【完結】おじさんはΩである

藤吉とわ

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4話ー再検査と二人暮らし

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 みつたにクリニックの医師が訪ねて来た翌日、雄大は戸賀井の自宅に最低限の荷物を持って移動した。「引っ越し」ではないのはまだ自分の住んでいるアパートの契約期間が残されていることや、戸賀井の世話になる期間は限定的だと思っているからだ。
 みつたにクリニックは同じ市内にあり、雄大が若かりし頃教育実習で通った小学校の近くにある。当時は位置関係など気にもしていなかったが、バスに乗って小学校前で下りて通学路に敷かれたグリーンベルトを歩き、等間隔に植えられた木々を眺めて足を動かしている内にクリニックへと辿り着いた。大学四年の時に見た風景とはだいぶ印象が違う。そもそもグリーンベルトはなかったし、人工的に植えられた木々もなかった。周りは田んぼだらけでこれといって目につくものはなく、教育実習は五月頃行われたのだが、澄み切った青空に仕舞い損なわれた近所の鯉のぼりがすいすいと泳いでいた覚えがあるぐらいだ。
「門村先生」
 クリニックの前に立っていると声を掛けられた。これから雄大と共に暮らす戸賀井だ。
 昨晩は混乱していて自分のことで精一杯だったが、彼がそばに居て手を握ってくれたことで取り乱しも最小限で済んだ――と思いたい。
 クリニックの前で待ち合わせて、改めてバース検査を行った。結果が出るまで二人で暮らす家で待っていようということになり、戸賀井の後ろをついて歩く。黒髪のナチュラルマッシュヘアに風が通って揺れる。うなじを見るだけでも雄大の視線は上向きとなるため、戸賀井の身長は百八十をゆうに超えているだろう。がっちり体系というよりは痩せ型に近いが、本来の肉付きは脱いでみないことには分からない。
「歩くの早いですか」
「へ?」
 戸賀井の歩みが緩くなり、軽く振り返られると気を遣わせてしまったかと雄大は隣に並ぶ。
「ああ、すいません」
 何がすまないのか謝ってしまった。動く度に戸賀井の目線が一緒に付いてくる。物凄く視線が当たるから、顔を横に向け「なにか?」と首を傾げると戸賀井の視線は離れてしまった。目が合った時間はものの数秒だが、勿体ないのでそのまま戸賀井の顔面を観察する。厚くない瞼に薄い二重の線、切れ長の目は彼をクールに見せる。鼻筋は通っているが、鼻翼は小さく形が整っている。これがバランスよく配置された戸賀井を見ているとこれぞ「α男性」という感じがする。
 そりゃ自分なんかがαなわけがない。雄大は特段切り替えが早いという性質ではないが、明らかに自分とは違う人種を前に諦めが付いた。
「仕事はどうでしたか」
 聞かれたと同時に戸賀井がキュッと横に曲がったもので雄大は一瞬置いて行かれそうになった。この辺りも家が増えたな~なんてのんびり考えていたから横を歩く戸賀井の動きに気付かなければ雄大だけ延々と真っ直ぐ歩き続けるところだった。「ここです」とか一言付けてくれよと思いつつ、一軒家と一軒家の間に建つマンションに到着した。土地の境界線に植えられた常緑樹を見ながらエントランスに続く階段を上っていく。
「仕事は? どうでした?」
 改めて聞かれて、そういえば答えていなかったと雄大は焦って頷く。
「あ、ああ、電話をして、暫く休ませて貰うことにしました」
「そうですか。それは良かったです」
 戸賀井の返事に、ええ、と頷く。
 自分の第二の性が告知ミスにより変わってしまったという現実の中、雄大が何とか平静を保っていられたのはΩである学校長のお陰でもあった。
 今朝電話をして経緯を説明したところ、「生徒たちのことは任せて、先生はなにも心配することなくお休みしてください」と言ってくれた。たったこれだけの言葉にどれほど救われたか。続けて「長期の休みになっても教育委員会の方と掛け合っておくので進退のことなど考えなくて良い。必ず戻って来て下さい」電話越しなのに校長の力強さを感じた。姿は見えず、顔色が窺えずとも嘘はないと思えるのは学校長もまたΩとしての人生を歩んで来たという説得力があるからかもしれない。
「ここが部屋です」
 校長のことを考えて心を温かくしていた雄大は戸賀井の声でハッと現実に返る。マンションに着いた時とは違い、戸賀井は部屋の前に着くときっちりとここですと指で指し示してくれた。角部屋で分かりやすい。但し、雄大はぼんやりと戸賀井に付いて歩いていたため、エレベーターに乗り込む際にここが何階であるか確かめていなかった。
 キョロキョロと周りを見渡しても今自分が居る階が何階であるか分からない。雄大の様子を見て、戸賀井の方から「五階です」と教えられた。優秀なαは察しも良いらしい。
 玄関を入ると正面、右手側に一つずつドアがあり、左手側に二つドアがある。
「洗面所と浴室、トイレがこっちで、ここに一つ部屋があります」
 手前左側の説明をしてから、戸賀井が右側に一つある部屋のドアをコンと指で叩く。
「門村先生はこの部屋を使ってください。なにかあっても帰って来たら即部屋に籠れるし、俺が帰って来てからもすぐに先生の様子を窺えますから」
