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〈悪役王子〉と〈ヒロイン〉陰謀編
【3】アリシア・テリフィルアは道を選ぶ
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ひとりぼっちの闇の中。骨まで揺らしそうな馬車の振動を感じつつ、アリシアは現状を憂う。先ほどまで居た牢屋には、もう二度と閉じ込められたくない。
寒くて、怖くて、寂しくて、硬い床に触れ続けた体は軋むように痛かった。
貴人を幽閉するためにある、王家の鳥籠――黒の塔へと連行された後、アリシアはあっさりと敵方に攫われ、かの公爵邸の地下室に軟禁され、ついにはメイドたちに身ぐるみを剥がれた。卒業パーティーの夜から、ここまでで丸一日。
今は生まれたままの姿で麻袋に押し込められ、娼館に送られている真っ最中だ。
(この事件は、王弟殿下と、セルナサス公爵夫人――現国王陛下の弟君と姉君が謀ったもの。シシリー様いわく、彼女を王太子妃の座に据えるための謀略なのよね)
アリシアが毒殺を企てた相手とされる令嬢シシリーは、セルナサス公爵家の長女であり、フィリップの従姉であった。
アリシアが閉じ込められた地下牢をにこにこと喜色満面で訪ねた彼女が言うには、此度の事件は、王弟とセルナサス公爵夫人を筆頭に、シシリーを利用して為された自作自演。
数年の時をかけて練られた彼らの策に、アリシアやフィリップはまんまと嵌められたことになる。
(シシリー様のことで、なにか、忘れている気がするのだけれど……。思い出せそうにないわ)
王城や地下牢で会ったシシリーの笑顔や立ち居振る舞いに違和感をおぼえたのに、アリシアはその感覚の正体を掴めずにいた。とある場面に記憶の箱を開ける鍵があるような気がして、それを瞼の裏に思い浮かべる。おぞましい牢屋での唯一の光を、美しかった景色を。そこから繋がる記憶を手繰り寄せんと。
セルナサス公爵邸の地下室に響く、聞き馴染みのない異国語らしき詠唱。シシリーが使った魔法。彼女の手から現れたのは――
――――――――――――――――――
*~*~*~*~*~*~*~*~*
➻1「私はシシリー様の暗殺など企んでおりません! 王弟殿下も、お話しすれば……っ」
➻2「娼婦にでも何にでもなります。お父様や妹たちには、手を出さないで……」
➻3「✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕。✕✕✕✕✕✕✕、✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕!」
*~*~*~*~*~*~*~*~*
――――――――――――――――――
本のページのような、石板のような、何か。魔力で作られた何か。薔薇色の板ガラスのようでもあった。花びらを透過した光のみを集め、紡いだ光の糸で織り上げた布のようでもあった。
煌めく長方形の縁には蔦や花の模様の装飾が施され、中には異国の文字らしきものが踊っている。知らない文字のはずなのに、なぜか読めた。アリシアにも意味がわかった。
(あれは、あの魔法は、いったい何だったのかしら?)
シシリーから『どの道を進むか選びなさい』と命じられ、結局アリシアは【2】を選んだ。【3】は『血も涙もない死刑エンドへの道だから私の手で消しといたわ☆』とのことで、【1】なら『婚約者の目の前で王弟に処女を奪われて凌辱されるのよ!』と脅されれば、それしかなかった。
鉄格子の隙間からアリシアが【2】に触れると、美しく不思議な魔法は消えてしまう。シシリーは悪女めいた顔に化けていく。そして彼女は、上階からやってきたメイドたちに告げた。
『テリフィルア侯爵令嬢が罪を認めました。すべての罪を自身で背負い、娼館行きを承諾するとのこと。処分後、貴女たちは「令嬢は拷問に耐えかねて自害した」と王宮に伝えなさい。では、あとは任せるわ』
嫌味なほどに真っ白なスカートを翻し、シシリーはアリシアの前から去っていく。最後に何かを思い出したかのように振り向き、すっと一筋の涙を流して、
『アリシアさん。ごめんなさい。王太子妃の座はいただくわ。フィルのことは私が幸せにするから、安心してちょうだい』
フィル――フィリップの伴侶となることを宣言し、地下牢を出ていった。その後メイドたちにアリシアは服を脱がされ、縄で縛られ、袋に詰められ、馬車へと乗せられて今に至る。
シシリー・セルナサスの魔法。アリシア・テリフィルアの道を選ぶこと。悪女の涙。これらについて、アリシアは、もっと知っているはずだった。知っていた。しかし思い出せそうで思い出せない。シシリーのことが、わからない。
(シシリー様に勧められた、私の進む道は、娼館行き。そう、娼館なのよね)
ひとまず彼女については諦め、他のことを考える。身動きの取れないアリシアには、今や考え事と仮眠の他にすることがなかった。
人間を人間たらしめるのは暇である――という古の哲学者の言葉を慰めに、次期王妃には決して許されないような、塔から続く空白の時間を耐えている。
これでもアリシアは、由緒正しきテリフィルア侯爵家の長女。シシリーのセルナサス公爵家に次ぐ家に生まれた娘だ。
蝶よ花よと育てられてきた彼女は、娼館を知らなかった。妃教育の一環でそれなりの性知識は有しており、城下の花街に暮らす高級娼妓から閨の技術を教わったことは何度かあっても、娼婦の生き方までは知らなかった。
(私って意外と無知なのね。どうなるのかしら)
未知に慄き、自分が全裸であることに今さら気づいたかのように、ぶるりと身を震わせる。心細かった。
(殿下と、フィリップ様と、する時は――)
なんて甘い想像を脳裏によぎらせ、自らの愚かさにまた寒気をおぼえる。ひとり嘲笑する。アリシアは処女だ。
今度の六月に婚礼を挙げるまで、最後まではしない、と。フィリップは彼女に約束していた。まだ子どもだった頃に交わした誓いを真摯にも貫き、惚れ薬を盛られた時でさえ、アリシアの花を貫かない彼だった。
(大切に、大切に、されていた)
だから彼女は、キスと愛撫までしか知らない。フィリップに触れられたことは思い起こせても、結ばれる瞬間は妄想できても、娼婦らしい姿の自分は想像できない。
(あれが、フィリップ様との最後になるのかしら)
なおも馬車は激しく揺れている。舌を噛まないようにと気をつけて、アリシアは己の唇をゆっくりと舐めた。触れ合いの後は侍女に肌を拭われ、新たに紅を差したはずなのに、まだフィリップとのキスの味が残っている気がした。
(私は、フィリップ様と――)
あの事件が起きる数十分前。彼と最後にキスした密室へとアリシアの気持ちは飛んでいく。そのまま彼女は微睡みに落ち、思い出と願いの狭間で心を揺らす夢を見た。
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