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シーズン1/第二章
□あくあついんず□⑳
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「でもやっぱ胸の大きさだけは心許ないってゆーか」
「う、うっさいなあ!」
かねてから気にしていることを指摘され、む、と頬を膨らます水萌。
夜の海岸。
ついに本体の親蟲の核を撃ち抜いたとき、すべてが水となって爆ぜ、大きな波が起こった。そのせいで、二人は全身ずぶ濡れである。
……だが幸い、水萌の方はスク水姿だったので濡れても問題はなかった。
なるほどこの事態さえ予期して水着着用のもとこの戦闘の場へ臨んだのか――と、水帆は妹の周到さを褒めたが、水萌はかぶりを振って言う。
「あのね、水帆。この水着は、別に濡れるのを予想して着てきたってわけじゃなくてさ。……もともとは普通の服なんだよ。あたしの『ちょっとした外出用の服』が、水着に変えられちゃったんだよ。このドラコのせいでね!」
言いつつ、びし、とそばで浮揚していたぬいぐるみを恨めしそうに指差した。
「――それでっ、始めに戦ったときみたいに力を発揮するにはそのときの格好も再現すべきだってことで萌水着を着てきたわけ。……それも、このドラコの指図でね!」
『いや、でも実際、それ着てたおかげで力出たってのもあるんじゃねえ? やっぱお前にとってそいつは戦闘服みてえなモンだろ』
「それはドラコが勝手に言ってるだけでしょお!?」
『まあまあ、そう言うなって。嫌なら、とっとと元の服に戻しちまえばいいんだ。【大いなる海の力】を十二分に引き出して、【水精錬金】を完璧に使える今のお前なら、そんなのカンタンなはずだぜ』
「ん? あ、そっか」
そういえば、服を水着に変えたのはそのとき儀式直後の影響で『水精錬金』を扱えたオスティマによるもので、その後、水萌が元に戻そうとしたがすでに術が使えず、以来ずっと水着になったまま置いてあったのだ。確かに、今ならば元に戻せる。
「水着を、服に? そんなことできるの?」
水帆が不思議そうな顔で尋ねる。
『おうよ。【水精錬金】の神髄は水から金属を精製して自在に武器を造り出すことにあるわけだが――水の力を媒体とすれば、物質を他の物質に変化させることだって可能だ』
「なにそれすごい、水萌ちゃん、見せて見せて!」
「うーん、と……」
水を金属へ変質させる術は何度も行ってきたが、このパターンは初めてだ。
でも、水帆に爛々とした目を向けられているとなんだってできそうな気がしてくる。
水萌は静かに瞼を閉じ、暗い視界の中でイメージを練り合わせる。
数秒経って、水萌の足元にふつふつと水が湧き立ち始める。彼女を中心として、半径一メートルほどの円を描く水の線。
それはゆっくりと立ち上っていき、やがて水萌の背丈を超える。フープ状にカーテンで囲う簡易更衣室のようになる。
「ほお……」
その光景を見て、思わず感嘆の声を漏らす水帆。
かつてオスティマによって予告も無しに突然行われた服の変容。あのときのことを思い出すと、自然とそれが再現されていく。水のカーテンはゆっくりと径を狭めていき、やがて少女の肌に触れる。
水の円柱が水萌の体を完全に包み込んだ。
冷たい感触が肌に触れる中、体の芯では熱いエネルギーの奔流を感じていた。
水萌自身がその身に秘める力、加えて水帆が期待感を込めて自分に流し入れてくれる力、それらが織り交ざって膨大なエネルギーとなり、『水精錬金』の術効果を発現させている。
ぱしゃん、と水が弾ける。
円柱カーテンとなっていた水が不思議な力による制御を失い、地球の引力に従って地面に落ちたのだ。そうして月明りのもとに姿を露とした水萌は、数秒前と服装を違えていた。
上は白いTシャツに、下はショートパンツ。
まさに『ちょっとジョギングに行ってくる』ような恰好――それは、かつて儀式のために夜の海岸へ向かう際、着ていた服だ。外見上の服だけでなく、下着までしっかり元の形へと戻っている。
