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第七章 放火事件
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蒸し暑い季節が終わりを告げて鈴虫がコーラスを始める秋が訪れる。仕立て屋アイリスは今日も盛況で忙しい。
「失礼する」
「よう、元気でやってるか?」
「いらっしゃいませ。あ、ジャスティンさん。それにマルセンさんも」
「二人が一緒なんて珍しいな。今日はどのような御用で」
お店の扉が開かれジャスティンとマルセンが来店する。アイリスが二人のそばに駆け寄っていくとイクトもカウンター越しに声をかけた。
「二人は放火事件のことを知っているか」
「放火事件ですか?」
ジャスティンの言葉に彼女が不思議そうに首を傾げる。
「アイリスは知らなかったみたいだな。最近この国で放火魔が現れたらしい。あっちこっちで被害が拡大している」
「俺も聞いているが、まさかあっちこっちで起きているとは……物騒な事件だな」
その様子を見てマルセンが言うとイクトも深刻な表情で呟く。
「そこで王国騎士団と冒険者とで各家に注意を呼びかけながら見回りしているんだ」
「二人とも戸締りはしっかりして家の外にごみとか燃えやすいものは置かないよう気をつけとけよ」
「はい。でも犯人が早く捕まると良いですね」
二人の言葉にアイリスは理解したと返事をすると不安そうな顔でそう呟く。
「そうなるように私達が頑張るしかあるまい」
「それじゃあ俺達はこれから他の家にも回らないといけないから、またゆっくりできる時に邪魔するな」
「ああ。二人ともお仕事頑張って」
「それじゃあな」
注意を促すと二人は店を出ていく。その背に向けてイクトが声をかけるとマルセンが笑顔で答え扉を閉めた。
「放火なんて怖いですね」
「そうだね。アイリスが二階のお部屋を借りているお店は郊外にあるから人眼が付きにくい。犯行にはもってこいの場所だと思うから気を付けるように言っておいた方が良いだろう」
不安そうな顔で話すアイリスにイクトが相槌を打ち注意するようにと言う。
「そうですね。オーナーさん達に私から話しておきます」
「うん。今日は早めに店じまいしよう。アイリスも早く家に帰った方が良い」
「はい」
彼女の言葉に頷くとそう言って店を閉店させる準備に取り掛かる。アイリスも頷くと掃除道具を取りに奥の部屋へと向かった。
「それでは、私はお先に失礼します」
「お疲れ様。気をつけて帰るんだよ」
着替えを終えて帰ることを伝える彼女へとイクトがそう声をかけ見送る。
「放火事件なんて起こっていたなんて知らなかったわ。早く帰ってオーナーに伝えなきゃ」
アイリスは独り言を呟くと急ぎ足で家へと向かい帰っていく。
彼女が住んでいるのは雑貨屋の夫婦の二階の部屋。二階は息子さんの部屋だったらしいが今は誰も使っておらず貸し部屋として提供していた。
そこにコーディル王国へとやってきたばかりのアイリスは「貸し部屋あります」の看板を見て住まわせてもらえるよう頼んだのだ。そして仕立て屋のライセンスを取りお店で働いている今もそこに住まわせてもらっているのである。
「ただいま」
「あら、アイリスちゃんお帰りなさい」
「今日はいつもより早いな」
二階に上がる階段を通り抜けその横にある扉を開くと雑貨屋のお店へと入る。すると柔和な笑みを浮かべたふくよかな女性が出迎えてくれて、その奥で白髪交じりの男性が微笑み声をかけてきた。
「はい。今日は早めにお店を閉めたんです。それより最近この国で放火事件が起こっているって知ってましたか」
「ええ。さっき王国騎士団の方と冒険者の方が見えてね、その話をしていったわ」
「物騒な事件だな。うちも気を付けておかねばならない」
アイリスの言葉に二人は顔を見合わせると女性が小さく頷き話す。男性も不安な気持ちを表情に浮かべてそう言った。
「そうですよね。私も燃えやすいものは室内に入れておきます」
彼女も同意すると少し話をしてから店を出て階段を上り二階の部屋へと入る前に玄関前に置いてある植木や飾りなど燃えやすいものを部屋の中へと仕舞う。
「これで大丈夫よね」
一通り玄関前を見回し燃えやすいものは仕舞えたと安堵すると部屋に入りくつろぐ。
「今日はマルセンさんとジャスティンさんが店にいらして放火魔が出没しているらしいので気を付けるようにと教えてくれた。放火なんて物騒だな。早く犯人が捕まると良いのに……っと。今日の日記はこれでいいかな。さて明日もお仕事があるし、もう休もう。おやすみなさい」
