銀河皇帝のいない八月

沙月Q

文字の大きさ
上 下
19 / 46
第二章

6. 星百合

しおりを挟む
「オーマイ……オーマイ……」

 空里のシートにしがみつきながら、ケイト・ティプトリーはうわ言のようにつぶやき続けた。まさか、本当の宇宙旅行になると思っていなかった彼女は、目の前の現実と、今まで空里たちから聞いた話のすべてがウソではないのだという現実の両方に押しつぶされそうな思いでいた。
 度を失いかけていたのは空里も同じだったが、すでにネープとの大冒険を経験していたことで、まだ冷静さを保てていた。

 窓外の青空はあっという間に漆黒の宇宙空間に塗り替えられ、スター・コルベットは地球圏を脱出しようとしていた。
「宇宙って暗い……」
 空里はひとたび宇宙に飛び出せば、満点の星空が広がっていると思っていた。だが目の前に広がる本物の宇宙は、ただの暗闇だ。
「大気のせいで光が拡散するから、地上の方が星はよく見えるのよ……」
 落ち着きを取り戻したティプトリーが言った。いや、何か言葉を口にすることで、なんとか落ち着きを取り戻そうとしているようだ。
「星が見たいのですか?」
 耳ざとく反応したネープが、コンソールを操作した。
「うわあ……」
 空里の頭上に天の川銀河の鮮やかな立体映像が現れた。
「船外の立体受光器に増感フィルターをかけました。今の外の景色そのままですよ」
「これが……銀河……」
「もうすぐこのすべてが、アサトのものさ」
 シェンガの言葉に空里は息を呑んだ。

 突然、甲高い信号音が鳴り響いた。警報だ。
「船だ。ウォーワームを送り込んだ連中に違いない」
 立体ディスプレイの表示が目まぐるしく変わり、やがて小さな宇宙船団の像を結んだ。
 細長い矢のような小型艇が数隻、猛スピードで接近しコルベットに追いついてきた。よく見ると、その船体の上には何ものにも覆われていない人間の姿が見とめられる。ちょうど、バイクにまたがるような姿勢で宇宙船に乗っているのだ。
「ナスーカ教徒のバトルカヌーだ」
 ネープの言葉をシェンガが補足する。
「星百合《スター・リリィ》そのものを信奉している連中だ。あれの力を借りて、人間の感覚を拡大したり出来るというんだがな」
「星百合の力を借りるの?」
「そのカケラでもあれば、星百合はさまざまな可能性を開く鍵になります。しかし、ナスーカ教徒も多くの者たちも、表層的な部分を利用しているだけで、本当の意味で力を借りているとは言えません」
 ネープの声は冷静だったが、どこか苦いものが感じられた。
「どういうこと?」
「星百合の力は、星百合自体がそれを欲する者を認めて、応えることで初めて発揮されるのです。あなたにも解る時が来ます。そのためにも〈青砂〉へ向かうのです」
「〈皇冠《クラウン》〉のことか?」
 シェンガの問いかけにネープは沈黙した。
 空里も沈黙した。これ以上何か尋ねると、怖い現実にぶつかりそうな気がしたのだ。
「何かしら……頭の中で声がするような……」
 ティプトリーが言った。
 空里もすぐに気づいた。何か、歌のようなお経のような、意味不明の唱和が頭の中へ直接響いて来るのだ。リーリングを介していないので、意味はわからない。
「あいつらが、我々を威嚇しているのです。こうした精神感応も星百合の力を身につけた者の仕業です。大したことではありませんが」
 やがて、船の周辺で火花が散った。
 バトルカヌーからの攻撃が、シールドで散っているのだ。
「どうする? 片付けちまうか?」
 シェンガの剣呑な提案にネープはのらなかった。
「構わん。すぐに引き離す」

 船体がグンと加速に揺れ、バトルカヌーの群れはあっという間に見えなくなった。

 超空間路へのゲートがある木星軌道までは、そこから数日の行程だった。
 シェンガによれば、皇帝専用スター・コルベットならではの亜光速エンジンによる速さだった。狭い船内での長い旅路だったが、空里もティプトリーも、銀河帝国にまつわるあらゆる話を聞き、資料を見ることで全く退屈しなかった。
 疲れたら、二人一緒に皇帝専用のキャビンで休んだ。

「あれが木星?」
 地球から見る月ほどの大きさに輝く、オレンジ色の星を指差して空里がたずねた。
「あなた方がそう呼ぶ、第五惑星です。この太陽系でも最大級の惑星ですね」
「じきに星百合スターリリィも視界に入ってくるぞ。ほら、もうすぐそこだ」
 シェンガの示した空間に輝いていた白い点が、みるみる大きくなってきた。
「あれが……」
 ネープは空里がよく観察できるように、船の速度を落として星百合スターリリィの周りを何度か旋回した。

 それは確かに、宇宙に咲いた百合の花だった。

 直径数百メートルはあろうかという、複雑な形の巨大な鉱物。ネープによれば、これでも生まれたばかりの小さなものらしい。それ自体が輝きを放っているわけでもなく、動いているわけでもなかったが、言い知れぬ存在感をもってその空間に浮かんでいる。

