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第一章 新米店主
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アイリスが仕立て屋の店主となって初めてお店を開店する日となった。
「うぅ……緊張するな~」
昨夜は働けることになった嬉しさと店長としてやっていけれるのかという不安でなかなか眠れなかったため目の下に薄っすらとクマができている。
「おはよう。はい、これが君の制服だよ」
「これ……わざわざ作ってくださったんですか?」
お店に出勤したアイリスにイクトが奥から出てくると制服を彼女に渡す。
「店長記念のお祝いだよ。早速着てみてくれないかな」
「はい。ありがとう御座います」
彼の言葉に制服を受け取ったアイリスは店の奥に入り着替える。
「可愛い……」
姿見に映る自分の制服に彼女は呟いた。白のランタン・スリーブの服にピンクのバンダナ。青色のロングスカートの裾には黄色のラインが入っている。
「制服がこんなに可愛いなんて。もっと女の子らしく可愛くならなきゃ。そうだ」
完全に制服の可愛さに釣り合っていないと感じたアイリスはせめて髪型だけでもこの服に似合うようにと一つに束ねて三つ編みにする。
「これですこしは可愛く見えるかな?」
姿見に映る自分の姿に向かって呟くとイクトが待つお店の方へと向かった。
「あの、着替えてきました」
「お帰り。うん、やっぱり思った通りとても可愛い。良く似合っているよ」
もじもじとしながら言った彼女の姿を見た彼がそう言って笑う。
「それじゃあ、早速仕事を覚えてもらうよ。まずは経営のやり方から」
「はい」
お客がいない間に覚えられるだけのことを覚える。アイリスはメモを片手に一生懸命聞いたことを書き写していく。
一通りのことを教えてもらった時お店の扉が開かれチリンチリンと呼び鈴がなる。
「イクト。また服が破れたんだ、直してもらえないか」
「い、いらっしゃいませ。仕立て屋アイリスへようこそ」
体格の良い色黒の男性が店内に入って来るとそう言って店主を呼ぶ。彼女は初めてのお客様に緊張しながらも出迎えた。
「あ……ああ。君は誰だ?」
「わ、私は本日よりここの店長となりましたアイリスです」
見慣れない少女にお客の男は不思議そうに首を傾げる。アイリスは一生懸命言葉を伝えた。
「はぁ?君が店長って……」
「おや、マルセンいらっしゃい」
意味が分からないとばかりに驚く客に店の奥から出てきたイクトが声をかける。
「おい、イクト。これは何の冗談だ?」
「冗談ではないよ。彼女はこの仕立て屋アイリスの店長。俺は彼女のサポートをする店員というわけだ」
彼を睨み説明しろと言いたげな客にイクトは笑って答えた。
「お前な……」
「え、えっと。実はこれには事情がありまして。実は――」
嫌な雰囲気にアイリスが慌てて事情を説明する。
「なるほど。その条件を見事達成できればここでちゃんと雇ってもらえるということか。君も大変だな」
「あははっ……」
同情するような眼差しを向ける客に彼女は苦笑するしかなかった。
「俺はマルセン。冒険者だ。仕事中よく服が破れてしまうからな、この店で直してもらってるんだ」
「マルセン。協力してくれないか」
自己紹介したマルセンにイクトがそう頼む。
「……今の話を聞く限りだと君が俺の服を直すことになるようだな。君は服を直すのは初めてか?」
「は、はい。ですが店主としてお客様のご希望に沿えるよう全力で頑張ります」
彼の質問にアイリスは小さく頷き答える。
「そうだな……物は試しだ、この破れた服を仕立ててくれ。俺は冒険者として護衛や町の安全を守る為に戦うこともある。だからなるべく丈夫で破れにくい服に仕立て直してもらいたい」
「分かりました。ではこちらでお預かりします」
少し不安そうではあるがそう言うと破れた服をカウンターの前へと置き説明した。彼女はマルセンから依頼の品を受け取ると一旦棚の上へと納める。
「ああ。一週間後には取りに来るから、それまでによろしくな」
「はい」
彼がそう言うとアイリスは小さく頷く。それを確認するとマルセンは店から出ていった。
「……ふぅ」
「接客はやっていけば慣れてくるから大丈夫だよ。それよりもこの服をちゃんと仕立て直せるかどうかだが」
「私やってみます」
緊張の糸が切れたかのように大きく息を吐き出す彼女へとイクトが声をかける。
