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薔薇の呪いとお嫁様
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「おはよう、ベルローズ。」
隣にいる妻はまだ眠たいらしい。布団の中で籠城している。
「そろそろリリーが来るよ。また怒られる前に、起きないと。」
先日、寝穢いベルローズにブチ切れた侍女のリリー。あの時の彼女は恐ろしかった。
「………。」
ぐいっと裾を引かれて、距離が縮まった。ああ、なるほどね。
「わかったよ、それで起きるのね?」
「…………!!」
布団から顔を出し、勢い良く首を縦にふる妻に苦笑しながら、そっと口づけた。柔らかで芳醇な薔薇の香りがする。それもそのはず。だって彼女の顔は、薔薇だから。
ベルローズ•ディア•レムレース。
それが彼女の名だ。妖精に呪われし薔薇の乙女にして、この国の公爵令嬢。
そして僕が、エルドリクス•ディア•レムレース。
彼女の婿にして、最高位神官だ。
*.*
昔々のお話です。あるところに、美しいお嬢様がいました。
お嬢様は愛情深く、とても優しい人です。
たくさんの人々に愛されていました。
ある日のことです。お嬢様は幼い頃から大好きな、森にある花畑へと婚約者を連れていきました。
ーそこで、お嬢様は呪われました。
リューウシーウと呼ばれる、森を守護する妖精が住んでいました。
リューウシーウは孤独でした。
リューウシーウは温もりを求めていました。
だから…心優しいお嬢様に、恋をしてしまいました。
幼い頃からずっとずっと、ずっーと影から見守ってきたお嬢様。
愛おしくてたまらないお嬢様。
まだ話したことも、顔を合わせたこともないけれど。
こんなにも尽しているのだから、こんなにも愛しているのだから、いつかは報われると。
いつか必ず、自分のもとへと……。
そうなると、リューウシーウは信じていました。
でも、リューウシーウは見てしまいました。
自分の知らない男へ、自分の知らない顔を見せるお嬢様を。
手を繋ぎ、寄り添う二人を。
二人はどう見ても相思相愛でした。
リューウシーウは許せませんでした。
リューウシーウは憎みました。
だから…愛しい愛しいお嬢様に、呪いをかけました。
その呪いは、ゆっくりと薔薇へ変貌する呪い。
いつかお嬢様は本当に薔薇となり、リューウシーウの庭を飾るのでしょう。
その時を、リューウシーウはとても楽しみにしているのです…。
*.*
「馬鹿馬鹿しい。そんな事にはならない。」
荒々しく本を閉じ、投げ捨てた。
…この本にあった事は紛れもない事実だ。
お嬢様はベルローズで、婚約者は僕。
かつて、僕はリューウシーウの呪いからベルを守りきれなかった。
元々公爵家から、ベルローズがリューウシーウに魅入られ、過剰な加護のせいで困り果てている、という相談を受けていた。
リューウシーウは森の守護者で、彼から受けるものは全て加護とされている。だが、ベルローズへのそれは、加護というより呪いに近いものであった。
例えば、彼女に微笑まれた男が目を潰されたり。
例えば、彼女を愛したものが行方不明になったり。
例えば、彼女と握手したものが、次の日手に大怪我をしたり。
例えば、彼女に見栄をはって小さな嘘をついたら舌を切られたり。
触るな、見るな、これは俺のものだと。そういう意思を感じるものばかりだった。
これに困り果てた公爵夫妻から相談を受け、神殿は僕を遣わせた。妖精や魔物の妖力は、神聖力を感知できない。
僕は神聖力が高く、妖精や魔物が持つ魔力に強かった。だから、リューウシーウに対抗すべく、ベルローズの婚約者として横に立つことになったのである。
それから僕とベルローズが惹かれ合うのは、自然なことだった。静かに、ゆっくりと…でも確かに降り積もっていく想い。
そうしてある日。公爵がついにリューウシーウを殺すことを決めた。
彼の幼い甥が、ベルローズと手を繋いで歩いた翌日…馬車で事故にあった。負傷したのは彼女と手を繋いだ右手。おそらく後遺症が残ると医者に宣告された。
その瞬間、可愛い甥と娘に仇をなしたリューウシーウへの怒りが噴火した。
彼は最精鋭の神官達を連れて、森へと向かった。勿論、僕達を連れて。
リューウシーウは神官達になす術無く、殺される寸前まで行った。そうして、最後の一太刀を僕がくだした。これで終わりだと、本気で思っていた…。
だが、ここで最悪の事態が起きた。神官達の一瞬の油断をつき、ベルローズへと近づいた。そうして彼女に呪いをかけた。
その後、リューウシーウは風のように消えた。以降、リューウシーウを見たものはいない。
誰も彼もが呪いは術者本人を殺すか、術者に解呪させなければ解けないと言った。僕も同意見だった。
公爵が血眼になってリューウシーウを探しているが、影も形も見当たらない。
だが瀕死の傷を追っているため、迂闊には動けないだろう。それに…僕の本気の神聖力を浴びたのだ。あの傷は完治しないだろう。いずれ骨まで蝕むはずだ。
だがそれはベルローズも同じだ。時間が経つにつれ、ゆっくりと薔薇へと変貌していった。
どうすれば彼女を救える?