習慣でつけている日記を書くと明かりを消してベッドへと横になる。それから数分後規則正しい寝息を立ててアイリスは夢の世界へといざなわれた。
「……ス……リス……起きて、アイリス!」
「!?」
誰かに肩を揺さぶられ彼女は驚いて起き上がる。
「おばさん。どうしたんですか?」
「うちが火事になったのよ。今すぐ逃げないと」
「えっ。火事……」
寝ぼけ眼で尋ねるアイリスへと女性が切羽詰まった声で話して彼女の腕を引っぱった。その言葉で一気に目を覚ました彼女は慌てて自分の商売道具である裁縫セットだけを手にはだしのまま家の外へと飛び出す。
「!?」
外に出ると一階のお店はすでに燃えていて黒い煙でおおわれていた。騎士団と冒険者それに近隣の住民達が駆け付けて必死に消火活動を行っている。
「おお、アイリス無事だったか」
「オーナー。これは一体……」
アイリスの姿を見た男性が駆け寄って来ると安堵した様子で呟く。そんな彼へと彼女は尋ねる。
「例の放火魔だ。どうやって火をつけたのかは分からないが気が付いたらもう店の半分が焼けていた」
「そんな……」
男性が悔しそうなそして悲しそうな声でそう答えるとアイリスは顔色を青くして言葉を失った。
「アイリス、怪我はないか」
「アイリス。無事か」
「アイリス。大丈夫か」
アイリスの耳にイクトの声が聞こえてくるとマルセンとジャスティンも険しい顔で駆け寄って来る。
「アイリス。怪我なんかしてないわよね?」
「アイリスさん。大丈夫ですカ」
マーガレットが血相を変えて声をかけてくるとミュゥが心配そうな顔で尋ねた。
「アイリスさん。家が燃えたって本当なの」
「アイリスさん。ご無事ですか」
シュテナとジョンも険しい顔で彼女が無事かどうか確認してくる。
「イクトさん……マルセンさんにジャスティンさんそれにマーガレット様にミュゥさん。シュテナ様にジョン様も」
皆の姿にアイリスは驚いて目を瞬く。
「郊外の方で火事があったってマルセンが教えてくれて。それでもしかしてと思って来てみたんだが……予感が的中してしまったようだね」
「イクトさん……うっ。うっ。私、私が借りている家が……」
「うん。怖かったね。もう大丈夫だよ」
優しい口調で言われた言葉に彼女は感情を抑えきれず不安と恐怖に泣きじゃくりイクトの胸へと顔を埋めた。
そんなアイリスを優しく抱き留めその背を撫でながら落ち着かせようと言葉をかける。
「わお。大胆ネ」
「ま、まあ。今回だけは許して差し上げてよ」
その様子にミュゥがにやにや笑い言うとマーガレットが不機嫌そうに腕組みして呟く。
「消火活動は俺達に任せてくれ」
「私達でなんとか火を消し止めて見せる。全力を尽くす……だから。ここで待っていてくれ」
マルセンの言葉に同意する様に力強く頷きジャスティンも話す。
「シュテナ。……僕達も犯人を捜すのを手伝います」
「そうね。まだこの辺りにいるかもしれないもの」
「お二人だけでは危険です。騎士団の誰かを同行させましょう」
ジョンがシュテナへと視線を送るとそう言った。それに彼女も頷き同意する。そんな二人にジャスティンが険しい顔で忠言すると第一部隊の兵士五人を護衛に就かせた。
「……」
「今は火が消し止められるのを待つしかないよ」
「はい……」
少し落ち着きを取り戻したアイリスがイクトから離れると、未だに燃え続ける家屋を見て顔を曇らせ俯く。
そんな彼女へと彼が優しい口調でそう言って聞かせた。アイリスもそれに呟くように答え祈る様に燃え続ける家屋を見詰める。
その頃犯人探しにおもむいていたジョンが険しい表情でジャスティンの姿を探していた。
「ジャスティン。放火魔を捕まえた……けど」
「王子様。その放火魔は何か問題が?」
消火活動を続けるジャスティンの下にジョンがそっと近寄ると声をかける。深刻そうな顔を見た彼が尋ねた。
「うん。やはり「人ならざる者」だったよ」
「!?」
彼の口から出た秘密の単語にジャスティンが驚く。
「ジャスティン。放火魔が捕まったって本当か?」
「ああ。放火魔が捕まったのだから事件は収束するだろう。世間的にはな」
「それはどういう意味だ」
駆け寄ってきたマルセンに彼が小さく頷き答える。しかしその言葉に意味が解らず怪訝そうな顔をした。
「放火魔は「例の人物」だ」
「っ……てことは今回の放火事件は」
ジャスティンが秘密の呼称を言うと彼の顔色は険しくなる。
「こちらで身柄は拘束してある。「彼等」が危険な存在なのかどうかはゆっくり調べればいい」
