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第三章
7. 百合紀元節
しおりを挟む街中が動き出していた。
久しぶりに吸う外の空気の中で、空里はビル街の間を人々が泳ぎ、大きなゴンドラが宙に舞うのを見た。それら全てを、聞いたことのない不思議な音楽が、リズムを刻みながら包んでいる。
祭りが始まったのだ。
百合紀元節。
星百合をいただく星系には、それぞれに紀元節があるという。すなわち、その宙域に星百合が咲いた時を紀元とし、住民たちはその節を祝い祭るのだ。
奇しくもその日が、この惑星〈鏡夢〉にとって、四百二十一回目の百合紀元節なのだった。
「じゃあ、行こうか」
ゆったりとした黒装束に身を包んだ宇宙海賊ハル・レガが言った。
彼が建物の奥に合図をすると、空里たちを乗せたゴンドラが、狭い屋上から空中に押し出された。
空里は一瞬、そのまま墜落するのではないかと息を呑んだが、ゴンドラはちょっと沈み込んだだけですぐにフワリと浮かび上がった。動力で浮かんでいるのではない。都市の空間全体に不思議な力が働いて、ものの重さを打ち消しているのだ。
わずかな推力を生むイオンスラスターの働きだけで、ゴンドラはビルの間を自由に進んだ。
振り返ると、後にした屋上でレガの協力者たちがゴンドラを見送っていた。彼らはほとんど口も聞かず、ある種の畏怖をもって空里たちに接していた。
そのうちの一人、地球人よりはるかに長身の若い男性だけが、身をかがめながら囁くように言ったものだった。
「皇帝陛下にまみえて光栄です」
と……
まだ、そうなってはいないのに……
次第に他のゴンドラや、空中遊泳をする人々が増えてきた。
華やかなのは、長い布を天女の羽衣か金魚の尾のように引いて舞い踊る女性たちだった。そのほとんどが、一本の布を巻き付ける形の水着に近い衣装を身にまとっている。空里たちも祭りの中で目立たぬよう、同じようなものに着替えていた。
やや小ぶりな空里たちのゴンドラは、その中を少しずつ、上へ上へと昇ってゆく。
「すごいわね。空飛ぶリオのカーニバルだわ」
ティプトリーがゴンドラの舳先から振り返って言った。
興奮気味で、空中遊泳に参加したがっている様子だ。さすがにアメリカでテレビキャスターを務める女性だけあって、祭りの衣装を身につけたその姿はモデルのように映えている。
空里はこの格好が、どうにも落ち着かなかった。
やや露出が大きくお尻が出過ぎていないか気になって仕方ないのだ。
もっとも上にはネープのマントを羽織っているので見えはしないのだが。
シェンガだけはいつもと同じベスト姿だった。ミン・ガンはよその星のTPOに合わせたりはしないのだそうだ。
「どうしてみんな、空中に浮かんでいられるの?」
ティプトリーがハルに聞いた。
「サロウ城市の最上部に、重力導士たちがいるんだ。彼らは星百合を利用して重力を導く技を持っていてね。宇宙船の開発にも携わっている」
「無重力状態を作ってるの?」
「いや、重力は消したり作ったりできないんだ。別の重力を導いて、この惑星の重力とバランスを取っているのさ」
「おい、海賊船長」
シェンガが声をかけてきた。
「そろそろ仕事にかかる用意をした方がよくないか? 軍の船も出て来てるぜ」
言いながらさりげなく指し示した方向に、機動衛兵たちを乗せたパトロール・ボートが見えた。祭りのゴンドラとは違い、この船は自前の反発エンジンで動いている。
「ちょっと大きいな。兵の数も多すぎる。もっと小ぶりのボートもいるはずだ。もう少し探そう」
ハル・レガの計画は、パトロール・ボートから逃げるのではなく、近づく必要があるという大胆で危険なものだった。
つまり軍の管轄区に入るためパトロール・ボートを拿捕し、乗員と捕縛された人間になりすまして侵入しようというのだ。まさに海賊ならではの作戦と言えたが、空里たちに他の手段が思いつくはずもなく、彼の提案にのるしかなかった。
