上 下
5 / 7

04 不幸な王子さまの隣で、束の間でも幸せに

しおりを挟む

 ふたりの縁談はとんとん拍子に進み、婚約破棄の夜から止まっていた嫁入り支度の時計の針は、ついに再び動きだした。

 一刻も早く婚礼を、という女王からの命令で、今月中には結ばれることになっている。

「婚約おめでとう、アデル……」

 この結婚の意味を理解している兄は、優しい声で寿ぐも、微笑みの裏にかげった痛々しさを隠せていなかった。

 妹の結婚を喜べない兄はよくいると聞くが、そういう微笑ましい意味の感情ではないことは、今のアデレードにも察せられる。

 愛しい兄エドワードは、魔術――特に呪術の分野に秀でた魔術騎士であり、かつてアデレードの護衛を仕事としていた時にも、同僚からセドリックの『呪い』のことをよく聞いていた。

 魔法士にも魔術士にも手に負えない。
 なぜかは分からないが彼の婚約者は一年以内に死ぬ。
 そんな、どうしようもない呪いだと。

 噂よりも濃い話を聞いていたから、エドワードは、見えない呪いの力をより生々しく感じていた。

 ハルスヴィードの家族は、その死を覚悟して、末娘を『呪われた王子』のもとへと送り出すのだ。

「ありがとう。お兄さま」

 そんなエドワードを励ますよう、アデレードはにっこり笑った。セドリックとのお見合いの日から、彼女は笑顔を取り戻している。ぎこちなさは日ごとに薄れ、懐かしい『アデル』の笑みになる。

 ああ、うちの妹はこんなに可愛く笑う女の子だったのだな、と。エドワードは毎日ハッとさせられた。

 未だに触れあうことは叶わない最愛の妹。屑野郎どもに傷つけられた可愛いアデル。

 ――殺してやりたい。アデルを壊した黒幕を。最悪の存在を。

 さくらんぼ色の瞳に映る『兄』エドワードは、きっと優しい人間の顔をしている。

 どうかこの兄の残虐性には気づかずに、不幸な王子さまの隣で、束の間でも幸せになってほしい。
 そう、エドワードという名の獣は願う。堕ちた騎士の思惑など、純粋な妹姫は知らないままでいい。

「ねぇねぇ、エディお兄さま」
「なぁに、アデル」
「だいすきよ」
「俺も、おまえが大好きだよ。アデル」

 今日のアデレードはご機嫌で、エドワードにたくさん『大好き』と言ってくれた。

 昔みたいに元気な可愛い妹。でも、どんな姿になっても愛おしい。病んでしまっても、何があっても。

 ――雪色の髪を揺らして笑うおまえは、俺にとって、この世の誰よりも…………



 ***



 九月の吉日――

 純白のドレスを纏ったアデレードは、父と腕を組み、ヴァージンロードを歩いた。

 大好きな父の逞しい腕から、今は人のぬくもりを感じない。まるで石のように冷たく硬質な感触は、父と兄からアデレードへ届いた優しさの顕れだった。

(……お父さまと……こんなふうに歩けるなんて……夢みたい)

 彼の礼服の袖の中には、魔法の織物が仕込まれている。男の人との触れあいが怖いアデレードのため、兄エドワードが調達してきてくれたものだ。いわゆる防護素材の一種だった。

 これがあれば、父も、アデレードも、お互いの肌や肉の生命を感じない。アデレードが石に触れていると感じるように、父も、晴れの日の娘の体温を感じられない。

 彼女と父とがこの道を歩むには、こうするしか無かった。

 ――うちのアデル。アデレード。可愛い我が娘。

 アデレードの花嫁衣裳は、彼女の白肌をすっかり覆い隠している。長袖のドレスと絹の手袋は、ともに繊細なレースがあしらわれ、健康な肌を見せられない彼女をしかと守りながら飾った。

 その細い首もまた、草花の刺繍を施された立襟に覆われており、そこに宝飾の類は見られない。代わりにと言うべきか、ミルク色の髪には、虹色の蛋白石オパールが幾つも散りばめられていた。

 紗のヴェールに隠されたかんばせは、化粧という衣を纏い、静かな喜びに満ちている。金銀の粉を乗せられた瞼の中、真っ赤なさくらんぼ色の瞳は何を思うのか……

 ――ここで正式に籍を入れれば、カウントダウンが始まってしまう。

 アデレード・ハルスヴィードの残り時間は、最大でも、あと一年。

 その強制力のことを曖昧な噂でしか知らない、どうか我が娘だけは呪われぬようにと切に願うハルスヴィード侯爵が、第一王子のそばにアデレードを連れていく。新郎に彼女の身を託す。