「ほ、ホントにスク水が服に変わった……! すごい、水萌ちゃん!」
「うん、自分でも不思議な感じだけど」
水を媒介として銃器を精製するという、常軌を逸した術をさんざん使ってきたが、服を変容させるというのは新鮮に感じる。武器精製に比べると、これはなんだかいかにも『魔法』っぽいように思えた。
『やっぱ、もう完璧に【水精錬金】を使いこなしてるな、ミナモ』
「ふふん」
誇らしそうに胸を張った水萌は、ふと、びしょ濡れになっている水帆を見て思い立った。
「あ、そうだ水帆。あたしがここへ来るとき、水着の上に着てた服があるんだ。戦いの前に脱いで、ちょっと離れたとこの岩陰に隠しておいたんだけど……水帆、それ着て帰りなよ。あたしはこうして水着が服に戻ったし、ちょうどいいじゃん」
「ありがとう、助かるよ」
海岸へ来る際、水着の上に着ていた服。戦いでは水が激しく飛び散るだろうと考え、戦闘前に脱いで海岸の端の岩陰に隠しておいたのだ。
その位置ならば濡れていないだろう。
今自分は元の服を取り戻して着用しているので、それを水帆に貸してやろうと思ったのだ。体格がほぼ同じ二人は、当然、服のサイズも同じである。
水帆と共に、海岸の端へと向かう。ちょうど目印になるような大きい岩の下に置いていたのだ――が、しかし。
「あれっ?」
服が、見当たらない。
「ど、どうしてっ? 確かにここに置いたはずなんだけど……ドラコも見てたよね?」
『ああ、そうだな。このでっかい岩の下に置いてたな』
「おかしいよ。もしかして波に攫われた……?」
と思うが、しかしよほどの高波でなければここまで波は届かない。周辺の地面は濡れてもいなく、置いていた服が波に攫われたとは考えられない。
「え? じゃ、じゃあ、水萌ちゃんの服、もしかして誰かに盗まれちゃったの……?」
「そんなっ! やだ、一体誰が……」
そう言いつつ、じと、とぬいぐるみへと視線を向ける水萌。
『お、おい、なんで俺なんだよ!』
「だって、あたしがいない間に下着物色してたりとかしてたことあったじゃん……」
『いやいや、なんでお前とずっと一緒にいた俺が服を盗むんだよ! 見りゃ分かんだろ、俺、持ってねえじゃんっ!』
「ま、まあ、そっか……」
水帆はピクリと眉を顰める。
このぬいぐるみが可愛い我が妹の下着を物色していた、と、聞きずれならないことを聞いたような気がしたが……今は話がこじれるだろうから追及しないでおく。後でだ。
『だが、この海岸に他に人がいたってことはないと思うんだが。バケモノとの戦いに集中していても、他に他人がいりゃさすがに気配で分かるぜ。無関係の人間を巻き込まねえよう、警戒もしてた』
「そうだよね……。じゃあ、どうしてだろ」
『さあな。まあ人間じゃなく、野生の犬猫でもいたんじゃねえか? そいつらが持ってっちまったのさ。……まあ、考えたって仕方ねえだろ。どちみち、水着になってた服が戻ったんだ、あの服を失くしちまったって別にいいじゃねえか』
「簡単に言うなあ……」
む、と水萌は不機嫌そうに言うが、だが彼の言う通りだ。考えても仕方ない。
――海底から襲来する生物兵器との戦い、という、そんな常軌を逸した危機がすでに去ったのだ、服をワンセット失くしてしまったことなど些事であろう。
「私は大丈夫だよ、水萌ちゃん。濡れてるくらい、別に」
「そ? ……うん、じゃあ」
ふう、と一息ついてから、水萌は言う。
「――かえろっか」
/
「そういえばさ、水萌ちゃん」
ぴしゃり、ぴしゃり、と。水を湿らせた靴がアスファルト地面と接する音が二人分、夜の住宅街の中にリズム良く鳴る。
一ノ瀬姉妹だ。
姉の方、水帆は服の上下がびしょ濡れである。水萌はスクール水着を乾いた服に変えているが、靴はそのままなので濡れている。
夜の道、家路につく中――ふと思い出したように、水帆が口火を切ったのだ。
「なに、水帆?」
「今日の部活。水萌ちゃん、休んでたでしょ?」