「この件は国家機密級ですので内密にお願いします」
「ああ。分かってるって。アイリス達には言わないよ」
彼が言うとジョンもマルセンにお願いする。王子からの頼みに分かっているとばかりに頷くと答えた。
放火事件はどうやらただの火事騒ぎだけでは終わりそうにないが、そのことをアイリス達が知ることはない。
それから数分後に火は消し止められたが家は全焼し、とても住めるような状況ではなくなってしまう。
「全力を尽くしたのだが……すまない」
「その……なんて言うか。ごめん」
「いいえ、消火活動して下さりありがとう御座います」
肩を落とし申し訳なさそうに謝る二人にアイリスは慌てて首を振るとそう言って頭を下げる。
「そうだよ。これはわしらがどうあがいたところで何ともならんかったんじゃ……」
「そうですよ。騎士様も冒険者様も頭をお上げになってください。お二人が悪いんじゃないのですから」
夫婦も尽力してくれたジャスティンとマルセンへと声をかけ励ます。
「だけどこれからどうするんですカ」
「家が全焼してしまって商品も何もかも燃えてしまったからな。これじゃあ商売はもうできん。ワシ等はこれを機に息子のいる町へと引っ越すことにするよ」
「そうだねぇ。わたし達ももう年だからね。息子の家にやっかいになるのも悪くないかもしれないけれど……それだとアイリスちゃんはどうするんだい」
ミュゥの問いかけに男性が答えると妻がそれだと自分達は良いがアイリスはどうなるんだと心配そうに尋ねた。
「そ、それは……」
「私の事は気にしないで、息子さんのところへ行って下さい。家が見つかるまでの間宿屋に泊まって生活しますから」
「それなラ私の隣の部屋に泊まると良いでス。アイリスさんなら歓迎です」
男性が困ったといった感じで頭を捻らせる様子に彼女は笑顔で答える。すると賛成だと言いたげにミュゥが声をあげた。
「そんな……それならわたくしが家を貸してあげてよ。家と言っても別荘ですから、しばらく使いませんし。家が見つかるまでの間そこで住んでもらっても構わなくてよ」
「それなら僕達が土地も家も家具も何もかも用意します。そこに住むのはどうですか」
「そうですよ。アイリスさんにはお世話になってますし、それくらいなら」
マーガレットが慌てて口を開くとジョンとシュテナも笑顔でさらりと凄い発言をする。
「ジョン様もシュテナ様もお待ちください。そのような事簡単に言うものではありません」
「そうだな。いくらなんでもそれは……てか貴族の考える世界が違いすぎて分からん」
二人の言葉に慌ててジャスティンが忠告すると、マルセンも苦笑いして呟く。
「……アイリスはうちのお店のお針子だ。だからお店の二階の部屋に住んでもらうのが一番いいんじゃないかな」
「イクトさん。でもあの二階のお部屋は先代の……」
「先代も君が住んでくれたら喜ぶと思う。それに誰も住んでいないまま放置されることの方が先代は悲しむと思うから」
イクトの提案にアイリスは慌てて口を開く。だか彼は安心させるように優しく微笑むとそう説明した。
「それが一番いいんじゃないのか」
「そうですわね。あのお店の店長なんですから。お店に住むのも悪くないんじゃなくって」
ジャスティンが真っ先に賛同の声をあげると、マーガレットも納得した様子で話す。
「でもアイリスさん隣じゃなくて残念でス」
「あははっ……まあ家が見つかってよかったじゃないか。なっ?」
ミュゥが残念そうに言った言葉にマルセンが苦笑するとそう同意を求める。
「そうですね。お店の店長さんなんですからそれが一番いいのかもしれませんね」
「そうね。わたしもイクトさんの考えに賛成です」
ジョンもそれが良いと頷くとシュテナも微笑み賛成した。
こうして彼女は仕立て屋アイリスの二階。先代が住んでいた部屋で生活することとなる。
「イクトさん。本当に私がこの二階を使ってもいいんでしょうか」
「……そうだね。そろそろアイリスにはちゃんと話しておいた方が良いかな」
「?」
アイリスの言葉にイクトが考え深げな顔で呟く。その言葉に彼女は不思議そうに首をひねった。
「前に写真を見たって言っていただろう。この写真に写っている少年は俺だよ。たしかここに引き取られてばかりの頃だったから17歳だったかな」
「ここに引き取られたって……どういうことですか?」
写真立てを手に取り語りだした彼の言葉に彼女は驚いて尋ねる。
