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第一章 荒れ狂う吹雪

第二話

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「いやいやいや、発言の意味が理解し難いというか……そもそも、なぜ俺の名前を?  お会いしたことはなかったと思うんですが……」

 一瞬、先ほどのように幻影を身代わりにして逃げることも考えた。だが、ここで謎過ぎる発言の本意を確認しておいた方が得策だろう。

「あら、貴方は結構な有名人ですよ?  幻影魔術しか使えない変人がいる、ってよく噂されていますし」
「そ、そうですか……」

  使えないんじゃなくて使わないんだけどね。そこは勘違いしてほしくないな! 
  いつの間にそんなことを吹聴されていたのかとガックリ来そうになるが、問題はそこではない。

「それで、婚約というのは……?」
「そんなに畏まらなくても、ほかの人と話すようにしていただいて大丈夫ですよ」
「……なら、お言葉に甘えて。そんなご令嬢様が、皆の笑い者に何の用なんだ?」

  つい皮肉らしくなった言葉もまるで意に介さない様子で、レインはにこやかにこう言った。

「こんな時間に立ち話もなんですし、ぜひ私の家にいらっしゃいませんか?  今はお父様もお兄様も会議に出ていますし」
「初対面なのに簡単に家に入れていいのか? 話すための場所ならもっと他にも」

  ぐぎゅう。
  空気を読まない俺の腹の虫が盛大に鳴いた。

「ご夕飯も用意致しますよ?」
「……お願いします……」

  さすがに恥ずかしくなった俺は、大人しくご相伴に預かることにした。





「すっげ……」

  招かれたカリバー家の邸宅は、見上げるような大きさの立派な建物だった。これに比べれば、俺が借りている宿の一室など物置小屋のようなものだろう。レインが付けている髪留めと同じ、ワインレッドに染め抜かれた旗が印象的だった。
  改めて、彼女が俺のようなド平民とはまるで違う世界で生きていることを実感する。展開の速さに頭がイマイチ追いつかないが、まぁこういうのはなるようになれだ。

「お食事はこちらでございます」
  
  メイドに招かれるままついた食事部屋もまた、とんでもない広さだった。

「うっわ、テーブルがまずデケぇ……」

  客人を招くことも多いのだろう、豪華なテーブルクロスが掛けられた机はとても大きかった。俺の部屋にはそもそも入りもしないだろう……。

「草豚のステーキです、どうぞお召し上がりください」

   さして待つこともなく、たっぷり脂の乗った素晴らしい肉が皿に乗って運ばれてきた。見ているだけでも「美味い」とわかる……口の中が涎で溢れそうだ。

「サジリ草とサリュモンのスープです」
「ミックスサラダです」

  次々と 料理人たちが運んでくる料理はどれも1級品と思しく、とてつもなく魅力的だった。

「い、いただきます」

  ここに来た目的も忘れ、俺はしばし舌鼓を打った。





  数十分後。
  
  「……とても美味しかった」

  ここに来たことは失敗だった、と思ってしまうほどに。魔術師は稼ぎの良い職業とはいえ、庶民にはなかなか手の届かない料理だった。これで舌が肥えてしまうことはかえって不幸だったのかもしれない、と。

「ふふ、満足いただけたようで嬉しいです」

   淑やかに口を拭いたレインが、そう笑顔で言う。
   さすが令嬢というべきか、彼女の食べる姿は上品の一言だった。教養の差を感じ気遅れしてしまうが、レイン自身が対等で行こうといったのだからそれに従うべきだ。
 それにしても、なあ。まさかあのレイン・カリバーと夕飯を共にしたなんて、昨日の俺に言っても聞く耳を持たないだろう。故郷の村に帰った時の土産話になるかもな。

「そうしてくれると助かる。……それじゃ、話の続きを聞かせてもらおうか」
「かねてから気になっていたんですよ。貴方がなぜ幻影魔術に拘るのか……その答えがやっとわかりました」
「……なんだって? まさか、俺がさっき何をしたのか理解できたっていうのか?」

  あのような術式は他に存在しないはず。まさか、一目見ただけで俺が何をしたか見抜いたというのか?