僕ば、僕は…どうしたらいいんだ…
無情にも時だけが進んでいく。愛する婚約者がゆっくりと動けなくなっていく姿を、眺めることしかできない。
何が最高位の神官だ。何が史上最強だ。
そんなもの、今ここで役に立たなければ意味がないのに!!!!!!
内心の焦りと恐怖を必死に隠して笑う。だって一番怖い思いをしているのは彼女だから。
そんなある日、彼女はついに歩けなくなった。よく見ると首の部分がやや緑に染まっていた。そうして茨の棘が全身に広がっていた。彼女は本当に薔薇になりかけていた。
「ベルローズ…!!ベルローズ!!」
呼びかけると微かに手が動く。震えながら、僕の方へと伸ばされた手をしっかりと握った。
「嫌だ…嫌だ…ベル、頼む…薔薇になんて、ならないでくれ…」
泣きじゃくる事しかできない。でももう無理だった。堪えきれなかった。
ただ涙を流す僕を慰めるように、ぎゅっと手を握る彼女が愛おしい。この手の温もりを失いたくなかった。
その夜、僕は公爵に頼んだ。ベルローズと結婚させてほしいと。できるだけ早く。
公爵は一瞬悩んだが、了承してくれた。
そうして1週間後。大事な人たちだけで構成された、簡素な結婚式が挙げられた。
気に入りの淡い空色のドレスは、彼女にとてもよく似合っていた。
結婚式の間、ずっと手を握っていた。手の皮膚を傷つけ、血が溢れても気にならなかった。この温もりを手放す事より痛くない。
そうしてこの日、僕は心に決めた。
この憎しみを、この恨みを、この怒りを、この痛みを、絶対に返してやると。
彼女や僕、公爵や、侍女のリリー。僕らを引き裂こうとするお前を、殺してやると。
結婚式が終わった夜、ベルローズが寝静まったのを確認し、僕は一人森へと向かった。
いくつかの道を通ると、不思議な事にあの森へと繋がった。おそらくリューウシーウが呼んでいるのだ。
今日で決着がつく。
僕が勝ち、ベルローズを人間へ戻せるか。
僕が負け、薔薇となったベルローズをリューウシーウに奪われるのか。
誘われるように森の奥へ進むと、美しい薔薇園へと辿り着いた。そうして…そこにリューウシーウがいた。
「嬉しいよ、リューウシーウ。君からわざわざ殺されに来てくれるなんて。お陰で見つける手間が省けた。」
リューウシーウは答えない。ただ、僕に静かだが、燃えるような殺意を抱いているのはわかった。ゆっくりと手元のナタを構えるリューウシーウ。
「そうだな。僕達に言葉はいらないな。」
そうして、美しい薔薇園に血が舞った。
*.*
どのくらい時間がたったのか。静かな朝日が薔薇園を照らす。
そこには血濡れの勝者がいた。
彼の目の前には、美しい薔薇の残骸が山となっている。
彼はゆっくりと踵を返し、気持ちだけはテキパキと、しかし実際には足を引きずるようにして薔薇園をあとにした。
そうして森を出た瞬間、彼は倒れ伏した。もはや立っていることも限界であった。
「勝ったよ、ベル………」
地に付した彼の脳裏に映るのは、あの結婚式で笑う、エルドリクスの最愛の妻の顔であった。
*.*
「ひどいひと。本当に…ひどいひと…」
ねえ、どうしてなの。
私は別に薔薇でも良かったの。
あなたの側にいられるのなら、姿形が変わろうとも全然構わなかった。
前に聞いたわね。
「もしも、姿形が完全に薔薇になり、心も思考も全て消えてしまったら。あなたはそれでも、私を愛してくれるかしら」
そうしたら貴方は、君がこれから先何になろうとも愛していると答えてくれたわね。
ねえ、どうして?