「俺は孤児だったんだ。父の顔も母の顔も知らずずっと孤児院で育った。そんな俺を先代が引き取ってくれてここの養子になったんだ。そして本当の家族のように優しく接してくれた。今の俺があるのは先代が優しく教え導いてくれたからなんだ」
「イクトさんが……そう、だったんですね。私も母の顔は知らないんです。生まれた時に病気で亡くなったって聞いて。そこから父が男手一つで育ててくれたんですが、私が10歳の時に事故で亡くなって。そこからは母の妹さんの家で育てられました」
悲しげな眼差しで過去の事を語るイクトの言葉にアイリスも自分の身の上話を口に出す。
「そうか。アルバートさんが……君も苦労してきたんだね」
「!?どうして父の名前を知ってるんですか」
イクトがさらに悲しそうな顔で言った言葉にアイリスは驚いて彼の顔を見詰めた。
「いいかいアイリス落ち着いてよく聞いてくれ。……アルバートさんは先代の息子さんなんだ。だが彼は夢を追いかけこの国を出ていってしまった。そして異国の地で君のお母さんと出会い結婚した。そしてその時先代は一緒に住まないかと誘われたそうだが、お店にくるお客様を見捨ててまでこの国を出てはいけないと。この地にとどまることを決めたんだ。だけど本当は行きたかったんだと思う。俺に気を使ってくれていたのだと今ならそう思うよ」
「イクトさん……それじゃあ先代が私のおばあちゃんなんですか。それならおじいさんは?」
イクトの話に納得すると写真に写っていた若い男性の姿を思い出し尋ねる。
「先代の旦那さんは結婚してすぐにはやり病にかかりなくなったそうだ。その時先代のお腹にはアルバートさんがいて。あの人は一人で子供を育てる覚悟をしたそうだ。もともとこの仕立て屋アイリスの店を始めたのも旦那さんだったらしい。夫の残した店を守りたいと先代が後を継いだんだよ」
「そう、だったんですね」
彼から聞かされた言葉におじいさんは早くに亡くなっていたことを知り悲しみに顔を俯かせた。
「先代が亡くなり俺が後を継いでから俺は君と出会った。一目でアルバートさんの娘さんだと分かったよ。君は彼の面影があるから……だから先代の忘れ形見であるアルバートさんの娘さんである君を立派なお針子に育て上げることが俺の務めだと思ったんだ」
「イクトさん……」
優しい瞳で見つめながら話すイクトの言葉にアイリスも彼へと視線を戻す。
「アイリス。君はこのお店に来てからたった半年で驚くほど成長をとげた。もう俺が君に教えてあげられる事がないくらいにね。先代から頂いたものすべてを君に返す時が来たと思っている。このお店はお孫さんであるアイリスが受け継ぐべきだ。だから俺はこのお店を君に還そうと思っている」
「イクトさん……まさかここを出ていくつもりなんですか?」
穏やかな口調で語られた言葉に彼女は以前覚えた不安が蘇り暗い表情で問いかける。
「……初めのうちはそう思っていたよ。君を立派なお針子に育て上げ、先代から受け継いだ技も心もお店も何もかもすべてを君に還したらここを出ていこうと。だけど君の不安そうな瞳を見て心が揺らいだ。こんなに頼りない君を一人だけ残してこのお店を出ていっていいのか考えて、君を悲しませてまで俺は出てはいけないよ。例え血の繋がりがなくても俺にとってアイリスは大事な家族だからね」
「イクトさん……」
考え込むように数拍黙ると苦笑してイクトは答えた。その言葉にアイリスは胸が一杯になって涙がこぼれそうになる。
「だから、これからも君の側で一緒に仕立て屋アイリスの店員として働いていこうと思っているよ」
「よかった……」
笑顔でそう宣言してくれたことに彼女は安心して心からの言葉が零れた。
「アイリス。君にとっては突然の出来事で戸惑っただろう。だから今すぐ理解しろとは言わない。今まで通り先輩と後輩の関係で構わない。だけど今日だけわがままを聞いてもらえないかな」
「何ですか?」
真面目な顔で聞いてきたイクトの言葉の意味が解らずきょとんとした顔をする。
「俺の事を「おじさん」って呼んでもらえないかな」
「……おじさん。おじさんはずっと私の事を見守ってくれていて、いつも助けてくれていました。それなのに私おじさんの気持ちに全然気づいてなくて……ごめんなさい。でもおじさんがいてくれて私一人じゃないって。もう一人じゃないんだって……だから嬉しいんです」
「うん。アイリス……ありがとう」
そうお願いされたとたん今まで押し殺していた感情が溢れ出し涙を流しながら話すと笑顔を浮かべた。そんなアイリスへと彼は心からの感謝の言葉を述べ彼女の頭を優しく撫でた。
こうしてアイリスは先代がおばあさんでありイクトが叔父であるという真実を知らされお互いが大切な家族であることを理解する。
