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シーズン1/第二章
子竜の象形
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現代において、魔力を生まれ持つ人間は希少である。
魔力の保有は、完全に先天的な才である。持ち得る魔力容量――その器を大きくすることは努力如何では可能であるが、しかし器自体を持つか持たざるかは後天的にどうにかなるものではない。
旧時代においては、決して珍しい存在ではなかったが、新暦を数える時代になってからは一転、減少の一途をたどり、現代では魔力を保持する人間はごく一部にとどまる。
魔力の保有者は、大抵、その力を生かそうと考える。世界全土に数校のみの魔法学院のいずれかに編入して魔法士となるか。あるいは、魔導具の扱い手となるか。――その存在が希少とされる今、いずれにしても引く手は数多である。魔力を生まれ持つのはまさに天賦の才と言える。
そんな希少な素質だが、しかしそれを持つ者が必ずその才を見出されるとも限らない。
なにせ、一般の人間がそれを知覚できるものではないからだ。特別な魔導具を用いて初めて魔力の潜在的保有を見出されるが、そんな機会はそうそう得られるものではない。
あるいは、魔力保有者の中で特に魔力知覚に秀でている者の目で才を見出されることもあるが、その機会もまた得難いものである。
よって、現代において魔力を生まれ持つ人間は希少であると言われていながら、魔力を保有しつつも誰にもその才を見出されずに無自覚で暮らす人間も一定数いるわけである。
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【新暦3820年/第5の月/10日】
なだらかな水面にゆらゆらと浮いているような心地を覚えた。燦燦と照る太陽のもと、青く澄んだ海原の上をたゆたう……。海? 妙だ、どうしてこんなところにいるのか。自分は海なんて見たこともない。
海……。
どうしてだろう、故郷に帰ったような安心感が胸に灯る。このまま自分の体が溶けて、海と一体となってしまいそう。それほど、身も心も安らいでいる。
…………
……
――ぱち、と目を開く。
「あれ……?」
ルミナは、そこで目を覚ました。
今のは夢か。水面に浮かんでゆらゆらと漂う夢……。なんとも心地よい夢だった。しかし、あんな夢を見るなんて不思議だ。ずっとこの街で育ってきた自分にとって、海など馴染みはない筈だが。
……いや。確かに海は見たこともないが、そういえば今日、湖を泳いだか。本来ならば立ち入り禁止の聖なる湖、アプルパリス湖。あそこを泳いだのだ。人生で初めての『水泳』はとても心地が良かった。
まさに夢見心地といったあの感覚を夢の中で思い出したと考えれば納得だ。
「…………、ん?」
そこで、思い出した。――そうだ、あの湖で、とある男を助けたのだ。彼は、特務機関レギオンの所属官だと言っていた。それはジャルダン中央教会直属の極秘の組織であり、彼はその任務で湖に潜っていて、魔力の保有者でもある彼は精霊石を持っていて……。
あの石を触った瞬間、青白い光が眩く視界を覆った。
そして次の瞬間には、突然多量の水が襲い来て、勢いのまま押し流されてしまった。
そこまで記憶がよみがえり、ルミナは慌てて起き上がった。
そこは応接室ではなく、ルミナの私室であった。
自分は今、私室のベッドで横になっている。どういうことだろう。自分はあのとき気を失って、ここに運ばれたのだろうか。
ふと見ると、服も変わっている。湖に入ったせいで修道服はずぶ濡れになったので、いったん部屋着へと着替えたはずだが、今着ているのはさらに別の服だ。
……待てよ、ということはもしかしてあれは全部夢だったのではないか。
なるほどその方が、説明がつく。まったく妙な夢を見たものだ、日に二度も全身ずぶ濡れになるなんて冗談ではない。――ルミナはそう考えながら、ベッドから降り、ドアに向かう。
ドアの取っ手に手を駆けようとした、まさにそのとき。
コンコン、と、ノックの音が鳴った。まるで図ったかのようなタイミングに少し驚きつつも、少女は「はい」と返答しながらドアを開ける。