答えてよ、エル…
*.*
エルドリクスがリューウシーウと決着をつけるべく、森へと向かった後。
隣に誰もいない事に気づいたベルローズは、すぐに侍女を呼び…置き手紙に気づいた。
そこには、リューウシーウとの決着をつけること、必ず勝つから待っていてほしいと、それだけが書かれていた。
いくら最高位の神官とはいえ、リューウシーウに単体で勝てるわけがない。相手は傷を追っているが、それでも強い。
公爵はすぐに森へと向かった。
そうして…そこで、倒れ伏すエルドリクスを見つけた。
それと同時刻。ベルローズの薔薇の呪いが解けた。
虫の息ではあるが、まだエルドリクスは生きていた。近くにいた医者と神官に頼み、治療を施す。だがすでに途方もない血が流れた後で、ほぼ手遅れだった。
だが…直後、信じられないことが起きた。
いきなり病室の窓があき、外から薔薇の花びらが流れ込んできた。薔薇は芳醇な香りを周りにばら撒きながら、エルドリクスを包み込んだ。
焦ったのは公爵だ。よもやまた、リューウシーウの呪いかと。彼を殺しに来たのかと。急いで剥がそうとするも、薔薇は固く、1枚も剥がせなかった。
しばらくすると薔薇は枯れ、エルドリクスから離れた。そうして…
「嘘だ…奇跡だ、奇跡が起きたぞ…!!」
なんとエルドリクスの傷が全て塞がれ、肌にうっすらと血の気が戻っていたのだ。
「この調子であれば、きっとすぐに目を覚まされるでしょう」
公爵は喜び勇んで、眠る彼を公爵邸へと連れ帰った。
だが…エルドリクスは目覚めなかった。体は健康なのだが、一向に意識だけが戻らない。
まるで眠っているようなのに。
「おはよう、ベルローズ。」
って言って、今にも起きてきそうなのに。
「エル…お願い。起きて…。」
何度も何度も願いをかける。
どうか、どうか…彼を返してください。
そうして、とうとう結婚式から一年経ってしまった。それでもエルドリクスは目覚めない。
「エル。今日で結婚一周年よ。1年も寝坊するなんて…酷い夫だわ。あなたは私を寝汚いと言うけれど、その言葉、そっくりそのまま返してやるんだから。」
憎まれ口を叩く口調が涙で揺れる。
「お願いだから起きてよ、馬鹿ぁ…!」
それから、初めて声を上げて泣いた。
二人で歩いた庭を覚えてる。繋いだ手の温もりも覚えてる。そうして、あの結婚式の日に初めて唇を合わせた事も、あなたの視線の熱も覚えてる。
「馬鹿馬鹿、馬鹿…!!!」
火のような涙がこぼれ落ちる。それでも止まらない。止められない。
だから一瞬、幻聴かと思ったのだ。都合の
良い幻だと。
「……馬鹿っていうほうが…馬鹿なんだよ…」
長く出していなかったからだろう。記憶にある声よりガサガサしている。でも…彼の声だ。
「おはよう、ベル。」
そうしてこの日。初めて大声で泣いた日。最も愛しい人が帰ってきたのだった。
隣にいる妻はまだ眠たいらしい。布団の中で籠城している。
「そろそろリリーが来るよ。また怒られる前に、起きないと。」
先日、寝穢いベルローズにブチ切れた侍女のリリー。あの時の彼女は恐ろしかった。
「………。」
ぐいっと裾を引かれて、距離が縮まった。ああ、なるほどね。
「わかったよ、それで起きるのね?」
「…………!!」
布団から顔を出し、勢い良く首を縦にふる妻に苦笑しながら、そっと口づけた。柔らかで芳醇な薔薇の香りがする。それもそのはず。だって彼女の顔は、薔薇だから。
ベルローズ•ディア•レムレース。
それが彼女の名だ。妖精に呪われし薔薇の乙女にして、この国の公爵令嬢。
そして僕が、エルドリクス•ディア•レムレース。
彼女の婿にして、最高位神官だ。
*.*
昔々のお話です。あるところに、美しいお嬢様がいました。
お嬢様は愛情深く、とても優しい人です。
たくさんの人々に愛されていました。
ある日のことです。お嬢様は幼い頃から大好きな、森にある花畑へと婚約者を連れていきました。