「貴方の魔術は……「幻影を現実のものとして具現化させる」こと。つまり貴方は、あの花を魔力というリソースに変え、それと自分の魔力を元にとてもよく似た造花を創り出した。私の眼には、そのように写りました」

  甘い響きのある可憐な声で並べられた推測の正確さに、俺は思わず言葉を失っていた。
  あの時使用した術式である「夢幻泡影」は、創り上げた幻を現実のものへと具現化させる魔術だ。より正確には、極めて精巧に創った幻影を実際に存在するものだとこの世界に誤認させることで、俺のイメージを現実に投影する魔術。

『お兄ちゃんが出す幻って、もう現実と見分けつかないよね』

  幼い頃に掛けられた妹の言葉に着想を得、長年かけて開発した術式。恐らくこの世界で誰も辿り着いていない、偽りから真を生み出す幻影魔術の極致。
  言わば、世界を騙す魔術。
  これまでも幾度か人前で披露したことはあるが、そのタネを見破った奴はどこにもいなかった。

「驚いたよ。まさか、アレを一目で見破れる人間がいるなんてな。なんでわかった?」
「幼少期から様々な魔術を教えられてきましたから。そのおかげで、眼には少し自信があるんですよ」

  そう言って、レインは自分の左眼を指差した。
  術式を解析・看破する能力に長けているということだろうか。確かに、幼い頃から十分な教育を受けられる貴族出身の魔術師ならではの能力だ。

「なるほどね……。それにしても凄いな」
「ふふ、それは私のセリフですよ。自分で話していても、あまりにも突飛な推測だと思ってしまうほどでしたから。あれは貴方の固有魔術……ですよね?」
「多分な」

  技術の進歩により、人は術式を誰でも使うことができる形で残すことができるようになった。しかし、保存したい術式が技術を超えるほど高度である場合は例外となる。つまり、それはその編み出した個人特有の術式ということになる。
  そんな高みへと到達した術式は、畏敬を込めて『固有術式』と呼ばれる。
   『夢幻泡影』もまた、保存することのできない術式であることは確認している。俺以外にこの術式にたどり着いた魔術師が居ないのなら、これは俺の固有術式ということになる。

「んでまあ、一応確認しときたいんだけど。……婚約者になれっていうのは、もしかして俺の聞き間違いだったりするか?」
「いえ、私は確かにそう言いましたよ?」

  名家の令嬢は、きょとん、とした顔で首を傾げる。
  問いに託した一縷の望みは、しっかりと断たれてしまった。

「だよなぁ……」

  レインはニコニコしているが、彼女の真意がさっぱり掴めない。まさか、本当に俺に惚れたわけでもあるまいし……。

「大変申し訳ありませんが、詳しい事情はまだ申し上げられないのです。ですが、正確に言えば婚約者候補……の方が正しいですね」
「なら最初からそう言ってくれ!  俺の身にもなってくれよ」

   突飛のない話にはまったく違いないが、「候補」の二文字がつくだけで随分と穏やかになるものだ。急にあんなことを言われる俺の気持ちにもなってくれ。

「あのとき、貴方もこちらを見て下さいましたもんね。……ふふっ、もしかしてドキドキされましたか?」
「……うるさいな」

  わざとらしく袖で顔を隠すなよ、あざといな。

「あー腹減った、飯だ飯……っと、帰ってたのかレイン。そっちの彼は?」

  重々しい足音と共に現れたのは、剛毅な武人デュランダル。まさかの登場に、俺は反射的に椅子を引いて立ち上がった。
  家の中だからか緩い服装に着替えてこそいるが、その圧倒的な存在感は全く翳らない。

「あ、叔父様」

    戦闘の為のみに作り上げられた様な肉体に、同じ男としては憧れずには居られない。これが冠位の魔術師か……。

「こちらの彼が、以前お話した……」
「ああ、そういうことか」

  頷いたデュランダルの視線が俺に移る。あの剣聖がこちらを見ているという事実に、思わず体が強ばった。

「お初にお目にかかります、アレン・イルジオンと申します」

  姿勢を正し一礼していても、鋭い視線が突き刺さるのを感じる。

「ふむ、なるほど。……顔を上げたまえ」

  そう言われて顔を上げた瞬間、俺の目に飛び込んできたのは鈍い光。

「……っ!」

  与えられた時間はゼロに等しかった。しかし身体に刻み着いた魔術師としての本能が俺を動かす。
  
「来い!」

  愛剣を呼び、そのままデュランダルの剣と組み合う。
  大木のような腕に握られているのは、バスターソードと呼ばれる大剣の類。見た目通りの重さで、受け止めるのが精一杯……!