そこには、若い男が立っていた。二十代半ばほどの若い男は、ブラウンの髪に翡翠色の瞳をしている。
「ああ、ルミナちゃん。目が覚めたんだな。よかったよ」
どうやら夢ではなかったらしい。
/
聞けば、ルミナが眠っていたのはほんの一時間ほどだったらしい。まだ日付も変わっていない。……道理で、暗いわけである。今は夜だ。
ざり、ざり、と土を踏みしめて歩く音が、二人分。一人は二十代半ばの若い男のもので、もう一人は十三歳の少女のものだ。淡い月明りのもと、二人は歩く。
「ちなみに言っておくが、君の服は、ローマン神父がこの教会のシスターたちを呼んで着替えさせた。俺や神父がやったわけじゃないから、誤解しないでくれよな」
ウェイドは、諭すように少女に言う。
「応接室の掃除もそのシスターたちがやってくれているよ。なんでこんなところが水浸しになったのか不思議がっていたけど、それとなく誤魔化しておいた。詳しく説明しようにも、精霊石のことを教えるわけにはいかないし、ましてや俺の素性を明かすわけにもいかない。……そして、君が『潜在的魔力保有者』だということも、不用意には教えられない」
「わ、私が、魔力保有者……!?」
彼について歩くルミナは、思いがけない言葉に驚く。
ウェイドは自然な様子で言葉を続けた。
「ああ。そうでなきゃ、精霊石を使ってあんなことを起こすことはできないからな。君は魔力を持ってる。それも、きっと俺よりも遥かに大きな器だ」
「大きい器……」
あの青白い光と、大量の水――彼の口ぶりから、あれは自分が精霊石に触れたために発生したものだと察した。
……自覚はない。ただ、あまりにもきれいな石だからよく見せてもらおうとしただけだ。あんなことになるなんて思いもしなかったし、今なお、自分のみに魔力が宿っているなんて実感は湧かない。
「で、ウェイドさん。あの、今向かっているのって……」
ルミナは、前を歩くウェイドの背中に尋ねる。
成り行きのまま、彼についてきた。……今二人が歩いているのは、教会裏手の森の道だ。左右を木々に見下ろされるこの道は、森をぐるりと回る遊歩道。このまま進めば、やがて行きつくのはあそこだ。
ルミナの予想通り。やがて道が開け、行きついた先は湖。――神聖な湖、アプルパリス湖だ。湖面に月が映り、一層幻想的な景色となっている。その湖畔には、すでに誰かが立っている。
「悪いな、ルミナ。暗い中こんなところに呼び出してしまって」
湖畔で待っていたのは、ローマン神父だった。彼もずぶ濡れになったわけで、替えの平服に着替えていた。
ウェイドに連れられるままここへ来たが、自分を呼びつけたのは神父だったか。わざわざ教会の外、しかも湖のほとりまで連れてこられて、……もしやさきほどのことを咎められるのだろうかとルミナは身構えた。
「あの、神父。ごめんなさい。私のせいで応接室が水浸しになっちゃって……」
「いや。ルミナは何も気にすることはない。ルミナのせいではないよ。原因はお前にあの石を触れさせようとしたウェイドの方にある」
ちら、と神父に目を向けられ、ウェイドは気まずそうに目を伏せる。
「だが、そのおかげでお前が特別な力を持つことが知れた」
特別な力。
尊敬する神父にまでそのように言われると、少々歯がゆい。なにせ自分自身ではその実感がまるでないのだ。
「えっと、それで……。どうして私をここに?」
怒られるわけではないので安堵したが、では何用なのか。ルミナは神父を見上げ、尋ねた。
「……お前に大事な話があってな」
「大事な話?」
「うむ。応接室は使えないし、……それに、他の者に聞かれるわけにはいかないのでな。ここへ来てもらった」
コホン、と小さく咳払いをし、改まるように言う神父。ルミナはぴしっと居直った。
「お前は、潜在的魔力保有者だ。それは間違いない。しかもその力は、ウェイドを圧倒するほどに大きい。……せっかく持ち得た力だ、それは世のため人のために使うべきでないかと、私は思うが、……お前はどうかな?」
神父に尋ねられたルミナは、こく、と小さく頷く。
「端的に言おう。私はお前を、『レギオン』の所属官に推薦したい」
「へっ?」
突然の話に、ルミナはぽかん、と呆けた顔になった。
自分を、特務機関に?