「これが……生きているの?」
 ティプトリーが空里も感じていた疑念を口にした。
「生きている。その証が超空間路へのゲートであり、その先に広がる銀河帝国そのものだ」
 スター・コルベットは、ゆっくりと星百合のそばを離れ、その生命の証でもあるスター・ゲートへと針路をとった。

 次の瞬間……

 星百合の姿を映し出していたディスプレイが、真っ白な閃光を放った。
「!」
 防眩フィルターが作動しなければ、それを見ていた全員が失明したであろうほどの強力な光だった。
 直後、船体を有無を言わさぬ猛烈な震動が襲った。
「なんだ!?」
 シェンガの叫びにネープはすぐ反応した。
「バズ型熱核弾だ。星百合に直接仕掛けられていた」
「星百合を破壊した?」
「いや、この程度の爆発では星百合はびくともしない。それより問題は、この船だ。被害は深刻かもしれん」

 星百合はびくともしない……
 空里はその言葉通り、立体ディスプレイに変わらぬ姿のまま遠ざかる星百合を見た。

 しかし……

 閃光が起こった瞬間、彼女は星百合が粉々に砕け散るのを見た……ような気がしたのだった。あれは錯覚だったのだろうか……

 突然、船内が真っ赤な照明に包まれた。
「おい、こりゃまずいぞ……」
 シェンガがいつになく焦った声を出す。
流体脳フリュコムのメインストリームが完全に死んだ。操縦はマニュアルになる」
 ネープの声は落ち着いていたが、そのトーンは一段落ちたように聞こえた。空里はティプトリーと顔を見合わせ、とてつもなく深刻な事態であることを確かめ合った。前席の二人に声をかけるのもはばかられたが、聞かないわけにもいかなかった。
「どうしたの?」
「あなた方の言葉で言う、コンピュータが故障したのです。帝国では流体脳フリュコムという液体機械なのですが」
「故障……」
「コンピュータなら、修理出来るんじゃないの?」
 ティプトリーの楽観的な見通しは黙殺された。流体脳フリュコムは機械的なコンピュータより遥かに効率よく計算能力を発揮し、あらゆるデバイスと柔軟に接続して直接コントロール出来たが、その深刻なトラブルは故障というよりも生物の「死」に近いものだった。

「操縦はともかく、リリィ・ドライブをどうする? 軌道計算が出来ないぞ?」
 シェンガの問いに一瞬間を置いて、完全人間の少年は答えた。
「私が計算する」
「どうやって?」
「暗算で、だ」
「無茶だ!」
 ネープはコンソールに指を走らせ、自分の周りを立体ディスプレイの投射する光で満たした。
「入出力回路は生きてる。ゲートインまでの操縦をしてくれ。何とかなる」
「何とかって……計算が違ってたら一巻の終わりだぞ!」
「間違えないから大丈夫だ」
 何かの文字列や数式、何かの装置の操作パネルにも見える光が、空中で目まぐるしく明滅する。ネープはその一つ一つを、指差し、組み合わせ、払い除けながら、仕事に没頭していった。
「四七五……二二三……時空壁面歪曲度……チェック……」
 計算が違っていたらどうなるのか……空里には尋ねる勇気もなかった。シェンガの言う「一巻の終わり」が、なるべくあっさりと、誰の苦しみもともなうことなく、過ぎ去ってくれることを願うだけだ。
「十二次元座標照準……誘導ジーン線誤差修正……九九四八三二エクエク……」
「ゲートインタイミング来た。合わせるぞ」
「リリィ・ドライブ起動した。マニュアルでシンクロさせる」
「カウントする。七……六……五……」
 空里は、窓外の宇宙空間が奇妙な見え方をしているのに気づいた。
「木星が……歪んでる……」
 やがて、正面に白い光の帯が現れた。その光はすぐに膨れ上がり、船を飲み込むように広がり、踊った。
「三……二……一……!」
「コンタクト!」

 スター・コルベットは光の渦に飛び込んでいった。

 星百合スターリリィの導くままに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

銀河戦国記ノヴァルナ 第3章:銀河布武

潮崎 晶
SF
最大の宿敵であるスルガルム/トーミ宙域星大名、ギィゲルト・ジヴ=イマーガラを討ち果たしたノヴァルナ・ダン=ウォーダは、いよいよシグシーマ銀河系の覇権獲得へ動き出す。だがその先に待ち受けるは数々の敵対勢力。果たしてノヴァルナの運命は?

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

海道一の弓取り~昨日なし明日またしらぬ、人はただ今日のうちこそ命なりけれ~

海野 入鹿
SF
高校2年生の相場源太は暴走した車によって突如として人生に終止符を打たれた、はずだった。 再び目覚めた時、源太はあの桶狭間の戦いで有名な今川義元に転生していた― これは現代っ子の高校生が突き進む戦国物語。 史実に沿って進みますが、作者の創作なので架空の人物や設定が入っております。 不定期更新です。 SFとなっていますが、歴史物です。 小説家になろうでも掲載しています。

ーUNIVERSEー

≈アオバ≈
SF
リミワール星という星の敗戦国で生きながらえてきた主人公のラザーは、生きるため、そして幸せという意味を知るために宇宙組織フラワーに入り、そこで出来た仲間と共に宇宙の平和をかけて戦うSFストーリー。 毎週火曜日投稿中!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

処理中です...