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シーズン1/第二章

ルミナ・モルガノットの冒険⑬(追想に焦がれ)

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「あなたがルミナ・モルガノットさんですね。――わたくしは、クリスリア・ティアハート。レギオン所属の特務官。よろしくお願いしますね」

 まるで一切の淀みない清らかな水がさらりと流れ落ちるような、――そんな流麗な声色である。

「は、はいっ、よろしく、おねがいします……!」

 ルミナは、壮麗な女性の雰囲気にいささか圧倒されながら、返事をする。


 イリアス地区東部、セパディア皇国内のおよそ中心に位置する街・パトロ市。
 その一角、とある宿屋。
 そのロビーにて、ルミナは女性と対面した。ロビーのベンチに座る少女を見下ろすのは、温和な雰囲気をまとった赤髪ロングの若い女性。スラリとした長身を清潔なブラウスとタイトなスカートで包んでいる。


「ウェイドさんはいらっしゃらないのですか?」

 やはり丁寧な言葉づかいで、そして聞き心地の良い流麗な声で、女性は尋ねる。

「はい、少し用事を済ませて来ると言って出てます。……クリスリアさん。えっと、よく私がすぐに分かりましたね」

 ウェイドがアガメ村から彼女へ通信を送り、ルミナのことは予め報告されていたから、彼女がルミナの名を知っているのは当然だろう。――ただ、彼女はロビーに入ってすぐ、ベンチに座る少女がルミナだと気づいたのだ。それが不思議で、つい尋ねた。


「それは――、だって、修道服を着ていらっしゃるんですもの。ウェイドさんに聞いていた少女だと、すぐに分かりましたわ」
「あ、そっか」

 ルミナの格好は、アプルパリスの街を出る際に着てきた服――教会のお姉さん型に仕立ててもらったその服は、古くなった修道服を改造したものだ。原型からはかなり装いが代わっているが、それが修道服を基にして作ったものだとは一見して分かる。

 逆にルミナは、名乗られなければこの女性が話に聞く特務官だとは察せられなかっただろう。

 この宿屋で仲間の特務官と合流する予定だったのだし、その特務官が女性であることも知っていた。
 だが、頭にぼんやりと思い描いていた女性像とはかなり違う。
 目の前の女性は実に清楚で温和で、とても危険な任務などをこなすレギオンの特務官であるとは思えないのだ。――まあそれを言うならば、むしろルミナのような子供にこそ特務官らしさなどなかろうが。


「あのっ、クリスリアさん! ……私、クリスリアさんに会ったらお話しを聞こうと思っ・てましてっ」

「なんでしょうか?」

「ウェイドさんから聞きました。クリスリアさん、『前世の記憶』を覚えているんだって。――わ、私も、そうなんです! でも、まだほんの少ししか思い出せてはいなくて。だから、思い出すきっかけに慣れればと思って、ぜひクリスリアさんにお話しを聞きたいんですけど……」

 気が逸るあまり捲し立てるように言ってしまう。
 ベンチから立ち上がり、ずいと身を乗り出す少女にたじろぐこともなく、女性特務官は落ち着いた様子で答えるのだ。


「ええ。わたくしも、ウェイドさんから聞いておりましたわ。――遺跡で魔蟲と戦う中で、別世界で生きたかつての記憶を思い出したのですよね。それで、不思議な術――『アクアアルケミー』を扱えるようになったと」

「……? え、ええ。そうです」

「そのことはうかがっておりましたので――お逢いすれば、ルミナさんがわたくしに話しを聞いてこられるだろうとは思っておりました」

「じゃあっ、お話し、聞かせてもらえますか? クリスリアさんはどんなキッカケで前世の記憶を思い出したんですか? 私、前世についてもっと色々なことを思い出したいんです。あと、正直言えばクリスリアさんの前世のことも気になりますし、聞いてもいいですかっ?」

 やはり捲し立てるようになってしまう。
 それも致し方ない。
 昨日の遺跡で鮮烈な感覚と共に記憶が胸の奥底より沸き立ち、昨晩は夢にまで見た。あの幸せな日々――パトロ市へ来る道中、馬車の中でずっと追想へ焦がれていた。
 彼女に話しを聞けば、その胸のもやつきを解消できるはずだと思えば、気が逸るのも当然なのだ。

「確かに――わたくしがお話しすることで、ルミナさんにとって何らかの刺激となり、まだ魂の奥底にて眠る記憶がさらに思い起こされることにもなるでしょう」

「ほんとですかっ! じゃあ、さっそく、聞かせてください!」

 目を輝かせて見上げる少女に対し、しかし壮麗な女性は思いがけない言葉を返す。


「ですが、ルミナさん。……お生憎あいにくですが、前世の記憶というものについて、深くお教えすることはできません。わたくしの前世についても同様に、詳しくは話せないのです」