あまりに突飛な話だ。……と思ったが、ふと隣に立っている男を見て、むしろそれがごく自然な話であることに気付いた。
ウェイドの方を見るルミナ……彼女の視線を受けて胸中を察したのだろう、彼が言う。
「そうさ、ルミナちゃん。……俺も、十八歳を待たずにレギオンに所属するよう声がかかったんだ。それもちょうど、君と同じ年の頃だな」
ウェイドがレギオンに勧誘されたのは、彼が魔力保有者であると発覚したから。――自分と全く同じだ。
「まあ、お前の自由だ、ルミナ。何も、教会育ちの子が魔力を持っていた場合、必ずレギオンに所属しなければならない――なんて決まりはない。教会は子らを無理に縛ることはないのあd。その力をどう生かすか、お前が自分で決めて良い。このまま十八までうちの教会で暮らして良いのだし、なんなら、魔法を学びたいと言うならそれでも構わない。魔法学院への編入を手配してやるぞ」
神父は優しい笑顔で、少女に言う。
「…………」
自分が魔力を持っていることを知ったのも、つい一時間ほど前のことだ。
いや、その間は気を失っていたので、彼女自身はつい今それを知ったばかりだ。それなのに、このような選択を迫らせても困惑は必至だ。
必至だ、が。
しかし冷静に考えれば迷うべくもないかもしれない。
教会育ちの多くは、いずれジャルダン聖教の関係職に就く。それは、教会の恩恵を受けて育てられたのだからその恩を返すため。強制されるものではないが、みな自然とそう考える。
……ルミナもそうだ。まだ具体的に進路を決めていたわけではないが、しかし先達の子らと同様に、教会の関係職に就くつもりでいた。教会への恩返しのため、ひいては皇国民のため、公共の利のためだ。
元々その心積もりだったのだ、何を迷うことがあるだろうか。
せいぜい、遅いか早いかの違いだ。
あるいは所属するのが公然の機関か極秘の機関かの違いか。
さらに言えば、事前の心の準備があるかどうかも大きく違うが。
……まあ今は細かいことはどうでもいい。
「わかりました」
ゆっくり神父の方を見上げ、少女は答える。
「私、レギオンっていうところに入ります。モルガノット教会堂を出ていくのは寂しいですけど……でも、私がその機関に入って役に立てるなら、ぜひ、そうしたいです!」
少女はまっすぐ、神父を見る。
彼女のその碧色の瞳は、確かに不安と戸惑いを大いに孕んではいるが、しかし迷いはない。もうすでに、揺らがぬ決意を持っている。
「わかった。よく言った、ルミナ」
少女の実直な眼差しに、神父は感慨深そうに微笑んだ。それはまさしく、我が子の成長を目の当たりにした父親のような面持ちだった。
「俺の後輩ってことになるな、ルミナ。まあまだ仮で、本部で正式な手続きをしないとレギオン所属官とは言えないが」
「は、はい……。じゃあ、よろしくお願いします、せんぱい」
ウェイドに視線を写し、ルミナは少し気恥ずかしそうに言う。
「じゃあまずは、その正式な手続きっていうのをしないといけないんですか? レギオンの本部に行かないと?」
「いや。それも必要だが、今はそれよりも優先したいことがある」
「優先したいこと?」
「ああ。……俺の任務に協力してほしいんだ」
特務機関なのだから当たり前なのだが、『任務』と聞くとなんだか緊張する。少女は心持ち少し居直る。
「セパディア各地にある湖底神殿へ行って、遺跡調査をするのが今回の俺の任務だ。ここの湖底神殿に入っていたのもその任務のためだった。……神殿に入るには水の精霊石を使用するのだが、知っての通り、俺は精霊石の扱いがあまり達者でない。その点、君はこの任務にうってつけだ。ぜひ、力を貸してほしい」
「うってつけ、……ですか」
ウェイドの言葉を、自分に言い聞かせるように繰り返すと、少女はきゅっと拳を握って彼へ言った。
「わかりました。私、その任務に一緒に行きます!」
「……ありがとう。頼もしい限りだね。君は良い特務官になれるだろう」
月明りに照らされた湖のほとり、爽やかな青年特務官のウェイドは笑顔で少女を見る。
「そうだ。せっかくだから、改めて見せてくれないか」
ふと、思い立ったようにウェイドがそう言って、何かを差し出してきた。紺碧色に輝く、小さな丸い石だ。
「それって……」
「ああ。水の精霊石だ。……もう一度、これに触れてくれ」
「ええっ?」
つい一時間ほど前、これに触れてあわや大惨事になりかけたというのに、また触れろというのか。ルミナは差し出された石を警戒するように少し身を引く。
「あのときは一瞬だったからな。君が魔力保有者たるところ、改めて見たい。……ここでなら大丈夫だろう」
身を引いたルミナに対し、強引に押し付けるようにずいと手を差し伸べ、ウェイドは言う。神父も無言で頷く。
「大丈夫。意識して石に触れれば、暴走することもない筈だ」
「意識して、触れる……?」
「そうだ。言葉での契約で実行される本物の魔法と違って、精霊石を使った簡易魔法は、意識を集中させて頭の中でイメージを思い描くことが重要だ。……君の魔力量なら、イメージ通りに自由自在に水を動かして、具体的な物体を象ることも可能だろう」
「…………」
躊躇う少女の背中を押すように、ウェイドは力強く言う。ルミナは遠慮がちながら、手を伸ばす。……男の手に載る鮮やかな丸石に、そっと、触れる……。
――カッ!