彼の言葉にアイリスは意気込み服を持つと店の中にある手直し部屋へと入った。
「試験の時に使ったミシンと違う」
「これは先代の店長が愛用していたミシンだ。結構癖があってな。俺もあつかえるようになるのに時間がかかった」
ミシン台の上に置かれた古い機械に彼女は呟く。それにイクトが先代の物であると教えてくれる。
「実は私、試験を受けるまではずっと手縫いでやっていたので。ミシンをうまくあつかえるか少し不安です」
「う~ん。なら、君が自信のある手縫いでその服を仕立て直してみたら」
不安がるアイリスに彼が優しく微笑みそう提案した。
「で、でも。お客様の希望は破れにくい丈夫な服です。手縫いだとどうしても柔らかい素材しかあつかえません」
「どの素材を選んで服を仕立て直すかは店主である君が決める事だ。大丈夫。君ならできるよ」
「……頑張ります」
イクトの言葉に彼女は意気込むと棚に並ぶ布や糸からお客の依頼内容にそった物がないかを探す。
「これは……クルクル牛皮ですね。こっちはマクモ蜘蛛の糸。これならもしかしたら」
「よく素材の名前が分かったね」
アイリスの言葉に彼が驚いた様子でそう呟く。
「イクトさん。もしかしてこのお店にある素材って全部……」
「そう。うちのお店に置いている素材は全部ただの素材ではない。全部職人の手で作られた素材を使っているんだ」
彼女の言葉の意味を理解しイクトが頷くと説明する。
「どうしてですか?」
「先代がただの素材よりも職人の手で作った素材の方が質もいいしハサミの切れ味、糸の通しやすさそして何より仕立てた時の出来栄えが良いことに気付いたんだ。だからうちの店に置いてある素材は全部国宝級品の素材なんだよ」
彼の言葉に納得した様子でアイリスは棚に並ぶ素材を見詰めた。
「これならもしかしたらマルセンさんの要望にそった品が作れるかも。早速仕立ててみます」
「うん、頑張って。何か困ったことがあったら隣にいるから呼んでくれ」
「はい」
嬉しそうに微笑む彼女の様子にイクトも笑うとそう伝えて店内に戻る。
「よし、頑張るぞ」
クルクル牛皮とマクモ蜘蛛の糸を手に取り作業台の上へと置くと早速預かった冒険者の服の破れた部分に印をつけ始めた。
「よし、でき……ああっ!?」
「どうした」
三時間後に破れた部分全ての手直しが出来上がったとほっと息をついたアイリスだが途端に悲鳴をあげた。
彼女の悲鳴を聞いて駆け付けたイクトが尋ねる。
「イクトさんどうしましょう。お客様のお洋服なのに私……」
「……落ち着いて、大丈夫。彼の服の型なら持っているから。それを使って一から作り直せばいい」
ハサミで生地を切った時に服も一緒に巻き込んでいたらしく最初に渡された時よりも無残なまでに服が破れてしまっていた。
顔を真っ青にして涙ぐむアイリスへと彼が優しく声をかけ棚の奥からマルセンの服の型を取り出す。
「失敗は誰にだってある。だけどそこで立ち止まってしまってはいけない。失敗してしまったことを反省したら次はどうすればいいのか考えなければ。さあ、涙を拭いて。君の思い描く丈夫な服を作ってみて」
「はい……」
失敗した彼女に怒鳴ることも責めることもなく穏やかな口調でそう言い聞かせると型を作業台の上へと置いた。
彼女は涙をぬぐいイクトの優しさに感謝しながらクルクル牛皮を裁断しマクモ蜘蛛の糸で縫い合わせていく。
アイリスはお客様の服をビリビリにしてしまった事への申し訳なさからか、その日は閉店した後も店に残り一人黙々と服を仕立て上げていった。
「……できた」
「お疲れ様」
「へ?」
夜明け前の薄暗い中ランプの明かりだけで作業を続けていたアイリスはついに服を縫い上げ終え顔をあげる。すると彼女の前へと紅茶の入ったカップが置かれ驚いて隣を見るとにこやかな顔のイクトの姿があった。
「イクトさんどうして?まさかお家に帰らなかったのですか」
「……アイリスが頑張っているのに俺だけ帰れないからね。君は頑張り屋さんのようだ。でも夜を徹してまで頑張らなくてもいい。お客様が取りに来るという期日までに完成させればいいのだから、勤務時間が終わったらちゃんと家に帰って寝なさい」
「す、すみません。これからは気をつけます」
驚くアイリスへと彼が優しい口調でそう言って聞かせる。彼女のことを心配して言ってくれているということが伝わり小さく謝罪した。
「うん。これを飲んだら休みなさい。このお店の二階にベッドがあるからそこで開店まで少し休むといい」