そうしてこの日はその温かな気持ちを胸にベッドへと横になり眠りについた。
「失礼する」
「よう、元気でやってるか?」
「いらっしゃいませ。あ、ジャスティンさん。それにマルセンさんも」
「二人が一緒なんて珍しいな。今日はどのような御用で」
お店の扉が開かれジャスティンとマルセンが来店する。アイリスが二人のそばに駆け寄っていくとイクトもカウンター越しに声をかけた。
「二人は放火事件のことを知っているか」
「放火事件ですか?」
ジャスティンの言葉に彼女が不思議そうに首を傾げる。
「アイリスは知らなかったみたいだな。最近この国で放火魔が現れたらしい。あっちこっちで被害が拡大している」
「俺も聞いているが、まさかあっちこっちで起きているとは……物騒な事件だな」
その様子を見てマルセンが言うとイクトも深刻な表情で呟く。
「そこで王国騎士団と冒険者とで各家に注意を呼びかけながら見回りしているんだ」
「二人とも戸締りはしっかりして家の外にごみとか燃えやすいものは置かないよう気をつけとけよ」
「はい。でも犯人が早く捕まると良いですね」
二人の言葉にアイリスは理解したと返事をすると不安そうな顔でそう呟く。
「そうなるように私達が頑張るしかあるまい」
「それじゃあ俺達はこれから他の家にも回らないといけないから、またゆっくりできる時に邪魔するな」
「ああ。二人ともお仕事頑張って」
「それじゃあな」
注意を促すと二人は店を出ていく。その背に向けてイクトが声をかけるとマルセンが笑顔で答え扉を閉めた。
「放火なんて怖いですね」
「そうだね。アイリスが二階のお部屋を借りているお店は郊外にあるから人眼が付きにくい。犯行にはもってこいの場所だと思うから気を付けるように言っておいた方が良いだろう」
不安そうな顔で話すアイリスにイクトが相槌を打ち注意するようにと言う。
「そうですね。オーナーさん達に私から話しておきます」
「うん。今日は早めに店じまいしよう。アイリスも早く家に帰った方が良い」
「はい」
彼女の言葉に頷くとそう言って店を閉店させる準備に取り掛かる。アイリスも頷くと掃除道具を取りに奥の部屋へと向かった。
「それでは、私はお先に失礼します」
「お疲れ様。気をつけて帰るんだよ」
着替えを終えて帰ることを伝える彼女へとイクトがそう声をかけ見送る。
「放火事件なんて起こっていたなんて知らなかったわ。早く帰ってオーナーに伝えなきゃ」
アイリスは独り言を呟くと急ぎ足で家へと向かい帰っていく。
彼女が住んでいるのは雑貨屋の夫婦の二階の部屋。二階は息子さんの部屋だったらしいが今は誰も使っておらず貸し部屋として提供していた。
そこにコーディル王国へとやってきたばかりのアイリスは「貸し部屋あります」の看板を見て住まわせてもらえるよう頼んだのだ。そして仕立て屋のライセンスを取りお店で働いている今もそこに住まわせてもらっているのである。
「ただいま」
「あら、アイリスちゃんお帰りなさい」
「今日はいつもより早いな」
二階に上がる階段を通り抜けその横にある扉を開くと雑貨屋のお店へと入る。すると柔和な笑みを浮かべたふくよかな女性が出迎えてくれて、その奥で白髪交じりの男性が微笑み声をかけてきた。
「はい。今日は早めにお店を閉めたんです。それより最近この国で放火事件が起こっているって知ってましたか」
「ええ。さっき王国騎士団の方と冒険者の方が見えてね、その話をしていったわ」
「物騒な事件だな。うちも気を付けておかねばならない」
アイリスの言葉に二人は顔を見合わせると女性が小さく頷き話す。男性も不安な気持ちを表情に浮かべてそう言った。
「そうですよね。私も燃えやすいものは室内に入れておきます」
彼女も同意すると少し話をしてから店を出て階段を上り二階の部屋へと入る前に玄関前に置いてある植木や飾りなど燃えやすいものを部屋の中へと仕舞う。
「これで大丈夫よね」
一通り玄関前を見回し燃えやすいものは仕舞えたと安堵すると部屋に入りくつろぐ。
「今日はマルセンさんとジャスティンさんが店にいらして放火魔が出没しているらしいので気を付けるようにと教えてくれた。放火なんて物騒だな。早く犯人が捕まると良いのに……っと。今日の日記はこれでいいかな。さて明日もお仕事があるし、もう休もう。おやすみなさい」
習慣でつけている日記を書くと明かりを消してベッドへと横になる。それから数分後規則正しい寝息を立ててアイリスは夢の世界へといざなわれた。
「……ス……リス……起きて、アイリス!」