ーそこで、お嬢様は呪われました。
リューウシーウと呼ばれる、森を守護する妖精が住んでいました。
リューウシーウは孤独でした。
リューウシーウは温もりを求めていました。
だから…心優しいお嬢様に、恋をしてしまいました。
幼い頃からずっとずっと、ずっーと影から見守ってきたお嬢様。
愛おしくてたまらないお嬢様。
まだ話したことも、顔を合わせたこともないけれど。
こんなにも尽しているのだから、こんなにも愛しているのだから、いつかは報われると。
いつか必ず、自分のもとへと……。
そうなると、リューウシーウは信じていました。
でも、リューウシーウは見てしまいました。
自分の知らない男へ、自分の知らない顔を見せるお嬢様を。
手を繋ぎ、寄り添う二人を。
二人はどう見ても相思相愛でした。
リューウシーウは許せませんでした。
リューウシーウは憎みました。
だから…愛しい愛しいお嬢様に、呪いをかけました。
その呪いは、ゆっくりと薔薇へ変貌する呪い。
いつかお嬢様は本当に薔薇となり、リューウシーウの庭を飾るのでしょう。
その時を、リューウシーウはとても楽しみにしているのです…。
*.*
「馬鹿馬鹿しい。そんな事にはならない。」
荒々しく本を閉じ、投げ捨てた。
…この本にあった事は紛れもない事実だ。
お嬢様はベルローズで、婚約者は僕。
かつて、僕はリューウシーウの呪いからベルを守りきれなかった。
元々公爵家から、ベルローズがリューウシーウに魅入られ、過剰な加護のせいで困り果てている、という相談を受けていた。
リューウシーウは森の守護者で、彼から受けるものは全て加護とされている。だが、ベルローズへのそれは、加護というより呪いに近いものであった。
例えば、彼女に微笑まれた男が目を潰されたり。
例えば、彼女を愛したものが行方不明になったり。
例えば、彼女と握手したものが、次の日手に大怪我をしたり。
例えば、彼女に見栄をはって小さな嘘をついたら舌を切られたり。
触るな、見るな、これは俺のものだと。そういう意思を感じるものばかりだった。
これに困り果てた公爵夫妻から相談を受け、神殿は僕を遣わせた。妖精や魔物の妖力は、神聖力を感知できない。
僕は神聖力が高く、妖精や魔物が持つ魔力に強かった。だから、リューウシーウに対抗すべく、ベルローズの婚約者として横に立つことになったのである。
それから僕とベルローズが惹かれ合うのは、自然なことだった。静かに、ゆっくりと…でも確かに降り積もっていく想い。
そうしてある日。公爵がついにリューウシーウを殺すことを決めた。
彼の幼い甥が、ベルローズと手を繋いで歩いた翌日…馬車で事故にあった。負傷したのは彼女と手を繋いだ右手。おそらく後遺症が残ると医者に宣告された。
その瞬間、可愛い甥と娘に仇をなしたリューウシーウへの怒りが噴火した。
彼は最精鋭の神官達を連れて、森へと向かった。勿論、僕達を連れて。
リューウシーウは神官達になす術無く、殺される寸前まで行った。そうして、最後の一太刀を僕がくだした。これで終わりだと、本気で思っていた…。
だが、ここで最悪の事態が起きた。神官達の一瞬の油断をつき、ベルローズへと近づいた。そうして彼女に呪いをかけた。
その後、リューウシーウは風のように消えた。以降、リューウシーウを見たものはいない。
誰も彼もが呪いは術者本人を殺すか、術者に解呪させなければ解けないと言った。僕も同意見だった。
公爵が血眼になってリューウシーウを探しているが、影も形も見当たらない。
だが瀕死の傷を追っているため、迂闊には動けないだろう。それに…僕の本気の神聖力を浴びたのだ。あの傷は完治しないだろう。いずれ骨まで蝕むはずだ。
だがそれはベルローズも同じだ。時間が経つにつれ、ゆっくりと薔薇へと変貌していった。
どうすれば彼女を救える?
