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シーズン1/第一章
ロームルスの秘剣⑯(二つの声と二人の心)
しおりを挟む【剛太郎】
目の前の光景を、俺はただ見ていることしかできなかった。
魔獣の森を突き通る街道。
背の高い木々に囲まれたその道の中で、桃色の髪の女騎士――エシリィが、魔剣を解き放ったのだ。
禍々しい黒い剣から、剣よりもさらにどす黒いもやが立ち上り、エシリィの体の周囲まで渦巻いている。
……彼女に言葉はない。
言葉なく、そして躊躇なく、剣を振るって魔人を斬りつけた。
ただし、その刃は直接魔人の体に届いていない。彼女は少し離れた位置で剣を振るっただけ。
その斬撃は空間を越えて魔人を襲ったのだ。
まるで、ミュウの『ダークエネルギー』の最大限供給を受けた俺と同じだ。
可視化されるほどまでに高密度なエネルギーを以って、空間を越えて拳を打ち込み、俺は魔人を倒した。あのときの俺に匹敵するほどの強大なエネルギー……底なしの魔力を持つ魔剣。
その力が剥き出しとなり、今、魔人に向けられている。
「く……そがッッ」
弟の、キシュ。
胴体を大きく斜めに斬られ、よろめきながらも、ギリリと歯を食いしばって踏ん張った。そして、素早い動作で矢を構える。弓を引き、放った。
「エシリィ!!」
俺は叫んだ。矢は、まっすぐ、魔剣を持つ女騎士の方へ飛んでいく。
――ドスっ。
あの魔人のことだ、おそらく迷いなく頭を狙ったのだろうが、派手に斬られた体では狙い通りにはいかなかったらしい。
矢は、エシリィの左肩の方へ突き立った……。
その衝撃を受けながらも、エシリィは直立不動を保っていた。
表情にも、何も変化はない……。痛みに眉を寄せることもなく、ただ、何事もなかったかのように虚ろな瞳を魔人へ向けている。
「な……」
痛みがないのか。
いや、違う。
そもそも意識がないのだ。
左肩に矢が突き刺さったままの彼女は、予備動作もなく、反撃した。
といっても、ただ切っ先を魔人の方へ向けるだけ。――それだけで、キシュは二度目の斬撃を受けた。
さきほどとは逆向きに、斜めに剣筋が走る。
彼の胴体はX字に斬り裂かれた。そのまま、どさり、と地面に倒れる。
「てめえッ!!」
兄のセドーが、荒げた声を上げる。たちまち、エシリィに向かって駆け出した。
左腕が斬り落とされているというのに、怯んでいる様子はない。右腕一本で、エシリィに向けて剣を振るう。
――が、接敵すらも叶わない。
エシリィがふわりと魔剣をゆらがせる。すると、ガギギギン、と硬質な音が響き、セドーの剣が弾き返される。彼の手から離れ、宙を舞う剣は、刃がバラバラに砕け散っていた。
「師団長ッ、い、意識は確かですか!?」
彼女の背後から、部下の騎士が声をかけた。
……だめだ、今の彼女に言葉が通じるとは思えない。
その声に反応したエシリィが、ゆらり、と振り返る。
――そして、ゆらり、と、剣先を向けた。
「え」
騎士たちが、困惑の声を漏らした。
バキンッッ、
と、兜が砕ける音。
バキンッ、バキンッ、
立て続けに鳴る。
剣先を向けられた騎士たちが、銃で打ち抜かれたように倒れていく。
破壊されたのは兜であって、直接頭が潰されたわけではないが、それでもその衝撃をモロに受けては立っていられるわけもない。
エシリィは明らかに正気ではない。
どうすればよいのか……。
「……ま、まずい、ミアがっ」
五人いた騎士が、順々に、倒れていった……。そのうちの一人は、眠った少女を抱えていたのだ。ミアだ。
するりと腕から抜けた少女の体も、騎士たちに並んで地面に倒れ込む。
「お嬢様っ!!」
そこで、キアルが思わず叫んだ。……その声に引かれるように、ゆっくりと翻り、こちらに視線を向けるエシリィ。
やはりその瞳に、光はない。
「ひっ……」
