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シーズン1/第二章
ルミナ・モルガノットの冒険⑫(次なる街)
しおりを挟む目を覚ますと、年季の感じられる古い天井が目に入る。
瞬間、自分が『どちらの自分か』と、妙な混乱を起こす。
上体を起こして辺りを見回し、ここが狭い宿部屋であると分かると、――ああそうだ、自分はルミナである、と事故を認識した。
「うぅ……ん」
ベッドに腰を据えたままぐっと伸びをして、そのあと、ふうぅ、と深く息を吐く。
夢を見ていた。
前世の夢だ。昨晩、寝る直前に前世の記憶について思慮を巡らせていたせいだろうか。そのまま夢の中で、かつての日々を再生していた。
それは、とても幸せな日常だった。
海の怪物との戦いを終え、翌日からの記憶だ。
ブカツ……。そう、部活。学び舎の仲間たちと共に、日々、水泳の練習に励んでいた。その練習が嫌だったわけではないが、一度距離を置きたくて、数日の間だけ休みを取った。
その期間。ミナホと二人で自由に過ごした。それが、とても楽しく、幸せに感じられた。
目が覚めた今も、暖かな気持ちが胸の中でポウと灯っている。
「…………」
幸福な夢の余韻を感じながら、ルミナはベッドから降りる。さっそく着替えを始める。ゆっくりとしている時間はない。
「ウェイドさん、おはようございます」
部屋を出て、ロビーに降りると、すでにウェイドが待っていた。
「ああ。おはよう」
まだ朝早い時間だが、二人、しっかりと旅の準備を終えてロビーにて顔を合わせた。
「では、さっそく出発しよう」
「あれ、ウェイドさん、朝ごはんは? ここの食堂で食べていかないんですか?」
「食堂で? そんなの時間の無駄だよ」
「へ?」
「通りの出店で果物でも買って行って馬車で食べればいいよ。俺は朝は食べないタチだから、君一人で好きに買いなさい」
「う、はい……」
食堂で朝食を取るぐらい良いじゃないですか、と言いたいところだが、彼にそんな訴えをする勇気などない。それに仮に訴えても拒否されるだろう。
ルミナは、しょぼん、としなだれる。
ウェイドは気に掛ける様子もなく、くるりと踵を返して歩き出す。宿のカウンターで手際よく支払いを済ますと、「さあ、行くよ」とだけ言って足早に玄関扉を抜けていく。ルミナはあわてて男の背を追った。
昨日と同じく、馬車の旅である。
まだ朝の早い時間のうちからアガメ村を出発し、イリアス地区の街道を進む。
アガメ村にて、偶然にも遺跡を発見し、急きょ古代遺跡探索の冒険をすることとなってしまったわけだが……そもそも、ここはただの旅の中継地でしかなかった。
このまま街道を進んだ先にある街、パトロ市というところが目的なのだ。
そこに大きな湖があり、その湖底に遺跡がある。だから、本来ならばそこがルミナにとって初めての遺跡探索となるはずだったわけである。
「中継地として寄ったアガメ村に古代遺跡があったのは、まあ予定外だったけど、とても重要な収穫だった。機関も把握していない遺跡だったから。それを発見でき、攻略できたのは、……ルミナちゃん。君のおかげだ。改めて礼を言うよ」
「い、いえ。そんな……」
たまに厳しい態度を見せるとはいえ、基本的には優しく真面目なウェイド。
馬車に揺られながら昨日のことを振り返り、ルミナを褒める。少女はつい照れてどぎまぎとしてしまう……嬉しいが、でも、こうして優しい言葉をかけてくれる半面、その笑顔の奥に何か冷ややかな顔が潜んでいるのではとも思え、少し怖くもある。
アプルパリスで始めに会ったときはこのような印象はなかったのだが……なぜか今は彼がそんな厳格な男に見える。
遺跡の最奥部、前世の記憶を取り戻した時から彼への印象が微妙に変わったような気がするが、なぜだろうか。
そういえば、と思い出す。
昨日、馬車移動の最中に彼と話していたことだ。――彼とは、なぜか、初めて会った気がしない。今にしたって、出会ってまだ三日目。それなのに、もっと以前から見知っている相手のように感じてしまう。いや別に、運命を感じるだとかそういう妙な話ではなく、もっと現実的な意味として。
どういうわけなのか――今なら、可能性として一つ思い当たることはあるが……。
「どうした? ……俺の顔に何かついてるか?」
ウェイドに声をかけられ、ハッと顔を上げるルミナ。
「いえっ、なんでもないんです」
「そうか。なにか心ここにあらずといった感じだったけど……。まあ、今のうちに休んでおくといい。パトロ市に到着するのは午後になるから。今日中には、パトロ湖の湖底遺跡に入ることになる」
