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シーズン1/第一章
ダフニスの夜
しおりを挟む【新暦3820年/第6の月/9日】
【ダフニスの町】
「師団長! だめです、数が多すぎます!」
重厚な鎧をまとった騎士が叫ぶ。兜の中からのため、少々くぐもった声だ。
ブルック騎士団は、ジャルダン聖教会が抱える治安維持組織である。
各地に駐屯所が置かれ、善良な皇国民を危険から守る正義の騎士団だ。所属する騎士団員には、聖教への厚い信仰心の他、特に魔獣生息域に近接する町などに派遣される場合には、ことさら高い戦闘技術を求められる。
魔獣の森と接する町、ダフニスに駐屯所を置く第三十六師団の師団長――エシリィ・モーカートンは、齢十九の若き女性ながらその実力を高く認められた魔法騎士である。
「弱音を吐くな馬鹿者! 一匹たりとも、町に入れるな」
剣を構え、彼女は部下に厳しく言葉を返す。
そんな彼女に向かって黒い大きな影が迫る。鋭いツメが生えそろう腕を高く振り上げ、女性の小さな頭に向かって振り下ろす。
エシリィは、ぎり、と歯をかみしめながら、剣を振り抜いてそれを払う。ガキイン、と乾いた音が響く。――同時に、魔獣の一撃を受け止めた重い衝撃が、女性の細い腕に響く。
「師団長ッ!」
部下たちが、彼女のもとへ駆け寄る。女騎士に腕の振るいを払われてもすかさず次の一撃を構える魔獣に対し、左右から剣を突き立てようと部下たちは駆けたのだ。――が、そんな部下たちを邪魔するように、後ろに控えていた他の黒熊がわっと押し寄せる。やむなく、師団長への援護から新手の迎撃へ切り替える。
エシリィを襲う黒熊は、ぶん、ぶん、と間髪入れずに腕を振るう。
我が身を切り裂かれるのを防ぐため、それらを剣ではじき返すのが精一杯のエシリィ。攻撃の隙を抜けて熊の喉元に剣を突き立てたいが、そんな余裕がない。
(魔力さえ回復していれば、ブラックホーンベアごときに苦戦することなどないのに……!)
重い一撃を受けて骨が軋む――痛みに眉をひそめながら、エシリィは己の無力を呪った。
昼間、森の教会の前で黒熊の群れを一挙に眠らせたため、未だ魔力が充分に回復していない。
魔法の使い手として確かな実績を持ち、若くして師団長を任せられている彼女だが――その魔法が使えないとなっては、もう魔獣を圧倒するほどの力はない。彼女は剣術にも長けてはいるが、しかしその巨躯・剛腕を以って襲い掛かる黒熊を相手取るには、女性の腕ではあまりに力不足なのである。
(こいつらは、昼間に眠らせた群れだ。くそ、あのとき始末しておくべきだったか? ……いや、しかし、まさかここまで出張って来るとは……)
おかしい。
本来、魔獣が自分たちのテリトリーから出て来ることなどほとんどない。
あの教会前もその生息域の範囲内であり、あそこで眠らせた魔獣たちにわざわざとどめを刺そうとはしなかったのもごく自然なことである。まさか街道へ出てさらに町の方までやって来るとは思いもしない。これほど急に、魔獣が群れを成して生息域から出て来るなんて、あり得ないことなのだ。
陽が落ち、町が陰り出したころだった――突如として、森の中から黒い影が現れた。ブラックホーンベアの群れだ。恐ろしい魔獣の群れにいち早く気付いた町民の女性が悲鳴を上げた。
悲鳴を聞いた町民たちが次々と家から飛び出し、魔獣の姿を確認する。たちどころに大騒ぎとなり、魔獣の森とは反対側――町の北の方へと、人々は逃げていった。
そんな中、騎士団がすぐに出動し、町の入り口で魔獣を食い止めようと立ちはだかった。
町の入り口のアーチ、あるいはその左右に立つ騎士の石像――それらの足元で、騎士団は懸命に戦っている。しかし魔獣の数が多い。明らかに、ジリ貧の状態である。
一体なぜ、急に魔獣がこんなところにまで現れたのか――そんな疑問を頭に浮かべていたのが隙になってしまったか、魔獣が繰り出してきた鋭いパンチに対し、エシリィはわずかに反応が遅れてしまった。
「――――っ」
剣を盾にするが、その衝撃を受けきれず、後方に吹き飛ばされるエシリィ。
