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ⅸ
しおりを挟む「ワンコは群れるのが好きだねえ」
明け方のベッドの中、シロとサノが裸で向かい合って、いつものように仕事明けのシロが眠りに落ちるまでの、かすかなまどろみの時間を過ごしていた。逆転したふたりのすれちがい生活は十日目に突入し、サノはあと一時間したらベッドを出なくてはならない。
社長が提案して、シロとクロが忙しい中苦労して設定したホームパーティーなるものが、いよいよ三日後に差し迫っている。
「俺らにとっちゃ仲間というのは、血がつながらなくとも家族と同じだからな。何かにつけては顔を見たくなるのさ」
「そう」
「俺にとってはサノちゃんも他人同士だけど家族だ。俺は親子兄弟よりもずっと深い縁だと思ってるぜ」
「運命的だね」
サノが笑う。
「こんな小さな島国に流れついてよかった」
「僕も、あんたのような馬鹿でかわいいイケメンを探してたよ」
「みごと探し出したのだな。ありがとう」
「……ねえ、ずっと何処で暮らしてたの?在所は違う国だろう」
「そうだよ。ずっと遠くの寒ーい国の、吹雪に閉ざされた山だ。雪と月明かりのおかげで夜も青くて、静かで透きとおって人間もいない。俺たちだけの美しい楽園さ」
「そりゃいいところだ……。どうして故郷を出たんだい」
「俺の血筋は代々妖狼よ。子を作ったら、よそへ旅に出て行くならわしだ。ひとつの群れに神の使いはひとりでいい。……俺にも息子がある。そいつも、その息子か娘も、またその子供も、次の世代を産んだら終わりのない旅に出る」
今まで聞きはしなかったが、長い時を生きる中で、子どもがいることは何となく想像していた。
「……君の子どもか。かわいいだろうね。ぜひ会ってみたいものだ」
「俺とよく似た顔をしてるぜ。髪も眼もおんなじ色でな。性格は奴の方がねじ曲がってるけど」
「へえ、なおさら見てみたいな。日本に居ないの?」
「今は居ないが昔は暮らしてた。今はまたどっか、いろんな国をぶらぶらしてるだろう。のたれ死んでなけりゃな」
「あの神社で一緒に暮らしてたのかい?」
「いいや。ときどき顔は見せに来てたが、奴には他に住むところがあった。大正くらいから日本に流れてきて、戦後から何年かまでは、奴も下町あたりを根城としていたんだがな」
「あんた同様、日本じゃずいぶん目立ったろうね。」
「何やら欧州との混血児だと、周りには言っていたそうだが……。しかしヤツはオオカミのくせに協調性もないし、一匹狼とかではないが、好き勝手なことをして暮らしてた放蕩息子でよ。それゆえまともな仕事に就かず、見世物小屋なんぞで働いて各地を転々と回ったりしてたそうだ。ゲーテのように、ひとっところに居着かない暮らしが好きなのさ」
「そう、見世物小屋……そりゃあ奇特な暮らしだ。そのまんまオオカミの格好で見世物にでもなってたのかい?」
「いーや、なんでも妖力をうまいこと幻術だとか西洋手品だとかにアレンジして、化け狸のごとく客に幻覚を見せたりしていたそうだ。それに一座には俺たちの亜種のような"オオカミ男"というのがすでに居たらしくてな、ホンモノのオオカミ程度じゃ、そいつの前にはインパクトに欠けるということだった。……俺はヤツの芸を見たことないがね。しかし物は使いようだな」
「へえ面白い。しかしオオカミ男ねえ。大昔の西洋の怪物だ。そんなモンまで扱ってたとはね……。しかし幻覚とは言え、出し物はインチキじゃないわけだ。流行ったろう」
「あんなうさんくさい興業のわりには、一座はそれなりに有名だったかもな。だがあのころは日本中が混沌としてたし、インチキも蔓延して、騙したり騙されたりの時代さ。何がウソでホントかわからんから、面白けりゃ何だって流行ったよ。その時代は見なかったのかい?」
