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〈悪役王子〉と〈ヒロイン〉王都編
【46】ヒロインと悪役王子の告白 −6− ☆
しおりを挟む「貴方様、が……堕ちてくる日を。魔王様に、なられる日を。百年でも、お待ちしております、から。……ずっと」
「なるほど。きみが魔界に堕ちたのは、いずれ僕が魔王になるからか。待っていれば、また出会えるからか」
「ミラフーユの王妃には、相応しくなくとも。魔界でなら、いつか、貴方様と……」
「ありがとう、アリシア。だが、僕は――」
と。フィリップがアリシアのドレスの胸元を開けたところで。
はらり――と何かが落ちてきた。
「……あ」とアリシアは小さく声を上げる。見ると、それは紙だった。
青楼に囚われたアリシアのもとへと向かうユースタスにフィリップが携えさせさた、それは。
「僕の手紙だな」
彼女の背後で、フィリップはニヤリと笑った。
わざとらしく、待ちきれず、彼は魔法の詠唱をする。
「――〝記憶・再生〟」
手紙がなくとも、元からこうするつもりだった。
最後の手段だ。
***
(――これ、は)
現れた光景に、記憶の欠片に、アリシアは目を見開いた。
それは、フィリップが消したはずの彼女の記憶であった。アリシアの知らないアリシアとフィリップの記憶であった。
花嵐の中にいるように、儚い記憶の花びらに彼女は脳を殴られる。心を侵される。
彼を信じきれなくなった時に読めと渡された、あの手紙。結局アリシアは、それを今日まで開いていなかったのだ。
ずっと――信じていたから。
どんな時でも。ちょっとした振る舞いに悲しさや寂しさを感じても、彼からの愛を常に信じていた。
自己嫌悪と罪悪感を募らせて、彼の隣にいる、淫らな自身を許せなくなっても。
自分を王妃に相応しくないと断ずることはあっても、彼こそは未来の王に相応しい男だと、いつだって信じていた。
(ああ、あの既視感は)
この魔界までアリシアを追いかけてきた彼の向ける瞳は、奥底に眠る記憶と一緒だった。
オトメゲームのシナリオに振り回され、アリシアの苦痛をその身に背負って、アリシアの体を何度も死に至らせたフィリップは。
ヒロインを殺す運命にある、悪役王子フィリップは。
彼女の瞳から光が消えるその時まで、ずっと、目を逸らさないでいてくれたのだ。痛くても、苦しくても。どんなに悔やんでいても、アリシアの隣にいてくれた。
癇癪を起こした子どもみたいに叫ぶ魔界の彼女と向き合う彼も、それらの彼と同じだった。
何度も〝死に戻り〟と〝痛み代わり〟を駆使して、アリシアを諦めなかったフィリップ。愛おしいひと。初恋のひと。幼き頃よりの婚約者。
(私は、どこまで行っても、性愛の物語の〝ヒロイン〟で)
一糸まとわぬ姿になったアリシアは、背後のフィリップにすべてを預ける。
彼の最後の攻撃に、彼女の心の何かが折れた。あるいは、フィリップの求めるところまで、何かが堕ちた。決壊した。
(彼は、どんなに抗っても〝悪役王子〟で。こんな私たちが、清らかでいられるわけがない)
ほろほろと崩れる音がする。あるいは、何かの組み上がる音が。
切り離した体のアリシアが、心のアリシアと目をあわせ、抱きしめた。
溶けあっていく。
(貴方様は、私が思うより、ずっと〝悪役〟らしい方でしたのね)
アリシアに見せつけられたのは、死であった。
彼女の知らない幸せな愛の思い出と、彼によって迎える死。その詰め合わせを、フィリップは手紙にしたためたのだ。
とうに壊れていた。
(悪役のそばには、悪女がいなくては、駄目なのかもしれない――)
これが彼女らの答え。
死を見せつけることを求愛とする彼には、どこまでも悪役らしくなってしまった彼には、私でなくてはならない。と。
悪女でなければ、彼を生かせない。愛せない。
悪役王子フィリップの幸せには、バグって悪女めいたヒロインが必要だ。魂が叫んだ。
「フィリップ様――……」
彼らの愛はくるりと捻じれて、想いは望まぬ道を経て、けれど元の形に戻る。