「えっ? ……は、話せないって、どういうことですか……?」

「お話しできないと言いますか、正確に言えばわたくしとしては前世について深く追求することはお勧めできません、ということですわ」

 記憶を追及することは勧められない。一体それはなぜなのか――ルミナが問うまでもなく、クリスリアは言葉を続ける。


「なぜならそれは、必然的に『死の記憶』であるからです」

「…………。死の、記憶?」


 突如、女性特務官の流麗な声で語られた不穏な言葉に、ルミナは怪訝な顔で小さく復唱した。


「ええ。当然のことですわ。『前世』は、終えられた生。必然的に、『前世』のあなたは、死を経験していることになりますわ。あなたの記憶の再生は、まだ、『その瞬間』までに至っていないでしょうか?」

 その瞬間――すなわち、『死の瞬間』。
 ルミナは、少しこわばった表情のまま、ふるふるとかぶりを振る。


「そうですか。それは幸いですわ」
「幸い?」

「当然でしょう。――かつて経験した死の瞬間など、思い出すべきではないですわ。安楽な死であればまだしも……それが苦しく悲惨な死であったら、どうでしょうか。その記憶を鮮明に思い出しては、今ここで生きているあなたがそれを再び体感することになるのです。ショックのあまり、心が壊れてしまうということも起こり得ますわ」

 過剰に感情を込めはせず、ただ淡々と語るのが、まるで詩を詠っているかのように聞こえる。


「わかりますか、ルミナさん? そういったことが考えられますので、『前世の記憶』の一端を思い出したからといって、不用意にそれを追求するのは良くないのですわ。……確かに、かつて生きた記憶が思い出されるあの感覚はとても鮮烈で、ともすれば甘美なものですわ。――つい追想へと焦がれてしまうでしょう。わたくしにもよくわかります。ですが、それは胸に留め置いてください」

「…………」


 確かに、そうだ。

 ルミナはこの町へ来る道中、すっかり追想へと焦がれていた。あの日々の記憶を、もっと思い起こしたい。物語が良いところで止まっていて続きが気になるような、もやもやとした感覚があった。

 パトロ市に到着して、かの女性特務官と会い、話を聞けば――そのもやもやを解消できるかと期待していたのだが。


 聞かされたのは、追想を求めることの危険性について。

 淡い期待感を鋭く斬り捨てられたようで、ルミナは気を落とし、黙ってしまう。……少し考えて、一つ、気になったので彼女へ尋ねてみた。


「クリスリアさん……そういう風に言うっていうことは、じゃあ、クリスリアさんは前世で死んだときのことを思い出したんですか? それが、その、……辛いものだったから、だから私に思い出すなって言うんですか?」

 当然、クリスリアが思い出したものが、ただ安楽な死なのであれば――このようなことは言うまい。かつての死の記憶を再生し、そしてそれが辛く苦しいものであればこそ、今、ルミナに警告を行っているのだろう。


「あなたの前世は、どんなものだったんですか……?」

 会ったばかりの人にそのようなことを尋ねるのは不躾だろうかなどと、配慮する余裕はなかった。聞かずにはいられなかったのだ。

 ただ、女性特務官は相変わらずの麗しい声で答えるのだ。


「それは、教えられませんわ。だって、わたくしが前世についてあなたに語ることで、あなたがまた前世の記憶を思い起こすキカッケになるかもしれませんもの。不用意に、わたくしの前世は語れません」

「あ、……そう、ですか」

「申し訳ありませんが、これはあなたを思ってのことなのです、ルミナさん」

 分かっていただけますね、と、淑やかに笑むクリスリア。ルミナは頷くが、どうにも腑に落ちてはいない様子が見て取れた。


 クリスリアとの話が終えられた、ちょうどそのタイミングで――ウェイドが戻ってきた。
 宿屋へ入り、連れてきた少女と、合流の手筈となっていた同僚とがすでに共にいるのを見て、安心したような表情で歩み寄る。


「あら。ウェイドさん。ごきげんよう、お久しぶりですわ」
「遅くなって悪いね。ルミナちゃんと話していたのか」
「ええ」

「……で、どうだ? 前世の記憶を持つ者同士、通じ合うこともあったか?」
「それなのですが……」

 クリスリアは、かつての記憶は求めぬ方が良いのだとの話を、ウェイドにも説明する。


「……なるほどね」
「ええ。ですから、ルミナさんには

「まあ、彼女がそう言うんだから仕方ない。前世について色々と気になっても、それはもう忘れるようにしなさい、ルミナちゃん」
「う、はい……」

 ルミナが納得しきれていない様子がウェイドにも察せられたのだろう、彼は諭すように少女に言う。ルミナはまた、しぶしぶ頷くのだ。



 ともかく、予定通り、仲間の特務官と合流できたのだ。このパトロ市にある大きな湖――パトロ湖。その底に眠る古代遺跡へと臨むこととなる。それが任務だ。

 とはいえ、すぐにではない。

「パトロ湖は、市のほぼ中央にあるんだ。湖を囲うように中心街が広がっている。……陽があるうちに向かっては、市民に見られてしまう。我々は秘密機関レギオンの特務官だからね、人目がある中で任務は遂行できない」

