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 僕は高橋たかはし陽翔はると、十八歳のヒキニートだ。
 そんな僕は何時も、あの日のことを夢に見る。
 薄暗い部屋に丸くなり、深く、フードを被りながら。

◆◆◆

 僕は色んな人からモテていた。
 同年代の女子にも、近所のオバサンにも、先生にも。
 毎日のように告白されたし、色んな人からストーキングされた。
 
 みんなが僕に告白するとき、必ず言う言葉がある。
 
 それは、「イケメン」だ。
 ──イケメンでカッコイイから一目惚れしました。
 ──イケメンだし、優しいから好きになりました。
 そんな文章を何回聞いたか、正直覚えていない。
 覚えられない位に言われたのだ。
 でも一人だけ、たった一人だけ、「イケメン」という単語を使わなかった女の子が居た。
 
 でも断った。
 
 告白してきた人全員に言えるが、何も、顔目当てなのが気に食わなくて断ったのではない。
 彼女等はみんな、僕の目の前で醜悪な争いをしたのだ。
 ──私が付き合うから引っ込んでろブス。
 ──てめぇのがブスだろーがよ、コロスぞ。
 ──『ねぇ、どっちのが良い?』
 昔のことであまり覚えてないけど、そんな感じだった。
 
 それが、たった一回だけなら良かった。
 でも、現実は違った。
 どんなに愛らしい笑みを浮かべて告白したとして、その裏では毎回このようなことが起こっていたのだ。
 あぁ……なんて醜いのだろう…………。
 そう思った瞬間、僕から恋愛の二文字が消えていた。

 正直そこら辺から、学校に行くのがしんどくなった。
 でも、行かないなんてことは無かった。
 だって、そうだろう?
 学校に行かなくなったとしても、どうせ、毎日のように女子が家に訪ねてくるのだから。
 
 それに僕には、大学で勉強し、一流の大企業に就いて、両親に恩返しをするという目標がある。
 だから、辞める訳にはいかなかった。
 ストーキング、コピペの告白、身体部位入り料理、物品の盗難……リスカの写真を見せられたこともあった。
 
 でも、それだけだ。
 我慢すれば良いだけだ。
 
 それに幸い、僕には頼れる男友達が居た。
 いつも守ってくれる男友達。
 彼等のおかげで耐えられていた。
 男友達との学校生活は楽しかった。
 しょうもないことで一緒に笑って、しょうもないことで一緒に盛り上がって。
 その一時一時が、僕の荒んだ心を癒してくれた。

 だから僕は、学校に登校することが出来ていた。

 授業の終わるチャイムが鳴り、何時も通りに男友達と休憩時間を共にしようとしていた。
 でも、そんなのは訪れなかったのだ。
 教室の扉から女子十数人と男友達が来ると、十数人の女子が僕を囲みだした。

「…………え? 何コレ? どーゆーこと?」

 訳も分からず困惑した。
 そりゃそうだ、意味も分からず囲まれたのだから。
 僕が椅子に座りながら「?」を浮かべていると、男友達が輪の外から入って来た。
 その表情は赤味を帯びており、僕達を囲んでいる女子共は気色の悪いニヤついた笑みを浮かべるばかり。
 中には、僕と男友達を交互に見ては、涎を垂らしている者も居たし。男友達に熱い視線を向けてる者も居た。
 そこで僕は、男友達に目線を向けた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
 
 男友達は拳を握りしめながら身体を震わせ、息を荒らげていたのだ。
 僕はこのとき、猛烈に剣呑した。
 だから僕は有無を言わさずに立ち上がり、逃げることが出来たのだ。
 
「実は俺さ、お前の事が好きだったんだよ!」

 そう言った男友達……いや、彼は、抱きついてキスをしようとして来たのだ。
 その様子を周りの女子は涎を垂らしながら、気色悪いを超えた、悪魔のような笑みを浮かべていた。

「王子様系イケメンとオラついたフツメンのカプ! なんて最高なのかしら!!」

「尊みに溢れてるわ!! 尊死しちゃう!!!」

 なんとこの悪魔達はみんな、脳と心が腐っていたのだ。
 奴らは脳内変換腐ィルターフィルターをフル回転させ、都合の良い妄想劇を身勝手にも繰り広げていた。
 このとき、僕の全てを繋ぎ止めていた細い糸が、プツンと切れる音がした。

「………………う"ぇ"、き"も"ち"わ"る"い"」

 恐怖で押しつぶさそうになった、吐きそうになった、泣き叫びそうになった、──そして、帰りたくなった。

「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」

 冷や汗をダラダラ垂らしながら、震えた手で授業机の横に掛けてあるカバンを取った。
 
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」

 カバンで彼と悪魔を殴り飛ばし、逃げるようにして全速力で走った。
 何がジ〇ンダーだ、何がポ〇コレだ、──気色悪い。
 
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…………う"ぉ"え"」

 吐きそうになりながらも、一目散に逃げた。
 後ろから足音が聞こえてきた。
 廊下を走った、階段を飛び降りた、廊下を走った、階段を飛び降りた。

「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」

 靴を取り替えず、そのまま外に出た。

「かハッ……お"ぇ"ぇ"、はぁはぁはぁ…………気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
 
 走る、走った、走れた、逃げた。
 そうだ、逃げることが出来たのだ。
 えづきながらも嗚咽を吐き出し、全速力で自宅への帰路に着くことが出来た。
 途中まで後ろに気配を感じたが、いずれ気配を感じなくなっていた。
 このとき初めて、自分の脚が早いことを誇りに思った。

