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しおりを挟むベンチに腰掛けてぼんやりと空を仰ぎ、西から東へ飛んでいく鳥の数をかぞえる。
そうしたら突然肩にふわりと何かをかけられ、それが嗅ぎ慣れてはいないがよく知った匂いのするマフラーだとわかると同時に、「お待たせ」と背後から声をかけられた。気配を感じさせないのは、彼があくまでも『幽霊』だからであろうか。
なんとなく振り返れずに、クロはそのマフラーにそっと手をやった。声の主はとなりに腰掛け、「冷えただろう」と優しく問いかけた。ただそれだけなのに耳と尾っぽがあっさりと出て、「今日はそんなに寒くは……」と小さく返すので精いっぱいであった。彼とあまり顔を合わさないから緊張しているのではない。この人が、本当の自分の母であるのだと知ったからだ。
【隠すのに疲れた、君を騙し続けることにも、疲れた】
見知らぬアドレスをから送られてきたメールに、そのすべての告白が記されていた。クロはそれを何度も読み直して、一週間ほど悶々と考えた。
自分はサノに道連れにされた、実体のない魂だけの存在であったこと。
赤の他人の身体をのっとり、今日までクロとして生きてきたこと。
しかしクロとは、サノと佐野によって作られ蘇った、禁忌の生き物であるということ。
社長にも、シロにも、ゲーテにも、大和にも、誰にも真実を知ったことを明かさなかった。
サノに何と返すべきかをただぐるぐると悩み続け、そうしてようやく返したのが、「明日、平八さんと倖田先生のお墓で会いましょう」という一文だけであった。
そのあとにまた一晩、会って何を話すべきなのか考えたが、真相をすべて知った上で話すことなど、もう何も浮かばなかった。ただ、二人きりで会おうと何となく思っただけなのだ。
「……先生のお墓も、いつも手入れしてくれたんだね。ありがとう」
サノがこちらを見ながら言うが、クロは自分の足元から目を離さなかった。
「となり同士ですから、ついでです。倖田先生にもお世話になってましたし」
「先生はいい人だったね」
「……はい。」
「君のことをずいぶん気にかけてくれてたって、社長が言ってた」
「はい」
「……メールで悪かったね。会って打ち明けることができなかった。文章なら、いっぺんに、好き勝手に全部明かせるから。佐野の家から送ったのさ」
「そうだと思いました」
風が吹き、その冷たさに早くも夕暮れが迫っているのを感じた。二人の影が長く伸びている。
「……なんと言っていいのかわからない。僕は君を身勝手に殺し、人の子を使って勝手に蘇らせたんだ。……許されざることをした」
サノもうつむき、二人のあいだに重い沈黙と静寂が訪れた。遠くに聞こえた子らの遊ぶ声も、鳥の声すらもしない。
なんと言っていいのか、わからない。二人ともわからなかった。この気持ちを言葉にすることは出来ない。それにはあまりにも年月が経ち過ぎた。しょげたようにうつむく半妖のキツネが、チラリとサノの横顔を見やる。するとサノの方でもまた同じようにクロを見やり、ようやく二人の視線が重なった。
「…………」
毛足の長い大きな筆のような尾が、サノの膝の上にふわりと乗っかる。サノはその尾をそっと撫でて、「佐野とおんなじだ」と小さく笑った。
「なぜシロなんかが好きなのですか」
クロがただひとつだけ聞きたかったこと。その思わぬ問いかけにサノは少し拍子抜けしたようだが、数秒の間をおいて簡潔に答えた。
「ツラは男前なのに、何となくほっとけなくて、バカでかわいいからかな」
「あんなの、ろくな男じゃありませんよ。あなたにはいい顔をしていても、ワガママだしだらしないし、ご面相以外なんの取り柄もない。それに彼は赤子の私を喰い殺そうとしたのです」
「ははは、ずいぶん後になってから社長に聞いたよ。もしホントに喰っちまってたら、僕は奴を殺ってたかもしれないな。……だがその頃はまだ、寒いとこから渡ってきたばっかりの野性のオオカミだ」
「そうですけど……しかしシロは、倖田先生とは正反対だ。どうして先生のような人を選ばないのですか」
「……先生のことは愛していたけど、どんなによく似ている人が現れようとも、ああいう手合いを好きになるのはもう無理だ。やっぱりどうしたって、彼のような人との未来が浮かばない。僕では幸せにしてあげることが出来ない」
「先生はそんなこと望みません。ただ二人でいられたらそれだけで良かったはずです。……今さらどうにもならないけど」
「……そういうことを、僕はあの頃から信じられなかったんだ。それで結果的に君と先生を裏切って傷つけた。人を信じるということを知らないまま死んだが、本当にバカは死んでも治らないんだな。君の前にのこのこと現れたまではいいが、正体を隠したまま十年も経っちまった」
「この十年まともに顔も見せず、たまに会ってもいっつもシロの陰に隠れているような気がして、正直私は初対面のときから、あなたのことを好きではありませんでした」
「うん。よくわかってた。当然ワケを知らないシロも、クロは僕のことを苦手なようだから、あんまり顔を合わさなくていいと言ってな。……情けない態度を取り続けて、それゆえ不愉快な思いをさせていることにまでビクビクして、けれどどうしても姿を見たくて、いつもコソコソとシロの背中から覗き見ていた。だが面と向かうと頭が真っ白になるんだ」
これまでの彼の不自然な振る舞いにも、ようやく合点がいった。内弁慶の人見知りなのかと思っていたが、これほどの秘密を背負ったまま堂々と面と向かうことなど、確かに出来るわけがない。
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