またも、石が光り出した。青白い光が広がり、少女と青年の影が長く伸びる。
「きゃあっ」
「……意識して、魔力をうまくコントロールして……水を操るんだ」
そんなことを言われても、いきなりできるわけがない。――ルミナはそう言いたかったが、弱音を吐くよりもまずは集中することだ。ぐっと目を瞑り……彼の言う通り、魔力をコントロールするよう意識する。具体的にどう意識すればいいのか全く分からないが、とにかく、自分が思うままにそれを意識した。
「…………っ!」
光が、落ち着いた。
まだ石は碧い光を発しているが、さきほどまでのように辺り一帯を包み込むような苛烈な光ではない。紺碧色の石が淡い輝きを発するのは、神秘的な美しさがあった。
集中していると。次第になにか、自分の胸の中にポウ、と灯る暖かなエネルギーを感じた。
今まで感じたことのないような不思議な熱。
それをなんとか手繰り寄せるように一層意識を集中する。遠く小さなもののように感じていたそれが、次第に、明確になっていく。
これが、『魔力』なのだろうか? 自分が生まれたときから持っていた、特別な力……。
「いい感じだ、ルミナちゃん」
少女の肩に手を置き、落ち着かせるようにウェイドは言う。
「そのまま、湖の水を操作してごらん。波紋を広げるのでも、ちょっと渦巻かせるのでもいい。水が動く様を、頭の中でイメージするんだ」
「む……」
イメージ、イメージ……。
とにかく、水を動かすことをイメージするが、余りに必死で、果たして『何を』イメージすればよいのかは分からない。
ざざざざざ――……。
「おおっ」
神父が感嘆の声を上げた。
湖の水が、激しく音を立て、――そして、動いた。湖面からゆっくりと水柱が上る。明らかに物理法則を無視した水の動き。――精霊石を使用した簡易的なものだが、これも一種の『魔法』である。
ルミナは依然、ぎゅっと瞼を閉じたまま。意識を集中し、魔力を使って水を動かす。
水の柱は、完全に湖面から離れ、そのまま宙に浮く水の球体となった。やがてそれは、何かを象り始める。
「…………」
小さな球体は、にゅるにゅると蠢きながらいくつかの突起を造り出す。
ルミナたちから見て正面は細長く伸び、先がパックリと横に裂ける。裂けた両端の上部にちょんと丸い点が二つ……。それは、目と口だ。トカゲのような顔である。
その頭部から、角がにゅっと生え出した。続いて、他の四つの突起がそれぞれ手足のような形になっていく。そして向こう側は最も長く伸びる……尻尾だ。
それらが形作られたことで元の球は『胴体部』となった。その同体の上部、すなわち背中から翼が生えた。
「あ、あれは……?」
ウェイドと神父が、形作られたそれを見て首をかしげる。
「ドラゴンか?」
水の動きは止んだ。――ぱち、と、ルミナは目を開く。
無我夢中で造り出したそれを、自身も視認する。神父が呟いた通り、それは明らかに『ドラゴン』であった。……といってもとても小さく、本物のように恐ろしい外見でもない。子供が描いた絵のように、可愛らしくデフォルメされた姿である。
「なぜ、ドラゴンの子供など形作ったのだ?」
神父が不思議そうに尋ねたが、それがなぜかはルミナ自身も分からない。ドラゴンなど、この街の周辺に出没することはないし、もちろんルミナも見たことはない。まあ絵本のイラストか何かで見たことはあるのだが、それにしてもドラゴンに特別な思い入れがあったわけではない。
「わ、分かりません。なんだか無我夢中で……気が付けば、あのような形に」
水の精霊石を使って、思った通りに水を動かすことはできた。ひとまずそれは大きな成果である。成果として出来上がったものが小さなドラゴンであるのが不可解であるが。
「…………、あれ?」
ルミナはそれを、じっ、と見つめた。
なんだろう、何か……。
何か、不思議な感覚が胸の奥底に沸き上がった。
水を操り、自分が無意識で造ったモノ。あのドラゴンは……どこかで見たことがある?
「…………。あれは……」
水の造形物を、じっと、見つめる。
今、胸の奥底で湧いた不思議な感覚が、じわじわと大きくなっていく。
このまま見続けていれば、その感覚がはっきりとしたものになる予感がした。……それは、記憶?
