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第一章 出会い編

出会い編 2

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 黒猫との出会いから、柊一郎の日常は一変した。柊一郎は犬山古書店に足繫く通い、毎日黒猫に会いに行った。
 これほどまでに賢く美しい猫を他に知らない柊一郎の行動範囲に商店街の古書店が追加され、つまらないと思っていた毎日に楽しみができた。本を買わないどころか店内に入りもしない事に少し申し訳ないなと思いながらも、ついつい時間を忘れて黒猫と遊んでしまう。
「お前は本当に賢いしキレイな顔をしているな」
 柊一郎の言葉に黒猫がニャーッと返事をし、心なしかドヤッとしているようにも見えて、本当に俺の言葉が分かっているんだなと思い小さく吹き出して笑ってしまう。柊一郎は本気でこの美麗な黒猫と会話していると感じ、友達になった気持ちになっていた。
 しかし出会った時から人懐っこいと思ってはいたが、まだ腕に抱いたことはなく。人に慣れていると思っていても抱かれるのを嫌がる猫は多いというのが一般的な認識だと思っている。猫はみな気まぐれだと勝手に思い込み、今まで我慢していた。だが、柊一郎は出会った当初から腕に抱いてみたいという欲求を抱えていて、どうしてもその欲求に抗えず黒猫を見つめる。
「……なぁ、抱っこしてもいいか……?」
 撫でながら黒猫に伺いを立ててみる。気持ち良さそうに目を細めていた黒猫は、柊一郎の言葉に反応してその赤い瞳で柊一郎をジッと見つめ返してきた。柊一郎は不味いことを言ったかとも思ったが、なんとなく不快に思っているだとか怒っているというわけではないような気がして撫でる手を止める。
 未だ動かずにジッと見つめてくる黒猫。柊一郎は黒猫に感じた自分の勘を信じ、意を決してゆっくりと両腕を伸ばして優しく黒猫に触れる。そして壊れ物を扱うようにソッと抱き上げた。
「……おお……嫌がらない……」
 黒猫は嫌がる素振りを微塵も見せず、大人しく柊一郎の腕におさまった。逃げない黒猫に気を良くした柊一郎は思い切って胸に抱いて背中や頭をそっと優しく撫でた。やはり、不快でも怒っていたわけでもなかったのだ。そう思うと、黒猫が気を許してくれているように感じて柊一郎は嬉しくなった。
「そういえばお前、名前は何ていうの?」
 喋れるわけが無いと思いながらも喜びに微笑んで言えば、黒猫はニャー、と鳴いた。
「……っ! そうか分かった。お前は、ニャーっていう名前なんだな? 俺は柊一郎。改めて宜しくな。はは……やっぱり俺が言ってる事分かるんだな」
 黒猫の返事に少し考え込んだが、思いついた名前にハッとして更に嬉しくなった柊一郎は黒猫の名前を勝手にニャーと決めて抱き直すと優しく撫で、デレデレとして顔を摺り寄せる。
「お前はここで飼われてる猫なのか? いいなぁ……こんなに賢くてキレイなペットがいて……」
「にゃー! にゃにゃー!」
 デレている柊一郎の何気ない言葉に反論するように黒猫が鳴く。まるでペットじゃないとでも言うようにニャーっニャーっと鳴き声が連続で発せられる。柊一郎はそれが面白くて、笑いながらごめんごめんと謝った。
「飼われてるって言われたのが嫌なのか? それともペットって言ったこと? どっちも? うーん……それじゃあ……ああ、そうか、家族なんだな」
 少し考え、そう解釈した柊一郎はまた笑って黒猫の顎を指先で優しく撫でた。家族という言葉に黒猫はようやく納得してくれたようで再び腕の中で大人しくなり、柊一郎は嬉しくなる。
 この賢くて綺麗な黒猫との会話は本当に楽しくて、柊一郎にとってこれまでに経験したことのない、そしてずっとこうしていたいと思うような、癒やしと幸福感を覚える時間になっていた。

 そして、柊一郎が通い始めた犬山古書店内ではひょろりとした痩せた背の高い男が一人。店内の本棚の間から入口を見ていた。
「……最近ニャーはよく遊んでもらってるみたいだなぁ」
 本の整理をしていた犬山古書店の主である犬山悠介は、良く通る低すぎない低音の少しやんちゃを思わせるような、それでいて心地よく耳に馴染む良い声と、ニャーの猫の割に深みのある通常の猫より幾分か低めの声を聞きながら呟いた。
 犬山家の飼い猫のニャー――名前は柊一郎の判断したとおりニャーといい、ニャーは飼い猫ではなく家族であり更には自分が悠介の面倒を見ていると思っている――と昼夕と頻繁に遊んでくれている男の存在には気付いていた。しかし極度の人見知りでさらにコミュ障である悠介はその声の良い男を気にしながらも自ら声を掛けることはできずに、こっそりと後ろ姿を盗み見る事に精を出している。
 後ろ姿と声から察するに、男は20代半ばから後半といったところか、悠介は一人で考察しつつもニャーと遊んでくれている男にお礼を言いたいと思っていた。しかし初対面の人に声を掛ける勇気など微塵も持ち合わせてはおらず、とにかく気配を消しつつこっそりと良い声を聞くだけの、だが、なかなかに楽しい毎日を過ごしていた。
 いつも何を話しているかまでは聞こえないが、ニャーも彼が来るのを待っているようで、昼時が近付くと足取り軽く外の棚へ向かっていく。悠介はそれをクスクスと小さく笑いながら見ているのだ。声も掛けずお礼も言わず、非常識な飼い主だと思われていないか気になるところではあるが、まともに人と視線を合わせることすらできない悠介には、やはりこっそりとひっそりと本棚の間から覗き見ることしかできなかった。
 本に囲まれて過ごす事も悠介にとっては至福ではあったが、男の声を聞き、顔や性格などを想像するのはとても楽しく、一人だというのについニヤニヤと頬を緩ませてしまう。
 いつか顔を見る事はできるだろうか、そのうち挨拶を交わすことはできるだろうか、と考えてイヤイヤ無理でしょ、と自分にツッコんで首を振り、ふふっと笑う。実際には無理でも妄想するくらい別にいいよね、と自分の世界に浸り楽しんでいるのだ。
 
 しかし、その当たり前になりつつある楽しく穏やかな日常は突然形を変えることになるということを、悠介も柊一郎も、まだ知らない。
 そしてその変化は、そう遠くない未来にやってくる。


 
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