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シーズン1/第二章

ルミナ・モルガノットの冒険③(池中の魔蟲)

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「とと、とにかく、君が助かったんだから、よかったよ……」

 湧き上がる恐怖心で顔を引きつらせながらも、ルミナは少女に言った。
 ルミナにそう言われ、幼い笑顔を咲かせるきめ細かいブロンドヘアの少女は、このアガメ村に住む子供である。


 イリアス地区、街道沿いにある小さな集落、アガメ村。
 旅の途中、立ち寄ったこの村。ルミナは宿部屋を出て、一人、ぼうっと歩いていると、いつの間にか森の中へと入っていた。

 森の中に池があり、そこでこの少女を見かけた。

 ルミナよりも幼い、八、九歳ほどの少女。ルミナが見ていたちょうどそのタイミングで少女が池に落ちたものだから、ルミナは慌てて池に飛び込み、少女を助けたのだ。


 ――その際、おぞましいモノを見た。

 池の底に大きな穴があり、そこからうねうねと蠢く長細い物体が何本も伸びて、少女の体に巻き付いていた。あのままでは、少女は池の底穴に引きずり込まれていただろう。
 そうなる前に助けられてよかったと安堵はするが、気は穏やかではない。

 少女はアレを『オバケ』と呼ぶのだ。
 直接目にしていただけではさほど嫌悪感も覚えなかったが、それを『オバケ』だと言われると印象はがらりと変わり、途端に恐怖対象となってしまう。

 どれほど異形の姿であれ『生物』ならばルミナは平気なのだが、正体の知れない『オバケ』となると無条件で怖い。――ルミナはそういう性分なのだ。



「助けてくれてありがとう、おねえちゃん。もう少しで、わたし、あのまま死んじゃうところだった……」

 あのとき溺れながらも状況を理解していたのだろう、ルミナがいなければ自分がどうなっていたかを想像し、身を震わせる少女。
 水に溺れたせいできれいなブロンドの髪はしっとりと水を滴らせている。いや、髪だけではなく全身がずぶ濡れだ。

 対して、ルミナはほとんど濡れていない。

 少女に抱き着かれたときに服に水が染みただけで、それ以外はさらさらに乾いている。池に飛び込んだはずなのに、一滴の水もその身に浴びていないのだ。
 さらに言えば水に潜っても息が苦しくなかったし、やたらと軽快に泳げたし……不思議なことはいくつかあった。

 それら疑念と、得体の知れない『オバケ』へ抱く恐怖感、嫌悪感……ルミナの胸の内ではそんな居心地の悪い感情が織り交ざっていた。


        /


 すぐに、少女とは別れた。
 少女は落とした花形の髪飾りを見つけられていなかったが、また再び池に入って探すなんてことはできない。「大事にしていたモノだけど、アレはもう諦めるよ……」と悲しそうに言って、それからルミナへ改めてお礼を言って、少女は去って行ったのだ。

 ルミナも、すぐに宿屋へ戻った。そこにオバケがいると知れている以上、もはや一刻も早くその場から離れたかったのだ。

 宿屋のロビーで、ウェイドに会った。


「ああ、ルミナちゃん。今、仲間への通信を終えてきたんだ。君のことも話しておいたよ。その仲間とはパトロ市で合流する予定だが、君と会うのを楽しみにしていたよ。合流は明日の午後になるだろうけど、――」

 そこまで言って、ウェイドはふとルミナの様子を見て、首を傾げた。

「ん? どうしたんだルミナちゃん、服が濡れてるようだが……」
「ああ、えと、実はさっき……」

 ルミナは、ウェイドにさきほどのことを詳しく話した。



「…………」
 話を聞いたウェイドは、あごに手を添えて、深く考え込むようにしばし黙す。

「よし、ルミナちゃん。その池、調査しに行くぞ」
「え?」

 言うが早いか、ウェイドはすぐに歩み出す。ルミナも慌てて彼について行く。
 足早に歩く彼の背を追って、宿屋を出た。


        /


 ウェイドとルミナは、あの池について住人に聞き込みをした。

 この集落の住人はあまり温かみのない雰囲気だなと感じていたルミナだったが、話しかければ、淡々とではあるがすんなり答えてくれた。
 見知らぬ人間を警戒することはない。旅人には慣れているためだろう。