「うん」
「あの……上井戸先生がさ、今日、なんだか不機嫌でさ」
「え?」
湿った足音を刻み続けながら、水帆は話しを続ける。
「水萌ちゃんが休みだって聞いて、ムッとしてたよね。水萌ちゃんのことを優先的に指導してるわけだから、その水萌ちゃんが部活を休んだっていうのが気に食わなかったんでしょうね。体調不良だなんて、そんなの認められない、って言いたげな雰囲気だったよ」
「うへえ」
水萌の表情は険しくなる。明日、部活に行くのが億劫である。何か言われるだろうか……。
「やっぱりあの人、厳しいよね。なんか、こう、イマドキの爽やかな青年って雰囲気かと思ったけど、実は前時代的な考えの人、っていうか……」
水帆はため息を漏らすかのように、ぽつり、とそう言う。
「最初は優しそうな人だなあ、って思ったし。……他のみんなは、カッコイイとかイケメンとかすごい褒めてたし。良い先生だと思ってたんだけど、でも、なんかちょっと怖いよね。こう、笑顔の裏にある怖さっていうか。なんかこう、心の奥に鬼を飼ってる、みたいな……。なんかそんな感じ」
「うん、まじで」
彼の怖さを間近で見ている水萌は、力強く頷いて肯定する。
『なんだ、そいつは。お前らのスイエーのコーチか?』
二人の少女と並び、ふよふよと宙を浮くぬいぐるみ――オスティマが、不意に割って入る。
「そうだよ。若い男の人なんだけどね」
『おいおい、そんなヤツのこと怖がることねえだろ、ミナモ。お前は【水精錬金】の使い手、大いなる海の加護を受けし少女なんだぜ。そいつのことが気に食わねえなら、ぶっ飛ばしちまえばいい。お前の方が強いんだからよ』
「何言ってんのよ。んなことできるわけないでしょ」
『ハハ、冗談だよ。だがよ、嫌ならそのスイエー部ってのに参加しなけりゃいいじゃねえか。どうしても行かなきゃならねえもんなのか?』
「え? それは……」
オスティマに言われ、ふと、考える水萌。
水泳は好きだ。
泳ぐのは心地よい。
だが、競技としてそれに心血を注ぎ記録にこだわることに意義を求めているかというと、正直、そんなことはない。何より、特別顧問である上井戸が水萌のことを集中的に指導するのは、次の大会を見越してのことだが……水萌自身、大会に向けてのモチベーションなどはさほどない。
そうだ、そもそも水萌が水泳競技に見出していた意義とは、せいぜい水帆との競争ぐらいだ。
それは水帆も同様。二人が水泳に打ち込むのは、お互いに競い合うためでしかなかった。
それが最近になって、二人の心境とスタンスも変わり、その意義さえ曖昧になっている。
「むう。……確かに、まあ、そうかもしれない」
顎に手を当て、真剣にそれを検討する水萌。
「えっ。水萌ちゃん、部活辞めるのっ?」
「う、うーん……。さすがに他の皆に申し訳ないけどなあ。……でもなあ、ぶっちゃけ、上井戸せんせーの指導受けるのちょっともうしんどいしなあ……」
「…………」
むむ、と考え込む水萌を見て、水帆はふっと柔らかく笑って言う。
「水萌ちゃんが辞めるなら、もちろん、私も辞めるよ。水萌ちゃんがいないと楽しくなんかないものね」
水帆に、水萌も笑んで返し、きゅっと彼女の手を握る。
「とはいえ、部活を辞めちゃったら、それはそれでどうしようかって感じだけどね。放課後になったらまっすぐ家に帰って……ああ、こりゃゲーム廃人にでもなりかねんわ」
「廃人は行き過ぎだけど……でも。ふふ、そういうのもいいんじゃない? 例のFPSさ、二人でタッグ組んで、ランク上位目指しちゃうとか!」
『おい、俺も入れろよ!』
「ぬいぐるみには無理だよ」
『お? ミナモ、知らねえのか。お前がガッコ行ってる間に暇な俺がどれだけゲームをやり込んでるのかを。この体は飲み食いも必要ねえし便所もいかねえからな。この二週間の間、一日十時間ぐらい、ずうっとプレイしっぱなしなんだぜ』
「いやもうあんたが廃人じゃんか」
淡い月明りに照らされた、住宅街の中。
二人の少女と一体のぬいぐるみは、そんな話をしながら笑い合う。
