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しおりを挟むー「まじい…」
未来のグラスからワインをひと口飲んでみるが、やはり酒は種類に限らずまったく美味くない。優と祖父はよく晩酌を共にして楽しそうにしているが、炭酸ジュースしか飲まない時生はいつも蚊帳の外だ。
久しぶりに上等な肉の塊と旨い酒を口にして、未来は先までの気まずさなどとうに吹き飛んだように満足げに頬を赤らめている。時生は優の作戦に従ってよかったと安堵しつつ、こんなにいい気分の彼にいま優の過去を話すべきではないと思い、食事前の話題は切り出さなかった。
口中の葡萄酒をファンタグレープで洗い流すと、黙って片付けに取り掛かろうと皿を食洗機に並べ、油汚れのひどいものだけ流しで洗い始めた。
だがしばらくすると、グラスを片手にルイとロープのおもちゃの引っ張り合いをして遊んでいた未来から「さっきのことですけど…」その続きを促された。酔いながらも引っかかったものを頭から払えなかったのだろう。優の"不幸に吸い寄せられやすい"という謂れはいったい何を元としているのか、そして自分に似ているとはどういうことなのか、その真相だ。
時生は今さらながら兄弟の過去を勝手に明かしてもいいものかと短く逡巡したが、未来なら話しても悪いことにはならないだろうと思い、静かに語り始めた。だがそれはシンプルなことで、長い問答を要するものではない。「優くんは長いあいだずっと悪い男に惚れてたんだ」と言い、「いや、惚れてたというより洗脳されてた、だな」と付け加えた。
「悪い男…?」
ロープを引っ張る手を止めると、ルイは奪いとったそれを咥えてツメを鳴らしながら廊下を駆けていった。追いかけてほしいのだろうが、未来はその場にたたずみ怪訝な顔で時生を見つめる。
「お前は汚らしいダメ男が好きなようだが、優くんが夢中になったのは沢尻みたいにいつもさっぱりした、潔癖そうな見た目の奴だった。キレイ好きなダメ男だな」
「ダメっていうのは…?」
「カンタンにいうと、そいつは気に食わないことがあればすぐに優くんに手を上げやがったんだ。それもくだらないことばっかり。服の趣味がいつもと違うとか、飲み物を買い忘れたとか、どうでもいいことを殴る理由にしていたらしい」
「それは…」
未来の顔は深い険しさを帯び、頬は薄ら赤いが酔いなどすっかり覚めたようだった。
「優さんはDVの被害に遭ってたってことですか」
「…DVというのがどこまでを指すかは知らんが、ともかく日常的に暴力を振るう男に支配されていたということだ。優くんはあんなに気が強くても奴にだけは従順で言いなりだった。なぜならそこから逃げ出すことができないと思い込まされていたからな。当時は実家を出て別の住まいで同棲していたが、ユニフォームから見えないところをアザだらけにさせられていたことにも、俺はずっと気づかなかった。…だがあるとき左目に青タンを作ってきたせいでようやく何かおかしいとなり、客がいないあいだにじいちゃんが優くんに問いただした。そしたら、転んだなどとは言わなかったが、自分が悪いことをしたせいで殴られたと言ったんだ。まるで殴られるのは仕方ないといった口ぶりで」
「……」
「で、それを聞いて、俺はすぐさま奴の職場へ向かった」
「…え?」
「働いてる場所は知ってたからな。新宿の雑居ビルに入ってる不動産屋だ。入るなり目の前の机でパソコンをいじってやがったが、俺の顔を見ても動じず、"どうも、お兄さん"なんつって涼しげな顔で挨拶してきやがった。だからその瞬間襟首をつかんで外まで引きずり出し、殴りつけたあとで階段から突き落としたんだ」
思わぬ告白に、未来は顔を青くして「そんな…」とつぶやいた。戻ってきたルイが尻尾をふって咥えたおもちゃを未来の腕に押し付けるが、そのことに気づきもしないほど頭は動揺でいっぱいだった。