 あの池は、入った者を『地獄』へと引きずり込む魔の池だと語られているらしい。
 ただの伝説ではなく、誤って身を落とした者や言い伝えを小馬鹿にして入水した者――いずれも池に入ったが最後、二度と浮上することはなかったという。

 実害が出ているうえ、ルミナ自身も、池の底穴に引きずり込もうとする怪物の姿をその目で見た。住人の話は疑いようもなかった。


「やっぱり、あれはオバケなんだ……」
「『オバケ』? 違う、そんな曖昧なモノではないさ」
「え?」

「池へ向かおう。調査してみなければ」
「調査? 私たちの任務って、湖底神殿を調査することじゃなかったんですか? あの池も、調査するんですか?」
「ああ。もちろん、任務のためさ」


        /


 ルミナは、正直、またあの池へ赴くのは億劫だった。
 おぞましい『オバケ』。
 住人の話によってその恐ろしさをより深く認識した以上、もはや関わりたくはなかった。

 それでも足を運べたのは、ウェイドが先導してくれたおかげだ。本日、街道で魔獣を容易く倒して見せた彼と一緒ならばいくらか心強い。


 平屋が立ち並ぶ通りを歩いていくと、やがて住居がまばらになり、そのまま森に入る。左右を背の高い木に見下ろされながらさらに進むと、途端、開けた場所に出た。

 その中心に、池が広がっている。


「ここか……」

 池について数人の住人に話しを聞いたが、みな口を揃えて、あそこには近づくな、と言っていた。
 過去、実際に近づいて帰って来なかった人間が何人もいるためだ。

 そんな池のほとりに、男と少女は立つ。ウェイドは堂々としているが、ルミナはすっかり怯え、彼の背に隠れている。


「ルミナちゃん。君がさっきここに入ったときの話だが……」

 今は特におぞましい気配などはなく、静かな池……。
 それを前にして、ウェイドは落ち着いた様子のまま口を開く。


「池に入って、息も苦しくはならなかったし服は濡れなかったと言っていたね」
「は、はい」
「それは精霊石のおかげに違いない。そのとき、石を持っていただろう?」
「え? ……あ」

 ウェイドに言われ、ハッとして外套の内ポケットを探る。
 あった。手に握り込めるほどの小さな石。
 ウェイドに手渡され、失くさないようにポケットに入れていたのだ。


「水中でも呼吸を行える、あるいは自身の周囲に空気の膜を張って被水を防ぐ……。どちらも精霊石に魔力を注いで得られる魔法効果だ。だが、いずれも簡単なことじゃない。石にそそぐ魔力量を絶妙に調節しなければならないんだが……それを、無意識で行ってしまうなんてな。やっぱり君は才能があるよ」

