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美しい翼[後編]
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弟の予想通り、里は燃え落ちた。美しい翼達は焼け焦げ見るに耐えない姿となり灰になる。その中から唯一逃げ出したのは長の子である姉弟だけ。
姉は最後まで抵抗したが、弟が手を引いて飛んだ時には拒まなかった。
「運が悪かったね、姉さん」
誰にも見つからない山奥の洞窟に身を潜め、体を丸くして外界を拒絶する姉に囁く。
「もう卵を作り始めていたのにね」
次期長として姉は結婚候補を決めていた最中であり、結婚してすぐに子どもを作れるよう胎の中で卵を育てている最中でもあった。
「出さなければ身体に毒だよ、可哀想な姉さん。早く出してしまわないと」
「……言われなくても無精卵で出すわよ」
「そんな勿体無いことしないで。僕らこれからきっとすごく大変な思いをして生きていくんだよ。この先、いつ卵をもう一度作れる余裕ができるかなんてわからないよ。今、産んでおかなければ」
姉の硬さを感じる腹に指を這わせて弟は言う。姉は億劫そうに髪をかき上げ、その仕草からは程遠い剣のある声で言った。
「そもそも、もう、私たち以外、いないのよ。今も、後も、関係ないわ。私の結婚相手なんてこの先できるはずないし、子どもだって」
「僕がいるのに?」
姉の顔が歪んで固まる。その顔も愛していた。
「男と女でよかったね。僕は姉さんが姉さんでなくても好きだけど、でもこんなことできるなら、これでよかったんだ」
どうかしてるわ、と姉の声が震える。そうかな、と笑いながら弟が下衣を緩める。
「血が濃い卵を産めば身体に負担が掛かることくらいあなたも知っているでしょう」
「翼がもう二度と生えてこないくらいのことだよ。あとは子どもの成長も遅いと聞くけど、遅くとも翼は生えてくるのだから問題ない」
「大問題よ。他人事みたいに言うのはよして」
姉の肩に手を置くと、姉は何度も首を振った。
「やめて」
「拒否しないで。初めてが無理やりだなんて寂しい」
「そう思うなら、こんなこと」
拒絶の言葉を飲み込むように口づける。それは拒否されなかった。初めての口づけは甘かった。弟は睫毛を伏せ囁く。
「本当はずっと、僕との子がいいって思ってたくせに」
カッ、と姉の顔が羞恥心から赤く染まる。そして力任せに弟を冷たい土の上に押し倒した。荒い息と乱れた髪が弟の頬にかかる。弟はこれ以上ない幸福だとばかりにうっそりと笑った。
「きて」
その言葉を合図にしたように、姉が顔を歪めながら更に強く押さえ付ける。次の瞬間、弟の身体に卵管が刺し込まれた。鋭い痛みに短く呻き声を上げるも、弟の顔は喜びを隠せていない。肉親の卵が体内に送り込まれる異物感を感じながら弟は恍惚と姉の頬に手を添えた。
「ねえさん」
やっとひとつになれたね。僕はずっとずっと、姉さんと同じ卵の中で揺蕩っていられたあの頃に戻りたいって、そう思ってたんだよ。
夕暮れに差し掛かる公園で幾人もの子どもたちが遊んでいて、そのうちの一人の少女がぱっと顔を上げた。髪飾りの白い羽が揺れる。
「おとうさま!」
自分を迎えに来た父に駆け寄り、嬉しそうに手を繋いで家の方へとずんずん歩き始める。お前は本当に元気だね、と嬉しそうに目を細める父を見上げながら少女が少し不安な顔をする。
「おとうさま、お身体は大丈夫なの? 最近、苦しそうにしていることが多いでしょう? おかあさまも心配してるわ」
ああ、そのことか。と父がなんてことなさそうに頷き、身体の輪郭が目立ちにくい服越しに己の腹を撫でた。
「もうすぐお前の弟か妹が産まれるからね」
「ほんと? 素敵! わたし、弟がいいわ。そしてね、おとうさまとおかあさまみたいに仲良くするの」
「はは、それは『おかあさま』が怒るかもね」
揶揄するように言って笑う父に少女は首を傾げてから、「あ、また」と居心地悪そうに体を揺らした。
「おとうさま、最近ね、背中がむずむずするの。痒い時もあるわ。虫刺されでもないのよ」
「もう? お前は成長が早いね」
確かめるように娘の肩甲骨のあたりをなぞり「まだ大丈夫」と優しく微笑んでやった。
「ゆっくり大きくなりなさい。せめて中学までは通わせてやりたいから」
「中学まで? その先は?」
「それはお前が決めなさい。山で隠れて暮らすか、それとも翼を隠さず世間に出て行くか。僕たちもそのくらいの歳で決めたんだ。お前もお前の人生は自分で選びなさい」
遠くないいつの日かに娘に生えてくる翼を撫でるような手の動きをして父は言う。
娘は何度か瞬きをして「そうよね」と夢を見るような目をした。
「私にもおかあさまのような綺麗な翼が生えるのよね」
「そうだね」
「素敵ね」
あの世界で一番美しい翼を思い浮かべながら父は頷く。翼のせいで自分たちのように外を頻繁に出歩くのは難しいから大変そうだけど、それでもあの翼を落としてしまうのは惜しい。
世界で一番美しい翼、と思っているのはお互い様だ。卵を産み落とし翼が落ちたときの顔を思い出し、父──弟は、ひっそりと笑った。卵を温めるのは母の役目だよと疲れ果てた身体をなんとか起こしながら姉に言っても落ちてしまった翼を抱きしめて「もう生えてこない」と泣くばかりで結局最初の頃は毛布と一緒に自分が卵を温めた。今となっては懐かしい。卵から無事孵った娘がこんなに元気に大きくなったことも嬉しい。
娘は母に目元がよく似たいつも優しい父を見上げ、不思議そうに首を傾げた。
「ねえ、おとうさまに翼がないのはどうして?」
「はは、それはね」
お前のおかあさまに捧げたからだよ、と姉が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうなことは弟は娘に囁いた。
姉は最後まで抵抗したが、弟が手を引いて飛んだ時には拒まなかった。
「運が悪かったね、姉さん」
誰にも見つからない山奥の洞窟に身を潜め、体を丸くして外界を拒絶する姉に囁く。
「もう卵を作り始めていたのにね」
次期長として姉は結婚候補を決めていた最中であり、結婚してすぐに子どもを作れるよう胎の中で卵を育てている最中でもあった。
「出さなければ身体に毒だよ、可哀想な姉さん。早く出してしまわないと」
「……言われなくても無精卵で出すわよ」
「そんな勿体無いことしないで。僕らこれからきっとすごく大変な思いをして生きていくんだよ。この先、いつ卵をもう一度作れる余裕ができるかなんてわからないよ。今、産んでおかなければ」
姉の硬さを感じる腹に指を這わせて弟は言う。姉は億劫そうに髪をかき上げ、その仕草からは程遠い剣のある声で言った。
「そもそも、もう、私たち以外、いないのよ。今も、後も、関係ないわ。私の結婚相手なんてこの先できるはずないし、子どもだって」
「僕がいるのに?」
姉の顔が歪んで固まる。その顔も愛していた。
「男と女でよかったね。僕は姉さんが姉さんでなくても好きだけど、でもこんなことできるなら、これでよかったんだ」
どうかしてるわ、と姉の声が震える。そうかな、と笑いながら弟が下衣を緩める。
「血が濃い卵を産めば身体に負担が掛かることくらいあなたも知っているでしょう」
「翼がもう二度と生えてこないくらいのことだよ。あとは子どもの成長も遅いと聞くけど、遅くとも翼は生えてくるのだから問題ない」
「大問題よ。他人事みたいに言うのはよして」
姉の肩に手を置くと、姉は何度も首を振った。
「やめて」
「拒否しないで。初めてが無理やりだなんて寂しい」
「そう思うなら、こんなこと」
拒絶の言葉を飲み込むように口づける。それは拒否されなかった。初めての口づけは甘かった。弟は睫毛を伏せ囁く。
「本当はずっと、僕との子がいいって思ってたくせに」
カッ、と姉の顔が羞恥心から赤く染まる。そして力任せに弟を冷たい土の上に押し倒した。荒い息と乱れた髪が弟の頬にかかる。弟はこれ以上ない幸福だとばかりにうっそりと笑った。
「きて」
その言葉を合図にしたように、姉が顔を歪めながら更に強く押さえ付ける。次の瞬間、弟の身体に卵管が刺し込まれた。鋭い痛みに短く呻き声を上げるも、弟の顔は喜びを隠せていない。肉親の卵が体内に送り込まれる異物感を感じながら弟は恍惚と姉の頬に手を添えた。
「ねえさん」
やっとひとつになれたね。僕はずっとずっと、姉さんと同じ卵の中で揺蕩っていられたあの頃に戻りたいって、そう思ってたんだよ。
夕暮れに差し掛かる公園で幾人もの子どもたちが遊んでいて、そのうちの一人の少女がぱっと顔を上げた。髪飾りの白い羽が揺れる。
「おとうさま!」
自分を迎えに来た父に駆け寄り、嬉しそうに手を繋いで家の方へとずんずん歩き始める。お前は本当に元気だね、と嬉しそうに目を細める父を見上げながら少女が少し不安な顔をする。
「おとうさま、お身体は大丈夫なの? 最近、苦しそうにしていることが多いでしょう? おかあさまも心配してるわ」
ああ、そのことか。と父がなんてことなさそうに頷き、身体の輪郭が目立ちにくい服越しに己の腹を撫でた。
「もうすぐお前の弟か妹が産まれるからね」
「ほんと? 素敵! わたし、弟がいいわ。そしてね、おとうさまとおかあさまみたいに仲良くするの」
「はは、それは『おかあさま』が怒るかもね」
揶揄するように言って笑う父に少女は首を傾げてから、「あ、また」と居心地悪そうに体を揺らした。
「おとうさま、最近ね、背中がむずむずするの。痒い時もあるわ。虫刺されでもないのよ」
「もう? お前は成長が早いね」
確かめるように娘の肩甲骨のあたりをなぞり「まだ大丈夫」と優しく微笑んでやった。
「ゆっくり大きくなりなさい。せめて中学までは通わせてやりたいから」
「中学まで? その先は?」
「それはお前が決めなさい。山で隠れて暮らすか、それとも翼を隠さず世間に出て行くか。僕たちもそのくらいの歳で決めたんだ。お前もお前の人生は自分で選びなさい」
遠くないいつの日かに娘に生えてくる翼を撫でるような手の動きをして父は言う。
娘は何度か瞬きをして「そうよね」と夢を見るような目をした。
「私にもおかあさまのような綺麗な翼が生えるのよね」
「そうだね」
「素敵ね」
あの世界で一番美しい翼を思い浮かべながら父は頷く。翼のせいで自分たちのように外を頻繁に出歩くのは難しいから大変そうだけど、それでもあの翼を落としてしまうのは惜しい。
世界で一番美しい翼、と思っているのはお互い様だ。卵を産み落とし翼が落ちたときの顔を思い出し、父──弟は、ひっそりと笑った。卵を温めるのは母の役目だよと疲れ果てた身体をなんとか起こしながら姉に言っても落ちてしまった翼を抱きしめて「もう生えてこない」と泣くばかりで結局最初の頃は毛布と一緒に自分が卵を温めた。今となっては懐かしい。卵から無事孵った娘がこんなに元気に大きくなったことも嬉しい。
娘は母に目元がよく似たいつも優しい父を見上げ、不思議そうに首を傾げた。
「ねえ、おとうさまに翼がないのはどうして?」
「はは、それはね」
お前のおかあさまに捧げたからだよ、と姉が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうなことは弟は娘に囁いた。
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