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44話・譲れない

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 馬車は下町を抜け、通りが広く緑の多い落ち着いたエリアに差し掛かった。



「もうすぐ着くよ」



 しがみついたままでいるアシュリーの頭を撫でながら、グレンが言う。



「やっとだな」



 古い歴史を感じる建物の前で止まり、グレンにエスコートされて馬車を降りる。階段を上った二階をオフィスとして使っているらしい。深い緑色に塗装された木の扉に「ランディス商会」とプレートが掛かっていた。



 ノックしてグレンが入っていくと、奥の机に座っていた父が驚いて立ち上がった。



「グレン? どうした、昨日帰ったところなのに……」



 言いかけて背後のアシュリーに気づいて目を丸くする。



「ん? アシュリーとふたりかい? どうしたんだ?」



 



 ——応接室のソファ。



「アシュリーがフェアリー……。驚いたな。たしかに違和感というか、深く考えようとすると頭にもやがかかるような感じがあったんだ」



 グレンの話を聞いて、父は驚いたり考え込んだりしていた。



「しかもまさか、グレンからそんな話を聞くとはな……。てっきりこうなるとしたらエルナンかと思っていたが。……エルナンはアシュリーのことどう思っているんだ?」



 グレンはアシュリーを一度見てから父親に向き直った。

「まだ自覚はないかもしれないけれど、エルナンも恋しているだろうと思います。」



 父親は厳しい顔でグレンの顔を見てつづける。

「それでも、譲れないんだな? もし弟を傷つけたとしても?」



「はい」

 父はふぅとため息をついて背もたれに身を預ける。グレンが緊張した様子なので、アシュリーもドキドキしてしまう。



「はじめてだな。グレンがエルナンに譲れないなんて」

 そう言って、父は身を起こすとフッと笑った。



「安心したよ。グレンは欲がなさすぎるし、なんでも身を引こうとするのが気にかかってたんだ」

「……すみません」

「ああ、ちょうどいいから父としては殴り合いの喧嘩のひとつでもしてほしいくらいだ」



「ええっ!」

 アシュリーが驚いて声をあげると、グレンと父は可笑しそうに目を見合わせて笑う。



「幸せになれそうかな?」

 父が訊く。



「ええ、もう充分幸せです」



「アシュリーもかい?」

 そう言ってじっと優しい目で見てくるグレンの父にアシュリーもこくりと頷いた。

「なら、よかった。グレンを頼みます」



 その後、父と息子は結婚への段取りについて具体的に話し始めて、アシュリーは目をぱちくりしながら聞いているしかできなかった。グレンは明日でもいいという勢いだったが、なぜそんなに焦るのかと問い返され口ごもった。



「焦らずにゆっくり相談して進めたらいいじゃないか。式も盛大にやってやりたいし、仕事のことや住処のこと、考えることはたくさんあるだろう?」



「いえ、父さん。アシュリーには戸籍がありませんし、もちろん出生届を出していないので教会で式を挙げることもできません。盛大に式を挙げるとそこを突っ込まれる可能性がある」



「う、うぅむ。そうか……」



「俺はアシュリーが安心して暮らせる場所をあげたい。そこで自由に暮らしてほしい、それだけなんです。ただ、その場所をあげるのは自分でありたい。エルナンにもそれは譲りたくない。自分が一番適役だと思ってます。」



「なるほど……」



「俺は小さな式を家族で上げて、事実上アシュリーが妻としていてくれればそれでいい。子どもは欲しいと思っていますが……。住処はアシュリーの花園がある今の屋敷でいいと思っています。時には二人で過ごせる離れがあればうれしいですけどね」



 謙虚ぶりながらもちゃっかりとおねだりしているグレンに、父は苦笑いする。



「わかった。好きにするといい。離れは私がお祝いに建ててあげよう」



「ありがとうございます!」





 父が仕事の約束があるというので、グレンとアシュリーは退出した。



「疲れたと思うけど、今日中に帰る?それともこっちの屋敷に泊まるかい?」

「ううん、おうちに帰りたい……」

「わかった、そうしよう」



 この街はやはり空気がよどんでいる感じがして、アシュリーは馴染めなかった。二人はとんぼ返りでイーダのお屋敷に戻ることにした。



 馬車が走り出して、また下町に差し掛かる。ガタガタと揺れも大きくなったような気がする。ふと、先ほどあった女性を思い出して、気分が滅入ってくる。



(来るんじゃなかったわ……。ああ、でもグレンひとりで会ってたらもっと嫌だわ)



 もやもやした気持ちの持っていき方がわからずに、グレンの腕にしがみつくようにすると、不思議そうにアシュリーの顔を見てくる。



「機嫌が悪いの? 疲れた?」

「……」



 顔を見られたくない気がして、アシュリーはグレンの脇に顔をうずめるようにして隠した。



「どうした? 顔を見せて」



 グレンがアシュリーのしがみついているところから、腕を抜いて肩にまわしてくる。今度は胴にぎゅうとしがみつくと、クスッと笑う気配がして、アシュリーはまた機嫌が悪くなってしまう。



「赤ちゃん? どうした? 抱っこしていい?」



 そう言うと脇の下と膝の裏に腕を回されて、グレンの膝に乗せられる。アシュリーはグレンの首に腕を回し、肩に顔をうずめる。グレンはそのまましばらく抱きしめていたが、急にアシュリーの耳にくちびるをつけて「大好きだよ」と囁いてくる。



「ぁっ……」



 耳に触れる感触にアシュリーは思わずのけぞって顔をあげてしまう。するとすかさずくちびるにくちびるが押し当てられた。



「んっ……んっ……」



 頭をゆっくりと撫でられていて、うっとりとした気持ちになり力が抜けてしまう。「ずるい」とにらんでも「どうして?」と笑われてしまってくやしい。



 それでも、体の奥に小さな火がともってしまったアシュリーは、自分からもう一度くちびるを重ねた。
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