「はい」
イクトの言葉に彼女は頷くと入れてもらった紅茶を飲み、一息つくと鍵を貰い二階へと続く扉を開けて階段を上るとすぐに見えてきた部屋の扉を開ける。
シングルのベッドにクローゼットと小棚。シンプルな机と椅子があるだけの部屋。アイリスは急に襲ってきた眠気に負けてその部屋の中をよく見ることもなくそのままベッドへと向かい眠りについた。
「ん、ふぁぁ~……あれ?」
鳥の鳴き声と窓から差し込む光で目を覚ましたアイリスは見慣れない部屋に自分が今どこにいるのか分からず辺りを見回す。
「あ、そうだ。朝方まで服を仕上げてて、そのまま二階のお部屋を借りて眠ったんだった」
頭がはっきりしてくると今朝方の事を思い出しベッドから起き上がる。
「昨日は眠気に負けてよく考えてなかったけど、このお店に二階があったなんて知らなかったわ」
部屋の中を見回しながら言うと小棚の上に置かれた写真立てを見つけた。そこには若い女性と男性の結婚式の写真や小さな男の子と女性の写真などが飾られている。
「このおばあさんが先代の人なのかしら?それじゃあこっちの男の子は?」
おばあさんと一緒に写っている男の子が誰か分からず首を傾げた。どことなくイクトに似ているようにもみえるが若い頃の彼の姿を知っているわけではないのではっきりとした答えは出なかった。
「この若い女性がこのおばあさんよね。それじゃあこのタキシードを着ているのがおばあさんの旦那さん?そしてこっちの茶色い髪の男の子が息子さんなのかしら」
先代がおばあさんの可能性はあるがだとしたら旦那さんと息子さんはどこに行ったのだろうかと疑問がわいた。そしてなぜイクトがこのお店を引き継いだのだろうかと。
「……あ、いけない。もうそろそろ開店の時間じゃない。急いで準備しなくちゃ」
疑問がふつふつと湧き上がって来るが、壁掛け時計の時刻を見たアイリスは開店時間が迫っていることを知り、慌てて部屋を出て一階へと向かった。
「おはようございます」
「おはよう。ゆっくり眠れたかな」
一階のお店に行くとイクトはすでに出勤しており降りてきた彼女へと声をかける。
「はい。あの、あのお部屋はもしかして先代の……」
「ああ、そうだよ。二階が先代の自宅だったんだ」
アイリスの言葉の意味を理解した彼が小さく頷き答えた。
「やっぱり。……イクトさん先代ってどんな方だったんですか」
「ん~そうだね、先代はとても優しい人だったけど仕事に関してはとても厳しい方だった。俺もよく失敗しては怒られていたな」
「イクトさんが?」
イクトの言葉に彼女は驚く。失敗なんかしたところなんか想像もできないくらい完璧な彼が怒られていたなんて思いもしなかったからだ。
「うん。俺だって最初から何でもできていたわけじゃない。先代にいろいろと教えてもらって一人前の仕立て屋の主人になったんだ」
「二階の部屋に写真立てがあったのですが、そこに写っていたおばあさんがもしかして先代の方ですか?」
アイリスは二階に飾ってあった写真立てに写っていた女性の事が気になりそう尋ねる。
「そうだよ。本当は先代がいなくなったのだから遺品は整理してしまわないといけないんだろうけど、どうにも思い出ばかりが溢れて……しまうに仕舞えなくてね」
「そうですか。あのイクトさん……」
それに笑顔で答えたイクトへと次の質問をしたくて口を開くが考え込むように黙る。
「ん?」
「……いえ、また先代の事についてお話し聞かせてくださいね」
写真に写っていた旦那さんや茶色い髪の男の子に、イクトに似た少年のことなど聞きたい事はいろいろあったが、聞いてはいけない事のように思えて小さく首を振るとそう言ってごまかす。
「うん、君にもちゃんと先代の事を教えていかないとね。何しろこの店の店主なのだから」
「あ、あははっ」
彼の言葉にそうだったと言わんばかりに空笑いをしてごまかす。自分が店主として一年間やっていけなければ先代のことを知ったところでこのお店で働く事ができないのだと思い出し溜息が零れる。
「さて、そろそろ店を開ける時間だな」
「はい」
イクトの言葉にアイリスは頷くとお店の鍵を開けて「オープン」という看板を掛けた。
「よう」
「いらっしゃいませ……ってマルセンさん?」
開店と同時に鈴がなりお客が来店したことを伝える。その音を聞いて入口の方へと顔を向けた彼女は驚く。
「あ、ああ……やっぱり昨日預けた服の事が気になってな。あれ、どうなった?」
