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シーズン1/第二章

ルミナ・モルガノットの冒険⑥(アガメ遺跡)

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「ルミナちゃん!」
 ウェイドは少女の名を叫ぶ。

「ウェ、ウェイドさん……!」


 ルミナは壁に背を付け、身動きが取れなくなっていた。

 少女に迫るのは、細長い体をうねうねと蠢かしながら進む蟲たち。
 武骨な男の指ほどの太さで、長さは個体によってまちまちだ。五センチほどの小さなものから、三十センチはあるのではいかという長いものまで。

 それらがひしめき合い、互いに体を絡ませさえしながら少女へにじり寄って行く。


 ウェイドは、床にひしめく蟲たちの目前まで駆け寄った。
 新たな獲物の気配を察し、一部の蟲たちはウェイドの方へ方向を転換する。……ウェイドは怯まず、すぐに羽織っていた外套がいとうを脱ぐと、それを床にひしめく蟲に向けて勢いよく振るった。床を這う蟲たちを払うためだ。

 ばしん、ばしん、と蟲の群れを払っていくウェイド。

 少女の周りをすき間なく埋め尽くしていた蟲の囲いにすき間を開けた。壁に追いやられていたルミナに手を差し伸べ、ぐいっと引き寄せる。



「ふうっ……。あ、ありがとうございます、ウェイドさん!」

 もう数秒も経てば、ゆっくりと這い進む蟲たちが少女の足元に触れていたところだった。

「危ないところだったな……」
「って、あっ。ウェイドさん、それ!」

 ルミナが、彼の持つ外套を指差した。
 ウェイドが見ると、蟲を払い飛ばすために用いたそれには、何匹もの蟲がしっかりとしがみ付いていた。

 異常な粘性で外套に貼りつき、頭部の先にある口を大きく開いて生地にかじりつく。すぐに喰い破られ、外套には小さな穴がいくつも穿たれていった。


「――くそっ」

 ウェイドはすぐに外套を放り投げた。

「甲虫の足が外骨格から分離して、独立して動き出すなんてな……。だが、こんな蟲、切り刻んで終わりだ」


 そう言って、ウェイドはまた投げナイフを構えた。
 ピシュ、と放ったナイフが、床に這いつくばっていた蟲のうちの一つに突き立った。十センチ大の蠕虫のちょうど中心に突き立ち、細長い体を二つに分断したのだ。


「数はとんでもないが、こうして一匹ずつ始末していけばいずれは――……」

 手首の装置を使い、糸を巻き取ってナイフを手に戻しながらそう言うウェイドだったが、驚くべき光景を目にし、ハッと言葉を止める。


 腹部で寸断された蠕虫。
 なんと、分かれた前後がそれぞれ動き出した。

 切り口からにゅるりと体が伸び始め、傷が修復していく。しかし切断面がくっつくのではなく、なんとそれぞれが新たな体を形成したのだ。
 元よりは小さな体だが、二つが別の単体として活動を再開した。


「な……っ」
「ふ、増えた……?」

 ルミナもそれを見て、驚きに目を見開く。


「なるほど、これがこの魔蟲の特性か……。始めの本体から、足が独立した蟲となり、そこからさらにどんどん分裂していく。体をバラバラにするだけじゃ、いたずらに数を増やすだけか」

 始め、穴から這い出てきた本体の甲虫に向かってナイフを放って、バラバラに爆散させていったのはまったくの悪手であった。ウェイドは、ちっ、と舌打ちする。


「さっきの連続攻撃で魔力をしこたま使ってしまった。もう、ナイフで爆撃を出せるのはせいぜいあと一回だ」

「一回、ですか……」

「ああ。爆発で燃やし尽くせば、分裂して増殖させることもなく消し殺せるだろうが……。だが、この数を一発では無理だな……。完全に一か所に固まったところに直撃させるしかない。爆発の中心で焼け殺せなければ、またバラバラに飛び散って余計に数を増やすだけだ」


