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〈悪役王子〉と〈ヒロイン〉花街編

【9】二日目――初めてのお客様 −1− ☆

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 ざあざあと雨の降る、海辺の街の青楼で。
 ふたりの姐さん娼妓は、ひとりの新人娼妓をぎゅうっと抱きしめる。たわわな胸に挟まれ、むっちりとした温かさに包まれたアリシアは、恥ずかしくも安らぐような不思議な気持ちになった。

「全力で、磨き上げるわ」
「最っ高に、美しくしてみせるね」
「……お願いいたします。ヴィオ姐、ダリア姐」

 今日は、初のお勤めの日――水揚げの儀が執り行われる日だ。

 姐と一緒にの準備をし、湯浴みが済んだら香油を塗られ、衣装を纏えば化粧が始まり。みるみるうちにアリシアは、高位の娼妓らしい姿にされていく。
 青楼ファリィサの楼主は、東方の人間。ゆえに初のお勤めの時は、東洋風の服飾品を纏うのが、ここでの習わしだった。
 背中や肩を大胆に露出させたドレスはシンプルなデザインで、スカートは真っ直ぐ下に落ちる形。光沢のある生地はひだになり、体の動きによって輝き方を変えていく。ドレスの色は碧色で、腰元の帯は黄色だ。透ける紗の素材で出来た羽織物には、東方の花の刺繍が咲き誇る。
 それからアリシアの薄紅の髪は、宝石のついた華やかな簪に飾られた。瞳の色と合わせた翠玉に、小花を模した銀細工。それらは〝椿の女〟を見せるに相応しい、とても美しいものだった。
 身支度のほとんどを終えると、アリシアは小さな座卓の前に腰を落とし、ふうっと息をつく。白い布に包まれた小箱を開けると、現れるのは黒い丸薬――避妊薬だ。

(どうか、求められる効果のままで。長く蓄積などはせず、今晩の子をつくらせないだけの薬であって。私から、夢を奪わないでね)

 密かに祈り、水と一緒にごくりと飲み込む。
 この薬の効能と危険性については、一昨日の夜のうちにヴィオから説明を受けている。
 普通は飲んでから二日間のあいだに膣内へ出された精との子をつくらせないようにする薬だが、稀に、避妊の効果が体に溜まってしまう女もいるのだと。
 より正しく言うのなら、本当にその薬のせいかはわからないものの、長年に渡って避妊薬を飲んでいた娼婦が、いつしか薬を飲まずとも孕まない体になっていた事例があるのだと。
 もしかすると性交時の何かが原因かもしれないし、元の体質や加齢、病気によるものかもしれない。だから、きっと大丈夫だとは思うけど……ともヴィオは言っていた。
 下腹部をそっと撫でた後、アリシアは習ったとおりに唇をハンカチで拭う。するとダリアが最後の仕上げをしてくれる。小さな陶器に入った紅を薬指につけ、彼女はアリシアの唇に触れた。

「――完成よ」

 ちょっぴり寂しそうな顔で、姐は笑う。アリシアも、にこりと笑ってみせた。
 今宵の相手が誰なのか、彼女は、まだ知らない。
 上級魔法も使えるお金持ちのお客様だとは聞いている。悪天候のなか、転移魔法をもって、予定より早い夕暮れ時の花街に現れたと。

 金に物を言わせて礼節を重んじないひとみたいやね、とダリアは苦笑していた。水揚げの儀の相手役は、本当なら、馬車に乗って街まで来るのがファリィサにおける作法であるためだ。
 しかし楼主は金に目を眩ませ、その礼儀知らずの客を通してしまったらしい。まったく、がめついんだから、とヴィオも文句を言っていた。

 相手が誰であろうと、アリシアは、その誰かに抱かれて処女でなくなること――すなわち王妃になれぬ体になることは、もう覚悟している。
 それでも未だに、いつか愛するひととの子を生み育てたいという夢は捨てきれず、彼女は子を宿せる体であり続けることを祈った。