「!?」
誰かに肩を揺さぶられ彼女は驚いて起き上がる。
「おばさん。どうしたんですか?」
「うちが火事になったのよ。今すぐ逃げないと」
「えっ。火事……」
寝ぼけ眼で尋ねるアイリスへと女性が切羽詰まった声で話して彼女の腕を引っぱった。その言葉で一気に目を覚ました彼女は慌てて自分の商売道具である裁縫セットだけを手にはだしのまま家の外へと飛び出す。
「!?」
外に出ると一階のお店はすでに燃えていて黒い煙でおおわれていた。騎士団と冒険者それに近隣の住民達が駆け付けて必死に消火活動を行っている。
「おお、アイリス無事だったか」
「オーナー。これは一体……」
アイリスの姿を見た男性が駆け寄って来ると安堵した様子で呟く。そんな彼へと彼女は尋ねる。
「例の放火魔だ。どうやって火をつけたのかは分からないが気が付いたらもう店の半分が焼けていた」
「そんな……」
男性が悔しそうなそして悲しそうな声でそう答えるとアイリスは顔色を青くして言葉を失った。
「アイリス、怪我はないか」
「アイリス。無事か」
「アイリス。大丈夫か」
アイリスの耳にイクトの声が聞こえてくるとマルセンとジャスティンも険しい顔で駆け寄って来る。
「アイリス。怪我なんかしてないわよね?」
「アイリスさん。大丈夫ですカ」
マーガレットが血相を変えて声をかけてくるとミュゥが心配そうな顔で尋ねた。
「アイリスさん。家が燃えたって本当なの」
「アイリスさん。ご無事ですか」
シュテナとジョンも険しい顔で彼女が無事かどうか確認してくる。
「イクトさん……マルセンさんにジャスティンさんそれにマーガレット様にミュゥさん。シュテナ様にジョン様も」
皆の姿にアイリスは驚いて目を瞬く。
「郊外の方で火事があったってマルセンが教えてくれて。それでもしかしてと思って来てみたんだが……予感が的中してしまったようだね」
「イクトさん……うっ。うっ。私、私が借りている家が……」
「うん。怖かったね。もう大丈夫だよ」
優しい口調で言われた言葉に彼女は感情を抑えきれず不安と恐怖に泣きじゃくりイクトの胸へと顔を埋めた。
そんなアイリスを優しく抱き留めその背を撫でながら落ち着かせようと言葉をかける。
「わお。大胆ネ」
「ま、まあ。今回だけは許して差し上げてよ」
その様子にミュゥがにやにや笑い言うとマーガレットが不機嫌そうに腕組みして呟く。
「消火活動は俺達に任せてくれ」
「私達でなんとか火を消し止めて見せる。全力を尽くす……だから。ここで待っていてくれ」
マルセンの言葉に同意する様に力強く頷きジャスティンも話す。
「シュテナ。……僕達も犯人を捜すのを手伝います」
「そうね。まだこの辺りにいるかもしれないもの」
「お二人だけでは危険です。騎士団の誰かを同行させましょう」
ジョンがシュテナへと視線を送るとそう言った。それに彼女も頷き同意する。そんな二人にジャスティンが険しい顔で忠言すると第一部隊の兵士五人を護衛に就かせた。
「……」
「今は火が消し止められるのを待つしかないよ」
「はい……」
少し落ち着きを取り戻したアイリスがイクトから離れると、未だに燃え続ける家屋を見て顔を曇らせ俯く。
そんな彼女へと彼が優しい口調でそう言って聞かせた。アイリスもそれに呟くように答え祈る様に燃え続ける家屋を見詰める。
その頃犯人探しにおもむいていたジョンが険しい表情でジャスティンの姿を探していた。
「ジャスティン。放火魔を捕まえた……けど」
「王子様。その放火魔は何か問題が?」
消火活動を続けるジャスティンの下にジョンがそっと近寄ると声をかける。深刻そうな顔を見た彼が尋ねた。
「うん。やはり「人ならざる者」だったよ」
「!?」
彼の口から出た秘密の単語にジャスティンが驚く。
「ジャスティン。放火魔が捕まったって本当か?」
「ああ。放火魔が捕まったのだから事件は収束するだろう。世間的にはな」
「それはどういう意味だ」
駆け寄ってきたマルセンに彼が小さく頷き答える。しかしその言葉に意味が解らず怪訝そうな顔をした。
「放火魔は「例の人物」だ」
「っ……てことは今回の放火事件は」
ジャスティンが秘密の呼称を言うと彼の顔色は険しくなる。
「こちらで身柄は拘束してある。「彼等」が危険な存在なのかどうかはゆっくり調べればいい」
「この件は国家機密級ですので内密にお願いします」
「ああ。分かってるって。アイリス達には言わないよ」
彼が言うとジョンもマルセンにお願いする。王子からの頼みに分かっているとばかりに頷くと答えた。
