吉原に咲く冴えた華

蒼キるり

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5、後朝

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 朝の光がようやく薄っすらと差し込む、まだ起きるには少し早い時間にはもう深雪は身支度を整えていた。
 その深雪は昨日よりも幾分はっきりした面立ちをしている。頬も赤みが差していて、疲れた様子が見られないだけでぼんやりとした印象が薄らいでいる。
 深雪は勤めて静かに動いていて、物音を立てたわけではなかったが、つられたように男も目を覚ました。


「ああ、早いね。ゆっくりできたかい?」


 男が優しく問いかけると、深雪は小さく、けれどはっきりと頷いた。
 深雪の落ち着いた雰囲気がそれを表していたし、遊女たちの過酷な生活を物語っていた。
 こんなにゆっくりと眠れたのは久しぶりだと深雪は告げ、男は優しく微笑む。
 深雪が体を起こした男の身支度を整えようとしても、男はさらりとそれを断って簡単に身支度を終えてしまう。


「では、わっちは見世の入り口までお見送りしなんす」


 することがなくなり、そろそろ頃合いかと掛けた深雪の言葉に、男は何を言われているのか本気で分からないという風に首を傾げた。


「いや、一人で帰れるよ?」

「そうではなくて。……せっかくの後朝なのに野暮なことを」

「後朝?」


 一体この人は何を言っているのだと言いたいと顔に書きながら目を白黒させる男を見て、深雪は幼子を見るような目をした。


「わっちが言うのもおかしな話でありんすが……」


 作家ともあろう方がそのような知識不足で大丈夫なのかと、無礼とも言えることを口にする。


「吉原遊郭の話を書こうと思ったことはないからなぁ」

「はあ」

「これからも君のことに気づかれないように、書くつもりはないよ」


 あまりに無邪気に男が言うからか、深雪もそれ以上は言わずにただ微笑んでいる。


「それより、こんなのがお礼では申し訳ないよ。もっと他に何かないのかい」


 なんでもいい、と大盤振る舞いする男に、作家とはそんなに稼げるものなのかと深雪が素直に尋ねる。
 この男に婉曲な問いかけは無意味だと理解したのだろう。


「少なくとも君に会うために一月の間に何度か来たくらいでは痛くも痒くも無い程度かな」


 はあ、と深雪は感心したような呆れたような声を漏らす。
 それほど余裕があるならもう少し良い高い女と夜を分かち合った方がいいのではないかと言おうとして、そういえばこの男はそんなことに興味はないのだと深雪は思い直す。


「では、お言葉に甘えて、わっちは物語が好きなので本を」


 そしてひどく素直な欲求を口にした。叶えてもらえるかは一か八かの勝負だったが、深雪は賭けに勝った。


「じゃあ、また時間を空けずに来るよ」


 男は大様に頷いた後に、そう言って部屋を後にした。
 これが江戸で有名な作家と千里眼で有名な遊女が巡り合い夜を共に過ごした、初めての朝であった。
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