 蟲がある程度集まっていたところに爆撃を加えたとしても、分裂をさせないままに焼け殺せるのは爆発の中心になった一部の個体だけだ。
 他は、爆風の煽りを受けてバラバラと吹き飛ぶだけ。
 あるいは爆ぜ散って、また分裂して数が増える。

 これら蟲を一掃するには、すべてを一か所に集めてさらにぎゅっと押し固めたようにして、そこへ爆撃を加えるしかないだろう。
 だが、蟲が自然とそのような動きをしてくれるわけもないし、かといって手で触れることもできない。



「この数の蟲を、一か所に集めるなんて、無理ですよ!」

 始めの甲虫でさえ、二十や三十ほどの数だった。
 それぞれ六本あった足が独立した蠕虫となった。
 さらに、先のウェイドのナイフ爆撃によって足はちぎれて飛び散っていたはずだから、余計に数は増えている。

 ……目の前の蟲は、もう数えるのが億劫になるほどの数。長短さまざまな蠕虫は、絨毯のように地面に広がっているのだ。


「……そうだな。一か所に集めようにも、直接この蟲に触れればアウトだ。さっきローブで払い飛ばそうとしたが、一瞬触れたらすぐに貼りついて離れなくなった。直接手で触ろうものなら、すぐに張り付いて取れなくなるだろう。そして皮膚を喰い破って体内に侵入して来る。脳まで登られ、寄生される。あのガイコツみたいに、蟲どもの操り人形になってしまう」

「…………っ」

 この大部屋に来る途中の通路で遭った、ガイコツの群れ。
 十数体の白骨死体は、元々は池に落ちて底穴に引きずり込まれた人間で、遺跡内部まで引っ張り込まれた末、この蟲たちに寄生されたのだ。
 肉が腐り落ちて骨だけになってもなお、蟲によって操られる……。

 このまま打つ手もなく、この蟲の群れに追い込まれれば、やがて自分たちもああなってしまう。
 それを想像すると、悪寒が脊髄を迸る。


 もう、逃げることもできない。

 ドーム状のこの大部屋の出口は一つしかない。二人が通って来た通路だけだ。
 だが、通路付近には蟲がひしめき合っていて、もうそこへは行けない。

 蟲を踏みつけて行くこともできない。踏みつけたところで、蟲はすぐに足に貼りついてしまうだろう。一度触れたが最後、蟲は糊のような粘液を分泌して離れなくなり、そしてすぐに靴裏を喰い破って皮膚下に潜りこんで来る。
 そうなっては、あとは肉を抉りながら蟲が這い上って来る激痛に苛まれながら、やがて脳幹にまで至られるのを待つだけだ。



 小さな肩を震わせて、恐怖を耐える少女。

 蟲は生物の熱を感知してにじり寄って来る。動きは遅いのですぐに追いつかれることはないが、時間の問題だ。
 一部の蟲は二人を察知して向かって来るが、他はただ無造作に床を這い進む。群れが固まって移動するのではないせいで、蟲の占拠率は徐々に大きくなっていってしまう。
 まるで丸い小皿に蜂蜜をとろとろと流し込んでいるように、ゆっくりと蟲の絨毯が広がってゆく。
 足先がわずかに掠りでもしたら、即刻、死のカウントダウンが始まるおぞましい絨毯である。


「はっ、はっ……」

 恐怖を押さえきれず、呼吸も乱れる。

 死の恐怖。


 街道で魔獣に遭ったときも、遺跡の通路でガイコツの群れが迫って来たときも。
 恐怖はあったが、それでもウェイドが率先して前へ出て倒してくれた。
 だが、今はもう打つ手がない。魔力を消耗した彼では、この状況は脱せないのだ。

 間違っても、ウェイドに対して失意を抱いているわけではない。むしろ、今まで彼を頼っていてばかりで、そしてついに彼が手を出し尽くした今、自分が何もすることはできないという事実に胸が痛い。