 いったん宿を出て、人気のない店の裏手にて。クリスリアとルミナを前に、ウェイドが今後の動きについて話す。クリスリアはすでに任務の流れを把握しているので、主に少女に向けての説明だ。


「だから、夜を待つ。人気のなくなった時間を見計らい、湖に潜ろう。パトロ湖は大きいが、湖底の遺跡は小規模のものだと資料にはあった。夜明けごろには任務完了できるだろう」
「夜に、湖の底へ潜るんですか……?」

「そうだ。何か問題が?」
「い、いえ……」

 夜の湖。
 大きな湖ならば、底など見えない暗闇となっているだろう。……想像するだけで、少し身震いする。

 だが、怖いです、などとは言えない。そんなことを言える空気ではないし、言ったところで任務を遂行するのは変わらない。ルミナはきゅっと口をつぐむ。


「では、夜まで各自、体を休めておくことだ」

 ウェイドが言い、その場は解散となる。


        /


「はあ……」

 宿の部屋。ウェイドに言われた通り、夜になるまでに体を休めておこうと思い、ベッドに横になる。
 ただし眠気はなく、呆然と部屋の天井を見上げる。

 アガメ村の宿に比べればいくらかは広いが、とはいえ豪華な宿でもない。ただ一夜を過ごすのに不自由はない程度の平凡な宿部屋の中、少女の溜め息は虚しく消え入る。

「…………」

 少女の胸に巣食うのは、ついに数時間に待つ二度目の遺跡探索に対する不安や緊張感などではなく、――さきほどクリスリアに言われた話だ。


 考えてもみなかった。

 前世の記憶には、焦がれぬ方が良い。なぜならばそれは『死の記憶』であるから。
 ……確かに、当然のことだ。
 前世と今世――その境にあるのは、死。その瞬間を鮮烈な感覚を以って思い出したとき、今ここで生きている自分の心にどのような影響を及ぼすかは分からない。

 でも、どうだろう。

 彼女の言うように、もし見るも無残な死を経験していたとすれば、その記憶は不用意に追い求めるものではない。
 生きながらにして、凄惨な死を体感する――それは、どれほどの心理的苦痛を受けるかと想像することも憚られるような、とても恐ろしいことである。ショックのあまり、立ち直れなくなるかもしれない。確かにそれは分かる。


 ただし、あくまで最悪の場合の話だ。

 果たして自分がそのような過酷な死などを経験しているものだろうか。


 今、少女の胸の内に湧き立った前世の記憶は――生物兵器との戦いが無事に終えられたあと、ミナホと楽しく遊んで過ごす幸せな日々だ。思い返すだけで、ポウと胸が温かくなるような思い出。

 その以後に、過酷な死など待ち受けていようものだろうか。
 むしろ、その先に待つのは変わらず甘美なものであるはずだと、思えるのだ。


 想いを馳せれば自然と胸が高鳴る。今思い出されているのはせいぜい十三歳の頃の数日の記憶だけ。だが、当然、自分はあのまま大人になっていっただろう。
 体も成長し、……きっと胸だって大きくなった。うん、そう違いない。
 心も大人になって、好きな人など出来、恋人も作っただろうか。やがては結婚して、子供なんかも持つだろうか。
 十三歳当時のミナモを思うと将来のことなど想像もつかないが。

 ――想像がつかないからこそ、気になるのだ。

 今ここに生きるルミナにとってはある意味『過去のこと』なので、思い出せればそれを知れる。そのすべがある。
 同じく前世の記憶を持つクリスリアに話を聞けば、何らかの刺激となり、まだ魂の奥底にて再生を待つ記憶の断片が思い起こされることになるだろうと、何よりクリスリア自身が言ったのだ。ならば追想への焦がれは収めがたい。

 まあ、ミナモとしてのその後の人生がどうなっていたかは分からない。恋人だとか子を持つだとか、そういう一般的な『女の幸せ』は得られなかったかもしれない。


 しかしどうあれ、ミナホとの絆は強く結ばれていたはずなのだ。
 ならば、不幸な人生などあり得ない。


 彼女と一緒なら、幸せに違いない。いま再生されている数日間の記憶だけでさえそうなのだ。その後の墜落などあり得ようものか。まさか自分が残酷な死などを経験しているとは思えない。
 だから――。

「前世について話してくれないなんて、まったく、もう……」
 つい、独りごちる。


 クリスリア――麗しいあの女性は決して悪い人ではないと思うが、しかし、前世について話してくれないのはどうしても納得がいかない。彼女が言うなら、と、ウェイドもあちら側になってしまうし。

 今のルミナは、まるで――正しく扱う自信があるのに、危険だからと玩具を取り上げられた幼子のような心境。納得のいかないまま大人たちの言うことを聞かされるという感じで、悶々とせずにはいられない。

 二人が言うように、もはや追想への焦がれは断つしかないのだろうか。
 ……はあ、とまた溜め息をつくルミナ。

 少女は、やるせない思いを胸に、一人静かに夜を待っていた。
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