ヒロインと悪役王子は、最後には、結ばれる道を歩んでいく――
***
シナリオ外イベントの終わりは、シナリオ通りのイベントの終わりよりもあっさりとしていた。
悪魔はケラケラと笑って姿を消し、アリシアの心と体はひとつになり、気づけばフィリップと彼女は記憶の保管庫にいた。
離宮に帰ってきた。
「――アリシア」
「フィリップ、様。……フィリップさま」
すべてを晒した綺麗なアリシアが、碧色の瞳から涙をこぼし、ふにゃりと笑う。
フィリップのよく知る彼女だった。
アリシアはフィリップの胸元に顔を寄せ、恥ずかしそうに、ささやかで大切な告白をする。
「ごめんなさい……勝手に、いなくなって、ごめんなさい。離宮の黒魔術も、これまでの黒魔術のことも、ごめんなさい……。淫らなのが、恥ずかしくて、逃げてしまったの」
「うん。大丈夫。もういいよ」
「学生時代の、黒魔術は……もっと好きになってほしくて……。愛されているのに、わかってるのに、不安で。シシリー様とも仲良くなさってるから。しちゃったの」
「うん。それも、許すよ。黒魔術などに惑わされなくても、僕はきみをこんなふうに愛していただろうけれど。これから、もっと可愛がってあげるね」
「……もしも、この私が、まだ許されるなら。一緒にいたい、です。王妃になりたいです」
「もちろん。いいよ」
ゆっくりと、恐る恐るという様子で顔を上げたアリシアに、フィリップは触れあうだけのキスをする。ちゅっ、ちゅっ、と何度か唇を重ねる。
「ん……」
それから彼は、自分のマントと上着を脱いで、愛しい彼女に纏わせた。
「他のやつらに裸を見られたら、嫉妬しちゃうから。ね?」
「……はい」
「すぐに濡れたり吹いたりしちゃうきみも、にゃんにゃんって喘いじゃうきみも。拗ねるきみも、僕を試すきみも、みんな可愛い。アリシアの全部が好きだよ。可愛いよ」
「私、も。フィリップ様の全部が好きです」
「結婚しような、アリシア。ずっと一緒にいよう。この国でも、やがて迎えられる魔界でも――」
未来の魔王フィリップは、悪役らしく彼らしい笑顔で、黒魔術の女王に求婚した。
アリシアをお姫様抱っこして扉を目指していると、妙な人影が見えた。
「誰だ」とフィリップは低い声で問う。
応えたのは、聞き慣れた声だった。
「貴方様の騎士と、悪役令嬢ですよ」
「ああ、ユースタスと、シシリーか? ――おや」
棚の影から現れたふたりを見て、フィリップはわざとらしく首を傾げる。
フィリップと向き合ったユースタスは、彼と同じように、想い人をお姫様抱っこしていた。兄の騎士服に包まれたシシリーは、らしくもなく、おとなしく彼の腕に抱かれている。なんだか照れているようだ。
「こちらも、戦ってきたところです。魔界で王弟と。魔王様にもお会いしました」
「そうか。ご苦労だった」
「殿下も、無事に守られましたか」
「ああ、もちろん」
「やっと、ですね」
幼馴染の年上騎士は、心底ほっとしたように微笑む。なるほど、彼らも彼らで、どうやら一悶着あったらしい。
青紫の瞳に愛おしげな色を浮かべたユースタスは、フィリップたちに見られることも厭わぬ様子で妹の頬を撫で、彼女から鬱陶しそうに手を叩かれた。それでも嬉しそうだった。
「攫われた可愛い罪人を、塔に帰してきてもよろしいですか」
「許可する。テリフィルア嬢の護衛は、代わりに僕が担当するとしよう」
「ありがとうございます」
ともに愛しいひとを抱きかかえた王子と騎士は、視線を交わし、にやりと笑いあった。抱かれた姫君らは、どちらも胸をドキドキさせていた。
離宮の寝室のベッドにアリシアを横たえると、フィリップは甘い声で言う。
「おかえり、アリシア」
「ただいま帰りました、フィリップ様」
アリシアはフィリップの頬を包み込み、口づけ、囁いた。
好きです。と、愛しております。
そして、大好き――と。
この日の事件が、此度の呪いの終わりまでに起こる、最後の波乱だった。
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