放火事件はどうやらただの火事騒ぎだけでは終わりそうにないが、そのことをアイリス達が知ることはない。
それから数分後に火は消し止められたが家は全焼し、とても住めるような状況ではなくなってしまう。
「全力を尽くしたのだが……すまない」
「その……なんて言うか。ごめん」
「いいえ、消火活動して下さりありがとう御座います」
肩を落とし申し訳なさそうに謝る二人にアイリスは慌てて首を振るとそう言って頭を下げる。
「そうだよ。これはわしらがどうあがいたところで何ともならんかったんじゃ……」
「そうですよ。騎士様も冒険者様も頭をお上げになってください。お二人が悪いんじゃないのですから」
夫婦も尽力してくれたジャスティンとマルセンへと声をかけ励ます。
「だけどこれからどうするんですカ」
「家が全焼してしまって商品も何もかも燃えてしまったからな。これじゃあ商売はもうできん。ワシ等はこれを機に息子のいる町へと引っ越すことにするよ」
「そうだねぇ。わたし達ももう年だからね。息子の家にやっかいになるのも悪くないかもしれないけれど……それだとアイリスちゃんはどうするんだい」
ミュゥの問いかけに男性が答えると妻がそれだと自分達は良いがアイリスはどうなるんだと心配そうに尋ねた。
「そ、それは……」
「私の事は気にしないで、息子さんのところへ行って下さい。家が見つかるまでの間宿屋に泊まって生活しますから」
「それなラ私の隣の部屋に泊まると良いでス。アイリスさんなら歓迎です」
男性が困ったといった感じで頭を捻らせる様子に彼女は笑顔で答える。すると賛成だと言いたげにミュゥが声をあげた。
「そんな……それならわたくしが家を貸してあげてよ。家と言っても別荘ですから、しばらく使いませんし。家が見つかるまでの間そこで住んでもらっても構わなくてよ」
「それなら僕達が土地も家も家具も何もかも用意します。そこに住むのはどうですか」
「そうですよ。アイリスさんにはお世話になってますし、それくらいなら」
マーガレットが慌てて口を開くとジョンとシュテナも笑顔でさらりと凄い発言をする。
「ジョン様もシュテナ様もお待ちください。そのような事簡単に言うものではありません」
「そうだな。いくらなんでもそれは……てか貴族の考える世界が違いすぎて分からん」
二人の言葉に慌ててジャスティンが忠告すると、マルセンも苦笑いして呟く。
「……アイリスはうちのお店のお針子だ。だからお店の二階の部屋に住んでもらうのが一番いいんじゃないかな」
「イクトさん。でもあの二階のお部屋は先代の……」
「先代も君が住んでくれたら喜ぶと思う。それに誰も住んでいないまま放置されることの方が先代は悲しむと思うから」
イクトの提案にアイリスは慌てて口を開く。だか彼は安心させるように優しく微笑むとそう説明した。
「それが一番いいんじゃないのか」
「そうですわね。あのお店の店長なんですから。お店に住むのも悪くないんじゃなくって」
ジャスティンが真っ先に賛同の声をあげると、マーガレットも納得した様子で話す。
「でもアイリスさん隣じゃなくて残念でス」
「あははっ……まあ家が見つかってよかったじゃないか。なっ?」
ミュゥが残念そうに言った言葉にマルセンが苦笑するとそう同意を求める。
「そうですね。お店の店長さんなんですからそれが一番いいのかもしれませんね」
「そうね。わたしもイクトさんの考えに賛成です」
ジョンもそれが良いと頷くとシュテナも微笑み賛成した。
こうして彼女は仕立て屋アイリスの二階。先代が住んでいた部屋で生活することとなる。
「イクトさん。本当に私がこの二階を使ってもいいんでしょうか」
「……そうだね。そろそろアイリスにはちゃんと話しておいた方が良いかな」
「?」
アイリスの言葉にイクトが考え深げな顔で呟く。その言葉に彼女は不思議そうに首をひねった。
「前に写真を見たって言っていただろう。この写真に写っている少年は俺だよ。たしかここに引き取られてばかりの頃だったから17歳だったかな」
「ここに引き取られたって……どういうことですか?」
写真立てを手に取り語りだした彼の言葉に彼女は驚いて尋ねる。
「俺は孤児だったんだ。父の顔も母の顔も知らずずっと孤児院で育った。そんな俺を先代が引き取ってくれてここの養子になったんだ。そして本当の家族のように優しく接してくれた。今の俺があるのは先代が優しく教え導いてくれたからなんだ」