魔法騎士ゆえに重装備でもない彼女の軽い体は、数メートル突き飛び、兵士石像の台座に激突した。背に重い衝撃を受け、「ぐはッ」と息を漏らす。
彼女を受け止めた台座から衝撃が伝わり、兵士像の腕が折れてしまった。それほどの勢いで席背の台座に背をぶつけたのだ。彼女は呼吸するのもやっとというほどで、すぐに起き上がることなど出来ない。
「師団長――」
部下たちは後方へ吹き飛ばされた上官の身を案じるが、目の前の猛攻に耐えるのが精一杯で、振り返る余裕すらない。
彼女を殴り飛ばした当の黒熊は、グオッ、と吠えながら駆け出し、部下たちの間を抜けていく。――向かう先にはもちろん、なんとか起き上がろうとして地に手をついた状態の、女騎士。
すぐさま立ち上がり、剣を構えなければ――そうは思うが、今しがたのダメージで腕にうまく力が入らない。
自らの非力さを呪い、ギリ、と歯を食いしばるエシリィ。もうすでに、黒い影が彼女の目の前まで迫っている。
頭上から、鋭利な爪が降って来る――彼女の目はそれを確と捉えていた。
同時に、視界の端に、なにやら青い影が映った。
風を切り、過ぎ去る青い影。すぐさま跳躍し、その腕が黒熊のツノをがしりと掴んだ。
「な――」
エシリィは、はっと目を見開き、その姿を見た。……派手な青いスーツで身を包んだ男が、町の中から飛び出てきたのだ。
黒熊の身が仰け反る。
ツノを掴んだ男は、駆け出てきた勢いのまま魔獣の体を引っ張り――なんと、その巨体を投げ飛ばした。後方、部下の騎士たちを襲っていた数頭の黒熊に向けて……。
どどどどっ、と音を立て、大きな熊がまとめて地面に倒れ込む。
「おお。ストライク」
ボールを投げて正三角形に並べられた十本のピンを全部倒したあの感覚を思い出し、感慨深そうに言ったのは、――青いスーツを着た長身の男、今田剛太郎だった。……ボウリングは、大学時代に仲間とよく行っていたのだ。嗚呼、懐かしい。他にダーツなどにもよく行ったものだった。
「…………。ゴ、ゴウタロウ?」
すと、と着地した男を見上げるエシリィ。
「危ないとこだったな、エシリィ。……あとは俺に任せてくれ」
「お、おい!」
エシリィは手を出し制止するが、そんなものには構わず、剛太郎はすでに駆け出していた。……すさまじい、スピードだ。ぶお、と、エシリィの桃色の髪が風で巻き上げられる。
巻き上がった髪がふわりと彼女の背へ舞い落ちるのと、黒熊の巨体がぶわっと宙に浮いたのは同時だった。……剛太郎が熊の懐に潜り、ツノに向けてアッパーカットを打ち込んだのだ。
「――――!?」
さきほど彼が熊を投げ飛ばしたのは見間違いではなかったらしい。
剛太郎のスピード、パワーは常人のそれではない。エシリィが唖然としているうちに、すでに同じように宙を舞う熊が三体目になっている。
どれもツノを狙って拳を放っているようで、ブラックホーンベアの最大の武器ながら最大の弱点であるそのツノが見事に砕けている。
宵闇の中で、青白い光が瞬く。
魔獣の魔力は角に集約されている。それが折れる際、凝縮された魔力が霧散してわずかに発光しているのだ。青い男が超速で動き回り、その残像とともに光が瞬く――思わず目を奪われる光景であった。
魔獣に苦戦していた他の騎士たちも、もはや剣を構えることすら忘れ、突然現れた謎の男の活躍を呆然とした面持ちで眺めている。
森から現れた魔獣の群れは、十体。
すでに八体が、ツノを失って地面に倒れている。次なる九体目の黒熊に向け、剛太郎がその拳を振り抜いた。まるで岩と岩をぶつけたような重い打撃音が響き、魔獣のツノが砕け散った。
――そうして九体目の魔獣を倒したところ、最後の十体目が、剛太郎の背後から突進を繰り出していた。四本の手足で地面を駆け、今にも鋭いツノで剛太郎の胸を貫こうと迫る。
エシリィは、はっとして、ゴウタロウの名を呼ぼうとした。――しかし彼女が声を発するよりも早く、すでに剛太郎は背後から迫る獣の存在に気付き、ノーモーションでバック転をしてその突進を躱した。
背中に目がついているのか、と、その場の者が驚いて息を呑んだ。
実際は、背中に目がついているのではなく頭の中にエネルギー生命体が棲みついているのだ。彼女――ミュウがその気配を察し、背後から迫る危機に反応できた。