(セドリック様……)

 撫でつけられた銀の髪に、この国の貴き王子の正装。優しさで満ちた湖の底に憂いの石を秘めているような、彼女を惹きつけてやまない青紫の瞳。

 前世、ゲームの中で見た、推しの『セドリック様』のことを彼女は想う。そして、花嫁になることなく人生を終えた、かつての自分のことを振り返る。

 乙女ゲーム『呪いに抗って恋をする』の世界で、彼女は『主人公ヒロイン』と『セドリック様』を何度も結婚させた。
 彼とのハッピーエンドは何遍見ても飽きることがなく、病に侵されて自由を失いゆく彼女を束の間の幸福に溺れさせた。

 この結婚は、長くは続かない。

 前作世界では悪役令嬢だった自分も、今の彼との関係を見れば過去のモブ、未来で出会うヒロインとの恋のスパイスになるだけの舞台装置。モブも悪役も抗えない。

 彼と婚約を結んだ七番目、初めて妻となる女は、結婚一周年の日を迎えずに息を――

 決して続かないと知る永遠の愛を誓い、はらり、愛しい彼にヴェールを上げてもらう。

「アデレード」
「……はい」

 彼の視線に貫かれ、アデレードは目を瞑り、息を止めた。彼からの接吻に恐怖して吐くことなどないと信じたいが……それでも…………

(わたしでも、結婚できたのね……)

 ふ、とやわらかな熱が触れて、誓いの口づけが交わされた。

 アデレードの中にこみ上げてきたのは、吐き気ではなく、血液の代わりに全身を巡る蜜のような甘やかさ。

 とくん、とくんと心臓が強かに脈打ち、純白のドレスを突き破ってしまえそうに感じる。

 第一王子と侯爵令嬢の婚姻にしては、ささやかな、あの日の薔薇園のような式だった。




「――アデル」
「はい、お母さま」

 式を終えて迎えた、結婚初夜。

 湯浴みを済ませたアデレードの身支度を整えながら、母は彼女を優しく励ました。

「きっと怖いでしょう……恐ろしいでしょうね……でも……」
「ええ、がんばれますわ。お母さま。わたくしは、大丈夫。だから、お気を病まれないで」
「アデル……ッ、どうか、どうか、無事に……もう一度、この母に、可愛い顔を見せてね……」
「孫の顔は見せられずとも、わたくしの顔はお見せしますわ。お母さまが望むなら、何度でも」

 先の聖女は、彼との婚約から三日で亡くなった。
 ならば、アデレードも、近い内に――それこそ、結婚した晩から何かあってもおかしくない。

 暴漢に襲われたせいで心に大きな傷を負い、何度も自殺未遂をしているアデレード。呪いがなくとも、彼女は自らその方向へ進んでしまうかもしれない。
 この夜を越えられるのかしらと母が心配するのは、尤もだった。

(この結婚は、わたくしへの償いであり、わたくしへの罰でもある)

 アデレードとセドリックに、白い結婚は許されない。

(と言っても、きっと、わたくしに子どもは……)

 母と分かれ、女官に案内されて、アデレードは王城の一室へと向かう。大きなベッドに腰掛けて、白いシーツを撫でてみた。

(わたくし……王子妃……なのよね。まだ信じられない……)

 セドリックとサミュエルのどちらが王位を継ぐことになるのか、アデレードは知らない。
 でも、ゲームの中には出てこなかったモブの名も、この国の歴史に残るとは知っている。

 アデレード・ハルスヴィードは、セドリックの最初の妻である。

(セドリック様の歴史の汚点とならないよう、わたくしは、死に方を熟考しなければならない)

 前世では、死に方を選ぶことなど叶わなかった。
 今世では、自ら死を選ぶことを課せられている。

(もう死にそうな時も、ゲームをプレイする体力さえなくなった時も。夢の中なら、彼に会えた。あの時も)

 その日の彼は、きっと続編ゲームのエンディングを迎えた後の彼で――そう、たしか、愛する妻がいる旨を彼女に告げた。

 幸せそうなセドリックの顔に安心して、彼女は、最後の安らかな夢から覚めた。

 そうして、次の晩に、人生を終えた。

 あの日の最後の『セドリック様』に、さて、自分は何と言ったのだったっけ?

『もしも――……れたら――……わたしを――……てくれますか』

 ちらりと場面が脳裏をよぎるも、答えは思い出せなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

森でオッサンに拾って貰いました。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。 ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

処理中です...