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第二章

29.落花流水(2)

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***



「──いらっしゃいませ。アルジェルド様、本日は如何されますか?」


レイに連れられて来たのは、大通りから外れた路地にある小さなご飯屋さんだ。

一見、ただの民家の扉のように見えるドアを開けるとそこにはとてもお洒落な空間が広がっており、天井に下げられたランプのオレンジ色の優しい灯りが印象的だった。

席は8席ほどで他にお客さんはおらず、落ち着いた雰囲気のお店なのでゆっくり食事が出来そうだ。



「こちらの席にお座り下さい」

黒いベストに黒いズボンといったキッチリした格好の店員さんが席へ誘導してくれた。


「……凄い、いい雰囲気のお店だね。それにもう、いい匂いがする……」
「ここは俺の実家で料理人として雇われていた腕のいい男が始めた食事処でな。よくルーもお忍びで使ったりしてるくらいだ」
「うふふ。素敵なところねぇ。レイはセンスがいいわねぇ」
「そう言って頂けると嬉しいです。さて二人共。苦手な食べ物はありませんか?」
「私はないから大丈夫」
「私もないわよぉ」
「そしたら、メニューはシェフに任せることにするよ」
「畏まりました」



「何か……お酒でも飲みますか?」
「え、お酒あるの??」

お酒……!!
この世界に来てから一滴も摂取していなかったお酒が此処ここにはあるのか!!

お酒はいい。
美味しいし、酔ってふわふわすると気持ちがいい。本当は良くないけど、家でする寝酒なんかは最高だ。

学生の頃は友達と飲んでバカみたいに笑って、社会人になったら美味しいお酒の味を知ってしっとりと楽しんで。前の世界に未練はないけれど、日本のお酒は美味しかったな。……また飲みたい。

まあ、私はビールとかは苦手で甘いお酒しか飲めないのでこの世界のたしなみに適応できるか分からないのだけど。


「レイのオススメを飲みたいわぁ、」
「私もオススメを飲んでみたい」
「……結構強いですが、二人とも大丈夫ですか?」
「まぁ。年寄りを舐めたらいけないわよぉ?」
「わ、私も弱くはないはずだから大丈夫だよ」


私は弱くはない……と思う。友人や職場の人と飲んでいてもいつも介抱する側だった。この世界の強いの基準が分からないから少し怖いけど、まさかウォッカ見たいな強さのお酒じゃないよね?あれは昔1杯だけ飲まされたことがあるけど喉が焼けそうで二度と飲みたくないと思った。



「お待たせしました。シェフのオススメコースでございます。ワインはプルミエ・ラモールをご用意させて頂きました」

ウエイターさんが運んできてくれたのは、色とりどりの野菜を使ったオードブル、シンプルなサラダ、メインの羊の香草焼き。これだけでも十分なボリュームだが、食後に軽いデザートも着くそうだ。

そして出てきたお酒はワインの様だ。
前の世界ではワインは苦手だったんだけど飲めるか心配になってきた。


「それでは、乾杯しましょうか」

レイが乾杯の挨拶をして、私もワインを1口飲む。


……あれ、苦くない。

しかし、苦くないかといって甘すぎる訳でもなく、ほんのりと葡萄の上品な甘さを感じる。ワイン特有の何とも言えない苦味も少なく、アルコールの強い感じも全くせずにとても飲みやすい。

「これ……美味しい」
「うん、とっても飲みやすいわぁ」
「よかった。これは飲みやすくて気がついたら何本も飲んでしまうんだ」

食事もとても美味しくて、結婚式場で食べたコース料理や友人とご褒美でと予約したことのある高級レストランにも引けを取らない美味しさだ。

ワインも飲みやすくて、あっという間に飲み干してしまった。確かにこれは何本もイケてしまうだろう。

「ふ。もう飲んだのか。これは飲みやすいだろう?次も頼んでもいいが、大丈夫か?」
「全然平気だよ。でもいいの?」
「もちろんだ。大丈夫なのであれば、好きなだけ飲んでいい。今日は俺も飲みたいしな」

3人で雑談をしながら飲んでいく。
アンナさんは嚥下機能の低下があるので、食事中に誤嚥しないか少しハラハラしていたが全くせる様子もなくゆっくりと食べている様子を見て少し安心する。

そしてアンナさんとレイは初対面にも関わらず、とても楽しそうに話をしているし、私が気を使って二人の間に入って話を振るということが一切ない。
アンナさんとレイのコミニケーション能力が高いおかげかもしれない。