海底から来る生体兵器を討ち倒し、危機を脱した彼女らは、実に暖かな空気感に包まれているのだ。
「う、うっさいなあ!」
かねてから気にしていることを指摘され、む、と頬を膨らます水萌。
夜の海岸。
ついに本体の親蟲の核を撃ち抜いたとき、すべてが水となって爆ぜ、大きな波が起こった。そのせいで、二人は全身ずぶ濡れである。
……だが幸い、水萌の方はスク水姿だったので濡れても問題はなかった。
なるほどこの事態さえ予期して水着着用のもとこの戦闘の場へ臨んだのか――と、水帆は妹の周到さを褒めたが、水萌はかぶりを振って言う。
「あのね、水帆。この水着は、別に濡れるのを予想して着てきたってわけじゃなくてさ。……もともとは普通の服なんだよ。あたしの『ちょっとした外出用の服』が、水着に変えられちゃったんだよ。このドラコのせいでね!」
言いつつ、びし、とそばで浮揚していたぬいぐるみを恨めしそうに指差した。
「――それでっ、始めに戦ったときみたいに力を発揮するにはそのときの格好も再現すべきだってことで萌水着を着てきたわけ。……それも、このドラコの指図でね!」
『いや、でも実際、それ着てたおかげで力出たってのもあるんじゃねえ? やっぱお前にとってそいつは戦闘服みてえなモンだろ』
「それはドラコが勝手に言ってるだけでしょお!?」
『まあまあ、そう言うなって。嫌なら、とっとと元の服に戻しちまえばいいんだ。【大いなる海の力】を十二分に引き出して、【水精錬金】を完璧に使える今のお前なら、そんなのカンタンなはずだぜ』
「ん? あ、そっか」
そういえば、服を水着に変えたのはそのとき儀式直後の影響で『水精錬金』を扱えたオスティマによるもので、その後、水萌が元に戻そうとしたがすでに術が使えず、以来ずっと水着になったまま置いてあったのだ。確かに、今ならば元に戻せる。
「水着を、服に? そんなことできるの?」
水帆が不思議そうな顔で尋ねる。
『おうよ。【水精錬金】の神髄は水から金属を精製して自在に武器を造り出すことにあるわけだが――水の力を媒体とすれば、物質を他の物質に変化させることだって可能だ』
「なにそれすごい、水萌ちゃん、見せて見せて!」
「うーん、と……」
水を金属へ変質させる術は何度も行ってきたが、このパターンは初めてだ。
でも、水帆に爛々とした目を向けられているとなんだってできそうな気がしてくる。
水萌は静かに瞼を閉じ、暗い視界の中でイメージを練り合わせる。
数秒経って、水萌の足元にふつふつと水が湧き立ち始める。彼女を中心として、半径一メートルほどの円を描く水の線。
それはゆっくりと立ち上っていき、やがて水萌の背丈を超える。フープ状にカーテンで囲う簡易更衣室のようになる。
「ほお……」
その光景を見て、思わず感嘆の声を漏らす水帆。
かつてオスティマによって予告も無しに突然行われた服の変容。あのときのことを思い出すと、自然とそれが再現されていく。水のカーテンはゆっくりと径を狭めていき、やがて少女の肌に触れる。
水の円柱が水萌の体を完全に包み込んだ。
冷たい感触が肌に触れる中、体の芯では熱いエネルギーの奔流を感じていた。
水萌自身がその身に秘める力、加えて水帆が期待感を込めて自分に流し入れてくれる力、それらが織り交ざって膨大なエネルギーとなり、『水精錬金』の術効果を発現させている。
ぱしゃん、と水が弾ける。
円柱カーテンとなっていた水が不思議な力による制御を失い、地球の引力に従って地面に落ちたのだ。そうして月明りのもとに姿を露とした水萌は、数秒前と服装を違えていた。
上は白いTシャツに、下はショートパンツ。
まさに『ちょっとジョギングに行ってくる』ような恰好――それは、かつて儀式のために夜の海岸へ向かう際、着ていた服だ。外見上の服だけでなく、下着までしっかり元の形へと戻っている。
「ほ、ホントにスク水が服に変わった……! すごい、水萌ちゃん!」
「うん、自分でも不思議な感じだけど」
