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10.嫌
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男はいつものように深雪を買った。どれだけ嫌だと思っても、一度顔を見られてしまえば同じこと。それに最初から断る権利など深雪にはない。
夜までいるのだろうか、と深雪はふと思った。もうこんな顔を見られてしまってはどれだけ長くても同じことだと分かっていたけれど、それでも途方もなく嫌だった。
そしてそんなことを思う自分にも深雪は自嘲していた。男は自分の話が聞きたいだけで、自分の顔など見てもいないのに何を気にしているのだ、と。
「本当に、どうしたんだ」
部屋に着いた途端、男はそう尋ねてくる。
顔色が良くない、辛そうだ、何かあったのではないか。
その言葉はすべて、深雪を心配しての言葉だということは分かっていたが、今の深雪には傷口に塩を塗るようなものだった。
「こんなの、なんでもありんせん」
だから、そう答えるしかなかった。男はきっと深くは問わないだろうと思った。
自分は物語に深みを出すために会っているだけの存在なのだから、と。
「なんでもないわけ、ないだろう」
それなのに、男は顔を顰めるのだ。心底、苦しそうに。当の本人の深雪以上に辛そうな顔であった。
なんでもないわけがない、と言い切るのは一体なんの根拠があるのか。
切り捨ててしまえばいいのに、深雪には出来なかった。
男はじっと深雪を見つめていた。指一つ触れられていないのに、誰より近くにいてくれる気がした。
「先生が来るまでは、よくあった、いつものことで……」
深雪が思わずぽつりと零してしまった言葉に、男は一層に顔を顰める。
ああ、今にも、この人は泣きそうなのだ。
深雪はそう思った。男の背後には一言では言い表せないほどに色々なものが渦巻いていた。
どうして、こんなに悲しそうなのだろう。寂しそうなのだろう。
そう思うのに、それが嬉しく思ってしまう自分の気持ちを深雪は持て余していた。
まだ深雪はその気持ちの名前を知らない。誰よりこの場所で冴えた深雪は、その単純な答えを持ち合わせてはいなかった。
「僕がただの客だから、話せないのかい」
男の悲痛な訴えが耳に届いた、その時だった。
ふ、と、深雪の中で何かが動いた。もう少しで掴めそうなほど、それは大きな濁流のような変化だった。
「先生が、ただの客だなんて、そんなわけありません」
気がつけば、言葉が迸っていた。
ああ、なんて、簡単で、なんて、愚かなのだろう。
深雪は自分が信じられなくて、そして、そんな思いを抱えていることにすら気づかなかった自分がおかしかった。
深雪は男に恋をしていた。
夜までいるのだろうか、と深雪はふと思った。もうこんな顔を見られてしまってはどれだけ長くても同じことだと分かっていたけれど、それでも途方もなく嫌だった。
そしてそんなことを思う自分にも深雪は自嘲していた。男は自分の話が聞きたいだけで、自分の顔など見てもいないのに何を気にしているのだ、と。
「本当に、どうしたんだ」
部屋に着いた途端、男はそう尋ねてくる。
顔色が良くない、辛そうだ、何かあったのではないか。
その言葉はすべて、深雪を心配しての言葉だということは分かっていたが、今の深雪には傷口に塩を塗るようなものだった。
「こんなの、なんでもありんせん」
だから、そう答えるしかなかった。男はきっと深くは問わないだろうと思った。
自分は物語に深みを出すために会っているだけの存在なのだから、と。
「なんでもないわけ、ないだろう」
それなのに、男は顔を顰めるのだ。心底、苦しそうに。当の本人の深雪以上に辛そうな顔であった。
なんでもないわけがない、と言い切るのは一体なんの根拠があるのか。
切り捨ててしまえばいいのに、深雪には出来なかった。
男はじっと深雪を見つめていた。指一つ触れられていないのに、誰より近くにいてくれる気がした。
「先生が来るまでは、よくあった、いつものことで……」
深雪が思わずぽつりと零してしまった言葉に、男は一層に顔を顰める。
ああ、今にも、この人は泣きそうなのだ。
深雪はそう思った。男の背後には一言では言い表せないほどに色々なものが渦巻いていた。
どうして、こんなに悲しそうなのだろう。寂しそうなのだろう。
そう思うのに、それが嬉しく思ってしまう自分の気持ちを深雪は持て余していた。
まだ深雪はその気持ちの名前を知らない。誰よりこの場所で冴えた深雪は、その単純な答えを持ち合わせてはいなかった。
「僕がただの客だから、話せないのかい」
男の悲痛な訴えが耳に届いた、その時だった。
ふ、と、深雪の中で何かが動いた。もう少しで掴めそうなほど、それは大きな濁流のような変化だった。
「先生が、ただの客だなんて、そんなわけありません」
気がつけば、言葉が迸っていた。
ああ、なんて、簡単で、なんて、愚かなのだろう。
深雪は自分が信じられなくて、そして、そんな思いを抱えていることにすら気づかなかった自分がおかしかった。
深雪は男に恋をしていた。
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