自分でも知り得ないような、奥底に眠っていた記憶が呼び覚まされるような感覚。次第に意識の表層部へと湧き上がってはくるが、まだずっと遠くにある。
もやもやとする。
それをはっきり思い出してスッキリしたい気持ちもあるが、同時に、少し怖くもある。
――そのとき。
ぱああああん、と、何かがはける音がした。得体のしれない感覚に意識を向けていたルミナは、その音で、はっ、と我に返った。
集中が途切れたせいだろうか、――水で象られたドラゴンが、魔力による制御を失い、勢いよく破裂したのだ。
そこで、せっかく顔を出し始めていた『妙な感覚』は霧散してしまった。
「…………」
ルミナは、はあぁ、と深いため息を吐く。
何かを思い出しそうだったのに、それが途切れてしまったもどかしさ――もある。だが、溜め息の原因はそれとは別だ。
弾けた水をモロにかぶってしまい、全身ずぶ濡れだ。……今日、これで三度目である。
魔力の保有は、完全に先天的な才である。持ち得る魔力容量――その器を大きくすることは努力如何では可能であるが、しかし器自体を持つか持たざるかは後天的にどうにかなるものではない。
旧時代においては、決して珍しい存在ではなかったが、新暦を数える時代になってからは一転、減少の一途をたどり、現代では魔力を保持する人間はごく一部にとどまる。
魔力の保有者は、大抵、その力を生かそうと考える。世界全土に数校のみの魔法学院のいずれかに編入して魔法士となるか。あるいは、魔導具の扱い手となるか。――その存在が希少とされる今、いずれにしても引く手は数多である。魔力を生まれ持つのはまさに天賦の才と言える。
そんな希少な素質だが、しかしそれを持つ者が必ずその才を見出されるとも限らない。
なにせ、一般の人間がそれを知覚できるものではないからだ。特別な魔導具を用いて初めて魔力の潜在的保有を見出されるが、そんな機会はそうそう得られるものではない。
あるいは、魔力保有者の中で特に魔力知覚に秀でている者の目で才を見出されることもあるが、その機会もまた得難いものである。
よって、現代において魔力を生まれ持つ人間は希少であると言われていながら、魔力を保有しつつも誰にもその才を見出されずに無自覚で暮らす人間も一定数いるわけである。
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【新暦3820年/第5の月/10日】
なだらかな水面にゆらゆらと浮いているような心地を覚えた。燦燦と照る太陽のもと、青く澄んだ海原の上をたゆたう……。海? 妙だ、どうしてこんなところにいるのか。自分は海なんて見たこともない。
海……。
どうしてだろう、故郷に帰ったような安心感が胸に灯る。このまま自分の体が溶けて、海と一体となってしまいそう。それほど、身も心も安らいでいる。
…………
……
――ぱち、と目を開く。
「あれ……?」
ルミナは、そこで目を覚ました。
今のは夢か。水面に浮かんでゆらゆらと漂う夢……。なんとも心地よい夢だった。しかし、あんな夢を見るなんて不思議だ。ずっとこの街で育ってきた自分にとって、海など馴染みはない筈だが。
……いや。確かに海は見たこともないが、そういえば今日、湖を泳いだか。本来ならば立ち入り禁止の聖なる湖、アプルパリス湖。あそこを泳いだのだ。人生で初めての『水泳』はとても心地が良かった。
まさに夢見心地といったあの感覚を夢の中で思い出したと考えれば納得だ。
「…………、ん?」
そこで、思い出した。――そうだ、あの湖で、とある男を助けたのだ。彼は、特務機関レギオンの所属官だと言っていた。それはジャルダン中央教会直属の極秘の組織であり、彼はその任務で湖に潜っていて、魔力の保有者でもある彼は精霊石を持っていて……。
あの石を触った瞬間、青白い光が眩く視界を覆った。
そして次の瞬間には、突然多量の水が襲い来て、勢いのまま押し流されてしまった。
そこまで記憶がよみがえり、ルミナは慌てて起き上がった。
そこは応接室ではなく、ルミナの私室であった。
自分は今、私室のベッドで横になっている。どういうことだろう。自分はあのとき気を失って、ここに運ばれたのだろうか。
ふと見ると、服も変わっている。湖に入ったせいで修道服はずぶ濡れになったので、いったん部屋着へと着替えたはずだが、今着ているのはさらに別の服だ。
……待てよ、ということはもしかしてあれは全部夢だったのではないか。
なるほどその方が、説明がつく。まったく妙な夢を見たものだ、日に二度も全身ずぶ濡れになるなんて冗談ではない。――ルミナはそう考えながら、ベッドから降り、ドアに向かう。