水を媒介として銃器を精製するという、常軌を逸した術をさんざん使ってきたが、服を変容させるというのは新鮮に感じる。武器精製に比べると、これはなんだかいかにも『魔法』っぽいように思えた。
『やっぱ、もう完璧に【水精錬金】を使いこなしてるな、ミナモ』
「ふふん」
誇らしそうに胸を張った水萌は、ふと、びしょ濡れになっている水帆を見て思い立った。
「あ、そうだ水帆。あたしがここへ来るとき、水着の上に着てた服があるんだ。戦いの前に脱いで、ちょっと離れたとこの岩陰に隠しておいたんだけど……水帆、それ着て帰りなよ。あたしはこうして水着が服に戻ったし、ちょうどいいじゃん」
「ありがとう、助かるよ」
海岸へ来る際、水着の上に着ていた服。戦いでは水が激しく飛び散るだろうと考え、戦闘前に脱いで海岸の端の岩陰に隠しておいたのだ。
その位置ならば濡れていないだろう。
今自分は元の服を取り戻して着用しているので、それを水帆に貸してやろうと思ったのだ。体格がほぼ同じ二人は、当然、服のサイズも同じである。
水帆と共に、海岸の端へと向かう。ちょうど目印になるような大きい岩の下に置いていたのだ――が、しかし。
「あれっ?」
服が、見当たらない。
「ど、どうしてっ? 確かにここに置いたはずなんだけど……ドラコも見てたよね?」
『ああ、そうだな。このでっかい岩の下に置いてたな』
「おかしいよ。もしかして波に攫われた……?」
と思うが、しかしよほどの高波でなければここまで波は届かない。周辺の地面は濡れてもいなく、置いていた服が波に攫われたとは考えられない。
「え? じゃ、じゃあ、水萌ちゃんの服、もしかして誰かに盗まれちゃったの……?」
「そんなっ! やだ、一体誰が……」
そう言いつつ、じと、とぬいぐるみへと視線を向ける水萌。
『お、おい、なんで俺なんだよ!』
「だって、あたしがいない間に下着物色してたりとかしてたことあったじゃん……」
『いやいや、なんでお前とずっと一緒にいた俺が服を盗むんだよ! 見りゃ分かんだろ、俺、持ってねえじゃんっ!』
「ま、まあ、そっか……」
水帆はピクリと眉を顰める。
このぬいぐるみが可愛い我が妹の下着を物色していた、と、聞きずれならないことを聞いたような気がしたが……今は話がこじれるだろうから追及しないでおく。後でだ。
『だが、この海岸に他に人がいたってことはないと思うんだが。バケモノとの戦いに集中していても、他に他人がいりゃさすがに気配で分かるぜ。無関係の人間を巻き込まねえよう、警戒もしてた』
「そうだよね……。じゃあ、どうしてだろ」
『さあな。まあ人間じゃなく、野生の犬猫でもいたんじゃねえか? そいつらが持ってっちまったのさ。……まあ、考えたって仕方ねえだろ。どちみち、水着になってた服が戻ったんだ、あの服を失くしちまったって別にいいじゃねえか』
「簡単に言うなあ……」
む、と水萌は不機嫌そうに言うが、だが彼の言う通りだ。考えても仕方ない。
――海底から襲来する生物兵器との戦い、という、そんな常軌を逸した危機がすでに去ったのだ、服をワンセット失くしてしまったことなど些事であろう。
「私は大丈夫だよ、水萌ちゃん。濡れてるくらい、別に」
「そ? ……うん、じゃあ」
ふう、と一息ついてから、水萌は言う。
「――かえろっか」
/
「そういえばさ、水萌ちゃん」
ぴしゃり、ぴしゃり、と。水を湿らせた靴がアスファルト地面と接する音が二人分、夜の住宅街の中にリズム良く鳴る。
一ノ瀬姉妹だ。
姉の方、水帆は服の上下がびしょ濡れである。水萌はスクール水着を乾いた服に変えているが、靴はそのままなので濡れている。
夜の道、家路につく中――ふと思い出したように、水帆が口火を切ったのだ。
「なに、水帆?」
「今日の部活。水萌ちゃん、休んでたでしょ?」
「うん」
「あの……上井戸先生がさ、今日、なんだか不機嫌でさ」
「え?」
湿った足音を刻み続けながら、水帆は話しを続ける。