「え、えへへ、そんな……」

 今まで恐々と怯えていたのが一転、照れ臭そうにはにかむルミナ。


「だから、君ならうまくできるはずだ」
「うまく? 何をですか?」
「ヤツを、逆に引きずり出すのさ」
「へっ?」

 彼の言った言葉の意味が分からず、ルミナはきょとんとするが、……ウェイドは彼女の理解を待たず、すぐに行動に移った。


 そばに落ちていた大きめの枝を拾い上げると、その先端を池の底へ突き立て、ぐいぐいとつつき始めた。
 ちょうど、あの少女がやっていたように……。

 そのあとに何が起こるか知っているルミナは、「ちょ、ちょっと、ウェイドさん!?」と、彼を制止しようとするが、ウェイドはなおも池の底を枝でつつく。


「ルミナちゃんは、精霊石を手に持っていて。意識を集中して、魔力を込めるんだ」
「え?」
「いいから、言う通りに」
「う、はい……」

 ルミナは言われた通り、精霊石を手にしたまま、そこへ魔力を込めるイメージを頭に描く。昨晩、アプルパリス湖でやったように。


 ――やがて、ウェイドは手に持つ枝に力強い手応えを感じる。


 ぐい、と、枝の先が何かに捕まれ、引っ張って来る。
 それを感じた瞬間に、ウェイドは枝を手放した。木の枝は、ずるずると池に沈んでいく。

「よし、食らいついた。今、池の底から触腕が出ている。――ルミナちゃん、精霊石を使って、ヤツを引きずり出してくれ!」
「水を使って? ど、どういう……!?」

「昨日、水を操って形を造ったろ? あの要領だ、水で形を成し、あの枝に絡みついている筈の触腕を捕まえるんだ」
「え、あの、そんな急に……」

「ヤツが引っ込む前に、早く」

 あくまで語気は強くないが、強い意思で以って少女を諭すように、ウェイドは言う。
 ルミナはさすがに戸惑うが、しかし狼狽ろうばいしている場合ではないことは分かる。

 ふ、と息をついて気を落ち着かせると、言われたように石の力を行使する。

 ――まだ、意識的に精霊石の力を使うのはこれで二度目だ。

 しかも、その一度目もつい昨晩のこと。慣れているはずもなく、いやそもそも斯様な少女が精霊石を巧みに操るようなこと自体


 だが、すでにルミナにとって『水を意のままに操ること』は、難しいことではなかった。
 無意識下でさえ精霊石の魔法効果を発揮させてしまうほどだ、ウェイドが言うように才能があった。修練を積まずともやってのけるのはまさに、生まれ持った才能と言える。



 少女が頭に思い描いたのは、あの気味悪いモノをまとめてからめとる手。
 彼女の想像に石が応じ、水中で、水がはっきりと形を持つ。二本の太い『水の束』が、池の底穴から伸びる何本もの触腕を、まとめてつかみ取る。

 池の水は少々淀んでいるが、水中でそれだけ派手な動きがあれば外から視認できる。
 ウェイドはその様子を見て、ルミナに言う。

「よし、そのまま思いっきり引き上げてみるんだ」
「思いっきり……」


 ルミナは、自らの腕をぐいっと掲げ上げた。
 それに合わせ、水中から、ざばっと水の手が就き上がる。

 その手がつかみ取っているのは、――表面がぬらぬらと怪しく光る、赤い触腕だ。五本ほどの触腕を

 さらに引き上げ続け――ついに、その触腕の先が露になる。


「――――っ!?」
 ルミナは、驚いてわずかに身を引く。

 端的に言えばそれは、蛸である。


 体毛はなく、端から端まで余すところなく赤い滑らかな体表で覆われている。
 軟体であり、うねうねと蠢いている。

 池の底から伸ばし、ルミナがつかみ取った触腕は五本、そのほかにさらに三本の同様の触腕を余している。宙に浮き、その三本の触腕はぶらんぶらんと力なく垂れさがる。


 確かに、蛸のようである。
 ただし、蛸の常識から逸脱しているのは、単眼であることと、八本の触腕の付け根の中央部にある口が、異様に大きいことだ。
 一つしかない眼はギョロリと大きく見開き、その口もまた大きく開いて、中には細かな歯がびっしりとは揃っている。


 あまりにも醜悪な外見だ。仮に蛸を知っていれば、それに似ているモノとして多少は冷静に見られるかもしれない。
 だが、山脈付近の小さな街アプルパリスで育ってきたルミナにとって、それは全く未知の生物であった。


 ……ただ、ルミナは、異形の生物が唐突に表れたことに対して驚きはしているものの、その姿に対して嫌悪感を抱いている様子はない。視線をそらすこともせず、じっと、ぬめり光るその体表を見据えるのだ

 彼女が恐怖するのは、正体の知れない『オバケ』。
 ウェイドの言うように『曖昧なもの』であるからこそ、怖いのだ。

 今、目の前で水束に捕らえられているのは、はっきりとした『生物』ではないか。――こうしてはっきりと姿を見ると、なんだか拍子抜けする。ふっ、と、恐怖心が和らいでいった。



「よし、そのままだ、ルミナちゃん!」

 ルミナが心中を変化させる中、ウェイドがそう言って、懐から何かを取り出した。

 投げナイフだ。

 当適用の小さなナイフを三本。右手の指に挟みこんでいる。それを、シュピ、と素早く投げ放つ。
 ……三点、奇怪な軟体生物の皮膚に突き立った。
 水揚げされて大人しくしていたそいつは、痛みを感じたためか、途端、暴れ出した。ルミナが水を操って造る『手』の拘束から逃れようと、激しく蠢く。


「う、わわ……」

 水は、自分の手のように自在に操れる。感触があるわけではないが、暴れ回る怪物の動きをはっきりと感じられる。
 それでも、気色が悪いとはあまり感じない。
 ルミナは水の操作をより強め、怪物をぐっと抑え込む。――そして次の瞬間、爆発が起きる。


