つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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「大丈夫。すぐ慣れるさ」

梅岡が西の背中を力強く叩き、そのせいで西は思わずむせた。

計画通り無事にブルーバードクラブを手に入れ、建物と一緒に丸ごと買い取った従業員たちには休みのあいだの保証の金だけ渡し、今は改装のため、再オープン前に店をひと月ほど休業状態にしている。

やはりこのいわく付き物件はよほどの『瑕疵』であったと見え、前オーナーはポンと現れた買い手の社長に、負債を引き取ってくれるお礼と言わんばかりに、気前よくあらゆるものをそのまま譲り渡してくれた。おかげでコストは予想を大幅に下回った上に、まだ比較的新しい家具やダーツやビリヤード台、それなりに価値のある調度品までセットでつけてくれたのだ。
そのため、店のテイストはやはり変えずにいるのがいいというシロとゲーテの強い助言により、『吉原遊郭風』の改装アイデアは一旦保留となった。

しかしそのままかつてのブルーバードクラブとして、店を続行させるつもりはない。社長は相変わらず、先日シーズン5に突入したフォクシーズにハマっており、昔の日本人のごとくアメリカの富裕層の生活にかぶれている真っ最中である。

華やかでリッチで相応のステータス感を得られる場所。
社長は、バーカウンターや自慢のプールはそのままに、飲み食いする席を壁際や店の奥の方へ寄せて、空いたスペースに一通りのカジノテーブルを設置させた。休業中のバーテンやウエイターたちには、新しく雇ったディーラーによってカジノの勉強をさせているところだ。再オープン後、彼らにはカジノディーラーとしても働いてもらう予定である。

「フォクシーズの今度の舞台はベガスなんだ。あのやり手親父がとうとうあんなところにカジノホテルを建てやがった」と社長がポツリと言ったときに、何となくこうなるだろう、とはゲーテもシロクロも簡単に予想がついていた。そしてその計画は予想以上に早く遂行され、どうにか営業許可の取得まで漕ぎつけたのだ。

「ギャンブル場なんて、いまどきの若い奴らは来ねえぞ」とシロが言ったが、「そのために釣り餌として、ご面相のすぐれてなおかつ親しみやすいキツネ共をこれからどんどん雇い入れるのだ」とあっさり返された。

「女に化けられるのもいるから、そいつらをディーラーとしてメインに据えれば男の客は確保できる。飲み屋の姉ちゃんのようにお酌はできないが、ゲームをしつつ酒を飲みながら、カードを捌く美女をぞんぶんに眺めて話せるのだ。それでもかかる金は、せいぜいスったときに補充するチップ代程度よ。中身は全員オスの年寄り狐だが、絶世の美女に化ける奴もいるからな」

「だがそれだと、結局下心のあるジジイしか来ねえだろ」

「給仕が女ばかりだとそうなるが、男もいればそうはならん。それにデレデレと媚を売るような仕事でもない。ここはあくまでも客同士の出会いの場だ。プール、カジノ、都会の夜景、美男美女、うまい酒、と揃った楽園よ。ブルーバードみたいに、ちまちまと矢を刺したり球を転がすだけのハスに構えた店とは違った、ベガスの一角のように景気のいい華やかな遊び場だ」

社長が目を輝かせて言った。シロは、そーかい、とだけ返した。

「あの、ゲーテの飼い主の男。こないだチラと見たが、シャンとさせりゃなかなかいいツラ構えじゃねえか。確かに平八によく似てら。やはりあいつもどうにか雇い入れて、ゲーテの小遣いまでキッチリ稼いでもらおうじゃねえか」

「あんな図々しいぐーたら……やっこさんもとんだ厄介者を抱え込んだものだな」

「だがあのシャム猫、よほど今の飼い主になついてると見える。これまでずっと半ノラで家主にも相応にしか接していなかったが、あの家ではやけに人に化ける機会が増えてるみてえだ。服代をよこせと、昨日も俺に金をせびりに来たぞ。何かにつけて小遣いをたかりに来やがる」

「暇だから西殿についてまわってるんだと。大学にも、生徒のフリをして初めて行ったらしいぞ。講義中ぐーぐー寝とっただけなのに、友達まで出来たと言っておったな」

「奴こそ宝の持ち腐れのようなご面相だからな。人を惹きつける魅力がある。あのようにだらしない性格じゃなけりゃ、この店に飾りでもいいから置いときたいが……ホンに、無用の長物よ」


ー「というわけで、来週からこの西 幸四郎くんも、晴れて"梅岡ファミリー"の仲間入りだ。ゲーテ、この青年はお前のメシ代のために売られてきたってこと、よく肝に銘じておけよ」

社長が冗談半分で言い、皆がクスクスと笑った。
まもなく営業を再開するこの店は、店名もブルーバードクラブでなく、フォクシーズという英字綴りの看板を掲げることとなった。「名前までパクる気か」とシロが呆れると、「我々はキツネという意味のFOXESだ。あっちはFOXYSだろうが。しかも苗字」と事も無げに返された。

開店前の店内には、社長、シロクロ、サノと佐野、ゲーテと西、大和、そして西や大和と同じく普通の人間だが、キツネばりに目つきの悪い『倖田 冬』という青年の姿があった。彼はここに来るのを渋ったが、ちょうど仕事の都合で行けない彼の『社長』に出席を強制され、不本意ながらこの会に顔を見せた。梅岡とここの社長は"まっとうな方の仕事"でもそれなりに付き合いがあったために、梅岡からの招待を無下にすることは出来ないのだ。
それに梅岡が誘いたかったのは、社長ではなくあくまでもこの冬の方であったからちょうど良かった。

「サノ、これがあの倖田先生んとこの慎司くんの玄孫に当たる子さ。慎司くんよりも、陰花から倖田家に嫁いだ"小冬"というのによく似ておってな。もっとも小冬の方はこんなに性悪で生意気じゃなかったけどよ」

紹介した社長をキッと睨みつけるが、特に文句は言わず、冬は目の前に並んだサノと佐野に儀礼的な挨拶をした。その何とも気難しそうな面構えに佐野は少し圧され、陰花の出はどうして揃いも揃ってツンとして気の強そうなのが多いのだろう、と心中で思った。

「君は……キツネだとか幽霊だとか、そういうのをすんなり受け入れているのかい?僕たちのこと、ホントは狂人か何かだと思ってない?」

サノが問う。

「いえ……陰花では稲荷信仰もいまだに盛んですし、佐野様の存在も、島民はいまだに意識の中で当然のごとく信じています。口にはしないだけでね。……うちの大河原には梅岡さん達の正体などは明かされていませんが、彼はゲンを担ぐわりにそのテのことを信じてはいません。ですから彼ならば狂人だと思うかもしれませんね。けど僕は………」

梅岡をチラリと見やる。

「カタブツだがこいつも幽霊を見やすいタチでな。信じたくないのに、あんまりにもよく見るせいでいつしか信じざるを得なくなったようだ。初めて会ったときに、こいつはまだ子供だったが、俺のことも一目で見抜いてなあ。そんで悪いモノノケだと思われて、石を投げられたんだ」

「うむ。悪いモノノケであることに間違いはねえな」

佐野が言った。

「倖田 冬か……。聞いたところによると、お前は子を産まずに、普通の男のように生きてきたそうだな」

「はい」と小さく答え、うなずく。あの『佐野様』を前に、さすがの冬も少しは肩に力が入ったが、この狐は少し冷たそうな顔立ちながら、思ったよりも優しげな声色だ。
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