バック転からきれいに地面に着地した剛太郎。必殺の突進攻撃を避けられた黒熊もすぐさまその身を翻し、両者は改めて対峙する。――ただし対峙していたのは、一瞬だった。
男と獣は同時に駆け出し、正面から衝突した。魔獣は変わらず、そのツノで刺し殺さんと突進する。剛太郎は、今度は避けることはせず、なんとそのツノを正面からがっちりと掴み取り、そのまま折り砕いたのだ。
バギイイイン、と、角が砕け散る音が暗がりの中に響く。
「…………、ふうっ」
全ての黒熊を仕留め終え、大きく息をつく剛太郎。
――師団長を含め、騎士団員たちは驚きで言葉がなかった。十体のブラックホーンベアを一人で倒しきった……。それも、ものの十数秒で、だ。速すぎて、一つ一つの動きを視認することすらできなかった。
「…………、ゴ、ゴウタロウ。君は一体何者なのだ……」
我に返り、立ち上がったエシリィが剛太郎に向けて声をかける。
「……何者か、か……。すまない、ちゃんと言うよ。――俺は、こことは違う別の世界から来たんだ。自分でもよくわからないけど、確かなんだ」
「別の世界から……?」
エシリィが驚いた顔で剛太郎を見る。やはり容易に信じてはもらえないだろうか、と剛太郎は難儀な顔をする。
戦闘が収まったのを察したのか、町の住民たちがそろそろと戻って来た。
町の中から、アーチの向こうで立つ――気絶した黒熊に囲まれながら毅然と立つ青い服の男を見て、「あれは昼間、町に来た妙な格好の旅人……?」「ほんとだ」「か、彼がやったのか……」「しかも素手で?」などと、口々に言い出す。
正義の騎士団が退治してくれた、ということなら、すかさず歓声が沸き起こっていただろうが、謎の旅人が退治したとあって人々もいささか混乱しているようだ。一体彼は何者だろうか、と、ひそひそと話している……。
ただし、それは幸いであったのだ。
もし大きな歓声が起こっていたら、その声が聞こえなかっただろう。――人混みの中にいた一人の男が突然空を指差して、「あれを見ろッ!」と叫んだのだ。
全員、その声に釣られ、空を見上げた。
月明りの背にして、暗い空から小さな影が、ひゅん、と町に向けて飛来してきていた。
「……まさか。そんな、――ドラゴンっ!?」
エシリィがその姿を確認し、驚きの声を上げた。
それは、とても小さい。
体長は一メートルに満たない。ただし、翼の生えたトカゲのような体で、体表は鮮やかな赤色――小さくとも、確かにその姿は紛うことなきドラゴンである。翼を大きく広げて、まっすぐ下降してきている。
「まだほんの子供だが……竜種には違いない。あり得ない、こんなところにドラゴンが出現するなんて……」
人々は瞬く間に、わあっ、と騒ぎだし、また一斉に逃げ出した。
ドラゴン……。剛太郎には実在していたこと自体が驚きだ。エシリィや騎士たちが、さきほどの黒熊と相対するときよりも険しい表情で剣を構えている、そして人々も阿鼻叫喚といった様相で逃げ出していくのを見ると、どうやら、あれほど小さくともよほど危険な生物であることが窺える。
《剛太郎! まずい、女の子が――!》
脳内のエネルギー体に言われて、剛太郎は気付いた。上ばかり見上げていて、それに気づくのに遅れてしまったのだ。
人混みに置いて行かれたように、ぽつん、とその場に残された小さな人影。……少女だ。おそらくまだ十二、三歳といったところだろうか、水色の長い髪の女の子だ。ミュウに言われるまでそこにいるのを気付けなかった。
少女は、空から飛来して来る小さな竜を見上げながら、その場に立ち竦んでいる……。
風を切り、飛来するドラゴンは……少女に向かっている。その小さな体には少女の方が食べやすいというのか、他の人間には目もくれず、一目散に。
刹那のうち、剛太郎は逡巡した。
少女のもとへ駆け寄って、ドラゴンから庇うか――しかし間に合わないかもしれない。自分が少女のもとまで行くよりも、ドラゴンが彼女に食らいつく方が早いかもしれない。
では、どうする。
あのドラゴンを直接叩ければよいのだが、空を飛ぶ相手にはどうしようもない。……実際は、やろうと思えばなんとかできるのだが、それには時間をかけてミュウからエネルギーをチャージしてもらう必要がある。今は無理だ。……どうする!?