「アイリス」
「はい。少々お待ちください」
不安そうな顔で尋ねてきた彼の言葉にイクトがにこりと笑い促す。アイリスも笑顔で頷くと店の奥から服を持ってくる。
「こちらになります」
「これは……クルクル牛皮とマクモ蜘蛛の糸で作った服じゃないか。どうしてこれを選んだんだ?」
「はい、マルセンさん丈夫な服に仕立て直してくれとのご要望でしたので、それならしなやかな質感で破れにくいクルクル牛皮と少しの衝撃じゃ切れない丈夫なマクモ蜘蛛の糸を使ったらいい服ができるんじゃないかと思って。それからマルセンさんごめんなさい。最初に預かった服を私の失態でビリビリに破いてしまって……それで型から作り直したんです。大事な仕事着を駄目にしてしまって申し訳ありません」
カウンターの上に置かれた服を見て驚くマルセンに彼女は説明すると申し訳ないと言った顔で謝り頭を下げた。
「そうか……」
「……」
静かな声で呟かれた彼の言葉に怒られるのを覚悟して固く目を瞑る。
「ありがとう。こういう服が欲しいと思っていたんだ。早速着てみていいかな」
「は、はい!勿論です」
だがマルセンは怒るどころか喜び笑顔でそう言って服を見詰めた。アイリスは驚いたものの直ぐに頷くと店の中にある試着室へと案内する。
「うん。何だかもう何年もずっとこれを着ていたみたいに着心地がいい。これなら破ける心配をしながら仕事をしなくてもすみそうだ。ありがとう」
「いえ、喜んで頂けて私も嬉しいです」
着替えて出てきた彼が笑顔で言うと彼女も嬉しさで満面の笑顔に変わる。
「今日から早速こいつを使わせてもらうな。で、仕立て料金の支払いなんだが……」
「はい、少々お待ちください。今伝票をお持ちして参ります」
マルセンの言葉にアイリスは慌ててカウンターへと向かい伝票を用意した。
「アイリスの仕事ぶりはどうだい」
「お前からもう服ができたって聞かされた時は正直疑っていたが……本当にたった一日で仕上げてしまうとは驚いた。だがどんな無茶したんだか」
彼女の姿を眺める彼へとイクトがそっと声をかける。それにマルセンが思っていたことを伝えた。
「俺から無理はしないよう言っておいたから問題はないよ」
「しかし彼女は本当に国宝級のレベルの服を手縫いで仕上げたのか?」
それに同感だと言った感じで苦笑しながら彼が話すとマルセンが信じがたい事実は本当なのかと尋ねる。
「ああそうだね。彼女は仕立て屋が天職なのだろう。あの人の血を引いているのだから」
「それじゃあ彼女が……」
「お待たせいたしました。こちらが伝票になります」
イクトの言葉に彼が驚いた顔で呟いた時アイリスが伝票を持って近寄ってきたので二人の会話はそこで中断された。
「ああ、ありがとう。これがお金だ。また何かあったらよろしくな」
「こちらこそ。またごひいき頂けるとありがたいです」
お金を渡し伝票を受け取るマルセンへと彼女が微笑み言う。
「ああ。それじゃあ俺はこれから仕事があるから……じゃあな」
「はい。ありがとう御座いました」
彼が言うと店から出ていくその背中へと深々と頭を垂れて見送るアイリス。
「ふぅ~」
「お疲れ、初めてのお客様に満足してもらえたようで良かったね」
マルセンが店から出ていき気配が消えると大きく息を吐く。その様子にイクトが声をかけ褒める。
「イクトさんのおかげです。イクトさんが型を出してくれなかったら私は動揺して泣いてばかりで何もできなかったと思います」
「そうだね。初めての失敗は誰だって動揺してしまってどうしたらいいのか分からなくなるものだよ。だけど経験を積んでいけばアイリスだって自分で考えて失敗を成功に導く道を見つけ出せるはずだ」
アイリスは小さく首を振るとそう答えた。それに彼が笑顔でそう語りかけるように話す。
「そうなりますか?」
「うん。俺だってここの仕事を始めたばかりの頃は失敗ばかりだった。だけど先代が色々と教えてくれて今は何でも自分一人でこなせるまでになった。だからアイリスも一年後には自分で何でもできるようになっているさ」
「はい、そうなれるよう頑張ります」
不安そうな顔の彼女にイクトが安心させるように微笑み力強く頷くと少し恥ずかしそうに過去話をして激励する。彼の言葉に励まされたアイリスは意気込み力拳を作って見せた。
「さあ、それじゃあお客様がいない間にお店の経営についてもう一度復習しようか」
「はい」