「え、もう、今日中に次の遺跡に入るんですかっ……?」
「それはそうだろう。わざわざ日を改める必要はない。……基本的に特務官には休息日なんてないよ。皇国民のためにこの身はあるのだ。当然、安々と休んでなどいられないものな」
特務官に休みはない。
その言葉が、ルミナの胸に刺さる。
昨夜見た夢――前世でのあの楽しい日々の記憶。
少しの間でも休息を得ることが、精神衛生的にはとても重要なのだと実感したものだ。特に、『海蟲』との戦闘という大きな宿命をなんとか乗り越えて、心を休める期間が欲しかった。
今、ルミナとしても、同じような状況である筈だ。池の底に眠っていた古代遺跡、そこへ臨み、魔蟲の群れとの戦闘を乗り越えてなんとか遺跡攻略を果たしたばかり。
過酷な予定外任務をこなし、少し休息の期間が欲しい。……だが、今から向かう街にてまた次なる遺跡へと臨む予定。日を改めはせず、すぐにだ。
はあ……と、心中、ため息を吐く。
覚悟を以ってレギオンへ所属することを決めたはずだが、その厳しさを目の当たりにすると、少し、揺らいでしまう。
比して――夢に見た、前世での安らぎの日々へ、より強く焦がれてしまうのだ。
/
イリアス地区のうち、ルミナの育ちの街・アプルパリスは西側、国境付近にある。
パトロ市は反対側、東にあり、国領全体で見るとおおよそ中央に位置する都市である。
ルミナの旅路は、アプルパリスの街からパトロ市まで、イリアス地区をまっすぐ横断する形となる。中継地となるアガメ村を発ったのち、また馬車で街道を進む。
「パトロ市に、湖底遺跡があるんですよね。そこへ行くっていうことは――また、昨日みたいにバケモノと戦ったりするんですか……?」
ルミナは、対坐する男へと尋ねた。ウェイドはリュックの中からなにやら書類を出し、眺めていたが、少女へ視線を移して口を開く。
「パトロ遺跡もアガメの遺跡と同様に古代遺跡だが……あれほど凶悪な魔蟲が配備されているようなことはないだろう。あの遺跡は別格だったんだ。きっと、各地の遺跡を攻略したあとで、最後に臨むべき難関になるはずだったのかもしれない」
「最後に? どういうことですか?」
「遺跡攻略は、辿るべきルートなどが古い資料には示されているからね。特務官を各地に派遣して、人海戦術的に遺跡を同時に攻略している。まあそのおかげで多くの場合外れを引くことにもなるんだけどな。――ホラ、俺が始めに潜っていたアプルパリスの遺跡、あそこで俺は何も収穫が得られなかった。そのうえで君に助けられずに溺れ死んでいたら報われなかったな」
そう言って自虐的に笑うウェイド。
ルミナには、彼の言っていることがよくわからない。
古い、資料? 攻略の順番?
なんだかそんな風に聞くと、まさしくかつての記憶にある『あーるぴーじい』のゲームの冒険のように思える。
「アプルパリス湖の遺跡は、外れだった? えっと、よくわかんないんですけど、昨日のアガメ遺跡は当たりだったってことですか?」
「ああ。当たりとか外れとかで言うのはちょっと変だけど、まあアガメ遺跡は当たりだった。というのも、あの遺跡の奥に眠っていた旧時代の遺物――『精霊石の原石』こそが、我々が求めているモノだからね。各地に点在する遺跡の中で一部のみに、原石が隠されている。それを集めることが今回の任務の目的なんだ」
「はあ……」
今回の任務の目的……。
ルミナは、それについてまだあまり詳しく聞いていなかった。ルミナが今なお持つ『水の精霊石』、これには呼び名通り水の精霊が宿っているわけだが、まだ精霊が宿らぬ『精霊石』、すなわち原石――それを集めることが、任務の目的。
一体、なぜ? と、疑問に思ってしまう。
「えっと、精霊石の原石を集めて、それで何をするんですか?」
レギオンは、一般皇国民にはその存在を秘される極秘の政府機関。
しかしながらその存在意義とは、公共に利するため、に他ならない。
表立って存在する正義執行機関『ブルック騎士団』に対し、レギオンは裏の正義だと揶揄されるらしい。
皇国民の平和のため、正義のため――なればこそルミナはレギオンへの所属を決めたわけだが。
しかし果たして、自分がいま参加している任務が皇国民のためとなるものなのか、あまりピンとは来ない。危険な古代遺跡に潜入し、『精霊石の原石』を探し求めるのが任務の目的だと言うが、ならばそれがどう公共のためとなるのか。
少女の素朴な疑問に対し、先輩特務官は答える。
「悪いけど、ルミナちゃんには詳しく話せない」
「え? ど、どうしてですか……?」
「まあ、現在レギオンが精霊石の原石を集めているのは……かなり込み入った事情があってね。簡単に説明できない」
込み入った事情?