「――っ!」

 びく、と、ルミナは肩を震わせる。いきなり過激な爆発が起こって、何事か、と驚くが、それが彼の魔導武器の持つ効果であると思い出す。


「……、もう大丈夫だ」

 もうもうと煙が上がる中に、あの怪物の姿はない。……見れば、池のほとりに、赤黒い塊が散らばっている。


「う、わあ……」
 そんな声を上げるルミナは、しかし明らかな嫌悪感をその表情に表してはいない。

 やがて、その細かな肉塊から、しゅうぅ、と毒々しい煙が発せられたかと思うと、そのまま霧散していった。
 塵になるような、水に溶けるような……なんとも形容し難い反応ののち、気色の悪い物体はそこからなくなった。


「き、消えちゃった……?」
「ああ。魔蟲まちゅうってやつは死ぬと消えるものなんだ」
「ま、魔蟲? なんですか、それ……? 今のは、魔蟲っていうんですか?」


 『魔蟲』。
 初めて聞いた言葉であった。

 むしとは言うが、昆虫類のような姿とは限らない。今のように蛸のような姿でも、魔蟲と呼ばれるのだ。そもそもアレも蛸を模してはいるが、根本的に蛸とは異なる。



「魔獣は体毛を有するまさに『獣』だが、魔蟲はまた違う。今のヤツのように軟体のモノと、強固な外骨格を持つモノ――いずれも体毛は持たない。まあ体毛の有無の前に、根本的に魔獣と魔蟲は別物だが。魔蟲は、旧時代に人為的に造られたバケモノなのさ」

「旧時代に、造られた……?」

「君が、池に『オバケ』がいると言っていたのを聞いてピンときてな。それはおそらく魔蟲じゃないかって。それから住人に話しを聞いて確信したよ」

「あ、じゃあ、やっぱりアレは『オバケ』じゃなかったんですね」

「……まあ君の言う『オバケ』がどういうものを差して言ってるのか分からないけど。少なくとも人間の理解の及ばない超自然的な生物ってわけじゃない。元々は人間が造り出したものなんだからね」

「なら、安心です……」


 他人から聞けば、何を以って安心としているのかよくわからないが。
 とにかくルミナにとって、『オバケ』とか『ユーレイ』とか、そういう漠然としたイメージ自体が恐怖の対象なのである。
 ――、それをどう線引きするのかは非常にあやふやではあろうが。



「なるほど。ウェイドさんは私が『オバケ』って言ったのを、すぐに『魔蟲』のことだって分かって、危ないから倒しておこうって思ってわざわざ来たんですね。ウェイドさん、さすがです。レギオンとして、皇国民の身の安全は何よりも優先すべきってことですね……!」

 ルミナは、キラキラと尊敬の念を込めた眼差しをウェイドに向けて言う。
 ……が、彼の意図はそこではなかった。


「いや、別にそういうわけじゃない」
「え?」

「言っただろ、魔蟲は旧時代に造られたモノだって。……魔蟲が自然に棲みつくなんてあり得ない。魔蟲がいるということは、ここには旧時代の遺物が存在している何よりの証拠だ」
「旧時代の遺物……?」

「この池の底には大きな穴があったんだろ? 魔蟲がその穴から出てきたってことは――じゃあ、さらにその穴の底には、必ず何かが隠されている。それこそ、俺たちが調査すべき遺跡がある可能性が高い」
「え? この池の底に、遺跡が?」

「ちなみに言うと、『池』と『湖』って、明確な違いはないんだよ。まあ深さの違いから、慣例的に呼び分けられているけど。――だから、この池の底に深い穴があって、そこに遺跡があれば……それはまあ、ある意味『湖底遺跡』とも呼べるわけだな」
「な、なるほど、確かにです……」

「思いがけない発見だよ、ルミナちゃん。――早速、調査しよう。一緒に池の底へ潜るんだ」
「へっ?」


 魔蟲がいたということは、この底には旧時代の遺物がある。
 もしそれが遺跡であるとすれば、調査しないわけにはいかない。


 湖底遺跡の調査――それこそ、ウェイドが機関から命じられた任務であり、ルミナもその任務へ協力するために彼についてきたのだから。
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