こうして新米店主としての初めてのお仕事は失敗もあったものの無事に終わりを迎える。しかしこれはまだほんの始まりに過ぎなかったことをアイリスは知る由もなかった。
「うぅ……緊張するな~」
昨夜は働けることになった嬉しさと店長としてやっていけれるのかという不安でなかなか眠れなかったため目の下に薄っすらとクマができている。
「おはよう。はい、これが君の制服だよ」
「これ……わざわざ作ってくださったんですか?」
お店に出勤したアイリスにイクトが奥から出てくると制服を彼女に渡す。
「店長記念のお祝いだよ。早速着てみてくれないかな」
「はい。ありがとう御座います」
彼の言葉に制服を受け取ったアイリスは店の奥に入り着替える。
「可愛い……」
姿見に映る自分の制服に彼女は呟いた。白のランタン・スリーブの服にピンクのバンダナ。青色のロングスカートの裾には黄色のラインが入っている。
「制服がこんなに可愛いなんて。もっと女の子らしく可愛くならなきゃ。そうだ」
完全に制服の可愛さに釣り合っていないと感じたアイリスはせめて髪型だけでもこの服に似合うようにと一つに束ねて三つ編みにする。
「これですこしは可愛く見えるかな?」
姿見に映る自分の姿に向かって呟くとイクトが待つお店の方へと向かった。
「あの、着替えてきました」
「お帰り。うん、やっぱり思った通りとても可愛い。良く似合っているよ」
もじもじとしながら言った彼女の姿を見た彼がそう言って笑う。
「それじゃあ、早速仕事を覚えてもらうよ。まずは経営のやり方から」
「はい」
お客がいない間に覚えられるだけのことを覚える。アイリスはメモを片手に一生懸命聞いたことを書き写していく。
一通りのことを教えてもらった時お店の扉が開かれチリンチリンと呼び鈴がなる。
「イクト。また服が破れたんだ、直してもらえないか」
「い、いらっしゃいませ。仕立て屋アイリスへようこそ」
体格の良い色黒の男性が店内に入って来るとそう言って店主を呼ぶ。彼女は初めてのお客様に緊張しながらも出迎えた。
「あ……ああ。君は誰だ?」
「わ、私は本日よりここの店長となりましたアイリスです」
見慣れない少女にお客の男は不思議そうに首を傾げる。アイリスは一生懸命言葉を伝えた。
「はぁ?君が店長って……」
「おや、マルセンいらっしゃい」
意味が分からないとばかりに驚く客に店の奥から出てきたイクトが声をかける。
「おい、イクト。これは何の冗談だ?」
「冗談ではないよ。彼女はこの仕立て屋アイリスの店長。俺は彼女のサポートをする店員というわけだ」
彼を睨み説明しろと言いたげな客にイクトは笑って答えた。
「お前な……」
「え、えっと。実はこれには事情がありまして。実は――」
嫌な雰囲気にアイリスが慌てて事情を説明する。
「なるほど。その条件を見事達成できればここでちゃんと雇ってもらえるということか。君も大変だな」
「あははっ……」
同情するような眼差しを向ける客に彼女は苦笑するしかなかった。
「俺はマルセン。冒険者だ。仕事中よく服が破れてしまうからな、この店で直してもらってるんだ」
「マルセン。協力してくれないか」
自己紹介したマルセンにイクトがそう頼む。
「……今の話を聞く限りだと君が俺の服を直すことになるようだな。君は服を直すのは初めてか?」
「は、はい。ですが店主としてお客様のご希望に沿えるよう全力で頑張ります」
彼の質問にアイリスは小さく頷き答える。
「そうだな……物は試しだ、この破れた服を仕立ててくれ。俺は冒険者として護衛や町の安全を守る為に戦うこともある。だからなるべく丈夫で破れにくい服に仕立て直してもらいたい」
「分かりました。ではこちらでお預かりします」
少し不安そうではあるがそう言うと破れた服をカウンターの前へと置き説明した。彼女はマルセンから依頼の品を受け取ると一旦棚の上へと納める。
「ああ。一週間後には取りに来るから、それまでによろしくな」
「はい」
彼がそう言うとアイリスは小さく頷く。それを確認するとマルセンは店から出ていった。
「……ふぅ」
「接客はやっていけば慣れてくるから大丈夫だよ。それよりもこの服をちゃんと仕立て直せるかどうかだが」
「私やってみます」
緊張の糸が切れたかのように大きく息を吐き出す彼女へとイクトが声をかける。
彼の言葉にアイリスは意気込み服を持つと店の中にある手直し部屋へと入った。
「試験の時に使ったミシンと違う」
「これは先代の店長が愛用していたミシンだ。結構癖があってな。俺もあつかえるようになるのに時間がかかった」
