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1話・従姉妹のアシュリー

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「あたし、ディーンに会いに行こうと思うの」

 次の朝、アシュリーは意を決してシンシアに打ち明けた。



「ええ!? 何言ってるの。花園から出るつもり?」

 シンシアは目を丸くして言った。

「もし、向こうから見えなかったらどうするつもりなの?きっと傷つくわ……」

 頭ごなしに止めるのではなく、心配してくれる優しいシンシアを、大好きだ、とアシュリーは思った。



「人の姿で行くつもりよ。それでも顔を見たらきっと……思い出してくれる」

 この言葉にはさすがにシンシアも目を白黒させる。



「その魔法は禁忌よ……!! 危ないわ……!! 正体がばれたら戻れなくなる可能性もあるのよ。」

 人の姿になったら、どんな大人たちからも姿が見えることになる。エルナンやディーンはフェアリーに好意的だったが、そんな人間ばかりとは限らない。珍しい生き物の存在を自分の利害のために利用するものが現れたら——そんなことを想像するだけでシンシアはぶるぶると体が震えてしまう。



「こっそり、ディーンにだけ会ったらすぐに戻ってくる。大丈夫」



「ああ……どうしましょう……。アシュリー、考え直して。本当におそろしいわ……」

 涙ぐむシンシアの額にそっとくちづけると、アシュリーは羽を伸ばし屋敷に向かって全速力で飛びたった。



「あっ! アシュリー待って! ヒトの食べ物を食べてはダメよ。それにヒトに触れてもダメ。触覚はいちばんの誘惑と……ああっ聞いて……!!」



 シンシアの忠告はアシュリーの耳には最後まで届かなかった。









 ——初めての花園の外。

 花園の出入り口から続く小道を通り、いつもエルナンやディーンが駆けてきた花壇の広場に出る。そこをまっすぐに突っ切るとお屋敷の北側の出入り口が見えてきた。

 扉は閉じられているから、入れる場所を探す。その時——。



 ガタ、ガタン



 物音がして玄関から少し離れた1階の窓が開くのが見えた。

 そして、そこから顔を出したのはまさに会いたかったディーンだった!

 窓から顔を出し目を細め、いぶかしそうにこちらを見ている。



「ディーン……!! あたしよ!! あたしが見えるのね?」



 急いで飛び寄り声をかけるが、ディーンは目をゴシゴシとこすり飛び回るアシュリーを目で追ってはいるが、聞こえていないようだ。



「……なんだ? この光は?」



(見えていない……?)



 存在は感じ取れるものの、視認できていない。そんな感じがする。



(今思い出してくれたら、間に合うかもしれない……!!!)



 しかし、ディーンは首を傾げながら窓を閉めてしまう。



「待って……!!」



 アシュリーは慌てて魔法を使い、人の姿に変身すると外から窓を叩いた。



 立ち去りかけたディーンが驚いてふたたび窓を開ける。



「……君は……?」



 アシュリーが口を開こうとしたとき、ディーンの背後から人の影が近づいてきた。



「ディーン……? 誰と話してるんだ?」



 声をかけてきたのはエルナンだった。



 エルナンは窓の外に佇むアシュリーの顔を見るとあんぐりと口を開けた。

「え……? その顔……アシュリー? ……まさか」



「エルナン……!! 私……」

事情を説明しようと再度口を開きかけたときだった。



「まぁ、どなた? ……エルナンのお友達? どうやってここに?」

エルナンの後ろから歩いてきていた、優雅で華奢な婦人が不思議そうにこちらを見ていた。



「母さん……えっと彼女は……」

 どうやらエルナンの母、ランディス夫人のようだ。言葉に詰まったエルナンがアシュリーの方を見る。釣られるように全員の目がアシュリーに向けられる。



(ど、どうしよう……)

 広い屋敷の敷地内だ。通りすがりに道を聞きたくて、なんて言い訳も通用しそうにない。かといって、目の前でフェアリーに戻って逃げる訳にもいかない。



「あの、あたし、……あたしです。あの、その……従姉妹の……そ、そう、従姉妹のアシュリーです!」

 昔、一度だけエルナンに従姉妹がいるという話を聞いたことがあったのを思い出したのだ。



「え、従姉妹って……」



 ランディス夫人が口を開きかけたとき、アシュリーは後ろ手に指を振り、記憶を操作する魔法をかけた。



「……」



 夫人は一瞬うつろな目をして口をつぐんだが、すぐに満面の笑顔をアシュリーに向けた。



「まあぁ……! アシュリー、久しぶりだわ。連絡をくれたら迎えをやったのに……」



 唖然としているエルナンに目配せをするアシュリー。

「あ、うん、アシュリー久しぶり、だな……!」

 棒読みだが合わせてくれるエルナン。



「さあ、そんなところに立っていないで、中に入ってきて!」

 夫人に手招きされてアシュリーは玄関に足を向けた。



「……アシュリー……」



 ディーンはその名前を反芻しながらじっと何か考えていた。







 やってしまった……。

 玄関ロビーに面したサロンでエルナンと夫人と三人でお茶をいただくことになってしまった。その上、エルナンの父まで帰ってきてしまい、さらに記憶を操作しなくてはいけなくなった。肝心のディーンはもちろんここには参加できない。



(どうしたら……)