こういったとき、彼の脳内は異常なほど瞬間的に思考が巡る。これも、脳内にすまうエネルギー生命体の恩恵だ。……そのおかげで、この緊迫した状況においても周囲を見渡し、ちょうどよいものを見つけることが出来た。
エシリィの足元に転がっていた、長細い石の塊――それは、町入り口に立つ兵士石像の腕だ。
エシリィが熊に吹き飛ばされ、像の台座にぶつかったとき、その衝撃で折れてしまったものだった。前腕部から先、その拳には丁寧に象られた石の剣を握っている。
エシリィは、すぐ横に青い影が過ぎ去るのを感じた。速くてハッキリとは見えなかったが、それが剛太郎であることは見るまでもなくわかる。
剛太郎はその石剣を掴む腕ごとを拾い上げ、――小さなドラゴンに向けて、投擲した。
きゅん、と甲高い音を立てて、石剣は飛ぶ。上空・真上から少女に向かって直角に飛来するドラゴン、地面・斜め角度からドラゴンに向かって飛び往く石剣――二つは、見事交わった。
剛太郎の放った石剣は、ドラゴンの腹に突き刺さったのだ。
「おお。これはブルだな」
矢を投げて円形の的の中心にきれいに刺さったときのあの感覚を思い出し、剛太郎は感慨深そうに言った。
/
思いがけず、町の住民たちから喝采を受けることとなった剛太郎。
騎士団に代わり魔獣を退治してくれた英雄だと、持て囃された。危うく胴上げなどを受けそうになったのをそれとなく拒否し、人混みの間を縫って宿部屋に帰ろうとした剛太郎。
そんな彼のもとへ、桃色の髪の女性が駆け寄った。エシリィだ。
「……ありがとう、ゴウタロウ。改めて礼を言う」
「いや、別に。……まあ、これで宿を手配してくれたお返しになったかな」
「そんなもの、こちらがお釣りを払わねばならぬくらいだ」
エシリィにそう言われ、いやあ、そんなことは……と、頭を掻く剛太郎。《なにデレデレしてんの》と、ミュウに詰られる。
「……それより、ゴウタロウ。さっき……自分は異世界から来たのだとか言っていたな?」
黒熊を倒した後に、ぽろりと言ったことだ。そのあとすぐに子ドラゴンが現れて、その話は流れてしまったが。
「あ、ああ……。そう、なんだ。俺自身、どうしてこの世界へ来たのかは分からないけど。いや、まあ、驚くよな。突然こんな話をされたら」
頭の可笑しいやつだと思われているかもしれない。そう考え、剛太郎は茶を濁すように、ははは……、と笑う。
「ああ、驚いたよ。まさか、君も、そんなことを言うなんて」
「…………」
エシリィに引っ掛かりを覚え、はた、と動きを止める剛太郎。
「……『も』っ!? エ、エシリィ、『も』って――」
がばっ、と身を乗り出す剛太郎。彼の異常な食い付きに少々身を引きつつ、エシリィは答える。
「……ああ。私の知り合いに、同じようなことを言っていた奴がいてな。私の魔法学院時代の同期生なのだが。曰く、『自分は異世界から来たのだ』とか……」
「ほ、ほんとかっ!? ……ちょっとそれ、詳しく話を聞かせてくれないかっ!」
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