ミシン台の上に置かれた古い機械に彼女は呟く。それにイクトが先代の物であると教えてくれる。
「実は私、試験を受けるまではずっと手縫いでやっていたので。ミシンをうまくあつかえるか少し不安です」
「う~ん。なら、君が自信のある手縫いでその服を仕立て直してみたら」
不安がるアイリスに彼が優しく微笑みそう提案した。
「で、でも。お客様の希望は破れにくい丈夫な服です。手縫いだとどうしても柔らかい素材しかあつかえません」
「どの素材を選んで服を仕立て直すかは店主である君が決める事だ。大丈夫。君ならできるよ」
「……頑張ります」
イクトの言葉に彼女は意気込むと棚に並ぶ布や糸からお客の依頼内容にそった物がないかを探す。
「これは……クルクル牛皮ですね。こっちはマクモ蜘蛛の糸。これならもしかしたら」
「よく素材の名前が分かったね」
アイリスの言葉に彼が驚いた様子でそう呟く。
「イクトさん。もしかしてこのお店にある素材って全部……」
「そう。うちのお店に置いている素材は全部ただの素材ではない。全部職人の手で作られた素材を使っているんだ」
彼女の言葉の意味を理解しイクトが頷くと説明する。
「どうしてですか?」
「先代がただの素材よりも職人の手で作った素材の方が質もいいしハサミの切れ味、糸の通しやすさそして何より仕立てた時の出来栄えが良いことに気付いたんだ。だからうちの店に置いてある素材は全部国宝級品の素材なんだよ」
彼の言葉に納得した様子でアイリスは棚に並ぶ素材を見詰めた。
「これならもしかしたらマルセンさんの要望にそった品が作れるかも。早速仕立ててみます」
「うん、頑張って。何か困ったことがあったら隣にいるから呼んでくれ」
「はい」
嬉しそうに微笑む彼女の様子にイクトも笑うとそう伝えて店内に戻る。
「よし、頑張るぞ」
クルクル牛皮とマクモ蜘蛛の糸を手に取り作業台の上へと置くと早速預かった冒険者の服の破れた部分に印をつけ始めた。
「よし、でき……ああっ!?」
「どうした」
三時間後に破れた部分全ての手直しが出来上がったとほっと息をついたアイリスだが途端に悲鳴をあげた。
彼女の悲鳴を聞いて駆け付けたイクトが尋ねる。
「イクトさんどうしましょう。お客様のお洋服なのに私……」
「……落ち着いて、大丈夫。彼の服の型なら持っているから。それを使って一から作り直せばいい」
ハサミで生地を切った時に服も一緒に巻き込んでいたらしく最初に渡された時よりも無残なまでに服が破れてしまっていた。
顔を真っ青にして涙ぐむアイリスへと彼が優しく声をかけ棚の奥からマルセンの服の型を取り出す。
「失敗は誰にだってある。だけどそこで立ち止まってしまってはいけない。失敗してしまったことを反省したら次はどうすればいいのか考えなければ。さあ、涙を拭いて。君の思い描く丈夫な服を作ってみて」
「はい……」
失敗した彼女に怒鳴ることも責めることもなく穏やかな口調でそう言い聞かせると型を作業台の上へと置いた。
彼女は涙をぬぐいイクトの優しさに感謝しながらクルクル牛皮を裁断しマクモ蜘蛛の糸で縫い合わせていく。
アイリスはお客様の服をビリビリにしてしまった事への申し訳なさからか、その日は閉店した後も店に残り一人黙々と服を仕立て上げていった。
「……できた」
「お疲れ様」
「へ?」
夜明け前の薄暗い中ランプの明かりだけで作業を続けていたアイリスはついに服を縫い上げ終え顔をあげる。すると彼女の前へと紅茶の入ったカップが置かれ驚いて隣を見るとにこやかな顔のイクトの姿があった。
「イクトさんどうして?まさかお家に帰らなかったのですか」
「……アイリスが頑張っているのに俺だけ帰れないからね。君は頑張り屋さんのようだ。でも夜を徹してまで頑張らなくてもいい。お客様が取りに来るという期日までに完成させればいいのだから、勤務時間が終わったらちゃんと家に帰って寝なさい」
「す、すみません。これからは気をつけます」
驚くアイリスへと彼が優しい口調でそう言って聞かせる。彼女のことを心配して言ってくれているということが伝わり小さく謝罪した。
「うん。これを飲んだら休みなさい。このお店の二階にベッドがあるからそこで開店まで少し休むといい」
「はい」
イクトの言葉に彼女は頷くと入れてもらった紅茶を飲み、一息つくと鍵を貰い二階へと続く扉を開けて階段を上るとすぐに見えてきた部屋の扉を開ける。