「ゆっくりしていってね。休暇はいつまで? しばらくの間はここにいられるの?」などと、優しく微笑みながら質問してくるランディス夫人。



「あっ、いえ、すぐに帰ります!」



「えっ?すぐだなんて……まぁ」

「気を使わずゆっくりしていきなさい。部屋を用意させよう」

 夫妻の好意に胸が苦しい。



「父さん、母さん、アシュリーと外に行ってきていい?」

 エルナンがとりあえずの助け舟を出してくれる。



「あら、ふたりともソワソワしてると思ったら……。そうね、あなたたちも久しぶりに積もる話があるわよね。子ども同士遊びに行ってらっしゃい。」



 そうやってやっと開放してもらえたのだった。



 パタン



 扉を閉じた途端、エルナンがアシュリーの顔をじっと覗き込んでくる。



「……エルナン?」



 エルナンは、にかっと太陽のように笑うと嬉しそうに言った。



「本当にアシュリーなんだな!」

「うん、びっくりさせてごめんね?」

「いや、嬉しいよ。こんなことできるなんてさ! なんで今までしてくれなかったの?」



 そしたら、もっといろんな遊びができたじゃないか、と言うエルナンにアシュリーは少しうつむきながら話した。

「ん……本当はタブーなの。フェアリーは子どものように純粋な人にしか姿を見られないけど、人に変身して誰からも見えてしまうと危ないこともあるからって」

「そっか……」



「でもさ、うちの両親は大丈夫だよ! アシュリーを害するようなこと絶対しない! それに、なんかアシュリーのこと従姉妹だと信じ込んでるし?」



 あれ、魔法なの?とキラキラした目で見てくるエルナンは、まさに純粋培養な少年の心のままだ。さっきまで心細くなっていたアシュリーは嬉しくて元気をもらえた気分だった。



どこに向かうともしれずエルナンについて歩いて行くと、地下に降りた扉の前で立ち止まった。



「着いたぜ。」

「……え?」

「ディーンに会いにきたんだろ? この時間はここで帳簿のつけ方を勉強してる」



 なにも言わなくてもアシュリーの目的はお見通しらしい。



 コンコンコンッ



 軽快なノックの後、エルナンは返事も聞かずに扉を開け入っていく。



 そこはあまり広くはない使用人の待機室で、ディーンはテーブルに書類を広げたまま、ぼんやりとしていた。



「そうか、あの夢の少女は……もしかして……」

 うわ言のようにぶつぶつとつぶやいていて、部屋に誰かが入ってきたことも気づいていないようだ。



「ディーン? ……おーい。おおーい。ディーン!」



 エルナンは何回か声をかけても気づかないディーンに焦れて、スタスタと近づき肩をポンと叩いた。



「わっ!!」



 椅子からずり落ちそうなほど驚いたディーンはアシュリーの存在にすぐ気づいてカーッと顔を赤らめている。



「ディーン、わかるか?」

エルナンはアシュリーの背中をそっと押すと訊いた。



 動揺を抑えて冷静に努めながらディーンは答えた。

「……もしかして会ったことがあるだろうか? この屋敷の庭で」



「ディーン…!! 思い出してくれたのね。」

 アシュリーは喜んで飛びつこうとしたが、次の言葉で失望の底に落とされた。



「エルナンの従姉妹だったなんてな、おぼろげな思い出だったが……」



「ああ? ディーン、本気で言ってるのか?」

 呆れたようにエルナンが言う。「アシュリーは……」と、続けようとしたところで、すっとディーンが立ち上がったため口をつぐむ。



「ここは使用人のための部屋だ。あなたたちがウロウロするような場所ではない。エルナン、何回同じことを言わせるんだ?」



「またかよ! ……なんでだよ…!! なんでそんなに変わってしまったんだよ、ディーン! オレたち親友だろ。どうして突き放すんだ……!」

 そう言うエルナンだけじゃなくなぜかディーンも傷ついた顔をしている。



「いいから、もう出ていくんだ」

 ディーンはエルナンの背中を押し、部屋から追い出そうとする。



「……待って!!」

 アシュリーが叫ぶと二人は動きを止めてこちらを見た。



(今しかない……!)

 フェアリーに戻るところを見たらきっと思い出してくれる——!



「見て! ディーン!! あたしの本当の姿!!」



「……?」



 アシュリーは人間の姿のままで何も変わらない。何度も指を振ってみるが何も起きなかった。



「え……どうして……。魔法が使えない……」



 元の姿に戻れない……なぜ?

 その時、アシュリーの脳裏に十数分前の記憶がよみがえってきた。



(……そうだ、私……。食べ物を……)



 ランディス夫人に勧められるまま、サロンでお茶と焼き菓子を口にした。

 生まれて初めて食べるお菓子はそれはもうおいしかった。甘くてサクサクと口の中にほどけて、香りが拡がって……。アシュリーは何枚も口にしてしまった。



 花園を出る時、シンシアは何って言ってた?

 そう、人の食べ物は口にしてはいけない——。

 フェアリーは本来なら、人の食べ物には触れられないから食べることもできない。でも、もし魔法で人間になっている時に口にしてしまったら……。その時その体は人のまま定着してしまうのだ。アシュリーだってそのことは知っていたのに——!!



(うそ……どうしよう)



 アシュリーのただならぬ様子に、エルナンとディーンも諍いを忘れて見つめている。



 ……はぁっはぁっ……



 息の仕方がわからなくなる。シンシア……シンシアに会いに行かなきゃ。



 アシュリーは踵を返し部屋から飛び出した。



「アシュリー……!?」
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