短い悲鳴を上げるキアル。俺は「あぶないっ」と声を上げ、慌ててメイドの体を抱きすくめて街道の端、太い木の幹の後ろへと飛びこんだ。
一瞬遅れて、ぱしん、と何かが弾けた。
地面がめくれ上がり、土埃が舞う。……ついさっきキアルがいた場所だ。
空間を越えた斬撃。鎧兜を砕く威力が直撃すれば、ただでは済まない。
「はっ、はっ、……あ、ありがとうございます、ゴウタロウさん――!」
あのまま立っていれば魔剣の攻撃を受けていた。その事実を理解し、キアルは小さな声で礼を言ってくる。
どういたしまして、などと返す余裕はなかった。
ミアを助けなければ……俺はそのまま駆け出した。
木々に身を隠すように走る。バキン、バキン、と木の幹に斬り筋が入る音が聞こえる。エシリィが俺に剣先を向けているが、木が盾となっているのだ。遮蔽物があれば直撃を免れるらしい。
俺はエシリィの背後へ回り込むようにしてまた道上に出た。騎士たちが倒れている中、その中で一回り小さい体……ミアを抱き上げる。
《あぶない、剛太郎!》
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
ミアを抱き上げた俺へ、エシリィがすかさず狙いを定めていた。――くそ、だめだ、もうすっかりボロボロのこの体では俊敏な動きが取れない。
「うおらあああっ!!」
正直、死を覚悟したが、幸いそれは杞憂で済んだ。
……俺に意識を向けているのを隙と見たのか、セドーがエシリィに体当たりしたのだ。
スレンダーな軽い体は、勢いよく吹き飛び、逞しい木の幹に衝突する。その衝撃で、矢が刺さった左肩から血が噴き出した。痛々しいが、苦痛に顔を歪めている様子はないのだ。
なんとか一撃与えられたとはいえ、このまま戦っても、正直じり貧だ。魔人の弟は言わずもがな、兄の方も腕を切り落とされてはもうまともに戦えない。……俺も、万全とは程遠い。
……この状況はもう、魔剣を取り戻すとか以前に、殺されるか否かの窮地である。
《――逃げましょう!》
ミュウに同意である。
俺はミアを抱えたまま、キアルが身を潜めている木の裏へ回った。
「キアル、森の中に隠れよう。ここじゃ危ない」
「え、で、でも、森は魔獣が出ますよ!? 危ないです」
「魔獣より魔剣の方が危ない!」
「あ、そそ、そうですね……っ!」
セドーに視線を向けると、彼はコクと頷き、弟の体を抱え上げる。
そのとき、魔人のそばに転がっている細長い筒のようなものに目が行った。……魔剣の鞘だ。
俺は素早くそれを回収した。
役に立つのかどうかは分からないが、それについて考えるより先に体が動いて拾い上げていた。
「あ。ここからなら、ちょうど、近くに教会堂があります! 森の中にある、ホーリーベル教会堂です。そこへ隠れましょう……!」
森を駆け出しながら、キアルが言った。
森の中の教会というと、……エシリィと初めて会った、あの教会だ。
「ああ! あの天使の肖像がある教会だな!」
「へ? テンシ? な、なんですか、それ……?」
キアルが不思議そうな顔で尋ねる。
……ああ、しまった。そうだった。
どうやらこの世界では『天使』という概念はないらしいのだ。エシリィにも同じリアクションをされたのだった。
「いや、ごめん、なんでもない、……とにかく急ごう!」
今はそれについて説明している余裕はない。慌てて誤魔化して、先を急ぐよう促した。
俺は今、ミアの体を肩に抱え上げつつ、左手には魔剣の鞘を持っている。
…………、ふと、なにか違和感が沸き上がった。
魔剣の鞘を握る左手。そこから、妙な感覚が流れ込んで来る……。
《これは……》
ミュウも同様にその気配を感じ取っているようだ。ぞくり、と冷たく背を伝うような感覚。一体何だろうかと思う中、唐突に妙な声が聞こえた。
【逃がさない……】
((な、なんだっ!?))