「うっ……。く、ふぐ……っ」
 ルミナはたまらず、涙をこぼしてしまう。

「ルミナちゃん……」


 少女の涙の粒は、左目のホクロを掠め、頬を伝って顎から滴り落ちる。

 悲痛な思いから、胸の前でぐっと両拳を握った。
 ……そこで、ふと、胸に硬い感触が押し付けられた。


 外套の内ポケットに入っていた、小さな石だ。
 ウェイドからもらった『水の精霊石』。それに触れた途端、――突如、胸の内に熱い力感が溢れた。それが石へと流れ入り、青白い光を淡く発した。


 少女の涙。
 頬から流れたそれが床へと落ちようとしていたところ、……不意に止まる。
 きれいに削られた岩肌の床に触れる直前で、ピタリ、と静止し、宙に留まった。



「あ……」
 ルミナはそれを感じた。


 自分の胸の内から溢れた魔力。
 そのエネルギーが精霊石に流れ、石の力によって、涙の落下が不意に止められた。

 涙――水だ。

 精霊石による『水の操作』を、無意識に発動させたらしい。


 そこで、少女の頭に鮮烈な光がほとばしる。



「ウェイドさん!」

 ばっ、と彼の方へ顔を向け、ルミナは言う。

「あのっ、私、思いつきました! ……なんとかできます!」
「な、なに?」

「私には精霊石がありました! そうでした、これで水を操れるんです。これを使えば、蟲に触れずにつかみ取ることだってできますっ!」

 恐怖に青ざめていたところから一転、嬉々としてそう言うルミナ。


「そうか! ……ああ、俺も何を失念していたのか」

 苦笑気味にウェイドが言う。


「……いや、そうだな。君は魔導武器を持たずとも、精霊石と、それを見事に扱えるほどの膨大な魔力の器がある。俺はすっかり、君のことをただ守るべき存在だとしか考えていなかったよ。君にも戦う力がある。君もレギオン特務官なんだってこと、俺は失念手してしまっていたな……」

「は、はい……!」


 そうだったのだ。
 ルミナにも力がある。
 それも、魔力の保有量で言えば彼よりも数倍勝る器を持つほどだ。ウェイドはそれを失念していたし、ルミナ自身、自分が力を持つことを意識していなかった。

 ルミナは精霊石をポケットの中から取り出す。
 紺碧こんぺきの輝きを放つ小さな石は、すでに少女の持つ魔力を取り込み、淡く発光している。


 初めてこれに触れたときは、つい水の爆発を起こしてしまった。モルガノット教会堂の応接室を水浸しにしてしまったものだ。
 次に、アプルパリス湖。水を操って何か形を造ってみろと言われて、無意識のうちになぜか小さなドラゴンを象った。
 そして、この遺跡に入るとき。池の底穴に潜む魔蟲、多くの触碗を持つ軟体生物を、水で縛り上げた。

 ――すでに三度、この石の力を引き出している。

 もはや少女にとって、石に宿る『水の精霊』に魔力を与えて簡易的な魔法を発動させるのは難しい事ではない。
 どのような原理が働いて魔法効果が実現されるのかなどはルミナには知る由もないが、しかしそれは確かな『感覚』として胸の内にすでに根を張り、思うままに操れる。


 少女は思った。

 水よ――。

 彼女の意思に呼応して、石が一層輝く。
 するとすぐに、ルミナの足元から水柱が湧き立つ。


 部屋の中央に開いている穴に水は溜まっているが、そこから引っ張って来たのではない。
 何もないところから、水を出現させたのだ。

 これは本来『水の精霊石』によって発現させられる魔法効果の制限を超えている。
 ルミナの持つ魔力保有量が大きいのもあるが、それにしても単純に魔力量が大きいだけで引き起こせるものかは疑問だ。――ウェイドにも、今、目の前で少女が起こす現象について理解はできない。



 ウェイドは黙し、ルミナの意思によって動き、渦巻きながら伸びゆく水柱を目で追う。

 ざざざざざ――と掻きまわりながら、一本の水柱はぐんと伸びていき、蟲の群れへと突っ込んだ。
 地面に衝突し、激しく広がる水。
 岩を這う蟲たちをことごとくすくい上げていく。水に対してでは、当然、粘液で貼りつくことも口を開けて噛みつくこともできず、細長い蟲たちはなすすべなく捕らえられていく。


