を売る遊女が恋をしても、つらい未来が待っているだけなのだから、と。
それなのに、一体自分はどうしてしまったのだろう。そう深雪は呆然としていた。
恋なんて、自分から一番遠いものだと思っていた。
「ただの客じゃない……」
男がぽつりと呟くのを見て、深雪はハッと顔を上げる。
自分はとんでもないことを、うっかり口にしてしまったのではないかと思ったのだ。
でも、男の顔はひどく落ち込んでいるように見えた。
「ただの客にもなれてないのか……」
なんとも見当外れな男の発言に、深雪は思わず小さな笑みをこぼす。
ああ、どうしてそんなことが思えるのか。
「そんなこと、あるはずがないでしょう」
言わなければいいと分かっているのに、深雪は思わずそう言ってしまっていた。
勝手に動いた口を恥じながら、同時に後悔はしていなかった。
湧いて出たような想いをぶつけたいなんて思わなかったけれど、完全に秘めておけるほど、深雪は達観してはいなかった。
「私は先生が来てくることが、一番嬉しいのに」
客を喜ばせようとする言葉ではなく、心からの言葉としてこんなことを言うのは、深雪にとって初めてだった。
男はひどく驚いた顔をして、それからじわじわと赤く染まっていく顔を、深雪はじっと見つめていた。
それから幾日も経った頃、男は深雪を訪ねてきた。その間も男は深雪を訪ねてはいたが、いつもより格段に口数は少なかった。
けれど今回は、部屋に入ってすぐに男は口を開いた。
「君にここを出る気はある?」
その問いかけに深雪は呆然と男を見上げた。
「うちに本なら山ほどある」
「金も、まあ、ないことはない」
「おそらく、これから先、節約すれば、食うに困ることはないと思う」
そんな風にまくし立てる男を見て、深雪は思わず笑ってしまった。
「一度も抱いたことのない女を?」
深雪の言葉に男は驚いたように瞬きを繰り返す。
「抱く、抱かないで、恋の気持ちは変わるのかい?」
男の問いかけに、深雪はふわりと笑う。それもそうですね、と言う深雪の言葉にはひどく重みがあった。
それは今まで良いとも言っていない人に抱かれてきたことの延長線だった。
この先に幸せがあるだろうかと、深雪は考える。
男の背後にある緊張感やら何やらでぐるぐるしたものを見て、深雪はまた笑う。
私で良ければ、と告げた声に男はもちろん笑ったのだ。
いつの日かの門を出た先、一人と一人が手を繋いでいた。
「本当に迎えに来るとは思いませんでした」
そんな女の声に笑う男。それは誰より物事を見通す女さえ見通せなかった幸せな未来だった。
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感想ありがとうございます。最後は大分急ぎ足になってしまったな…と思っていたのですが、そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございました!