姉と弟の短編集

蒼キるり

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姉はフィクションより奇なり

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 姉の琴音が進路希望調査の第一希望から第三希望まで「探偵」で埋めた。
 三ヶ月前まで猫になる、と言っていた方がマシだったかもと両親が変に達観した様子で言った。ちょっと頭を冷やしなさい、と姉を猫だらけの島に住む親戚の元に送り出した。猫になりたい気持ちを取り戻すかもという目論見らしい。
 てけてけと船に乗る姉を一人にしたら迷子になるに決まってるのでもちろん俺も着いてきた。


「姉ちゃん、探偵になりたいなんて今度は何の漫画読んだの? それともアニメ? どんなかっこいい探偵が主役だったか知らないけど、フィクションを信じちゃだめだよ。姉ちゃんが殺人犯を華麗に見つけるなんて危なすぎる。一日五回は怪我をする」

「ちっちっちっ、博音はわかってないなぁ。あのね、血みどろ殺人現場に遭遇しまくる探偵や、週に八回も犯人を見つけるなんて探偵はフィクションだけの世界なんだよ?」

「姉が生まれて初めてまともなことを言ってる」


 ひどくない? と目を丸くする姉にひどくないよと優しく返す。事実だからね。


「現実の探偵はね、猫探しとか浮気調査とか猫探しとか身元調査とか猫探しとかしてるものなんだよ?」

「猫探しがしたいんだな?」

「いえすまむ」


 マムじゃないからブラザーだから、と棒付きキャンディを姉の口に入れてやる。そろそろ暇だと船内をうろつきそうだったからだ。食べている姉はおとなしい。
 多分姉は猫探しが上手いと思う。猫になりたいと言うだけあって猫が好む場所を見極めるのが上手いし近所の猫とは大体友達だし。
 でも姉が探偵になるのは絶対やめた方がいい。これはもう家族として切実な願いだ。


「姉ちゃん、せっかく決めた夢を今すぐ投げ捨てろとは言わないよ。でもさ、猫探しがしたいなら探偵の前にせめて猫探し専門って付けてくれないと」


 困ったことになる、と言い切る前に耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。ああ、早くも始まってしまった……
 悲鳴の聞こえた方に恐る恐る歩いて行くと、広い廊下の真ん中で血を流しながら倒れている人の姿が見えて俺は頭を抱える。


「ほへひええええ」


 姉は奇妙な悲鳴を上げながら俺の背中をビシバシ叩いている。それどういう感情?


「あのさ姉ちゃん……さっきの殺人事件に鉢合わせまくる探偵はフィクションだけの世界っていうのは何で知ったの?」

「おおう……映画と……小説……事件を派手に解決してるのなんてフィクションの世界だけさって言ってました……」

「覚えておこうね、それもフィクションだから」


 えへ、と姉が誤魔化すために可愛く笑うけど俺は弟なのでほだされない。


「フィクションを信用しちゃだめだよ。姉ちゃんはフィクションより凄いんだから」

「照れる」

「照れてる場合じゃないよね、事件だよね、これ」


 どうやら血だらけの人は致命傷は免れてるらしく担架で運ばれて行ったけど事件に変わりはない。犯人も凶器も見当たらないらしいので、まさしく探偵が出る幕な事件だ。
 姉は昔から運がいい。本当に運がいい。どのくらいかと言うと姉が「なりたい」「したい」と口にしたことは全て向こうから転がり込んでくるくらいだ。
 パティシエになりたいと呟けばたまたま家の近くを歩いていた世界的パティシエに姉の作る前衛的すぎるパンケーキに感銘を受けられてスカウトされてそのまま海外に連れて行かれそうになった。姉はパティシエという職に五時間で飽きたのと俺が警察に通報したのでことなきを得た。
 空を飛びたいと言えば飛行機事故で俺たち家族は空に放り出された。姉はけらけら笑った後に「一回やれば満足」と言ったので助かった。
 他にも全て思い出すには頭がくらくらしてくるほどたくさんの前例がある。

 なので探偵になりたいの時点で嫌な予感はしていたのだ。家族総出で「いや猫にしておけよ」と思うくらいには。猫になりたいの方がマシである。少なくとも血みどろ事件を引き起こす災厄人間になるよりは。
 まさかいくら願えど猫にはならないはずだから。物理的に。姉は人間ですし。フィクションでもあるまいし、とフィクションより奇なる存在の姉がいることは棚に上げて思う。
 頼むから猫になりたいって言いながら家を出て日向ぼっこをしてるうちに帰り道がわからなくなったと泣いているところを俺が迎えに行けるくらいの奇行に留めておいてほしい。
 でなければ猫探し専門の探偵にしてくれ、それなら俺も助手くらいにはなれるかもしれないので。


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