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しおりを挟むひと月後。寒さはまだ厳しい日もあるが、まもなく梅が見頃となるころ。
時生と優と未来と沢尻は、実家の畳張りの居間で昼から出前の寿司を囲んでいた。今日は店の定休日で、祖父は地域の会合があると午前中から出かけている。
「沢尻さん、本当にすみません。お世話になってるのにお寿司まで取ってもらっちゃうなんて」
「いいんですよ。それにしても出前の寿司なんか久しぶりだなあ。こんな機会でもないと取らないから、なんか嬉しいです。きんたろう寿司かあ…けっこう美味いから覚えておこう」
「そこの商店街の小さいお店ですよ。坂田さんってご夫婦がやってて、旦那さんと息子さんがよくうちに散髪に来てくれるんです」
「へえ、いいなあ。なんか昔ながらの付き合いって感じで」
「自営業同士助け合いって感じですから。沢尻さんはいいお店をたくさんご存知でしょうね」
「まあ打ち合わせがてらですが、いろいろなところへ食べに行くのが趣味のひとつですからね。多国籍料理はちょっと弱いですが、だいたいのジャンルはそれぞれ気に入ってる店があります。でも特に孤独のグルメに出てくるような隠れた名店みたいなのが好きで、昔からああいう美味しくて手ごろな店もけっこう開拓してきましたよ」
「へえ、いいですねえ。僕はほとんど決まったところしかいかないから」
「店選びに迷ったら僕に連絡してくだされば、すぐに条件にぴったりな店をお教えできますよ。口コミサイトよりずっと正確に」
「いいんですか?それはかなり助かります。たまに出かけるとよく悩むんで」
「いつでも連絡くださいよ、寝てるとき以外なら、打ち合わせ中でもすぐにお返事できますので。返事は1分以内に返すのがモットーですから」
「あはは、さすがですね」
盛り上がるふたりをよそに、時生と未来はふたりそろって静かにガリをぽりぽりと咀嚼し、ずるずると湯呑みをすすった。
「・・・・」
(さっきからまったく味が分からねえ・・・)
「兄さん、ネギトロ食べなよ。僕のもあげる」
「ん?…おう」
「灰枝くん、お茶おかわりいる?」
「う、うん、ありがとう」
「それにしても、変な偶然ってあるものだなあ。まさかこの3人が知り合いだったなんて。ていうか兄さんと沢尻さんに面識があったってのが信じられない」
「「・・・・」」
「はは、犬好きってのは意外なところでつながってたりするものですよ。散歩でしょっちゅう会ってた飼い主さんが、知らず知らずの内にうちのサービスの利用者ってこともありました。今回と似たようなものですね」
「でもわざわざ社長さんからご挨拶に来てくださるなんて…」
「優さんのお宅は特別ですよ。同じ街だし、お兄さんとも散歩仲間だったし。ふだんは社員に任せてるけど、今回珍しく僕が応募者のプロフィールに目を通してよかったです。見つけたときはびっくりしましけど。効果的な宣伝の方法とか今後の指針とかいろいろお手伝いしますんで、資金調達頑張りましょうね」
「はい。沢尻さんに頼れるなんて心強いです」
優の輝くまなざしに反し、時生の心はよどんでいた。彼はどうやら前々から計画していた店舗のリニューアルに今年から本格的に着手するらしく、まずはその改装費を得ようとクラウドファンディングに申し込んだのだそうだ。そのために数ある中からピックアップしたのは、自営業者たちによる似たような計画では、もっとも実績のある沢尻の会社であった。
ある昼下がりにふらりとシェービングだけで訪れた客が、実はこの企業の経営者の沢尻だと知ったときには心底驚いたが、彼は優のサービスや雰囲気の良さに感心したようで、彼自らがこの計画を後押しすると言ってくれたのだ。もちろん他でこのようなことはしないし、応募者の居住地に押しかけることなどもってのほかだが、沢尻はいっこうに埒があかない「未来との食事会」にこの弟を利用することにしたので、その抜き打ちのようなアポ無し訪問も含め、この一連の面談は完全なる私的利用であった。
「灰枝くんと一緒にご飯食べに来て」と優に呼ばれ、久しぶりに帰った我が家で沢尻の姿を見たときのショックは、両親が死んだときに匹敵するかもしれない。「どーーゆーーことだ貴様!!」と両手で胸ぐらにつかみかかると、後頭部に優の平手打ちを喰らい、「驚かそうとしただけなのにいきなり何なの?!」と動揺され、何から説明すべきかと未来と共にがっくりと肩を落とした。
未来は時生を介して食事に招待しろと迫られて以降、のらりくらりとそれを交わし続けてきたことに非があるのは自覚していたが、彼の弟を使ってこのような強硬手段に出られてはたまらない。しかし話を聞くに、この出会い自体は仕事上必然の偶然であったらしく、この謎の面会を設けるための沢尻のストーカー行為の一端でなかったことには安堵した。