「…当然だがその場で通報され逮捕だ。だがそのときは逮捕などどうでもよくて、とにかくそいつを消さなければならないということしか頭になく、警察署でも奴は死んだかどうかしか気にならなかった。生きてたらまた優くんを殴りにくると思ったからな。…で、結局奴は生きてたが、そのおかげで示談で済み、おまけにじいちゃんの方でも被害届を出したせいか、奴はあっさり優くんから離れていった。優くんにとっては、依存していた男が消えたことと兄弟が逮捕されたというダブルパンチを喰らった形になったわけだ。だがそのせいで目が覚めたのか、これまで未練を口にしたことも、奴を消そうとした俺を責めることもない」
食器をひととおり洗い終えると、未来のかたわらまでやって来て、ルイの口からロープを取り上げるように引っ張った。すると彼は遊びが再開されたことに喜び、また意気揚々と身体すべてを使って力比べを始める。時生は未来に背を向けたまま続けた。
「なんか俺の打ち明け話になっちまったな。まあつまり、お前はあのときの優くんに似て、盲目なせいで自分を不幸にするようなダメな男に吸い寄せられてるという話だ。…俺はみすぼらしいだけじゃなく、衝動的に何をしでかすかわからない人間で、暴力をやめさせるために暴力を振るうような人間だ。だからお前が俺に惚れるということは、優くんがあの暴力野郎に惚れるのとおんなじことだと思うぞ」
ルイから取り上げた紐を廊下の奥に向かって投げると、彼は待ってましたといわんばかりの猛烈な勢いで駆けて行く。
「…さすがにこんな奴をいつまでも雇えんだろ。当面の金はできたし、別に今この場で切られても痛くも痒くもない」
すぐに戻ってきたルイからまたしてもロープを奪い、何度も何度も繰り返される遊びに付き合ってやる。
「でもこの話をしたことは優くんには秘密だぞ」
そう言うと、とつぜん背中に何かが触れ、時生はピクリと肩を竦めた。
「……」
未来の腕が背後から回され、華奢な身体でそっと抱きしめられる。時生は動揺するが振り払うことはできず、冷や汗をかきながら地蔵のように固まった。
「同じじゃないです。それに、俺があなたを選んだんです」
「……」
「もしもここから居なくなるのなら、それはあなたから去っていくときですよ」
「…未来」
「俺はあなたが好きです。…優さんも好きです。ふたりを失いたくない。…ずっと変わらず俺のそばにいてください」
衣越しの体温に包まれるが、ルイがそのあいだに割り込もうと鼻先を突っ込んでくる。時生は困惑したまま硬直するが、男にくっつかれているのに何故だか悪くはないとも感じていた。これまで人にこのような接触をされたことはないが、自分でも求めていなかった温もりだ。だが、悪くはなかった。
(未来だからか…?)
そっと腕をほどかれると、結界がとかれたかのように身体から力が抜けていく。時生はようやく背後を振り返り、酒の入った未来よりもずっと顔を赤くさせ、「今のは…」と聞いた。
「好きだから抱きついたんです」
「そ、そうか…」
「時生さんは別に殴らないでしょ。だから俺は不幸じゃありません」
「そういう問題か?」
「はい」
「…ちなみにお前には何か秘密にしている過去はあるか?」
「俺ですか?別に何も」
「ほう…」
「聞かれたら基本なんでも答えられます」
「そーゆースタンスか。まあ俺もそうだな。隠すことなど何もない」
「何か聞いてみてください」
「なにか…?別に聞きたいことは特に…あ、そういや」
時生はここで、特に気にしていなかったがずっと聞いていなかった「あること」を思い出した。しかしそれを尋ねると、未来はあっさりと前言撤回し「それは秘密です」と返した。唖然とする時生に「いっしょにいるなら、多少の秘密があった方が楽しいでしょ」とよくわからないことを言い、ルイを抱き上げて「この子よりは上ですよ」と、くったくなく笑った。
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