むしろそんな事情があるのなら、なおさら聞きたい――という少女の意思が察せられたのか、ウェイドは諭すような口調で言うのだ。
「でも、我々特務官とはそういうものだ。――いいかい、ルミナちゃん。任務の執行に際して、必ずしもその意義が伝えられるとは限らない。レギオンはジャルダン聖教会の庇護下にある特務機関だ。任務は、教会の上層部によるご意思のもと命じられるもの。だったら、たとえ詳細を知り得ずとも、それが意義あるものだということに疑いはないだろう」
滔々と語るウェイドに、ルミナは少し呆気にとられるが……しかし、言っていることの意味は分かる。
教会こそ正義だから。
教会のご意思のもとに動く我々は、意義など求めるべくもない……。
「今回の任務も同じさ。……だから、なぜ『精霊石の原石』を求めるのか、なんて気にする必要はないわけさ。疑問など持たず、真摯な態度で任務に当たろうね。――分ったかい、ルミナちゃん」
「は、はい……」
爽やかな笑顔を湛えながらそう言うウェイドに、ルミナは少し、恐怖を感じた。
彼特有の、時折見せる厳しさだが、今のはとりわけ氷冷の気を帯びているように感じられた。
別に、ルミナはただ気になったことを聞いただけであり、教会に対して異議を申し立てようなどとは思ってもいない。
でも任務の意義を尋ねるだけで、そうとも汲み取られかねないらしい。ルミナは、今後はそういった言葉は断じて慎もうと思った。
/
数時間、馬車に揺られて到着したのは――遠く続く平野の中で緩く隆起したような台地、その上に造り上げられた街だ。
セパディア皇国のおおよそ中心に位置するパトロ市は国内で指折りの大都市であり、各地から街道が結ばれている。
「わ、すごいですね……」
アプルパリスを出て、最初にたどり着いたのはアガメ村。交通拠点とはいえ小さな集落であり、当然、育ちの街より見劣りした。
いま目にしているパトロ市はアプルパリスのような古い街とは比較にならないほど大規模で、何より人が多い。
馬車の中、胸の奥に燻る前世の記憶や今生の行き先への不安など様々な憂いが渦巻いていたルミナだったが、華やかな都市観を初めて目の当たりにして、ぱっと晴れやかな表情を取り戻していた。いっそ長時間の馬車移動でじんじんと熱を溜めた臀部の痛みさえもすぐに消え去ったほど。
「うわあ。色んなお店がありますね。中央通りなんかは、もう人でいっぱい」
「言っとくが、観光に来たんじゃないからな」
「う、はい……」
ふわりと浮いた少女の心を、ぐいと引き戻すウェイド。
「宿街は大通りを抜けた向こう側、東地区になる。そこで仲間と落ち合う」
「仲間……」
話に聞く、女性特務官だ。
――曰く、ルミナと同じく『前世の記憶』を持っているという。
一体どんな人物なのか。速く彼女に会い、話を聞きたい。やはり気が逸るが、あまり浮足立っていてはまたウェイドに注意されるかと想い、落ち着くよう努め、ルミナは大きな通りを歩み始めた。
「25五号室のお客様は、ただいまお出になられておりますが……」
パトロ市の東側に、宿が多く立ち並ぶエリアがある。さすが大都市、所狭しに並ぶ宿屋を順に見ていっても、アガメ村で見たほど安宿の風体を構えているものはない。
種々ある宿屋の中で、おそらくごく一般的な等級のもの――三階建てのとある宿へ入り、ウェイドが受付で例の特務官に取り次いでもらうよう申し出ると尋ねると、宿の職員がそう答えた。
「いつ頃出たんだ?」
「三十分ほど前に」
「そうか。わかった」
ウェイドは職員に軽く礼を言うと受付を離れた。
「おそらくちょっとした用事だろう。俺たちがここへ来ることは知ってるはずだから、すぐに帰って来るはずだけど」
ロビーの壁際に立つ大きな柱時計をちらと見て、ウェイドは言う。
「悪いけど、ルミナちゃん。俺も少し用事を済ませて来るよ」
「え?」
「君はこのロビーで待っていてくれ。俺もすぐに戻るから」