そして沢尻の方でも、オーナーである優や店舗の雰囲気、土地の広さなどを見て、この店に眠る大きなチャンスの存在を確信していた。それに彼のことは時生に似た男だと想像していたのに、実際に目の当たりにした彼は、あの男と血を分けた兄弟とは思えぬほどよくできた弟だ。おまけに町の理容師というより、都会のしゃれたサロン向きのすぐれた容貌をしていたため、勝手に抱いていた想像がすべて打ち砕かれ、同時にかなりの衝撃を受けた。
未来とのことを差し置けば、優にとっての沢尻はビジネスにおける良きブレインであり、それとめぐりあえたことも良縁と言えよう。実際彼には沢尻の未来に対する下心など無関係なので、いい出会いであることには疑いようもない。だが未来と時生には沢尻が厄介な人間であることに変わりはない。特に時生にとっては沢尻と保つべきであった距離にバグが起き、沢尻は気にしていないが、時生はいま自分を嫌うルイよりもこの男を警戒していた。仕事の話はよくわからぬが、かわいい弟が沢尻の毒牙にかかったかのように見えている。
時生は「こんなペテン師を信じるな」と訴えてみたが、ペテン師ではないどころか優秀なビジネスマンであることは誰しもが把握しているので、無知で無力な彼の訴えなど優の眉ひとつで小虫のように払われた。
ー「…兄さん、元気にやってた?」
会話にもひと段落つくとようやく近況を問われ、時生は優の目をちらりと見て「まあ」と伏せた。
「灰枝くんもさすがに嫌になってきたでしょ、1ヶ月もこの人と住んでたら」
「とんでもない、毎日楽しいよ」
その返答に沢尻のこめかみがぴくりとなる。
「楽しい…?そう…」
「無理して言ってるんじゃないよ、本当に今の生活が好きなんだ」
「灰枝さん、俺、その楽しいお宅で夕食でもご一緒したいと思ってたんですけど。でも全然会ってくれないし、ドッグランにもまったく来なくなっちゃったから、嫌われたのかと思って心配してました」
「だから嫌われてるぞ」
時生の横槍に未来が茶を噴き、「ご、ごめんなさい」と慌ててティッシュでテーブルを拭いた。
「変なこと言うなよ!灰枝くん大丈夫?」
「うん…」
「未来、いいかげんはっきり言ってやれ。だいたいこんな手の込んだ真似をしてまで無理やり会おうとしやがって、おまけに優くんまで使うとはどーゆーことだこの野郎。いいか、お前は避けられてるから未来と会えなかったんだ。メールを無視されるのも嫌われてるからだ」
「やめろよ!」
事情をよく飲み込めていないながらも、優はなにごとかを察し慌てて時生を制した。
「…優さんを使っただなんて、人聞きが悪い」
といいつつも図星だが、それを突かれてもいつもの涼しげな顔は保ったままだ。
「その通りだろーが。だいたい優くんもいる場で、お前は未来に何を聞き出したいというんだ。あの話はもう終わったも同然だろ」
「あの話?」
「未来のタイプがどーこーとかいう」
その言葉に未来の顔にはサッと不安の色が浮かび、「そういう話はここではちょっと」と精いっぱいの苦笑いを浮かべた。1ヶ月前に沢尻とドッグランで話した内容はその晩には未来に伝わっており、彼はそこで時生が自分のタイプを尋ねてきた理由も知ったのだ。
「…よくわかんないけど、僕上に行ってようか」
「いやいい!行かないで!」
「そうですよ優さん、お寿司食べましょうよ」
「お前は人んちで何をエラそーに。てゆーかさっきから馴れ馴れしく下の名前で呼ぶな」
「いいじゃないですか。時生さんのこともこれから時生さんて呼びますから」
「おい未来こいつを黙らせろ!それかつまみ出せ!」
「出てくのは兄さんだろ、寿司食べたらさっさと帰れよ」
「なんで俺なんだよォ!!ひどいじゃないか優く~~ん!!久しぶりに会ったのにィ!!」
「すぐ大声出すのやめろよ、そーゆーところが嫌いなんだよ」
「嫌いってなんだよ!」
「まあまあ…ごめんね優さん、せっかく呼んでくれたのに、なんか変な方向に行っちゃって」
「それは…たぶんまったく灰枝くんのせいではないでしょ」
「いや、元はと言えば俺のせいだよ。…すみませんね沢尻さん、別にあなたを避けてたとかじゃなくて、本当にここ1ヶ月はかなり忙しかったんです。本気で外出が土日の朝のジムだけってくらい…」
「…そうだと思ってましたよ。俺も別にあなたが無視してるとか、そんなつまらないことを疑ってたわけではないです」
(少しは疑えよ貴様!!未来に嫌われてんのは事実だぞ!!)
「でもお元気そうな顔を見られて安心しました。ジェイクたちにもたまには会ってやってくださいよ」
「ええ。いつもルイと遊んでもらってすみません。あらためて今度うちにご招待しますよ。優さんとの仕事が円滑に行くよう、俺もごますっておかないと(死ぬほど気は進まないけど)」
「ははは、嬉しいなあ。優さんとのことは任せてくださいって」
「灰枝くん…」
「おい未来…」
「ほら、お寿司食べましょうよ。ウニもらってもいいですか」
「う…うん、食べて食べて」
不穏な顔をする兄弟と、どこ吹く風の沢尻、そして何かを諦めたかのようにおだやかに笑う未来。寿司桶が空になってから手伝わせるフリで兄を台所へ呼び出すと、優は一連の事情を聞き、「そんなことが…」と顔を曇らせた。
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