ドアの取っ手に手を駆けようとした、まさにそのとき。
コンコン、と、ノックの音が鳴った。まるで図ったかのようなタイミングに少し驚きつつも、少女は「はい」と返答しながらドアを開ける。
そこには、若い男が立っていた。二十代半ばほどの若い男は、ブラウンの髪に翡翠色の瞳をしている。
「ああ、ルミナちゃん。目が覚めたんだな。よかったよ」
どうやら夢ではなかったらしい。
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聞けば、ルミナが眠っていたのはほんの一時間ほどだったらしい。まだ日付も変わっていない。……道理で、暗いわけである。今は夜だ。
ざり、ざり、と土を踏みしめて歩く音が、二人分。一人は二十代半ばの若い男のもので、もう一人は十三歳の少女のものだ。淡い月明りのもと、二人は歩く。
「ちなみに言っておくが、君の服は、ローマン神父がこの教会のシスターたちを呼んで着替えさせた。俺や神父がやったわけじゃないから、誤解しないでくれよな」
ウェイドは、諭すように少女に言う。
「応接室の掃除もそのシスターたちがやってくれているよ。なんでこんなところが水浸しになったのか不思議がっていたけど、それとなく誤魔化しておいた。詳しく説明しようにも、精霊石のことを教えるわけにはいかないし、ましてや俺の素性を明かすわけにもいかない。……そして、君が『潜在的魔力保有者』だということも、不用意には教えられない」
「わ、私が、魔力保有者……!?」
彼について歩くルミナは、思いがけない言葉に驚く。
ウェイドは自然な様子で言葉を続けた。
「ああ。そうでなきゃ、精霊石を使ってあんなことを起こすことはできないからな。君は魔力を持ってる。それも、きっと俺よりも遥かに大きな器だ」
「大きい器……」
あの青白い光と、大量の水――彼の口ぶりから、あれは自分が精霊石に触れたために発生したものだと察した。
……自覚はない。ただ、あまりにもきれいな石だからよく見せてもらおうとしただけだ。あんなことになるなんて思いもしなかったし、今なお、自分のみに魔力が宿っているなんて実感は湧かない。
「で、ウェイドさん。あの、今向かっているのって……」
ルミナは、前を歩くウェイドの背中に尋ねる。
成り行きのまま、彼についてきた。……今二人が歩いているのは、教会裏手の森の道だ。左右を木々に見下ろされるこの道は、森をぐるりと回る遊歩道。このまま進めば、やがて行きつくのはあそこだ。
ルミナの予想通り。やがて道が開け、行きついた先は湖。――神聖な湖、アプルパリス湖だ。湖面に月が映り、一層幻想的な景色となっている。その湖畔には、すでに誰かが立っている。
「悪いな、ルミナ。暗い中こんなところに呼び出してしまって」
湖畔で待っていたのは、ローマン神父だった。彼もずぶ濡れになったわけで、替えの平服に着替えていた。
ウェイドに連れられるままここへ来たが、自分を呼びつけたのは神父だったか。わざわざ教会の外、しかも湖のほとりまで連れてこられて、……もしやさきほどのことを咎められるのだろうかとルミナは身構えた。
「あの、神父。ごめんなさい。私のせいで応接室が水浸しになっちゃって……」
「いや。ルミナは何も気にすることはない。ルミナのせいではないよ。原因はお前にあの石を触れさせようとしたウェイドの方にある」
ちら、と神父に目を向けられ、ウェイドは気まずそうに目を伏せる。
「だが、そのおかげでお前が特別な力を持つことが知れた」
特別な力。
尊敬する神父にまでそのように言われると、少々歯がゆい。なにせ自分自身ではその実感がまるでないのだ。
「えっと、それで……。どうして私をここに?」
怒られるわけではないので安堵したが、では何用なのか。ルミナは神父を見上げ、尋ねた。
「……お前に大事な話があってな」
「大事な話?」
「うむ。応接室は使えないし、……それに、他の者に聞かれるわけにはいかないのでな。ここへ来てもらった」
コホン、と小さく咳払いをし、改まるように言う神父。ルミナはぴしっと居直った。
「お前は、潜在的魔力保有者だ。それは間違いない。しかもその力は、ウェイドを圧倒するほどに大きい。……せっかく持ち得た力だ、それは世のため人のために使うべきでないかと、私は思うが、……お前はどうかな?」
神父に尋ねられたルミナは、こく、と小さく頷く。
「端的に言おう。私はお前を、『レギオン』の所属官に推薦したい」
「へっ?」
突然の話に、ルミナはぽかん、と呆けた顔になった。
自分を、特務機関に?
