つらじろ仔ぎつね

めめくらげ

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しかしそれから二年後、クロが十七のときにちょっとした事件が起きた。
社会勉強をしてこいとの梅岡の突然の達しで、柿本家に仕えてから約一年半。くるわの楼主として名の通っている梅岡の姓を、由緒正しき柿本家で使うことが何となく憚られたため、柿本家のある土地に祀られている『永野』というキツネの名を姓として借り、クロは柿本家においては『永野 蓮太郎』という仮の名を名乗って働いていた。

そして柿本夫人からもその働きぶりを認められて、それなりの仕事を任されるようになった頃。蓮太郎は突然体調を崩し、一時はちす屋の梅岡のもとに帰されたことがあった。妖狐は基本的に病気をすることはないが、やはり半分はヒトであるから、何かの病にでもかかったのかと思い初めて医者に診てもらうこととなった。しかし診せても医者は首をひねるだけである。吐き気があり、顔色が悪く微熱が続いていたが、血液に異状はなく、肺病などの疑いもない。そのためただの心労と肉体の疲れだと診断されたので、柿本家に断って、しばらくは梅岡のもとで休養させることにした。

だが梅岡の脳裏には、『ある予感』が沸き起こっていた。それは見舞いに来ておきながら、クロより青い顔をしている平八も同じである。


心労と診断されたその翌日、梅岡の部屋で、二人は膝をつきあわせた。

「怒らぬから正直に申せ、一度でも"危ないとき"はあったかい?」

梅岡が尋ねる。しかし平八は「奴の腹のナカで気をやったことは一度もねえ」と答えた。

「だが俺は……ありゃ子をみごもったように思う」

「………」

平八もあいまいにうなずいた。

「ほんのちょっと、……こう、びゃーっとぶちまける前の、あのカスみてえな透明なものでも、確実に安全とは言えないらしいぞ。うちの見世のねえやたちのかかりつけにしてる、あのお医者の倖田先生から聞いたことがあるんだ」

「さすがにあのカスみてえなのは避けようがねえからなあ。だってどうしたってアレは突っ込んでる最中に勝手に出ちまうんだから」

「まあな。昔はいろいろ試行錯誤したようだが、種無しにならん限りは消えねえ悩みだ」

「ああ、こうと分かれば思いきりナカにブチまけて、いさぎよく孕ませたかったもんだぜ」

男二人でひそひそとバカなことを話し合うが、当人たちはいたってマジメであった。

「だがまだ分からん、まずはやはり倖田先生のところに行こう」

「なあとっつぁん、頼むからもし"当たり"でも赤ん坊を戻すようなことはしないでくれ。俺にもそれなりの蓄えはある。足りなきゃまた何でもして金を稼ぐよ」

「……ふむ。まあ金のことはいい、俺がどうとでもできる。だがお前には二人分の人生がのしかかることを覚悟しろよ。不義理を働いたらシロのエサにしちまうぞ」

「ああ。……ともかく馬を呼んでくる。それで先生んとこ行って、ここに来れるか先に聞いてくる。ちっと待っててくれ」

「頼んだぞ」

それから待つこと三十分で、早くもはちす屋に白衣をまとった倖田が平八に連れられてやって来た。あれから数十年の時を経て、眼鏡は老眼鏡に変わり、いつもきっちり櫛を入れている髪も、白髪で全体が灰色になっていた。

「先生、すみませんね」

この色街は倖田にとっては忌まわしい土地である。そこへ呼びつけたことへの謝意もあった。

そして患者は、奇しくも陰花の子。母親は、かつてこの老医師と愛し合い、将来を誓い合った蔭間の青年である。それらすべてを隠していたことも、心の中で同時に詫びた。いや、詫び続けてきた。
倖田は、養父の梅岡のもとではちす屋の手伝いをする蓮太郎のことを、幼いころから知っているのだ。しかし梅岡にとって、腕が確かで信頼のおける婦人科医はこの倖田しかいない。そして何より、この特殊なカラダに対して一切動じない男だ。それは無論、『小春』でよく知っているからである。

「梅岡さん、私はあの子が陰花の子だと……ずっと聞いとりませんでしたが。何か妙な気遣いでもして、言うのを遠慮してたんですか」

「いやあ、何と言ってよいやら……しかし、隠してなかったといえば嘘になります。すみませんでした」

「何かあってからでは遅いですから。今後こういう子がいたなら、私かうちのせがれに、すぐに報告してください」

「はい。必ずや」

「蓮太郎は、いまどこに?」

「こちらへ」

梅岡に案内され、蓮太郎が寝ている部屋に通される。そこには、明らかに顔色のよくない少年が、不安げな面持ちで横たわっていた。

「先生……」

弱々しくこちらを見上げる少年を見て、倖田の胸は締め付けられる。成長するに従って、彼は自分が愛したあの青年に似てくるのだ。そしてこの少年も陰花の人間であったことが判明した。それでこれほどに面影を残しているとは、決して偶然とは思えない、何とも因縁めいたものを感じる。
しかしやはり『小春』とはなんのゆかりもないはずだ。彼はもう何十年と昔に腹の子と共に死んだのだ。亡骸も遺骨も見ることは出来なかったけれど、今日まであの姿を二度とこの目の前に現さなかったのだから、やはり小春はもう居ないのだろうし、残されたものも何もないはずだ。

「蓮太郎、久しぶりだな。君が柿本さんのところへ行ってしまってから、ちゃんとやってるかとずっと気になってた。会えて嬉しいよ」

倖田がいつもの穏やかな笑みを向け、蓮太郎もそれにつられて薄く笑った。
しかし倖田はその顔色を見ただけで、ほとんど確信していた。この子はやはり身ごもっている。病院にやって来る妊婦たちと同じ顔色をしているのだ。だがその父親は、立松家に仕えているこの平八だ。かつては悪たれであったが、主人によって心を入れ替えたと見えて、今やすっかり町になじんで信頼されている、しっかりした身元の男だ。だから恐らく、子供が不幸になることはないだろう。

そこまで考えながら、「私が呼ばれた理由はわかるね?」と聞くと、蓮太郎はこくりとうなずいた。馬車の中で平八からすでに症状は聞いてある。そのためすぐに布団をめくり、寝間着の中に手を入れ、下腹に聴診器をそっとあてた。ひやりとした感覚に、蓮太郎が軽く身をすくめる。
しかし場所を細かく変えながらしばらく聴診器をあて続けて、倖田は小さく首をかしげた。その背後では梅岡と平八が固唾をのんで見守るが、倖田が振り返って「ちょっと、少しのあいだ部屋を出てもらってもいいでしょうか。すぐお呼びしますから」と言った。蓮太郎と同じような顔色で、不安げな表情を浮かべる平八をなだめるように、その背中に手を添えて梅岡とともに退室をうながした。
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