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8話「トラウマ」
しおりを挟む「……ケイ。逃げて」
「い、いや……で、でも……」
突然の出来事に震えて声が出ない。
この魔物は──強い。
本能が全身に呼びかけ、幼いながらに頭で理解する。
逃げなければ……死ぬと。
今までロレーヌ領土内の森にこんなに凶悪な魔物が出ただなんて聞いたことがなかった。
私は本当に馬鹿だった。
クロの言う通りに直ぐに戻っていれば……。
普段弱虫なクロが私の目の前に立ち塞がり、魔物から守ろうとしてくれている。
「く……クロ。一緒に逃げよう……?」
「ケイ。この魔物からはいつもみたいに逃げられないと思う。僕が気を引くからその間にケイだけ逃げて……?」
そういう彼の足は小さく震えていた。
私が彼をここまで巻き込んだ。
私が彼を守らなければならないと思った。
「……クロ。クロだけを置いていくなんてできない。私が気を引くわ」
私は得意の光魔法のフラッシュで魔物の目眩しをして逃げようと考えた。
『……フラッシュ!!』
──視界が激しい光で埋めつくされる。
「「グワアアアアァァァァ──!!」」
魔物は激しく雄叫びを上げている。
目眩しに成功したのか混乱している様子があり周囲で暴れ始め、こちらに近づいて来ない。
「今よクロ!!逃げましょう!!」
私はクロの手を引き逃げようとした──が、
「ケイ、にげ……──っうわあぁぁ!!!」
即座に私の手からクロの手が離れる。
焦って見渡してもクロはどこにも居ない。
「……クロ!!クロ!!何処にいるの!?クロ!!!」
「………ぅ………」
必死に探していると、後ろから呻き声がする。
……視界には腹を大きく切り裂かれ、血塗れとなったクロがいた。
急いでクロに駆け寄ってヒールをかける。
『ヒール』
両手をクロの開かれた腹部は当てて何度も、何度も詠唱する。
『ヒール……ッ!!ヒール!ヒール!!!』
「ヒール………な、なんでぇ。なんで完璧に治らないの?」
──傷が完全には塞がらない。
軽傷であれば直ぐに癒すことが出来るのにここまで深い傷となると初級の治癒魔法であるヒールでは癒すことが出来なかったのだ。
それでも私はクロの腹部から溢れ出す血液を両手で一生懸命抑えながらヒールを唱え続ける。
「ケイ……。僕は…いいから本当に逃げて……」
「嫌よ置いていくことなんてできない!しかもこうなったのは私がクロの忠告を聞かなかったせいで──」
「「──グワアアアアァァァァ!!!」」
魔物がフラッシュによる混乱から回復し、こちらへ向かってくる。
「お願い……ケイ。少しでいいから離れていて。僕、魔物を倒せるかもしれない」
「そ、そんな置いていくなんて出来ないわ!た、倒せる?クロに?そんなお願い聞けるわけ……」
「本当に大丈夫……だから。ここにケイがいると全力が出せないんだ……お願い。早く……」
クロは私の手を力強く握りしめた。
……彼は本気だ。
朦朧としつつも、本気で魔物を倒そうとしているのがその真っ赤な瞳からひしひしと伝わってくる。
「……わかった。少し離れるだけですぐ戻るからね」
「……ありがとう」
……私達とクロまではまだ距離がある。
いざとなったらまたフラッシュで目眩しをしてクロを連れて逃げるだけだ。
私はクロを置いて急いでその場を離れる。
クロが視界に入る程度に、いざと言う時はフラッシュが使える距離に待機する。
『───』
クロが何か魔法の呪文と思われるものを詠唱した様で、
即座に辺りは真っ赤な炎で包まれ森が焼けていく。
──熱い。
ゴォオオオオオオオ……と激しく燃え盛る炎が魔物を包み込み、バタリと倒れたのが見えた。
そして魔物が倒れると同時に消える炎。
クロの様子を見に行こうとするが周囲が熱くて近づけそうにない。
「──クロ!クロ!!大丈夫なの!?ねぇ返事をして!!?」
段々と周囲の熱が冷めてきたため、クロがいた場所へと近寄ると、クロの周囲以外は丸焦げになってはいたが、彼自身は無事のようだった。
「──クロ!!」
彼を思わず抱きしめる。
「……ケイ。無事で…よかった」
「クロが無事じゃないじゃない!!待っててまた急いで魔法をかけるから」
彼にヒールを再び施す。
少しずつ出血は落ち着いてきているが、まだ止まる気配はなかった。
「ケイ。ちょっと…離れてて」
「え……?」
ジュウウウウ……と肉が焼ける臭いがする。
「──ッく!!!」
なんとクロは自分の傷口を炎の魔法で焼いたのだ。
「な、何してるの!!!」
「傷口を焼いて止血したんだ……。ここにヒールをかけてくれる?」
「わ、わかった」
クロが自分で焼いた傷にヒールをかけると、だいぶ傷口は落ち着いた様にみえた。
「……たぶん、これで何とかなる……。後は誰か呼びにいけれ……ば」
「……待っててクロ!!私がすぐに呼んでくるから!!!」
急いで森周辺に住んでいる大人を呼びに行き、クロは一命を取り留めた。
彼に謝りたくて近づこうとしたが、大勢の大人がクロを囲い彼に声をかけることが出来なかった。
騒ぎを聞きつけ、駆けつけた使用人に強制的に屋敷まで連れていかれた後、お父様にキツく叱られ、外出は禁止となり森へ行くことは二度となかった。
そして、ラインハルト様との婚約が私の意志に関係なく行われたのだった。
忘れてはいけないのに怖くて忘れたくて頭の片隅に追いやっていた記憶。
あれが、クロとの最後の出来事だったんだ。
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