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〈ヒーロー〉と〈悪役令嬢〉編
【62】王太子夫妻とヒーロー騎士 ☆
しおりを挟むとある日、王城の一室にて。
騎士ユースタスは拘束されていた。
「……いや、なんでだよ」
敬語も忘れ、目上の幼馴染ふたりにツッコむ。
懐妊中の姫さまこと王太子妃アリシアはゆったりとソファに腰掛け、可愛らしくにこにこしていた。フィリップも彼女の隣でにこにこし、床にひざまずくユースタスを見下ろしている。
ふたりとも、とてもじゃないが亀甲縛りの年上男を見る顔とは思えない。
そう、騎士ユースタスは、なんとフィリップによる植物魔法の蔓で亀甲縛りにされてしまったのである。ほんの一瞬の出来事だった。
(正直、意味がわからない)
オトメゲームの呪いに抗う協力者や学友として幼年期や青春時代を共に過ごしてきた深い仲とはいえ、この恰好はさすがに恥ずかしい。
(裸じゃないだけマシかもしれないが)
高潔であるべき騎士の姿のまま縛られ、騎士服に縄が食い込んでいるとなると。我が事ながら、かえって卑猥にも感じる。
密室に、三人きり。
外からこの部屋を守っている騎士たちは、まさか室内でユースタスが縛られているとは想像もしないだろう。いくら王太子と妃の仲がお盛んでも、第三者を亀甲縛りにするのはシンプルにオカシイ。
やっぱり亀甲縛りだよなと自分の体を見下ろして現実を再確認した後で、ユースタスは重い口をひらく。
「あの、俺、なにかやらかしました……?」
「いや、ユウ兄は、よく働いてくれているよ」
ユースタスはフィリップの従兄なので、時にこういう呼び方もする。単にユースタスと呼ぶ時もある。今この状況では、呼び方など至極どうでもいいが。
「なら、なぜ」
こんなふうに縛られているのだろうか。やっぱり意味がわからない。
「アリシアが、ユウ兄の話を聞きたいと言っていてな。だから拘束した」
「ご心配なさらずとも、妃殿下に手を出したりしませんよ」
オトメゲームという異世界の物語において、アリシアはヒロイン、ユースタスはその攻略対象、フィリップは悪役王子。
こうして見るとアリシアとユースタスは恋仲になってもおかしくない関係ゆえか、昔から、フィリップはふたりの接触に対する警戒心が強かった。
シシリーも前世から〝アリシア〟に憧れ、この世界の彼女も愛おしんでいたからか、アリシアのことになると兄ユースタスへの当たりも強くなったものだ。
妹に、従弟に、その婚約者にと、ユースタスは年下の彼らに随分と振り回されてきた。みんなのワガママを受け止めて、お兄さんをやってきた。
「人妻になったアリシアも魅力的だろう? ほら、こんなに可愛い。超かわいい」
アリシアの薄紅の髪をなでなでして、フィリップは「可愛すぎて大変だ……」などと続ける。なんとも阿呆らしい。
「俺は、まさか、殿下の惚気話を聞かされるために縛られているのですか? 防音魔法を施すまでもなく、いつも惚気ているじゃないですか。いい加減にしてください」
「亀甲縛りがそんなに嫌か?」
「嫌に決まっているでしょう」
フィリップとユースタスの応酬に、アリシアがくすくすと笑いだす。まったく楽しそうでおめでたいが、ユースタスにとっちゃ笑い事ではない。
フィリップだけの前でなら多少は良くとも、いや、それも嫌だが、アリシアがいるせいで余計に羞恥心を煽られているのだ。
恋愛感情は抱いていなくても、昔から知っている年下の女の子。そういう性癖でもないユースタスは、縛られている姿を晒すのは嬉しくない。
「……俺、今夜も、予定があるのですが」
「どうせ花街だろう? で、あいつとの関係はどうなんだ。アリシアが心配している。ああ、僕の妻は優しいなぁ」
「城下の花街は、妃殿下の管轄にあるからですか? それとも幼馴染として?」