「水萌ちゃんが休みだって聞いて、ムッとしてたよね。水萌ちゃんのことを優先的に指導してるわけだから、その水萌ちゃんが部活を休んだっていうのが気に食わなかったんでしょうね。体調不良だなんて、そんなの認められない、って言いたげな雰囲気だったよ」
「うへえ」
水萌の表情は険しくなる。明日、部活に行くのが億劫である。何か言われるだろうか……。
「やっぱりあの人、厳しいよね。なんか、こう、イマドキの爽やかな青年って雰囲気かと思ったけど、実は前時代的な考えの人、っていうか……」
水帆はため息を漏らすかのように、ぽつり、とそう言う。
「最初は優しそうな人だなあ、って思ったし。……他のみんなは、カッコイイとかイケメンとかすごい褒めてたし。良い先生だと思ってたんだけど、でも、なんかちょっと怖いよね。こう、笑顔の裏にある怖さっていうか。なんかこう、心の奥に鬼を飼ってる、みたいな……。なんかそんな感じ」
「うん、まじで」
彼の怖さを間近で見ている水萌は、力強く頷いて肯定する。
『なんだ、そいつは。お前らのスイエーのコーチか?』
二人の少女と並び、ふよふよと宙を浮くぬいぐるみ――オスティマが、不意に割って入る。
「そうだよ。若い男の人なんだけどね」
『おいおい、そんなヤツのこと怖がることねえだろ、ミナモ。お前は【水精錬金】の使い手、大いなる海の加護を受けし少女なんだぜ。そいつのことが気に食わねえなら、ぶっ飛ばしちまえばいい。お前の方が強いんだからよ』
「何言ってんのよ。んなことできるわけないでしょ」
『ハハ、冗談だよ。だがよ、嫌ならそのスイエー部ってのに参加しなけりゃいいじゃねえか。どうしても行かなきゃならねえもんなのか?』
「え? それは……」
オスティマに言われ、ふと、考える水萌。
水泳は好きだ。
泳ぐのは心地よい。
だが、競技としてそれに心血を注ぎ記録にこだわることに意義を求めているかというと、正直、そんなことはない。何より、特別顧問である上井戸が水萌のことを集中的に指導するのは、次の大会を見越してのことだが……水萌自身、大会に向けてのモチベーションなどはさほどない。
そうだ、そもそも水萌が水泳競技に見出していた意義とは、せいぜい水帆との競争ぐらいだ。
それは水帆も同様。二人が水泳に打ち込むのは、お互いに競い合うためでしかなかった。
それが最近になって、二人の心境とスタンスも変わり、その意義さえ曖昧になっている。
「むう。……確かに、まあ、そうかもしれない」
顎に手を当て、真剣にそれを検討する水萌。
「えっ。水萌ちゃん、部活辞めるのっ?」
「う、うーん……。さすがに他の皆に申し訳ないけどなあ。……でもなあ、ぶっちゃけ、上井戸せんせーの指導受けるのちょっともうしんどいしなあ……」
「…………」
むむ、と考え込む水萌を見て、水帆はふっと柔らかく笑って言う。
「水萌ちゃんが辞めるなら、もちろん、私も辞めるよ。水萌ちゃんがいないと楽しくなんかないものね」
水帆に、水萌も笑んで返し、きゅっと彼女の手を握る。
「とはいえ、部活を辞めちゃったら、それはそれでどうしようかって感じだけどね。放課後になったらまっすぐ家に帰って……ああ、こりゃゲーム廃人にでもなりかねんわ」
「廃人は行き過ぎだけど……でも。ふふ、そういうのもいいんじゃない? 例のFPSさ、二人でタッグ組んで、ランク上位目指しちゃうとか!」
『おい、俺も入れろよ!』
「ぬいぐるみには無理だよ」
『お? ミナモ、知らねえのか。お前がガッコ行ってる間に暇な俺がどれだけゲームをやり込んでるのかを。この体は飲み食いも必要ねえし便所もいかねえからな。この二週間の間、一日十時間ぐらい、ずうっとプレイしっぱなしなんだぜ』
「いやもうあんたが廃人じゃんか」
淡い月明りに照らされた、住宅街の中。
二人の少女と一体のぬいぐるみは、そんな話をしながら笑い合う。
海底から来る生体兵器を討ち倒し、危機を脱した彼女らは、実に暖かな空気感に包まれているのだ。
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