銀河皇帝のいない八月

沙月Q

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第二章

6. 星百合

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「オーマイ……オーマイ……」

 空里のシートにしがみつきながら、ケイト・ティプトリーはうわ言のようにつぶやき続けた。まさか、本当の宇宙旅行になると思っていなかった彼女は、目の前の現実と、今まで空里たちから聞いた話のすべてがウソではないのだという現実の両方に押しつぶされそうな思いでいた。
 度を失いかけていたのは空里も同じだったが、すでにネープとの大冒険を経験していたことで、まだ冷静さを保てていた。

 窓外の青空はあっという間に漆黒の宇宙空間に塗り替えられ、スター・コルベットは地球圏を脱出しようとしていた。
「宇宙って暗い……」
 空里はひとたび宇宙に飛び出せば、満点の星空が広がっていると思っていた。だが目の前に広がる本物の宇宙は、ただの暗闇だ。
「大気のせいで光が拡散するから、地上の方が星はよく見えるのよ……」
 落ち着きを取り戻したティプトリーが言った。いや、何か言葉を口にすることで、なんとか落ち着きを取り戻そうとしているようだ。
「星が見たいのですか?」
 耳ざとく反応したネープが、コンソールを操作した。
「うわあ……」
 空里の頭上に天の川銀河の鮮やかな立体映像が現れた。
「船外の立体受光器に増感フィルターをかけました。今の外の景色そのままですよ」
「これが……銀河……」
「もうすぐこのすべてが、アサトのものさ」
 シェンガの言葉に空里は息を呑んだ。

 突然、甲高い信号音が鳴り響いた。警報だ。
「船だ。ウォーワームを送り込んだ連中に違いない」
 立体ディスプレイの表示が目まぐるしく変わり、やがて小さな宇宙船団の像を結んだ。
 細長い矢のような小型艇が数隻、猛スピードで接近しコルベットに追いついてきた。よく見ると、その船体の上には何ものにも覆われていない人間の姿が見とめられる。ちょうど、バイクにまたがるような姿勢で宇宙船に乗っているのだ。
「ナスーカ教徒のバトルカヌーだ」
 ネープの言葉をシェンガが補足する。
「星百合《スター・リリィ》そのものを信奉している連中だ。あれの力を借りて、人間の感覚を拡大したり出来るというんだがな」
「星百合の力を借りるの?」
「そのカケラでもあれば、星百合はさまざまな可能性を開く鍵になります。しかし、ナスーカ教徒も多くの者たちも、表層的な部分を利用しているだけで、本当の意味で力を借りているとは言えません」
 ネープの声は冷静だったが、どこか苦いものが感じられた。
「どういうこと?」
「星百合の力は、星百合自体がそれを欲する者を認めて、応えることで初めて発揮されるのです。あなたにも解る時が来ます。そのためにも〈青砂〉へ向かうのです」
「〈皇冠《クラウン》〉のことか?」
 シェンガの問いかけにネープは沈黙した。
 空里も沈黙した。これ以上何か尋ねると、怖い現実にぶつかりそうな気がしたのだ。
「何かしら……頭の中で声がするような……」
 ティプトリーが言った。
 空里もすぐに気づいた。何か、歌のようなお経のような、意味不明の唱和が頭の中へ直接響いて来るのだ。リーリングを介していないので、意味はわからない。
「あいつらが、我々を威嚇しているのです。こうした精神感応も星百合の力を身につけた者の仕業です。大したことではありませんが」
 やがて、船の周辺で火花が散った。
 バトルカヌーからの攻撃が、シールドで散っているのだ。
「どうする? 片付けちまうか?」
 シェンガの剣呑な提案にネープはのらなかった。
「構わん。すぐに引き離す」

 船体がグンと加速に揺れ、バトルカヌーの群れはあっという間に見えなくなった。

 超空間路へのゲートがある木星軌道までは、そこから数日の行程だった。
 シェンガによれば、皇帝専用スター・コルベットならではの亜光速エンジンによる速さだった。狭い船内での長い旅路だったが、空里もティプトリーも、銀河帝国にまつわるあらゆる話を聞き、資料を見ることで全く退屈しなかった。
 疲れたら、二人一緒に皇帝専用のキャビンで休んだ。

「あれが木星?」
 地球から見る月ほどの大きさに輝く、オレンジ色の星を指差して空里がたずねた。
「あなた方がそう呼ぶ、第五惑星です。この太陽系でも最大級の惑星ですね」
「じきに星百合スターリリィも視界に入ってくるぞ。ほら、もうすぐそこだ」
 シェンガの示した空間に輝いていた白い点が、みるみる大きくなってきた。
「あれが……」
 ネープは空里がよく観察できるように、船の速度を落として星百合スターリリィの周りを何度か旋回した。