あまりに突飛な話だ。……と思ったが、ふと隣に立っている男を見て、むしろそれがごく自然な話であることに気付いた。
ウェイドの方を見るルミナ……彼女の視線を受けて胸中を察したのだろう、彼が言う。
「そうさ、ルミナちゃん。……俺も、十八歳を待たずにレギオンに所属するよう声がかかったんだ。それもちょうど、君と同じ年の頃だな」
ウェイドがレギオンに勧誘されたのは、彼が魔力保有者であると発覚したから。――自分と全く同じだ。
「まあ、お前の自由だ、ルミナ。何も、教会育ちの子が魔力を持っていた場合、必ずレギオンに所属しなければならない――なんて決まりはない。教会は子らを無理に縛ることはないのあd。その力をどう生かすか、お前が自分で決めて良い。このまま十八までうちの教会で暮らして良いのだし、なんなら、魔法を学びたいと言うならそれでも構わない。魔法学院への編入を手配してやるぞ」
神父は優しい笑顔で、少女に言う。
「…………」
自分が魔力を持っていることを知ったのも、つい一時間ほど前のことだ。
いや、その間は気を失っていたので、彼女自身はつい今それを知ったばかりだ。それなのに、このような選択を迫らせても困惑は必至だ。
必至だ、が。
しかし冷静に考えれば迷うべくもないかもしれない。
教会育ちの多くは、いずれジャルダン聖教の関係職に就く。それは、教会の恩恵を受けて育てられたのだからその恩を返すため。強制されるものではないが、みな自然とそう考える。
……ルミナもそうだ。まだ具体的に進路を決めていたわけではないが、しかし先達の子らと同様に、教会の関係職に就くつもりでいた。教会への恩返しのため、ひいては皇国民のため、公共の利のためだ。
元々その心積もりだったのだ、何を迷うことがあるだろうか。
せいぜい、遅いか早いかの違いだ。
あるいは所属するのが公然の機関か極秘の機関かの違いか。
さらに言えば、事前の心の準備があるかどうかも大きく違うが。
……まあ今は細かいことはどうでもいい。
「わかりました」
ゆっくり神父の方を見上げ、少女は答える。
「私、レギオンっていうところに入ります。モルガノット教会堂を出ていくのは寂しいですけど……でも、私がその機関に入って役に立てるなら、ぜひ、そうしたいです!」
少女はまっすぐ、神父を見る。
彼女のその碧色の瞳は、確かに不安と戸惑いを大いに孕んではいるが、しかし迷いはない。もうすでに、揺らがぬ決意を持っている。
「わかった。よく言った、ルミナ」
少女の実直な眼差しに、神父は感慨深そうに微笑んだ。それはまさしく、我が子の成長を目の当たりにした父親のような面持ちだった。
「俺の後輩ってことになるな、ルミナ。まあまだ仮で、本部で正式な手続きをしないとレギオン所属官とは言えないが」
「は、はい……。じゃあ、よろしくお願いします、せんぱい」
ウェイドに視線を写し、ルミナは少し気恥ずかしそうに言う。
「じゃあまずは、その正式な手続きっていうのをしないといけないんですか? レギオンの本部に行かないと?」
「いや。それも必要だが、今はそれよりも優先したいことがある」
「優先したいこと?」
「ああ。……俺の任務に協力してほしいんだ」
特務機関なのだから当たり前なのだが、『任務』と聞くとなんだか緊張する。少女は心持ち少し居直る。
「セパディア各地にある湖底神殿へ行って、遺跡調査をするのが今回の俺の任務だ。ここの湖底神殿に入っていたのもその任務のためだった。……神殿に入るには水の精霊石を使用するのだが、知っての通り、俺は精霊石の扱いがあまり達者でない。その点、君はこの任務にうってつけだ。ぜひ、力を貸してほしい」
「うってつけ、……ですか」
ウェイドの言葉を、自分に言い聞かせるように繰り返すと、少女はきゅっと拳を握って彼へ言った。
「わかりました。私、その任務に一緒に行きます!」
「……ありがとう。頼もしい限りだね。君は良い特務官になれるだろう」
月明りに照らされた湖のほとり、爽やかな青年特務官のウェイドは笑顔で少女を見る。
「そうだ。せっかくだから、改めて見せてくれないか」
ふと、思い立ったようにウェイドがそう言って、何かを差し出してきた。紺碧色に輝く、小さな丸い石だ。
「それって……」
「ああ。水の精霊石だ。……もう一度、これに触れてくれ」
「ええっ?」
つい一時間ほど前、これに触れてあわや大惨事になりかけたというのに、また触れろというのか。ルミナは差し出された石を警戒するように少し身を引く。
「あのときは一瞬だったからな。君が魔力保有者たるところ、改めて見たい。……ここでなら大丈夫だろう」
身を引いたルミナに対し、強引に押し付けるようにずいと手を差し伸べ、ウェイドは言う。神父も無言で頷く。
「大丈夫。意識して石に触れれば、暴走することもない筈だ」
「意識して、触れる……?」
「そうだ。言葉での契約で実行される本物の魔法と違って、精霊石を使った簡易魔法は、意識を集中させて頭の中でイメージを思い描くことが重要だ。……君の魔力量なら、イメージ通りに自由自在に水を動かして、具体的な物体を象ることも可能だろう」
「…………」
躊躇う少女の背中を押すように、ウェイドは力強く言う。ルミナは遠慮がちながら、手を伸ばす。……男の手に載る鮮やかな丸石に、そっと、触れる……。
――カッ!