シングルのベッドにクローゼットと小棚。シンプルな机と椅子があるだけの部屋。アイリスは急に襲ってきた眠気に負けてその部屋の中をよく見ることもなくそのままベッドへと向かい眠りについた。
「ん、ふぁぁ~……あれ?」
鳥の鳴き声と窓から差し込む光で目を覚ましたアイリスは見慣れない部屋に自分が今どこにいるのか分からず辺りを見回す。
「あ、そうだ。朝方まで服を仕上げてて、そのまま二階のお部屋を借りて眠ったんだった」
頭がはっきりしてくると今朝方の事を思い出しベッドから起き上がる。
「昨日は眠気に負けてよく考えてなかったけど、このお店に二階があったなんて知らなかったわ」
部屋の中を見回しながら言うと小棚の上に置かれた写真立てを見つけた。そこには若い女性と男性の結婚式の写真や小さな男の子と女性の写真などが飾られている。
「このおばあさんが先代の人なのかしら?それじゃあこっちの男の子は?」
おばあさんと一緒に写っている男の子が誰か分からず首を傾げた。どことなくイクトに似ているようにもみえるが若い頃の彼の姿を知っているわけではないのではっきりとした答えは出なかった。
「この若い女性がこのおばあさんよね。それじゃあこのタキシードを着ているのがおばあさんの旦那さん?そしてこっちの茶色い髪の男の子が息子さんなのかしら」
先代がおばあさんの可能性はあるがだとしたら旦那さんと息子さんはどこに行ったのだろうかと疑問がわいた。そしてなぜイクトがこのお店を引き継いだのだろうかと。
「……あ、いけない。もうそろそろ開店の時間じゃない。急いで準備しなくちゃ」
疑問がふつふつと湧き上がって来るが、壁掛け時計の時刻を見たアイリスは開店時間が迫っていることを知り、慌てて部屋を出て一階へと向かった。
「おはようございます」
「おはよう。ゆっくり眠れたかな」
一階のお店に行くとイクトはすでに出勤しており降りてきた彼女へと声をかける。
「はい。あの、あのお部屋はもしかして先代の……」
「ああ、そうだよ。二階が先代の自宅だったんだ」
アイリスの言葉の意味を理解した彼が小さく頷き答えた。
「やっぱり。……イクトさん先代ってどんな方だったんですか」
「ん~そうだね、先代はとても優しい人だったけど仕事に関してはとても厳しい方だった。俺もよく失敗しては怒られていたな」
「イクトさんが?」
イクトの言葉に彼女は驚く。失敗なんかしたところなんか想像もできないくらい完璧な彼が怒られていたなんて思いもしなかったからだ。
「うん。俺だって最初から何でもできていたわけじゃない。先代にいろいろと教えてもらって一人前の仕立て屋の主人になったんだ」
「二階の部屋に写真立てがあったのですが、そこに写っていたおばあさんがもしかして先代の方ですか?」
アイリスは二階に飾ってあった写真立てに写っていた女性の事が気になりそう尋ねる。
「そうだよ。本当は先代がいなくなったのだから遺品は整理してしまわないといけないんだろうけど、どうにも思い出ばかりが溢れて……しまうに仕舞えなくてね」
「そうですか。あのイクトさん……」
それに笑顔で答えたイクトへと次の質問をしたくて口を開くが考え込むように黙る。
「ん?」
「……いえ、また先代の事についてお話し聞かせてくださいね」
写真に写っていた旦那さんや茶色い髪の男の子に、イクトに似た少年のことなど聞きたい事はいろいろあったが、聞いてはいけない事のように思えて小さく首を振るとそう言ってごまかす。
「うん、君にもちゃんと先代の事を教えていかないとね。何しろこの店の店主なのだから」
「あ、あははっ」
彼の言葉にそうだったと言わんばかりに空笑いをしてごまかす。自分が店主として一年間やっていけなければ先代のことを知ったところでこのお店で働く事ができないのだと思い出し溜息が零れる。
「さて、そろそろ店を開ける時間だな」
「はい」
イクトの言葉にアイリスは頷くとお店の鍵を開けて「オープン」という看板を掛けた。
「よう」
「いらっしゃいませ……ってマルセンさん?」
開店と同時に鈴がなりお客が来店したことを伝える。その音を聞いて入口の方へと顔を向けた彼女は驚く。
「あ、ああ……やっぱり昨日預けた服の事が気になってな。あれ、どうなった?」
「アイリス」
「はい。少々お待ちください」
不安そうな顔で尋ねてきた彼の言葉にイクトがにこりと笑い促す。アイリスも笑顔で頷くと店の奥から服を持ってくる。
「こちらになります」