「……2人ともとてもお似合いよねぇ」
「本当ですか?そう言っていただけると嬉しいです」

レイは嬉しそうに微笑む。
そんな彼を見て1人で顔が熱くなっていく。

「2人を見てると旦那と出会った頃を思い出すわぁ」
何方どちらで旦那さんとは出会ったんですか?」
「知ってるかな?瑠璃色るりいろの丘だよ」
「瑠璃色の丘ですか。行ったことはありませんがとても美しい花が咲き乱れる丘だと聞いたことはあります。でも確か彼処あそこの周囲って魔物が沢山出て危険だと聞きますが……」
「そう、とても危険なところだね。でもね、これでも私は昔話は冒険者をしていたんだよぉ。旦那も当時じゃ少しばかり名の知れた冒険者でね、魔物に襲われ丘に逃げ込んだところを助けてもらったのよ」
「アンナさん冒険者だったんですか!それに凄いロマンチックな出会い方ですね……!映画みたいです」
「えいが……?」
「……あ、ああ!本の物語みたいな出会い方ってことです!!」

そういえば映画はこの世界に存在しない言葉だった。レイには映画の話をした事はあるので通じていると思うが、アンナさんには私が異世界から召喚されたことは隠さなければいけないので必死に誤魔化した。そんな私の慌てた様子を見てレイはまた微笑んでいる。

「あの時は本当に運命ってあるんだと思った。スミレちゃんの言う通り、本の物語の様だった。あの周囲をパーティで行動していたんだけど魔物に襲われた際にはぐれてしまってね。狼の様な大きな魔物に追いかけられて丘までたどり着いたんだ」
「あの辺りは比較的魔物が弱い王都付近の地域比べて魔物も強力ですからね……。パーティからはぐれたとなると致命的になる事も多いです」
「そうなんだよ。あの時は本当に死んでしまうかと思ったよ。それでね、魔物が私に襲いかかろうとした時、旦那が颯爽と現れて守ってくれたんだ。あの丘で出会って、プロポーズをされてね、それから……」


アンナさんが語る瑠璃色の丘は旦那さんとの思い出が沢山詰まった所らしい。
そこで出会って恋に落ちて、愛を深め、一生のパートナーの誓いをし、旦那さんが亡くなる直前まで高い護衛を雇ってまでしても2人で毎年訪れていたそうだ。

「最期にまた行きたいわねぇ……」

アンナさんがポロッと零した独り言。

……そうだ。
私が彼女に出来ること。

「アンナさん。瑠璃色の丘、一緒に行きませんか」
「スミレちゃん、ありがとうねぇ。……でもあそこは少し遠いし、強い魔物も出るから腕の経つ護衛を雇わなければいけないし行くのは現実的じゃないのよぉ」
「護衛なら私が雇います!!」
「そんなのダメよ。スミレちゃんのお金は自分の為に使いなさい」
「これが私の為になります!!」
「……ふふ。ありがとうね。でもそれなら行かないわよぉ」

これは譲ってくれないやつだ……。
しかし何とか説得したい……。

「なら俺が行こう」

「え?いいの?」
「勿論。瑠璃色の丘は1度行ってみたかったし、いい息抜きになる」
「レイ、こんな年寄りを守りながら向かうのは大変だと思うわ」
「そんな事はありませんよ。それにこれでも騎士団の団長を務めているんです。鼻にかける訳ではありませんが、冒険者を雇うのと変わらないかと」
「……そうねぇ。本当にいいのかしら?」
「はい。非番の時になるので、後日予定が定まり次第お伝えしますね。3人の都合が合う時に行きましょう」

断固として譲らないアンナさんと私を見かねたのかレイが護衛を引き受けてくれることになった。

アンナさんが報酬は……というと、レイはまた3人で食事に行くことが報酬ですと言った。



「──レイ、ご馳走様でした。2人ともありがとうねぇ。楽しかったわぁ」

夜更けが近くなり、食事会はお開きとなりアンナさんをレイと2人で自宅まで送り届ける。

食事代はレイが気がついたら会計を済ませてくれていた。とても素敵なお店だったしワインも美味しくて沢山飲んでしまったのでお会計がレイに負担を掛けてしまっていないか不安だ。

毎度奢ってもらってばかりなので、今度は私がご飯をご馳走したい。


「はい!私も楽しかったです!!ありがとう御座いました!!」
「いいえ、お礼を言うのはこちらの方です。当然の誘いだったのに来てくれてありがとうございました。また良ければ3人で食事をしましょう」
「ふふ。ありがとうねぇ。機会があれば是非。