低く、地の底から響くような声が聞こえた。
低いが、男性だとは言い切れないような、妙な声。男と女が混ざったような気味の悪い音声なのだ。
先行するキアルや魔人の様子を窺ったが、変わらず森を駆けている。……二人にその声は聞こえていないようだ。
《この声は、もしかして……》
【私は、ディスコルディア。剣だけない、その鞘も私の一部なのだ……】
あの魔剣……自意識を持っているのか。剣が喋るなんて、本当にあるものなのか。
なるほど、つまり今のエシリィは、魔剣の中で眠っていたこの意思によって操られているのだ。部下の騎士たちに攻撃を向けたのも、彼女自身の意思ではない。
【私から逃げられると思うなよ。……殺すのだ。一度狙った獲物は、絶対に逃さない】
《あらあら。これは、どこまででも追いかけてきそうな勢いね》
【逃げても無駄だ。お前の居場所は解かるぞ】
《だってさ。……どうする?》
……………。
なんということだ。
魔剣に狙われているという事実もさることながら、それ以上に困惑を深めるのは、今の俺の脳内環境のせいだ。
世界広し、さらに異世界へとその範囲を広げて見ても、まさに前代未聞であろう、――頭の中で二つの声を同居させている人間など。
【くくく……、もっと、もっとだ、血を浴びたい……!】
まったく、うるさい。
/
/
【エシリィ】
まったく、うるさい……。
頭の中で声がする。低く、おぞましい声である。男なのか女なのかは判別がつかない。性別などという概念はないのだろうか。
そいつは私の頭の中に我が物顔で居座り、実に傲岸不遜な物言いをするのだ。
【私を邪魔者扱いするか。生意気な人間の女だ】
意識が混濁している。
自分が今何をしているのか。
どこにいるのか。
いや、それどころか自分は何者だったかさえ、よくわからない。
意識が判然とせず、混乱している……そんな中で、何者かの声だけがはっきりと聞こえていた。
……次第に、視覚が働き始めた。
深く沈んだ意識の中で、ぼんやりと景色が見えてきた。徐々に明瞭な輪郭線を得て来る。
頭は、依然として靄がかかったように鈍く重いが、ひとまず眼球が捉える風景は鮮明になった。
ここは、魔獣の森……?
いつも、教会堂へ向かうときに通る細い獣道ではないか。
――『いつも』?
そうだ、私は日ごろこの道を通り、教会堂へ通っている。……なぜ?
――私が、教会の使徒たる騎士だからだ。
そうだ、私は……、
濃霧の中に迷い込んでいたような感覚から抜け出し、自分が何者かを、思い出した。
ブルック騎士団第三十六師団、師団長――私の名は、エシリィ・モーカートンだ。
……正義の騎士であるべき私が、なんという愚かなことをしてしまったのか。
意識が確かとなり、今の自分の状況も理解できた。……今や私は、けがらわしい魔剣の言いなりだ。あろうことかこの手で部下を傷付け、さらに人を傷付けようとしている。
この先に、ゴウタロウや、魔人たち、エルディーン家のご息女やメイドがいる。おそらく教会へ身を隠そうとしているのだろう。
魔剣による影響か、目に見えずともその気配を確かに感じる。
――同時に、彼らを皆殺しにしてしまおうという魔剣の悪しき感情も、確かに感じる。
【私と同化しながら、意識が戻り始めているのか。人間にしては、大したやつだな。だが、私の支配からは逃れられないぞ。オマエは私の器だ。オマエの体を使って、殺しを愉しませてもらうぞ】
そんなこと、させてなるものか……!
そうは思っても、体の自由が利かない。
この手で魔剣を解き放つ……それは本来、正義の騎士として忌避すべき行いだ。
しかしそれも教会の正義の意思を汲むため、為すべきことだと思った。
だが、こんなことになってしまうとは……。
じくじくと、暗い感情が胸の内を打つのを感じながら、私は教会への道を進んでいた……。
/
/
【キアル】
暗い感情が胸の内を打つのを感じながら、私は教会への道を進んでいました。
ここは魔獣の森。
いつ魔獣が出て来るとも知れないので、内心恐怖を感じながらも、……それ以上に、魔剣の脅威を恐れながら、私は教会へ急いでいました。
後ろを、弟さんを抱えた魔人のお兄さんと、そのさらに後ろを、眠っているミアお嬢様を抱えたゴウタロウさんがついてきています。
街道から森へと入り、教会へと向かうこの細い道。
先導する私は、前へ前へと駆ける足取りに対して、心の方はひどく重たくて、息が詰まりそうな思いでした。
ダフニス駐屯所の師団長、エシリィさんが魔剣を解放してしまいました。……目の当たりにした魔剣の力は、衝撃でした。
中央教会は、あんなものを戦争に利用としているのですか……。
間近で見れば分かります、あれは、大勢の人の命を奪う武器です。
戦争でたくさんの命が奪われる……。そのことを思うと、胸の奥底でなにかが燻るのです。
自分自身でも知り得ないような、とっても深くにある暗い感情が揺さぶられるような、妙な感覚です。
私は、そんな妙な感覚を誤魔化すように、細道に突き出る枝葉を手で払いながら駆けて行きます。
目指すのは、森の中のホーリーベル教会堂。
教会には、慈愛の輪を頭に携え、博愛の翼を持つ女神さまの像があります。
魔剣が迫る切迫した状況の中で、あるいはそこに救いがあるかとも思え、私は懸命に細く狭い道を進むのです――。
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