「ありがとうございました。ヴィオ姐、ダリア姐」
「なんかさ、こうしてみると色っぽいよねぇ」
「体は小さくとも、大人ですよ? 私」
「今日は一段と美しいわ。。まるで、どこかの国のお妃様みたい」
「あははっ、ヴィオったら大げさ~。ま、たしかに綺麗だけどねぇ」

 ――イリス。
 それは、娼妓としてのアリシアの名前だ。湯浴みの後、ふたりの姐から付けてもらった。
 娼妓の水揚げには本来なら姐が付き添うものだが、客のたっての希望とお金によって、アリシアへの付き添いは無しになったらしい。ゆえに彼女は、ひとりで客を迎えることとなる。相手はどこまでも変な客らしかった。

(お妃様みたい、ですって。ふふ、嬉しいわ。ずっと、ずっと、彼の正妃になりたかったのだもの)

「そうなるべくして育てられ、生きてきましたから」

 ぽつりとアリシアは呟いた。かすみのような声だった。しばしの時間差をもって、ヴィオとダリアは目を見開く。

(あら。つい、こぼしてしまいましたわ。私としたことが)

 自分は〝お妃様〟になる予定だった、なんて失言も失言だ。ついうっかりで言っていいことではない。アリシアは深呼吸して、ふわっと淑女らしく微笑んだ。

「内緒ですよ。ヴィオ姐、ダリア姐。では、いってまいります」
「ええ、そうね……。いってらっしゃい。イリス」
「ぜったい無事に戻ってきて、また一緒にお風呂入ろうね。イリス」
「はい。もちろん」

 淑女の礼をして、アリシアは、イリスは歩き出す。
 背後で姐が「ていうか、まさかのめちゃくちゃお嬢様……!? 陰謀!?」「かもね」「ファリィサ有罪!? 潰れる!?」「もしかするとね」などと話しているのは、彼女の耳には聞こえない。

 見習い娘に扉を開けられ、娼妓イリスは、今宵花を散らすはずの舞台へと足を踏み入れた。


 ***


 ――他の男に抱かれるなんて、耐えられないから……僕が毎晩〝他の男に変身〟して、きみのもとに通おうと思うんだ。
 ――独り占めしたいから、毎晩、他の男のふりをして抱きにくる。
 ――元の身分に帰らせて、王太子妃として迎えるまで……最後までは、しないから。

 先ほど告げられた言葉を反芻しながら、アリシアは、大好きなひとからのキスを受け入れる。ちゅっ、ちゅ、と彼は優しく唇を触れ合わせ、アリシアの緊張を解かすように舌まで入れた。ほっとする絡みだった。

「ふゃ……んっ、んん」

 数日ぶりの再会に、今やっと感動の情が起きだして涙がこぼれる。こんなにも彼と離れて過ごしたのは、アリシアが毒を盛られて何日間も目覚められなかった、あの十歳の時以来だった。そのくらい、ふたりはずっと一緒にいたのだ。

 今宵の相手役は、フィリップである――気づいた時、アリシアはひゅっと息を呑んだ。
 何度も瞬きをして、スカート越しに太腿をつねって、夢ではないかしらと疑った。太腿はしっかり痛かった。

『夢じゃないよ。僕のお姫様』

 そんな舞台俳優みたいな台詞も、彼に言われるとしっくりくるもので。頬に触れてきた手の感触も、宝石みたいな空色の瞳の輝きも、耳元で囁く声も、何もかもが彼らしかった。

『……お、お客、様……』

 普段と違う形のアシンメトリーにセットされた銀の髪は、星祭りの時と同じもの。銀縁の伊達眼鏡も同様だ。愛しいひとの顔から視線を落として衣装も見れば、それもあのお忍びデートの日を再現するようなものだった。

『はじめまして、イリス。それとも、僕のよく知る名前で呼ぼうか』
『……耳元でだけ、呼んでください』
『ああ』フィリップはアリシアを抱きしめると、耳元で、その名をひどく大切そうに呼んだ。『――アリシア』

 彼女の心臓はそれだけでズクリと震え、心は〝幸せでたまらない〟という気になった。目も、耳も、肌も、すべてが〝彼だ〟と歓喜している。

 そうしてアリシアはふわふわした気持ちのまま、彼の先の宣言を聞き――キスへと至るのだった。
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