「おおっ、速いな!」

  デュランダルが、心做しか嬉しそうに口角を上げた。
  剣を引くが早いか、さらに速い三連撃。
  まったく本気では無いだろうに、今まで見たどんな斬撃よりも速く力強い。まるで鈍色の閃光だ。

「くっ、はっ、ぜいっ!」

  そのすべてをどうにか弾き返し、生まれた刹那の虚無……俺は、一歩踏み込んで自ら斬撃を放った。

「ははっ!」

  もちろん難なく受け止められたが、デュランダルはとても満足気な笑みを浮かべた。

「気に入った。オレを前にして自ら斬りこんで来るような奴はそうそう居ねぇ」
「……相応の返礼をしたまでです」
「ははは、これはますます気に入った!」

  お互いに笑みを浮かべ剣を引くと、レインが額にうっすら青筋を浮かべこう言った。

「大変仲良くなられたようで微笑ましいですが……こういった場で抜剣するのは控えて頂けませんか?  私が魔術で守ってなければ、皿も家具も今頃衝撃で木っ端微塵ですよ」
「……すみませんでした」
「すまない……」
「斬りかかられたアレンさんが剣を抜くのは仕方ないとして、叔父様はどうしていつもこう……」
 「わかった、わかった!  怒るのは後にしてくれねぇか、メンツが立たねぇだろ!」

  ……なんだか、貴族たちの思わぬ一面を見た気分だった。

「……ゴホン、気を取り直して。確かにレインの見立てにあまり間違いはなさそうだが……まあ、オレとしてもそうスルッと認めるわけにはいかねえな。ってことで……明日向かう予定だった討伐依頼を覚えてるか?」
「私達でやってみせろと仰りたいのですね?」
「そういうこった、いい報告を待ってるぞ。レイン、話が終わったらまた呼んでくれ」

  俺にはさっぱり訳の分からない会話だったが、二人には十分だったらしい。

「じゃあな、アレン君。また会おう」

  そう言い残し、壮年の剣士は歩き去っていった。

「……はぁ」

  強ばっていた肩の力が抜ける。
  印象通り、豪放磊落な男のようだ。初対面からあれだけ振り回してくるのに嫌悪感がないのは、やはり人徳ゆえか。

「というわけでアレンさん、お願いできますか?」
「いや、なにがというわけなんだよ?  さっぱり分からないぞ」

  レインはとても可愛らしい笑顔を浮かべているが、流石にそんなもので騙されるわけにはいかない。

「依頼は、西に広がっているメロク密林の奥にティガーの変異種を中心とした群れが出現し、被害が出ているから倒してほしいというモノです。本来なら叔父様と私、そしてあともう一人で討伐に向かう予定でしたが……私たちに振られてしまいましたね」

  あはは、と笑うレインにツッコミを入れる。

「振られてしまいましたね、じゃねぇよ。原因は明らかだろうが……」

  というかそもそも聞きたいのは依頼の詳細なんかではなく……あぁ、すっかりペースを握られてしまっている。

「詳しい説明は必ずすると約束します。私と共に行ってくださいませんか」

  そう言って、レインは丁寧に頭を下げた。
  貴族といえばやはり偉そうな奴が多いのだが、随分と簡単に頭を下げたものだ。
  そこらを歩いているそこら辺の貴族とは違う……いわば本物なのだと、改めて実感させられる。
  
「……どーしたもんかな」

  俺にとって、レインの実力はまったくの未知数。そんな魔術師をパートナーにして、ティガー……獣類の中でも屈指の強敵に挑むというのはかなりのハイリスクだ。
  それに、彼女が俺を何かしらの罠に嵌めようとしている可能性だって考えられる。
  ただ。彼女が持つ極めて優れた眼を面白いと思ったのも……ここまで来たら何を隠しているのかすべて知りたいと思ったのも、また事実。
   断るか、受け入れるか。この選択が俺の今後を分けることになるだろうと、俺は根拠もなく直感した。

「顔を上げてくれ」

  今まで余裕綽々だったレインだったが、その美貌には微かな怯えがあった。
  俺に断られるのではないかと恐れる、年相応の表情。

「君には負けた。一緒にやろう」

  しかしながらそれは一瞬で崩れ、屈託のない笑みへと変わった。

「……!  よろしいのですか」
「二言はない。ただ、やるからには完璧にやろう。そうと決まれば、最低限の打ち合わせはやっておかないとな」

  今度はこちらから差し出した手を、レインは笑顔で握った。
  この選択を悔やまないで済むことを、俺は祈った。




「そりゃ、こういうトラブルが日常茶飯事なのはわかってるさ。それにしたって……」

  翌日。
  木々の生い茂る森の奥で、俺は自分の決断を盛大に後悔させられることとなった。
 いったい何だ、あの化け物は?

「グルルルルル……」

 自らの手で殺した同胞の屍を喰らう巨大な獣は、俺の知るティガーではない。間違いなく、さらなる進化を遂げようとしているモンスター『成りかけ』の類だ。
 全身から立ち昇っている赤黒いオーラに、本能的な恐怖を感じざるを得ない。これまでドラゴンをはじめとした強力なモンスターとは何度も戦ってきたが、アレはもはやそんなレベルではない。

「なんて巨大な魔力……これが成りかけ? なんでこんな化け物が……」
「同感だ。まさかこんなことになるとはな」

 思わぬ難題を前に、俺は思わずため息をついた。
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