【完結】おじさんはΩである

藤吉とわ

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26話ー楽観的思考がもたらした結果

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 リビングに入って来て、部屋の中をぐるりと見回す戸賀井を盗み見る。
 彼は、ん、と鼻を鳴らし眉を寄せてから視線を雄大に向けた。けれど雄大の方は逃げるみたいに何もない床に目を落とす。
「誰か来た? 鍵掛けなきゃ危ないですよ」
 翔が言っていたように他のαの匂いを感じているのだろう。だから戸賀井はこの部屋を見回していたのだ。
「戸賀井くん、なんで……」
 気付かれてしまう。
 息が止まりそうになって、雄大は呼吸の仕方を思い出そうと床の一点を見つめて鼻から吸った息を口から盛大に吐いた。
「なん、なんで、居るの」
 合鍵を持っているということはいつでも来て良いという意味でもある。理由などなくて構わないのに、動揺から変な聞き方をしてしまう。
 少し間があって、戸賀井が「前中さんから連絡があって」と言わなくてもいい理由を口にしながら雄大の前にしゃがみ込む。
 近くに来られると手の平で隠す翔の唇の跡が熱を持つ。
「門村先生の具合が悪そうだって聞いたから来たんです。俺も連絡入れたけど、前中さんからもメッセージ入ってなかったですか」
 入っていた。けれど読んではいない。
「大丈夫ですか? 汗掻いてますね。熱はないの?」
 戸賀井の指が雄大の前髪に触れてから額にくっ付く。
「風邪かな……てか先生ほんとにどうしたの? 凄い大人しいね」
「……どうも、しない」
「適当に水とかおにぎりとか買って来たから、食べて寝ましょう」
 戸賀井が持っていたビニール袋の中から水の入ったペットボトルを取り出して床に置く。それから雄大が取り落とした鏡を拾い小首を傾げた。
「鏡? ……こっちは?」
 同じく床に落ちていたウェットティッシュを拾い上げて雄大に「どうしたんですか? なにこれ?」と聞いてくる。
「なんでもない。なんでも……」
 首元から手を離すと戸賀井から鏡とウェットティッシュを奪って、ローテーブルの上に戻す。
 視線が刺さる。
 恐々と戸賀井に顔を向けると目が合った。しかし彼の目線の方が強くて負けてしまった雄大はサッと目を逸らし、思い出したようにTシャツの襟元を弄る仕草を見せながら手で翔の唇の跡を覆った。
「……なに隠してるんですか?」
 戸賀井の声に全身が戦慄いて、指先は氷のように冷たくなる。
「なにも……」
 ふるふると頭を横に動かすと戸賀井の手が首を覆う雄大の手首を掴む。
「先生、この手、退けて」
「戸賀井くん、っ」
「退けて」
 部屋の壁に亀裂でも入りそうなピリッとした戸賀井の声色に雄大は抵抗が出来なくなって掴まれた手の権利を彼に渡すよう力を抜いた。
 そうっと雄大の手の平が首元から離される。
「……なに、これ」
 最初は本当に分からないという感じの声を出した戸賀井が、暫くすると赤い印がどういう意図で付けられたのか把握したように「誰にされたの」と雄大に問うてきた。
「……さっき、アパートの階段のとこで男とすれ違ったけど、そいつ? 確か……スーツ着てた」
「これは、その、っ」
 何処から説明すればいいのか、言い訳も見つからない。
 どんな過程を経たにしろ結果はこの呪いのような赤い印に辿り着くのだから、取り繕ったところで無駄な気がする。
「ご、ごめん、俺が、軽率だった」
「いや、そういうこと聞きたいんじゃない。先生にこんなことしたの誰なのって聞いてるんですよ」
「……言ったら、どうなる。どうするの」
「どうするって……話聞いて、っ…………冷静に話聞けるか分かんないな」
 戸賀井の片手は雄大の首に添えられ、もう片方の手は膝の上にある。雄大から見える方の戸賀井の手は強く握り込まれ、血管が浮き出ている。
「ごめん、ほんとに、俺が、もっとちゃんとしてれば。Ωっていう自覚が足りなかった」
「……これ、付けたの、飯食いに行った教え子? いや、さっきのスーツなら兄ちゃんの方か」
 何か思い当たったのか戸賀井はそう言うと立ち上がる。
「とが、っ、どこ、どこ行くの?」
「まだその辺居るだろうし、探してきます」
「だめっ、だめだめ、ほんとに、俺が、悪い……君の言うこと聞かなかった、俺が悪い」
 四つん這いで追い縋って戸賀井の手を掴む。彼の手も雄大と同じくらい冷えていて、掴んでいるという感覚がない。
「なんでそんな謝んの? 先生の方から誘ったんですか?」
「違うっ、違う、けど――」
「匂い漏れてますよ」
 振り返った戸賀井の目の中の黒は光を映していない。
「ヒートじゃなくてもやりたくはなるよね、先生も男なんだから。でも俺とはヒートの時って約束してるし、したい時に出来ない。そもそも俺が元教え子ってのもまだ引っかかってるみたいだし、それなら他の男でもって考えたの? そいつと会ってたからこんなフェロモンだだ漏らしなんだ」
「ち、っ」
 違う、と言いたかったのに、戸賀井の手で口を押さえられてしまう。
 否定の言葉は大きな手の平に吸収されて外には出て来ない。
「そんなにしたいんだったら俺が相手になりますよ。……ヒート以外でも俺を選んでよ」
「ふ……っ、ぅ」
 雄大の口を塞いだ状態で、戸賀井の手がぐうっと押してくる。
 αの威圧感を受けて身体が真っ直ぐを保っていられない。
 あ、倒れる――
 無防備な体勢のまま、雄大の体は床に向かって落ちた。

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