「イクトさんが……そう、だったんですね。私も母の顔は知らないんです。生まれた時に病気で亡くなったって聞いて。そこから父が男手一つで育ててくれたんですが、私が10歳の時に事故で亡くなって。そこからは母の妹さんの家で育てられました」
悲しげな眼差しで過去の事を語るイクトの言葉にアイリスも自分の身の上話を口に出す。
「そうか。アルバートさんが……君も苦労してきたんだね」
「!?どうして父の名前を知ってるんですか」
イクトがさらに悲しそうな顔で言った言葉にアイリスは驚いて彼の顔を見詰めた。
「いいかいアイリス落ち着いてよく聞いてくれ。……アルバートさんは先代の息子さんなんだ。だが彼は夢を追いかけこの国を出ていってしまった。そして異国の地で君のお母さんと出会い結婚した。そしてその時先代は一緒に住まないかと誘われたそうだが、お店にくるお客様を見捨ててまでこの国を出てはいけないと。この地にとどまることを決めたんだ。だけど本当は行きたかったんだと思う。俺に気を使ってくれていたのだと今ならそう思うよ」
「イクトさん……それじゃあ先代が私のおばあちゃんなんですか。それならおじいさんは?」
イクトの話に納得すると写真に写っていた若い男性の姿を思い出し尋ねる。
「先代の旦那さんは結婚してすぐにはやり病にかかりなくなったそうだ。その時先代のお腹にはアルバートさんがいて。あの人は一人で子供を育てる覚悟をしたそうだ。もともとこの仕立て屋アイリスの店を始めたのも旦那さんだったらしい。夫の残した店を守りたいと先代が後を継いだんだよ」
「そう、だったんですね」
彼から聞かされた言葉におじいさんは早くに亡くなっていたことを知り悲しみに顔を俯かせた。
「先代が亡くなり俺が後を継いでから俺は君と出会った。一目でアルバートさんの娘さんだと分かったよ。君は彼の面影があるから……だから先代の忘れ形見であるアルバートさんの娘さんである君を立派なお針子に育て上げることが俺の務めだと思ったんだ」
「イクトさん……」
優しい瞳で見つめながら話すイクトの言葉にアイリスも彼へと視線を戻す。
「アイリス。君はこのお店に来てからたった半年で驚くほど成長をとげた。もう俺が君に教えてあげられる事がないくらいにね。先代から頂いたものすべてを君に返す時が来たと思っている。このお店はお孫さんであるアイリスが受け継ぐべきだ。だから俺はこのお店を君に還そうと思っている」
「イクトさん……まさかここを出ていくつもりなんですか?」
穏やかな口調で語られた言葉に彼女は以前覚えた不安が蘇り暗い表情で問いかける。
「……初めのうちはそう思っていたよ。君を立派なお針子に育て上げ、先代から受け継いだ技も心もお店も何もかもすべてを君に還したらここを出ていこうと。だけど君の不安そうな瞳を見て心が揺らいだ。こんなに頼りない君を一人だけ残してこのお店を出ていっていいのか考えて、君を悲しませてまで俺は出てはいけないよ。例え血の繋がりがなくても俺にとってアイリスは大事な家族だからね」
「イクトさん……」
考え込むように数拍黙ると苦笑してイクトは答えた。その言葉にアイリスは胸が一杯になって涙がこぼれそうになる。
「だから、これからも君の側で一緒に仕立て屋アイリスの店員として働いていこうと思っているよ」
「よかった……」
笑顔でそう宣言してくれたことに彼女は安心して心からの言葉が零れた。
「アイリス。君にとっては突然の出来事で戸惑っただろう。だから今すぐ理解しろとは言わない。今まで通り先輩と後輩の関係で構わない。だけど今日だけわがままを聞いてもらえないかな」
「何ですか?」
真面目な顔で聞いてきたイクトの言葉の意味が解らずきょとんとした顔をする。
「俺の事を「おじさん」って呼んでもらえないかな」
「……おじさん。おじさんはずっと私の事を見守ってくれていて、いつも助けてくれていました。それなのに私おじさんの気持ちに全然気づいてなくて……ごめんなさい。でもおじさんがいてくれて私一人じゃないって。もう一人じゃないんだって……だから嬉しいんです」
「うん。アイリス……ありがとう」
そうお願いされたとたん今まで押し殺していた感情が溢れ出し涙を流しながら話すと笑顔を浮かべた。そんなアイリスへと彼は心からの感謝の言葉を述べ彼女の頭を優しく撫でた。
こうしてアイリスは先代がおばあさんでありイクトが叔父であるという真実を知らされお互いが大切な家族であることを理解する。
そうしてこの日はその温かな気持ちを胸にベッドへと横になり眠りについた。
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