……本当にいい男ねぇ!返事を早くしなさいよ!」

またまた私の耳元に囁くアンナさん。

「な、何言ってるんですか!!おやすみなさい!!」
「うふふ。おやすみなさい」



アンナさんを見送り、レイがアパートまで送り届けてくれることになった。


それにしても夜の王都は綺麗だな。
街並みは勿論だけど、それに加えて街頭や建物から溢れる灯りが柔らかくて東京の夜とは大違い。例えるなら映画で見た夜のパリの街の様。

少し遅い時間だからか、夜道には人気はなく歩いているのは私達だけで、こんなに大きい街なのに2人だけの特別な空間だと思えてしまうほどだ。


「──スミレ、大丈夫か?少し酔いが回ってきたか?」
「……だい……じょうぶだよ?確かにちょっとふわふわはするけどね?」

あのワインはとても美味しくて飲みやすかったけどレイが言うように割と強いお酒だったのか、歩き出してから少し頭がふわふわしてきた。レンガを敷き詰められた歩道は酔っ払いには少し歩きずらく、時折靴が段差に引っかかりそうになる。

「少し……危なっかしいな」

レイはそう言って私の手を握った。

「……レイの手はあったかいね」
「……スミレの手もとても暖かいな」

彼の手は大きくてゴツゴツしていて暖かい。

現在会話はあまり無いが、なんだかとてもいい雰囲気だ。

返事……。レイは急いでいないと言っていたが、今なら返せる気がする。
でも、こんなに大切なことお酒の勢いに任せて言っていい事なのか……?

いや。でも今なら……。


「れ、レイ。私ね、レイの事……」
「スミレ。今日は返事が欲しくて誘ったわけじゃない。だから……急がなくていい」

レイはそういってくれるけど、別に急いでなんかない。

むしろ早く伝えたい、この気持ちを。

「……急いでないの。お酒の力を借りてないって言ったら嘘になるけど……。今すぐに返事を言わせてって言ったら聞いてくれる?」
「……構わない」

自分から言っておいて、どんどん心拍数が上がっていくのが分かる。
胸の奥から激しく鼓動が高鳴り、軽い動悸がする。緊張から息が止まっているのか更に酔いは回り、頭がぼーっとしてくる。

「わ、私もね。レイのことが好きなの。だけど、こんなに素敵な人が私の事を好きになってくれるはずないって思ってて……。だから昨日、レイからの気持ちが信じられなくて夢だと思ってしまって……。最低なことをしてごめんなさい」


言った。
言ってしまった。

……昨日からレイの気持ちに代わりがなければ両思いのはずなのに、何故か彼の顔を見れない。

「……スミレ。もう一度言わせてくれるか?」
「うん」


彼は足を止めた。

勇気をだして顔を上げて彼の顔を見ると、綺麗なライトブルーの瞳がこちらを見つめている。

「……俺はスミレが好きだ。

真面目で真っ直ぐなところ、優しいところ、真剣に人と向き合えるところ、その夜空のような美しい髪も瞳も、食べ物を美味しそうに食べるところも、笑顔も何もかも……全て。


スミレがいいなら俺の恋人になって欲しい」


……私は本当にレイの気持ちに対して失礼な事をしていた。

彼が私の事を好きになる訳がないと言い聞かせて、彼の思いやりを好意として受け取ることが出来ていなかった。

そこまで私を想ってくれていたのかと思うと嬉しすぎて涙が出てくる。


「……私もレイが好きです。否定し続けたこの性格も生き方も認めてくれて、一緒にいて気が楽で楽しくて。こんな私でよければ恋人にして下さ……──っ!!」

レイが私を抱きしめた。
強く、少し苦しいぐらいに。

「もちろんだ」
「少し、苦しいよレイ」
「す、すまない。嬉しくて……だな」

抱きしめる力が少し優しくなる。
顔を上げると、キラキラと街の灯りに反射する淡蒼の瞳がこちらを見つめている。

……顔が近い。
ずっと見ているのが苦しいほどに美しい顔。
恋愛感情が無ければ割り切っていくらでも見てられるだろうが、私は彼に恋をしている。

心臓の鼓動はさらに高まっていく。

「……スミレの心臓の音がこっちまで響いてる」
「えっ……あ、あのごめんなさい」
「ふ。なぜ謝るんだ?」
「え、えっと……」

緊張のせいなのか酔いはどんどん回っていき、言葉が出てこない。

「スミレ」

レイは両手でそっと私の頬を撫でるように包み込む。


優しく、優しく。


彼の髪をでる大きな手は暖かくて、優しくて、気持ちいい。



そして、彼の顔がどんどん近づいて、





私の視界を埋めつくして、





──彼は私に唇を重ねた。
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