「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」

 気付いたときにはもう、家の前まで来ていた。

「もう、嫌だ…………行きたくない………………」

 そう言って部屋に入った僕は、──家から出るのが怖くなっていた。

 事件が合った次の日、何とか外に出ようとして、玄関に吐いた。
 これが所謂、トラウマという奴なのだろう。
 外に出ようとする度に、今までのことを思い出して猛烈な吐き気に襲われるのだ。

「ぁ"ぁ"ぁ"~ー─~~──っ!!」
 
 僕は苦しみのあまりに、声にならない呻きを上げた。
 呻きを聞いて両親が慌てて来たとき、玄関に撒き散っている嘔吐物を見て悲しい表情を浮かべてくれた。
 まるで自分のことのように、苦しんでくれたのだ。
 それが何よりも、僕の心を救ってくれた。

 僕の両親は世界で一番尊敬しているし、優しい。
 両親は「頑張れ」と言うでもなく、ただ、優しく抱きしめてくれた。
 そして、普通とは真逆の言葉を僕に言うのだ。
 「頑張らなくたって、良いんだよ……」
 と、温かい涙を浮かべながら。
 このとき久しぶりに、僕は嬉しくて泣いた。
 お母さんの胸に抱かれながら、子どものように……。

 そうして僕は、ヒキニートになったのだった。

◆◆◆
 
「………………お母さん」

 時計の針が、朝の六時を指している。
 寝息を立てている僕の目尻からは、温かな涙が溢れてきていた。
 白のカーテンの隙間から、温かな日が差し込んでくる。

「んっ、ふぁあああああ…………」
 
 日差しに目が眩み起きると、温い布団を退かしつつカレンダーを見て考えた。
 ヒキニートになってから、一体、どのくらいのときが経っただろうか、と。
 
(もう、アレから半年……か)

 そんなことを考えながら立ち上がる。
 部屋の隅に干してある高校の制服が、横目にチラついて見えた。
 黒と赤がベースの制服。
 それを視界に収めた僕は、そっと呟く。

「昨日見た学園アニメ。楽しそうだったなぁ……」

 何の変哲もない、よくある学園青春もののアニメ。
 何にも取り柄の無い主人公だけど、人一倍努力して、人一倍他人に優しくて、人一倍、──自分に厳しい。
 そんな主人公を気に入ったクラスメイト達が、男も女も関係無く少しずつ友情を育んで、青春をおくるのだ。
 設定もありきたりで物語も普通、どんでん返しもない。
 アニメに肥えた者なら、つまらないと言うような出来。
 でも、それでも、僕の心を射止めたのだ。
 何故ならそれが、僕の欲していたモノだったのだから。

 何故か分からないけれど、僕はこのとき制服に手を伸ばしていた。
 ──やめろよ馬鹿らしい。
 ──あれはアニメだぞ、現実じゃないんだ。
 ──あれだけ醜い現実を見て来たじゃないか。
 ──辛くて苦しいから引き篭ってきたんじゃないか。
 ──それに、今更社会復帰を出来る訳が無いだろう。
 ──今更学校に行ったとして、一体何が出来るんだ。
 ──引き篭ってる間に、ロクに勉強しなかったのに。
 そんな言葉が悲痛な声で、胸の内から聞こえてくる。
 
 その声はまるで……いや、まるでじゃないか。
 だってこんなことを僕に言うのは、──僕くらいなものなのだから。

 制服に伸ばした手を退かした。
 ベッドに背中から倒れ込んだ。
 そんな僕は、冷たい涙を流す。

「……………………く"や"し"い"」

 自分が不甲斐なくて泣いた。
 そんなことに、意味も無ければ、意義も無いのに……。
 
 推しのポスターが貼られてある天井を、ふやけた視界でボーッと眺める。
 何がしたいでもなく、ただ眺めた。

 推しと言うのは、白髪赤目の女騎士「リオン」。
 強く、気高く、美しく。
 まさに、それらを体現したかのようなキャラだ。
 リオンは生まれながらにして、その身に余る使命を背負っていた。
 僕なら捨てて逃げてしまうような、そんな使命。
 でも、リオンは逃げないのだ。
 どんなに苦しくても、どんなに痛くても、どんなに悲しくても、立ち上がって戦い続ける。
 そんなリオンの姿を見た僕は、立ち上がれる強さが羨ましかった、心の底から凄いと思った、憧れた。
 だって僕は、逃げたのだから。

「僕……どうすれば良かったの…………」

 推しのポスターに左手を伸ばし、Tシャツに在る推しを右手で握りしめた。
 唇がプルプルと震える。
 
 こんなときリオンなら、何て言ってくれるだろうか。
 
 いや、何て言ってくれるか、じゃないか……。
 だって、リオンはもう言っているのだから。

「過去は取り戻せなくても、未来なら変えられる。だから私達は戦うのだ。ただひたむきに、前だけを見て……。そうやって何かを成した者を、我らは『英雄』と呼ぶのだ」

 これは、理想の英雄になれなくて絶望した主人公に、真の英雄たるリオンが言った言葉。
 この言葉を聞いたとき、胸がズキズキと痛んだ。
 
 別に、英雄になりたい訳じゃない。
 僕はただ、自分の未来を変えたかった。
 こんな、ゴミみたいな今を変えたかった。
 胸を張って生きられる今にしたかった。
 
 でも、変えられやしなかった。
 過去に喚いて未来に縋ってみても、今変わろうとしなければ変われない。
 
 だからこそ、この言葉が僕の心に刻まれたのだ。
 未来に手を伸ばしたあの日も、現在いまからすれば、──過去のことなのだから。

 このとき僕は、心ともなく、制服を手に取っていた。

 ──少しだけ、勇気を出してみよう。
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