「これは……クルクル牛皮とマクモ蜘蛛の糸で作った服じゃないか。どうしてこれを選んだんだ?」
「はい、マルセンさん丈夫な服に仕立て直してくれとのご要望でしたので、それならしなやかな質感で破れにくいクルクル牛皮と少しの衝撃じゃ切れない丈夫なマクモ蜘蛛の糸を使ったらいい服ができるんじゃないかと思って。それからマルセンさんごめんなさい。最初に預かった服を私の失態でビリビリに破いてしまって……それで型から作り直したんです。大事な仕事着を駄目にしてしまって申し訳ありません」
カウンターの上に置かれた服を見て驚くマルセンに彼女は説明すると申し訳ないと言った顔で謝り頭を下げた。
「そうか……」
「……」
静かな声で呟かれた彼の言葉に怒られるのを覚悟して固く目を瞑る。
「ありがとう。こういう服が欲しいと思っていたんだ。早速着てみていいかな」
「は、はい!勿論です」
だがマルセンは怒るどころか喜び笑顔でそう言って服を見詰めた。アイリスは驚いたものの直ぐに頷くと店の中にある試着室へと案内する。
「うん。何だかもう何年もずっとこれを着ていたみたいに着心地がいい。これなら破ける心配をしながら仕事をしなくてもすみそうだ。ありがとう」
「いえ、喜んで頂けて私も嬉しいです」
着替えて出てきた彼が笑顔で言うと彼女も嬉しさで満面の笑顔に変わる。
「今日から早速こいつを使わせてもらうな。で、仕立て料金の支払いなんだが……」
「はい、少々お待ちください。今伝票をお持ちして参ります」
マルセンの言葉にアイリスは慌ててカウンターへと向かい伝票を用意した。
「アイリスの仕事ぶりはどうだい」
「お前からもう服ができたって聞かされた時は正直疑っていたが……本当にたった一日で仕上げてしまうとは驚いた。だがどんな無茶したんだか」
彼女の姿を眺める彼へとイクトがそっと声をかける。それにマルセンが思っていたことを伝えた。
「俺から無理はしないよう言っておいたから問題はないよ」
「しかし彼女は本当に国宝級のレベルの服を手縫いで仕上げたのか?」
それに同感だと言った感じで苦笑しながら彼が話すとマルセンが信じがたい事実は本当なのかと尋ねる。
「ああそうだね。彼女は仕立て屋が天職なのだろう。あの人の血を引いているのだから」
「それじゃあ彼女が……」
「お待たせいたしました。こちらが伝票になります」
イクトの言葉に彼が驚いた顔で呟いた時アイリスが伝票を持って近寄ってきたので二人の会話はそこで中断された。
「ああ、ありがとう。これがお金だ。また何かあったらよろしくな」
「こちらこそ。またごひいき頂けるとありがたいです」
お金を渡し伝票を受け取るマルセンへと彼女が微笑み言う。
「ああ。それじゃあ俺はこれから仕事があるから……じゃあな」
「はい。ありがとう御座いました」
彼が言うと店から出ていくその背中へと深々と頭を垂れて見送るアイリス。
「ふぅ~」
「お疲れ、初めてのお客様に満足してもらえたようで良かったね」
マルセンが店から出ていき気配が消えると大きく息を吐く。その様子にイクトが声をかけ褒める。
「イクトさんのおかげです。イクトさんが型を出してくれなかったら私は動揺して泣いてばかりで何もできなかったと思います」
「そうだね。初めての失敗は誰だって動揺してしまってどうしたらいいのか分からなくなるものだよ。だけど経験を積んでいけばアイリスだって自分で考えて失敗を成功に導く道を見つけ出せるはずだ」
アイリスは小さく首を振るとそう答えた。それに彼が笑顔でそう語りかけるように話す。
「そうなりますか?」
「うん。俺だってここの仕事を始めたばかりの頃は失敗ばかりだった。だけど先代が色々と教えてくれて今は何でも自分一人でこなせるまでになった。だからアイリスも一年後には自分で何でもできるようになっているさ」
「はい、そうなれるよう頑張ります」
不安そうな顔の彼女にイクトが安心させるように微笑み力強く頷くと少し恥ずかしそうに過去話をして激励する。彼の言葉に励まされたアイリスは意気込み力拳を作って見せた。
「さあ、それじゃあお客様がいない間にお店の経営についてもう一度復習しようか」
「はい」
こうして新米店主としての初めてのお仕事は失敗もあったものの無事に終わりを迎える。しかしこれはまだほんの始まりに過ぎなかったことをアイリスは知る由もなかった。
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