「これで、全部――!」

 くいくいと瞳を動かして器用に水を操り、やがて蟲たちをすべて掬い上げた。


 床へ大きく広げていた水を、宙へと浮かせ、球状へとまとめる。
 そして、宙に浮いたまま動きを止める水塊。

 球の中には流れもなく、無数の蠕虫たちは水中を漂うこともなくピタリと動きを止めている。……だが死んだわけではない。
 もともとの本体であった甲虫は水の中から現れたのだ。足部が独立して蠕虫となったあれら蠕虫も、水の中で溺れることはない。



「このまま……っ!」

 ルミナは、水塊に視線を向けたまま、ぐっ、と拳に力を籠める。

 彼女の意思に呼応し、水も動く。水の球は、ぐぐぐぐ……と小さくなっていくのだ。
 それに伴って水圧も増すのか、蟲たちも球体の中心部へと押し込まれて行った。

 圧力を受けて苦しいのか、うねうねと暴れる。他の個体と密着しているため、暴れれば暴れるほど次々にその細長い体を絡ませ合うこととなり、やがて身動きが取れなくなっていく蟲たち。
 柔らかい肉感のある蟲が丸く固まってしまうと、まるで団子のようである。

 水塊はみるみる小さくなっていく。
 ……だが、このまま圧力で磨り潰しても無駄だ。あの蟲たちは、粉々に砕くとその分だけ個体数を増やす。



「ウェイドさん、あそこに、ナイフを!」

 ルミナが隣に立つ男へ視線を写し、言った。

 ウェイドはすぐに一本のナイフを構える。投擲用にグリップのついた柄を通し、ナイフの刃へ、残っていたなけなしの魔力を流し込んでいく。


「よし、そのまま蟲を掴んでいてくれよ、ルミナちゃん!」

 蟲たちが、水塊に捕らえられ、一か所に密集している状態。
 強い圧力で抑え込まれて、もはや水の中で一つの蟲の塊になっている。――そこへ爆撃を加えて、跡形もなく消し去る。そうすれば、無限に分裂して増殖していくおぞましい蟲たちもついに消えるだろう。


 ピシュ、と、ナイフが投擲される。


 見事な精度で放たれたナイフは、宙に浮く水塊の中心、押し固められた蟲の集合体へと命中する。
 刃先が触れた瞬間、ウェイドがキッと鋭く目を細めた。

 彼の意思に反応し、ナイフの刀身に込められた魔力が、爆ぜる。


 ばしゃあああああああん、と、水が炸裂した。


 水の粒が辺り一面に飛び散る。
 ルミナとウェイドもそれを受け、服を濡らす。……その中で、蟲の残骸は見当たらない。

 爆発の直撃を受けた蟲たちの体は、散り散りに砕け散ることもなく、爆発の中心でまとめて燃え消えたのだ。


「――――、ふう……」

 ルミナはそこでようやく緊張の糸をほぐし、大きく息を吐く。

 危機は、脱せられた。


「ありがとう。ルミナちゃん。君のおかげで助かったよ。……ああ、君に助けられるのは二度目だな」
「い、いえ。そんな。私こそ、助けてもらってますから。お互いさま、ってことで」

 えへへ、と笑んで言うルミナ。

「さあ。今の蟲どもを倒したからと言って、終わりじゃないんだ」
「へ?」

「ホラ。あの穴の底が、この遺跡の最奥部になる。きっと今の蟲どもがこの遺跡の最後の罠だったろう。……となると、この水を潜った先にこそ、遺跡が守る『旧時代の遺物』があるはずだ」
「旧時代の、遺物?」

「うん、まあ、そうだな。端的に言えば、遺跡に眠るお宝、みたいなことだよ」
「お宝、ですか……!」

「そう。水の中に入るから……また君の力を借りることになる。悪いがまた頼むよ。さあ、すぐに行こう」


 一息つきたいところなのだが、ウェイドは休む間を与えてはくれないらしい。
 心優しい青年ではあるものの、そういった容赦のない一面もある。――まるで、厳格なコーチのようなのだ。
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