「あの辺にいいのがいるかもしれん」
ハルがスラスターを動かして、ビルとビルの間の狭い空間にゴンドラを向けた。
果たして、その陰に隠れて待機状態のパトロール・ボートが眼下に見えた。先ほどのものよりずっと小型で、二人の機動衛兵が並んで乗り組んでいる。
まるで交通違反の車をこっそり狙っているパトカーのようだ。空里は運転中の父が警察の「ネズミ捕り」を気にしていたことを思い出したりした。
「よし、あれにしよう。いったんやり過ごして後ろに回り込むからな」
「気づかれないか?」
「奴らは市民を取り締まることには慣れてるが、自分たちが襲われるとは夢にも思っていない。下層区なら話は別だが、このあたりではな」
ハルはゴンドラを大きく回り込ませ、ボートの背後から潜り込むように近づいて行った。
「君たち、手伝ってくれるかな。ボートの目の前に出るから、ゴンドラの舳先に立ってあいつらの注意を引いてくれ」
ハルの言葉に空里とティプトリーは顔を見合わせた。
どうやって……という空里の疑問をティプトリーが代弁した。
「あー、しなを作って見せたほうがいいのかしら?」
「立っててくれるだけでいい。それで十分スキはつくれるだろう」
提案を却下されて、ティプトリーはバツが悪そうに舌を出した。
「OK、よかった。ジェンダー論で偉そうなことが言えなくなるし……」
「さて、ミン・ガン君には俺と同じことをやってもらおう」
レガがシェンガに金属製の棒を手渡した。
「スタン・バトンか。もうちょっと派手な武器でもいいんだぜ」
「それで十分だ。奴らの死角から襲い掛かるからな。俺は右。君は左からだ」
「了解」
そうしてる間に、空里たちのゴンドラは下からパトロール・ボートに近づいてゆく。
「行くぞ!」
ハル・レガはスラスターを操作し、スタン・バトンを口にくわえてゴンドラのへりから下へと姿を消した。シェンガもそれにならう。同時にゴンドラはボートの眼前に急浮上し、絶妙なタイミングでそこで静止した。
ボートの操縦席はほとんど最前部だったので、二人の半裸の女性が、2メートルと置かずに機動衛兵たちと対面することになった。
「!」
マスク付きのヘルメットに顔を隠されていても、衛兵たちが虚をつかれて驚いているのがわかった。
「お前たち、そこで何を……」
その声が終わる前に、下からふわりとボートへ上がり込んだハルとシェンガによって、衛兵たちは意識を失わされた。宇宙海賊とミン・ガンの息はぴったりだった。
ハルが空里とティプトリーに手招きをした。
「こっちへ乗り移るんだ」
重力の影響が無いので難なくボートに乗り移った二人は、操縦席後部の小さなデッキに立った。
「こいつらのアーマーを脱がせて、外へ放りだせ」
そんな乱暴な……と空里は思ったが、ハルとシェンガが仕事を終えて下着姿の衛兵を放り出すと、彼らの体はふわふわと漂っていくだけだった。
「一着は……あんたが着ろ」
ハルがティプトリーに指示した。空里も女子としては長身だが、ティプトリーの方がまだ大柄なので、妥当な選択と言えた。
黒衣を脱ぎ捨てたハルとティプトリーが変装を終え、空里とシェンガには拘束具があてがわれた。
「君たちは、逮捕されたミン・ガンと……何か悪いことをしたお嬢さんだ。拘束具のロックは外しておくが、面白くなさそうに振る舞っててくれ」
ここまでは、順調にことが運んでいるようだ。空里はレガに聞いた。
「このまま、サロウ城に入っていけるの?」
「出来ればそうしたいが……ここからが計画の本番だ。さらに慎重に行く必要がある……」
ハルの声にも緊張がにじんでいるようだった。
四人を乗せたパトロール・ボートは、漂う人々と音楽の渦中へゆっくりと漕ぎ出していった。
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