僕ば、僕は…どうしたらいいんだ…
無情にも時だけが進んでいく。愛する婚約者がゆっくりと動けなくなっていく姿を、眺めることしかできない。
何が最高位の神官だ。何が史上最強だ。
そんなもの、今ここで役に立たなければ意味がないのに!!!!!!
内心の焦りと恐怖を必死に隠して笑う。だって一番怖い思いをしているのは彼女だから。
そんなある日、彼女はついに歩けなくなった。よく見ると首の部分がやや緑に染まっていた。そうして茨の棘が全身に広がっていた。彼女は本当に薔薇になりかけていた。
「ベルローズ…!!ベルローズ!!」
呼びかけると微かに手が動く。震えながら、僕の方へと伸ばされた手をしっかりと握った。
「嫌だ…嫌だ…ベル、頼む…薔薇になんて、ならないでくれ…」
泣きじゃくる事しかできない。でももう無理だった。堪えきれなかった。
ただ涙を流す僕を慰めるように、ぎゅっと手を握る彼女が愛おしい。この手の温もりを失いたくなかった。
その夜、僕は公爵に頼んだ。ベルローズと結婚させてほしいと。できるだけ早く。
公爵は一瞬悩んだが、了承してくれた。
そうして1週間後。大事な人たちだけで構成された、簡素な結婚式が挙げられた。
気に入りの淡い空色のドレスは、彼女にとてもよく似合っていた。
結婚式の間、ずっと手を握っていた。手の皮膚を傷つけ、血が溢れても気にならなかった。この温もりを手放す事より痛くない。
そうしてこの日、僕は心に決めた。
この憎しみを、この恨みを、この怒りを、この痛みを、絶対に返してやると。
彼女や僕、公爵や、侍女のリリー。僕らを引き裂こうとするお前を、殺してやると。
結婚式が終わった夜、ベルローズが寝静まったのを確認し、僕は一人森へと向かった。
いくつかの道を通ると、不思議な事にあの森へと繋がった。おそらくリューウシーウが呼んでいるのだ。
今日で決着がつく。
僕が勝ち、ベルローズを人間へ戻せるか。
僕が負け、薔薇となったベルローズをリューウシーウに奪われるのか。
誘われるように森の奥へ進むと、美しい薔薇園へと辿り着いた。そうして…そこにリューウシーウがいた。
「嬉しいよ、リューウシーウ。君からわざわざ殺されに来てくれるなんて。お陰で見つける手間が省けた。」
リューウシーウは答えない。ただ、僕に静かだが、燃えるような殺意を抱いているのはわかった。ゆっくりと手元のナタを構えるリューウシーウ。
「そうだな。僕達に言葉はいらないな。」
そうして、美しい薔薇園に血が舞った。
*.*
どのくらい時間がたったのか。静かな朝日が薔薇園を照らす。
そこには血濡れの勝者がいた。
彼の目の前には、美しい薔薇の残骸が山となっている。
彼はゆっくりと踵を返し、気持ちだけはテキパキと、しかし実際には足を引きずるようにして薔薇園をあとにした。
そうして森を出た瞬間、彼は倒れ伏した。もはや立っていることも限界であった。
「勝ったよ、ベル………」
地に付した彼の脳裏に映るのは、あの結婚式で笑う、エルドリクスの最愛の妻の顔であった。
*.*
「ひどいひと。本当に…ひどいひと…」
ねえ、どうしてなの。
私は別に薔薇でも良かったの。
あなたの側にいられるのなら、姿形が変わろうとも全然構わなかった。
前に聞いたわね。
「もしも、姿形が完全に薔薇になり、心も思考も全て消えてしまったら。あなたはそれでも、私を愛してくれるかしら」
そうしたら貴方は、君がこれから先何になろうとも愛していると答えてくれたわね。
ねえ、どうして?