またも、石が光り出した。青白い光が広がり、少女と青年の影が長く伸びる。
「きゃあっ」
「……意識して、魔力をうまくコントロールして……水を操るんだ」
そんなことを言われても、いきなりできるわけがない。――ルミナはそう言いたかったが、弱音を吐くよりもまずは集中することだ。ぐっと目を瞑り……彼の言う通り、魔力をコントロールするよう意識する。具体的にどう意識すればいいのか全く分からないが、とにかく、自分が思うままにそれを意識した。
「…………っ!」
光が、落ち着いた。
まだ石は碧い光を発しているが、さきほどまでのように辺り一帯を包み込むような苛烈な光ではない。紺碧色の石が淡い輝きを発するのは、神秘的な美しさがあった。
集中していると。次第になにか、自分の胸の中にポウ、と灯る暖かなエネルギーを感じた。
今まで感じたことのないような不思議な熱。
それをなんとか手繰り寄せるように一層意識を集中する。遠く小さなもののように感じていたそれが、次第に、明確になっていく。
これが、『魔力』なのだろうか? 自分が生まれたときから持っていた、特別な力……。
「いい感じだ、ルミナちゃん」
少女の肩に手を置き、落ち着かせるようにウェイドは言う。
「そのまま、湖の水を操作してごらん。波紋を広げるのでも、ちょっと渦巻かせるのでもいい。水が動く様を、頭の中でイメージするんだ」
「む……」
イメージ、イメージ……。
とにかく、水を動かすことをイメージするが、余りに必死で、果たして『何を』イメージすればよいのかは分からない。
ざざざざざ――……。
「おおっ」
神父が感嘆の声を上げた。
湖の水が、激しく音を立て、――そして、動いた。湖面からゆっくりと水柱が上る。明らかに物理法則を無視した水の動き。――精霊石を使用した簡易的なものだが、これも一種の『魔法』である。
ルミナは依然、ぎゅっと瞼を閉じたまま。意識を集中し、魔力を使って水を動かす。
水の柱は、完全に湖面から離れ、そのまま宙に浮く水の球体となった。やがてそれは、何かを象り始める。
「…………」
小さな球体は、にゅるにゅると蠢きながらいくつかの突起を造り出す。
ルミナたちから見て正面は細長く伸び、先がパックリと横に裂ける。裂けた両端の上部にちょんと丸い点が二つ……。それは、目と口だ。トカゲのような顔である。
その頭部から、角がにゅっと生え出した。続いて、他の四つの突起がそれぞれ手足のような形になっていく。そして向こう側は最も長く伸びる……尻尾だ。
それらが形作られたことで元の球は『胴体部』となった。その同体の上部、すなわち背中から翼が生えた。
「あ、あれは……?」
ウェイドと神父が、形作られたそれを見て首をかしげる。
「ドラゴンか?」
水の動きは止んだ。――ぱち、と、ルミナは目を開く。
無我夢中で造り出したそれを、自身も視認する。神父が呟いた通り、それは明らかに『ドラゴン』であった。……といってもとても小さく、本物のように恐ろしい外見でもない。子供が描いた絵のように、可愛らしくデフォルメされた姿である。
「なぜ、ドラゴンの子供など形作ったのだ?」
神父が不思議そうに尋ねたが、それがなぜかはルミナ自身も分からない。ドラゴンなど、この街の周辺に出没することはないし、もちろんルミナも見たことはない。まあ絵本のイラストか何かで見たことはあるのだが、それにしてもドラゴンに特別な思い入れがあったわけではない。
「わ、分かりません。なんだか無我夢中で……気が付けば、あのような形に」
水の精霊石を使って、思った通りに水を動かすことはできた。ひとまずそれは大きな成果である。成果として出来上がったものが小さなドラゴンであるのが不可解であるが。
「…………、あれ?」
ルミナはそれを、じっ、と見つめた。
なんだろう、何か……。
何か、不思議な感覚が胸の奥底に沸き上がった。
水を操り、自分が無意識で造ったモノ。あのドラゴンは……どこかで見たことがある?
「…………。あれは……」
水の造形物を、じっと、見つめる。
今、胸の奥底で湧いた不思議な感覚が、じわじわと大きくなっていく。
このまま見続けていれば、その感覚がはっきりとしたものになる予感がした。……それは、記憶?
自分でも知り得ないような、奥底に眠っていた記憶が呼び覚まされるような感覚。次第に意識の表層部へと湧き上がってはくるが、まだずっと遠くにある。
もやもやとする。
それをはっきり思い出してスッキリしたい気持ちもあるが、同時に、少し怖くもある。
――そのとき。
ぱああああん、と、何かがはける音がした。得体のしれない感覚に意識を向けていたルミナは、その音で、はっ、と我に返った。
集中が途切れたせいだろうか、――水で象られたドラゴンが、魔力による制御を失い、勢いよく破裂したのだ。
そこで、せっかく顔を出し始めていた『妙な感覚』は霧散してしまった。
「…………」
ルミナは、はあぁ、と深いため息を吐く。
何かを思い出しそうだったのに、それが途切れてしまったもどかしさ――もある。だが、溜め息の原因はそれとは別だ。
弾けた水をモロにかぶってしまい、全身ずぶ濡れだ。……今日、これで三度目である。
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