「あ、うん、ありがとう」
 戸賀井は既に廊下に上がっているが、雄大は漸く靴を脱いで廊下に上がり礼を言う。家の中で動くと外とは違い、ふわりと新居のような香りが漂う。
「こっちがリビングです」
 正面のドアを開けて戸賀井が進んで行く。すると更に強く真新しい匂いに包まれた。
「二LDKで、奥にもう一つ部屋があります。あれが俺の部屋です」
 だだっ広いリビングの奥に部屋のドアが見える。更に奥にバルコニーがあって、外が見渡せる。
「……あの、戸賀井くん? ちょっと、気になることを聞いてもいいですか」
「はい?」
「ここは元々君が住んでる部屋で、そこに俺が一緒に住ませて貰うんですよね?」
「いえ、ここは先生と暮らすために俺が選んだ部屋です。俺も来るのは二回目です」
 一週間前くらいに決めました。ヒートが来た時のために部屋は分かれていた方がいいし、先生は自炊をするでしょうからキッチンも広めのところを選びました、とスラスラ喋る戸賀井を前に雄大は絶句する。
「お、俺との暮らしのための部屋、なの?」
「ええ、そうです。あ、家賃の心配ですか。それならクリニックの負担なので――」
「いやいやいや違う違う。そういう心配をしてるんじゃなくて、俺と住むためだけに君はここに越して来るの? ていうか一週間前ってなに?」
「門村先生と同じく誤診された患者さんがクリニックに来て、調査の結果先生がαではなくΩなのではないかとクリニックの見解が出た頃に内見しました。何となく……先生は俺と暮らすことになるんじゃないかなと思っていたので」
 思わず敬語が外れてしまった雄大の頭の上には幾つものクエスチョンマークが浮かんでいる。教諭をしているため、理解力はある方だと自負していたが、戸賀井の言い分を繰り返し噛み砕いてみても雄大の中で馴染むことはなかった。
「な、なんでそこまで」
 確かに誤診は重大事案だ。けれど、戸賀井には直接関係がない。戸賀井自身が検査ミスをしたわけでも雄大の第二の性の告知を誤ったわけでもない。
「強制されてるなら、俺はこういうのは望んでないよ」
「強制なんてされてません。俺が望んでそうしてます」
 田口に強制されたのかと「そういうことなら一緒には暮らせない」と泰然と申し出ると戸賀井もはっきりとクリニックから命令されてこうしているわけではないと言い切る。
「だとしたらなおさらおかしいよ。普通ここまでしないだろう」
「昨日の田口先生の話を忘れましたか? 今は俺の行動にこだわるよりも、門村先生がヒートを迎えることの方が大事なんです」
 まだ家具もないだだっ広いリビングの中がシンと静まり返る。黙って見つめ合っていると、αの気配に押されそうになる。けれど、戸賀井よりも自分の方が年上――なはず――だ。そう、おじさんなんだ、俺は、と自分に言い聞かす。おじさんは我儘で、自分の納得がいかない場合は絶対に譲らない――はず――だ。
 雄大だけが戸賀井を威嚇し、戸賀井はただ雄大を眺めているだけ、という空間で数秒間を無駄にするとズボンのポケットの中でスマホが震え出す。
「……電話、鳴ってますよ」
「分かってるよ」
 戸賀井から視線を逸らさぬまま、雄大はポケットの中に手を突っ込んでスマホを取り出す。
 流石に誰からの着信であるかは確かめねばならない。漸く戸賀井からスマホ画面に目線を移すとみつたにクリニックと表示されていた。
「……はい」
 電話口の向こうには田口が居る。部屋に来る前に受けたバース検査の結果が出たという。
 ――Ωでした。
 短く告げられ、期待はしていなかったけれど、やはり落ち込む。
 明日、来院してくださいと言われ、はいと答えて電話を切った。スマホを握り締めたままで、先程の続きのように戸賀井を見つめる。でももう強い視線を送ることが出来ない。
「検査結果ですか」
 十分に認識しながらも決め付けることはせず手順を踏んで確認をしてくる戸賀井に雄大は静かに頷く。頭が重いのか、空気の重さか、首を縦に振ったまま項垂れてしまう。
「……おかしいよね。分かっていたはずなのに、やっぱりショックだ」
「Ωが悪いとかそういうことではなく、突然バース性が違うと言われたんですから落ち込んで当然です」
「検査結果が出ただけでこんなに気分が落ちちゃうのに、ヒートなんて乗り越えられるかな」
「そのために俺が居ます。俺を頼ってください」
 昨日会ったばかりなのに? という皮肉は雄大の口からは出なかった。今朝の学校長の言葉と同じく、戸賀井の口から出て来た言葉には命が宿っている。それは雄大の体を優しく包んで、表面だけでなく芯まで温かくさせる。
 心細いからそんなふうに思うのか、強がるみたいに小さく笑って見せる。すると戸賀井からも笑顔が返って来た。初めて笑ってくれた。
 真顔であればαらしく迫力のある男前なのに、笑った顔は無邪気な子供のようだ。
 どこかで見たような気がするのは、こういう顔をして笑う子供たちに囲まれている自分を懐かしく思うからだろう。雄大は己を納得させて、もう一度戸賀井に笑顔を向けた。
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