シシリーが暮らしている城下の花街は、王家の管轄にある、いわゆる公営の花街だ。フィリップがアリシアを妃に迎えてから、その担当は彼女にある。
「私も、時に記憶を消されても、あなたがたのことをずっと見てきましたから。おふたりに守られて、こうして生きている身です。憂うのは当然のことでしょう」
「妃殿下も、あいつには会っているでしょう。畏れ多くも、我が妹は、妃殿下と御子様の体調管理の一端を任されておりますゆえ」
「そうですね。お世話になっています。でも、診察のお仕事中の彼女は、公子との話を聞かせてくれなくて」
「だから勤務時間外の俺を捕まえたと?」
ごめんなさい、とアリシアは小首を傾げて愛らしく謝る。悪びれる様子はない。普段はゆるふわしていても、然るべき時には強かだ。ユースタスも知っている。
この方は、もう、守られるばかりのお姫さまではない。
「殿下とうちのが甘やかすから、妃殿下まで、時間外労働をやらせる暗黒上司になってしまったじゃないですか」
「? アリシアのワガママにこたえるのは幸せだろう? あぁ可愛い」
「おふたりに話すことは、ありません。どうか俺たちのことは構わず、仲良くらぶらぶしていてください」
「そうか。ふむ、まあ仕方ない」
「これ、早く解いてくださいよ」
「じゃあ」
と、フィリップはサッと手を動かす。されど拘束は解けはしない。何かの別の魔法を発現させる。なんだ、なんだ。
「さっさと行け、このヘタレが」
「なっ」
ずん、と床が抜けるような感覚がして。
「応援の気持ちを込めて、残業代はつけておこう――」
(いや、応援してなくても、つけてくださいよ)
ユースタスは、縛られたまま、どこかに転移させられた。
(まったく、あの王子様は、また好き勝手して……)
***
夕方の青楼に、見習い娘の悲鳴が響いた。
(何事かしら?)
部屋にひとり、来月の新たな催しを考えていた娼妓シエラは、魔法陣を描きながら首を傾げる。
「――シエラさん!」
「なぁに」
見習い娘がパァンと勢いよく扉を開け、彼女を呼んだ。
「ユウ様が、ユウ様がっ」
「ユウ様が、どうしたの? 遠征にでも行かれるのかしら」
「亀甲縛りで転がってます!!」
「……なんで??」
なぜ。亀甲縛り。意味がわからない。
筆を片付け、描きかけの魔法陣を放置して、シエラことシシリーは見習い娘に付いて部屋を出る。
「――ユウ様、こんばんは」
「こんばんは、シエラ」
案内されて事件現場の廊下に向かうと、たしかに、ユウ様ことユースタスが縛られて転がっていた。
こんばんは、なんて挨拶を交わしている場合ではない。大変な事態だ。変態だ。
美貌の騎士のあられもない姿に、他の娼妓や娘たちも頬を染めたり慌てたりなどしている。
「魔法の蔓ですね」
「ああ」
「ぬるぬるしてます」
「ああ」
どう見ても、魔法士カルノか、フィリップのやつだ。カルノとユウはそれなりの仲良しさんだが、どうせ後者の仕業だろう。まったく何をやっているのだ。うちの従弟は。
「延長分のお代は頂戴しても?」
「もちろん」
「では、私の部屋に」
魔法の力を借りて、シシリーは、えいやっとユースタスを持ち上げる。コアラのように抱っこをする。
「…………うわ、恥ず」
「……」
抱っこ魔法は追加項目だが、ここはオマケしてあげることにしよう。ちょっと可哀想なので。
娼妓に抱かれる亀甲縛りの騎士様を、騒ぎを聞いて出てきた娼婦たちは、多種多様な表情で見守った。
――――――
「ねえ、フィリップ様。あの縛り方は何? どうしてユースタス様にあんなことを?」
「ん、きみは知らなくていいよ。ちょっとした悪戯というか……。ふたりの仲が進展したらいいなーって」
「私には、あんな縛り方をしてくださったことはありません……。ユースタス様だけずるい……」
「おなかの子に障るから、ね。したいなら産後にしてみよう」
「約束ですよ?」
「うん、約束」
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