答えてよ、エル…
*.*
エルドリクスがリューウシーウと決着をつけるべく、森へと向かった後。
隣に誰もいない事に気づいたベルローズは、すぐに侍女を呼び…置き手紙に気づいた。
そこには、リューウシーウとの決着をつけること、必ず勝つから待っていてほしいと、それだけが書かれていた。
いくら最高位の神官とはいえ、リューウシーウに単体で勝てるわけがない。相手は傷を追っているが、それでも強い。
公爵はすぐに森へと向かった。
そうして…そこで、倒れ伏すエルドリクスを見つけた。
それと同時刻。ベルローズの薔薇の呪いが解けた。
虫の息ではあるが、まだエルドリクスは生きていた。近くにいた医者と神官に頼み、治療を施す。だがすでに途方もない血が流れた後で、ほぼ手遅れだった。
だが…直後、信じられないことが起きた。
いきなり病室の窓があき、外から薔薇の花びらが流れ込んできた。薔薇は芳醇な香りを周りにばら撒きながら、エルドリクスを包み込んだ。
焦ったのは公爵だ。よもやまた、リューウシーウの呪いかと。彼を殺しに来たのかと。急いで剥がそうとするも、薔薇は固く、1枚も剥がせなかった。
しばらくすると薔薇は枯れ、エルドリクスから離れた。そうして…
「嘘だ…奇跡だ、奇跡が起きたぞ…!!」
なんとエルドリクスの傷が全て塞がれ、肌にうっすらと血の気が戻っていたのだ。
「この調子であれば、きっとすぐに目を覚まされるでしょう」
公爵は喜び勇んで、眠る彼を公爵邸へと連れ帰った。
だが…エルドリクスは目覚めなかった。体は健康なのだが、一向に意識だけが戻らない。
まるで眠っているようなのに。
「おはよう、ベルローズ。」
って言って、今にも起きてきそうなのに。
「エル…お願い。起きて…。」
何度も何度も願いをかける。
どうか、どうか…彼を返してください。
そうして、とうとう結婚式から一年経ってしまった。それでもエルドリクスは目覚めない。
「エル。今日で結婚一周年よ。1年も寝坊するなんて…酷い夫だわ。あなたは私を寝汚いと言うけれど、その言葉、そっくりそのまま返してやるんだから。」
憎まれ口を叩く口調が涙で揺れる。
「お願いだから起きてよ、馬鹿ぁ…!」
それから、初めて声を上げて泣いた。
二人で歩いた庭を覚えてる。繋いだ手の温もりも覚えてる。そうして、あの結婚式の日に初めて唇を合わせた事も、あなたの視線の熱も覚えてる。
「馬鹿馬鹿、馬鹿…!!!」
火のような涙がこぼれ落ちる。それでも止まらない。止められない。
だから一瞬、幻聴かと思ったのだ。都合の
良い幻だと。
「……馬鹿っていうほうが…馬鹿なんだよ…」
長く出していなかったからだろう。記憶にある声よりガサガサしている。でも…彼の声だ。
「おはよう、ベル。」
そうしてこの日。初めて大声で泣いた日。最も愛しい人が帰ってきたのだった。
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