 それは確かに、宇宙に咲いた百合の花だった。

 直径数百メートルはあろうかという、複雑な形の巨大な鉱物。ネープによれば、これでも生まれたばかりの小さなものらしい。それ自体が輝きを放っているわけでもなく、動いているわけでもなかったが、言い知れぬ存在感をもってその空間に浮かんでいる。

「これが……生きているの?」
 ティプトリーが空里も感じていた疑念を口にした。
「生きている。その証が超空間路へのゲートであり、その先に広がる銀河帝国そのものだ」
 スター・コルベットは、ゆっくりと星百合のそばを離れ、その生命の証でもあるスター・ゲートへと針路をとった。

 次の瞬間……

 星百合の姿を映し出していたディスプレイが、真っ白な閃光を放った。
「!」
 防眩フィルターが作動しなければ、それを見ていた全員が失明したであろうほどの強力な光だった。
 直後、船体を有無を言わさぬ猛烈な震動が襲った。
「なんだ!?」
 シェンガの叫びにネープはすぐ反応した。
「バズ型熱核弾だ。星百合に直接仕掛けられていた」
「星百合を破壊した?」
「いや、この程度の爆発では星百合はびくともしない。それより問題は、この船だ。被害は深刻かもしれん」

 星百合はびくともしない……
 空里はその言葉通り、立体ディスプレイに変わらぬ姿のまま遠ざかる星百合を見た。

 しかし……

 閃光が起こった瞬間、彼女は星百合が粉々に砕け散るのを見た……ような気がしたのだった。あれは錯覚だったのだろうか……

 突然、船内が真っ赤な照明に包まれた。
「おい、こりゃまずいぞ……」
 シェンガがいつになく焦った声を出す。
流体脳フリュコムのメインストリームが完全に死んだ。操縦はマニュアルになる」
 ネープの声は落ち着いていたが、そのトーンは一段落ちたように聞こえた。空里はティプトリーと顔を見合わせ、とてつもなく深刻な事態であることを確かめ合った。前席の二人に声をかけるのもはばかられたが、聞かないわけにもいかなかった。
「どうしたの?」
「あなた方の言葉で言う、コンピュータが故障したのです。帝国では流体脳フリュコムという液体機械なのですが」
「故障……」
「コンピュータなら、修理出来るんじゃないの?」
 ティプトリーの楽観的な見通しは黙殺された。流体脳フリュコムは機械的なコンピュータより遥かに効率よく計算能力を発揮し、あらゆるデバイスと柔軟に接続して直接コントロール出来たが、その深刻なトラブルは故障というよりも生物の「死」に近いものだった。

「操縦はともかく、リリィ・ドライブをどうする? 軌道計算が出来ないぞ?」
 シェンガの問いに一瞬間を置いて、完全人間の少年は答えた。
「私が計算する」
「どうやって?」
「暗算で、だ」
「無茶だ!」
 ネープはコンソールに指を走らせ、自分の周りを立体ディスプレイの投射する光で満たした。
「入出力回路は生きてる。ゲートインまでの操縦をしてくれ。何とかなる」
「何とかって……計算が違ってたら一巻の終わりだぞ!」
「間違えないから大丈夫だ」
 何かの文字列や数式、何かの装置の操作パネルにも見える光が、空中で目まぐるしく明滅する。ネープはその一つ一つを、指差し、組み合わせ、払い除けながら、仕事に没頭していった。
「四七五……二二三……時空壁面歪曲度……チェック……」
 計算が違っていたらどうなるのか……空里には尋ねる勇気もなかった。シェンガの言う「一巻の終わり」が、なるべくあっさりと、誰の苦しみもともなうことなく、過ぎ去ってくれることを願うだけだ。
「十二次元座標照準……誘導ジーン線誤差修正……九九四八三二エクエク……」
「ゲートインタイミング来た。合わせるぞ」
「リリィ・ドライブ起動した。マニュアルでシンクロさせる」
「カウントする。七……六……五……」
 空里は、窓外の宇宙空間が奇妙な見え方をしているのに気づいた。
「木星が……歪んでる……」
 やがて、正面に白い光の帯が現れた。その光はすぐに膨れ上がり、船を飲み込むように広がり、踊った。
「三……二……一……!」
「コンタクト!」

 スター・コルベットは光の渦に飛び込んでいった。

 星百合スターリリィの導くままに。
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