「ええ、私一人で待つんですか?」
「どうしたんだい、なにか問題が?」
「い、いえ……」
問題はない。
少女が知らない土地で知らない人を一人で待つというのは非常に心細いものであるが、そんなことを訴えても仕方がない。
ルミナはぽすん、とロビーのベンチに腰掛ける。ウェイドはすぐに宿を出て行ってしまった。
ふう、と息をつく。
街の中心に大きな湖があるらしい。パトロ湖という。
その湖底に、古代遺跡があるのだ。今日また、遺跡へ入る。
昨日の体験が、鮮烈な感覚と共に思い出される。奇妙な造りの遺跡、奇怪な蟲との戦闘――そして、突如として胸の奥底から湧き上がった、前世の記憶。
かつての生への想いは少女の胸を圧倒的な存在感を以って満たすが、しかし実際にはっきりと再生されているのは戦闘中に思い出した分、そして昨日夢とした見た分だけ。
海蟲と戦った夜のことと、その後の数日分のみか。
それ以前、あるいは以後の記憶は、まだぼんやりとしたままで判然としない。それがもどかしい。
特に、あの戦いの後の日々をもっと鮮明に思い出したい。
ミナホと楽しく過ごした日々だ。ブカツ……それまで学友と共に励んでいた水泳の活動を一時休み、大切な双子の姉・ミナホと遊んだ日々。……ああ、確かぬいぐるみもともにいたか。とにかく、あの日々がとても恋しいのだが、記憶の再生はまだその途中で途絶えている。
だから、これから会う女性特務官に話しを聞きたい。
同じ境遇の者から話を聞けば、もしかすればもっと意図的に記憶を再生するすべなども分かるかもしれない。まだまだ幸せな日々の記憶が自分の胸の奥底に眠っている筈なのだ。
少女が、また前世への追想に切に想いを馳せていると――。
「あら。あなたは――」
ふと、声をかけられた。
女性の声だ。
顔を上げると、若い女性が目の前に立っていた。
ベンチに座った少女の顔を覗き込むように少し屈んで、女性の長い髪がさらりと首から流れた。甘い香りが、鼻をくすぐる。
「あなたが、ルミナさんね?」
女性はルミナの顔を見て、言った。
「へ? あ、あの……。はい、私、ルミナですけど。えっと、あなたは……?」
知らない女性に名を呼ばれ、きょとんと目を丸くするルミナ。
「ふふ、申し遅れましたね。はじめまして、わたくしはクリスリア――、」
すっと背を伸ばし、女性は名乗る。すらりと背が高く、スレンダーな体を清潔なブラウスとタイトなスカートで包んでいる。
美しい女性である。
確かウェイドが、彼女はティアハート教会堂出身だと言っていた。確かに、数あるジャルダン聖教の教会同の中でもっともに厳格で清廉だとされるかの教会堂出身らしい、とても丁寧な話し方。声色も実に流麗で、耳にしていると、ゆらゆらと海を揺蕩うような得も言われぬ心地になる。
ルミナは目の前の女性の美しさに、思わず呆気に取られていた。そんな少女に対し、女性は、ふ、と息を置いて、改めてフルネームを名乗る。
「レギオン所属の特務官、クリスリア・ティアハートです。よろしくお願いしますね、ルミナ・モルガノットさん」
クリスリア・ティアハート――彼女の涼やかな瞳は、ベンチに座る少女をまっすぐ見つめる。その視線は、少女のある一点に向けられているようだった。
少女の目元、――左目の下にちょんと据えられた泣きボクロ。
ルミナのチャームポイントと言えるだろうか、彼女の幼い魅力を引き立てるような目元のホクロ。
あるいは、少女のかつての生であれば――同じ顔を持つ双子の姉と見分けるための最たる特徴となる点とも言える。
その点に注目し、なにかが腑に落ちたといったように少女を見据える女性。
女性特務官、クリスリア・ティアハート。
彼女はルミナと同じく、『前世の記憶』を持っている――。
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