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終
しおりを挟む「沢尻、俺からひとつ頼みがある」
「あ、会うなりなんですか…。頼みって?…ていうか、ルイくんは…」
あたたかな春の日曜日。いつもの時間にミドリホームのドッグランにやって来ると、沢尻は今日も真っ白なエイリアン犬たちを連れ、ほかの顔なじみの飼い主と世間話をしつつボール遊びをしていた。
去年までの彼なら春用にジャケットを新調していたが、今はパーカーとジーンズとスニーカー、そして髪のセットが不要なニットキャップというラフな出で立ちだ。だがこのどこにでもいる服装の男が遠目からでも沢尻だとわかるのは、やはり彼自身の持つ洗練された雰囲気やスタイルのおかげであろう。
「お前の有り余る資産で人造人間を作ってほしい」
「……」
グッと顔面を近づけてきた時生に、沢尻はあからさまな嫌悪を浮かべて後退った。
「バカを見るような目で俺を見るな」
「…人造人間というのは、具体的にどういう…」
「人間のクローーンだ。お前でも俺でもそこのガキでも、モデルは誰でもいいからニセの人間を量産するんだ」
「量産してどうするんです?」
「本物の人間が病気になったら、クローンの中の誰かから必要な血液や臓器をもらう」
「……」
「そうすれば世の中は良くなる」
「…内臓を取られたクローンの方はどうなるんです?」
「内臓を取られて生きてるわけがないだろ。そこでそいつの役目は終わりだ。だから替わりがたくさん必要なんだ」
「生命の尊厳や人権についてお考えになったことはありますか?」
「考えたからクローンを作れと言っている。モノホンの生きてる人間から内臓を抜き取るのはアウトだからな」
「あなたはもう少し一般的な人間の思想について学ぶべきです。学歴も教養もないどころか、人として持つべき倫理がまったく欠如していますね」
「お前のような軸のブレまくった奴に、倫理についてとやかく言われる筋合いはない」
ー「ふたりとも、さっそく言い合いですか」
「言い合いではない」
「は、灰枝さん…!いらしてたんですか」
後からルイと共に入ってきた未来に、沢尻が目を丸くする。時生とはちょくちょくここで顔を合わせるが、彼とは先月柊家で会った以来だ。
「どうも。…時生さん、沢尻さんに言いたいことがあるんでしょう」
「もう言われましたよ。とんでもなく病質的な要求をされました」
「クローン人間のことですか?」
「ええ」
「それじゃないですよ。…時生さんが、今までずっと"早く言わなきゃ"って悩んでて、今日ようやく決心したことです」
「決心?」
「時生さん」
「うむ…」
未来に促されると、時生はまたしても沢尻の眼前にズイと立ちはだかった。自分よりもやや上背のある彼を、沢尻はうんざりしつつ怪訝な顔で見つめる。
「沢尻…」
「……」
「い、いろいろと…」
「……?」
「いろいろと………」
「時生さん頑張って」
「な、なんです、いろいろって」
眉根を寄せる沢尻に、時生が仏頂面でにじりよっていく。
「ちょっと…そんなに近寄らないでくださいよ」
沢尻はまたも後ずさるが、時生は突如その両肩をがっしりと掴み、たまらず「うわ!」と悲鳴をあげた。しかし時生の口から発せられたのは、予想外の言葉であった。
「いろいろと……ありがとう」
「……へ?」
「弟のことだ。金以外でも相談に乗ってやったり、いつも近いところで協力してくれている。お前は口先だけじゃない、人間として信頼できる奴だ。……そこだけは本当に感謝している。どうもありがとう」
そう言って、沢尻の身体を力いっぱい抱きしめた。未来はにこにこと嬉しそうにその姿を見つめ、周りの飼い主たちはその奇異な光景に眉をひそめた。
「ちょ…っと、こんなところでやめてください!」
時生の腕から逃れた彼は、めずらしく焦りの色を浮かべ、顔を真っ赤にしている。
「じゃあどんなところならいいんだ?」
「どんなところでも嫌です。恥ずかしい!」
「未来なら?」
「それは別にいいですけど」
「よしわかった。未来」
「え?」
「今度は俺とお前で一緒に沢尻を抱きしめてやろう」
「ええー…それはちょっと…」
「いいから」
強引に未来の腕を取ると、彼を沢尻の左側、自分は右側に立ち、ぎゅっと包み込むように、今度はふたりで彼の身体を抱きしめた。ルイとジェイクたちはそわそわと3人を囲んで歩き回り、周囲の飼い主たちはひそひそと何事かを言い合い、いつも図鑑を貸してくれる子供が「キモ」と言ったのが、遠目からでもその口の動きと険しい表情によって見てとれた。
「ありがとう沢尻」
「あ、ありがとう…ございます…?」
「灰枝さんだけならいいですけど、何でまたあなたまで…」
「お前は優くんの恩人であり俺の友達だ」
「……そうですか。まあ感謝というなら受け取りますけど、あなたは今後もう二度と俺に抱きついてこないでくださいね」
「頼まれてもやらんから案ずるな」
するとそこにひとりの青年がやって来て、だんごになる3人の姿に、あからさまに引いた様子で立ち尽くした。
「……何してんの?」
「おお、ようやくまともな問いかけをしてくる奴が来たぞ」
「ていうか、もう離していいですか?」
「ああ。感謝の念は伝わったはずだ」
ふたりが沢尻からそっと身体を離すと、彼は未来の背中にだけ回していた腕をなごり惜しそうに下ろし、「ああ、複雑な気分だった」とため息をついた。
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