「そんときゃ僕はまだ修行の最中さ。戦争のせいで人もいっぱい増えたから、あっちもあっちで混沌としてた」
「そうか。………俺たちはよう、長くこの世を見過ぎてる。生きてるのか死んでるのかも最早あいまいだ。そうなるとやはり、伴侶は大事だな。自分のことを見てて、知っていてくれる存在だ。社長はにぎやかなのが好きというより、やはり寂しいんだな。あいつはオンナこそ途切れずに有れど、いままで一度も結婚にあたいする契りを交わしたことがねえのさ。」
「………梅岡さんは立派な人だよ。僕はね、あの人のことを、あんたと同じくらい信頼してる。経営者としていろんな顔もあるだろうが、心根は本当にあたたかい人さ。……みんなの父親のような役割が長すぎて、自分が甘えられる人をなかなか探せなかったんだろうね。」
「そうとなると、ちと負担をかけすぎたかなぁ。それもだいぶん長いあいだ。」
「頼られるのが好きな人だから、あんたとかクロとかの面倒を見るぶんにはいいのさ。でも僕まで……いつまでも甘えてるわけにもいかないな。」
「サノちゃんがあいつに何か頼ることなどあったか?」
「頼りっぱなしさ。ずーっと、……死んでからずっと。」
「ふうん……。」
いつもはサノに抱かれて眠るが、今日はサノの方から、シロの胸に顔をうずめてきた。大きな自分が小さなサノに甘えるより、やはりこの方が自然な構図だ、と感じる。背中を撫で、何と尋ねるべきか少し考えていると、「もう寝な。……僕もアラームまで寝る。」と言われたので、シロはその身を抱いたまま、彼が眠るまでじっと待つことにした。
なぜだか今この瞬間、うまく言葉にできないが、社長の抱いているであろう人間の男の気持ちがわかった気がした。そして、にぎやかで華やかな日々の中に、いびつに封じられた過去がある。それを開ければまるで玉手箱のように、巨大な寂寞が煙となってこの身を侵食していくのかもしれない。その寂寞と共に吐き出されるのは、罪か、あるいは罰か。
梅岡とサノには、その玉手箱の中に隠している何かがあるのだ。それの糸を手繰ったとき、その先には何があるのだろう。何の根拠もないただの勘でいうならば、そこにはクロがつながっているように思う。
ある日突然、目の前に現れた半妖の赤子。初めてサノと会ったとき、そういえばどことなくクロに似ていると感じていた。
そもそもどうしてサノは、自分たちの前に現れたのだろう。キツネなど他の地域にも山といるのだ。仕事の管轄が自分たちの住まう地域にかぶっているとしても、死人とキツネがこれほど密接に関わり合うことはない。偶然仲良くなれたのではなく、サノはきっと、初めから何かしらの意思を持って自分たちに近づいてきた。
………陰花の小乃。丁稚として東京にやって来てから、流行り病で死ぬまでのあいだに、何か別の遍歴があったに違いない。触れるのが怖くて触れないでいるが、本当にただの使用人として暮らし、ただの肺病で死んだのだろうか。陰花の住人が、年頃になっても男を知らずにいたとは思えない。もっと言えば、子どもがあってもおかしくはない。
梅岡はすべてを知っているのだろうか。
しかし自分にそれを問いただす気概が、どうにも沸かない。今がいいならそれでいい気もする。浮世での長い人生の中で思うのは、先々のことも過去のことも、目先の幸せの前には、風に吹かれた煤塵のようなものだ。隠したいことを隠したままにしておくことは、はたして人間が言うほど悪いことだろうか。
「……今度デートしような。俺たち最近家でしか会ってない。」
そう言うと、顔は見えないが、サノが腕の中で恐らく笑った。
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