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ⅲ
しおりを挟む七時をまわり、シロは赤坂のマンションを出て仕事に出かけて行った。部屋には社長とゲーテが残る。ゲーテは、「ここからがメインじゃろう?」と切り出した。
「お前さんのその勘の良さ、先読みの能力。やはりお前と手を組んで何か事業を起こしたいものだな」
社長がコーヒーのおかわりを淹れながら、肩を揺らしてへらへらと笑った。
「ついでに言うと、テーマは変わらず俺とサノの密会のことじゃな」
「そうさ」
「だがその密会が"二人でない"ことまで、お前にバレてるのかどうかはわからん」
「バレてる」
「なら話は早い」
「まーな」
「どうしてバレた?」
「佐野のヤツ、檻の中のキタキツネと話してたろう」
「………」
「それをな、偶然うちの店の女の子がSNSに写真付きで上げてよ」
そう言って社長は三台あるうちの一台のスマホの画面を見せた。そこには【なんか動物にずっと話しかけてる人いた】という一文と、笑い泣きをしている顔の絵文字、そしてロボのオリの前で何事かを話しているらしき佐野の写真が添えられていた。
「壁に耳あり障子に目あり、キツネの前にはカメラあり」
「監視カメラは手の中にあり、だな」
「おお、それの方がよいな」
「三人で会ったのか」
「会ったよ」
ゲーテの前に新しい紅茶を出してやり、社長がズッとコーヒーをすすった。
「どうして?」
「それを聞いてどうする」
「どうもしないが、俺が知っとくことだろうとは思う」
「むしろお前から何を聞きたいのか申せ」
「俺から?」
「嘘は言わんよ」
「うむ……じゃあ。まず、佐野たちの関係を聞いたか?」
「聞いたよ」
「シロもクロもそれを知らない、ということは?」
「聞いたよ」
「サノの過去は?」
「聞いたよ」
「サノが自殺したことは?」
「聞いたよ」
「クロがサノの子供だということは?」
「聞いた」
「……クロが禁術を経て生まれた身であるということは?」
「聞いた」
「全部聞いたんだな?」
「うん」
「そうか」
社長はカップに目を落としながら、考え込むようにしばらく黙った。しかし怒りも焦りもしていない。レストランでメニュー表を眺めているのとおんなじ顔をしている。
「なぜクロに教えてやらんのだ?禁術がバレるのが怖いのなら、俺やシロを口封じで殺してでも教えてやりゃいいじゃねえか」
「別にお前らがお上に密告するとは思ってない。お前は厄介ごとが嫌いだし、シロもいまさら俺たちを出し抜くようなマネはしまい」
「なら問題はクロってか」
「お前もこの百年でよく分かってるだろう。あいつは神経質で、いくら年を取っても老人のように図太くはならない。昔っからちっと精神的に弱いところがある。男に夢中になりやすい奴の特徴だ。店の女の子らとそう変わらん」
「ははは、確かに。あいつものぼせやすいからな。だが百年以上も隠し通しちまった手前、いまさら明かしづらいだけだろう。そんな大人の事情というやつで、実の親子の縁をもみ消すのはかわいそうじゃねえか。教えてやりなよ。怒ったクロにバラされたらバラされたで、おとなしくお咎めを受けてこの浮世とおさらばじゃ。それだけのことよ。お前なら八大で苦しめられるわけでもなし、むしろ理想的な死に方さ」
「クロも別にバラしゃしねえだろ。あいつがよほど俺や佐野を恨んでるなら話は別だが、いくらケッペキでも俺たちをそんなメにあわすほど冷徹じゃない」
「ご立派な子育てのタマモノよ」
「だがあいつの性質上、自分がのっとっちまった赤ん坊のことで気に病むような気がするんだ。大和から聞いたが、たまに泣きながらうなされてるときがあるらしくてな。夢の中身を尋ねてみると、ずーっと"私は私じゃない"と自分で自分に何度も訴える悪夢なんだと」
「私は私じゃない?」
「ああ。赤ん坊の心とあいつの心がせめぎあってるのかと思ったが、赤ん坊の魂は完全に抜き取られてるはずだ。だからたぶん、クロが身体を手に入れる直前までの記憶がよみがえりかけてるんだと思う。この身体は自分のモノではない、と無意識に知ってるんだ。だが完全には思い出せまい。人間が生まれたときのことを覚えてないのとおんなじことさ」
「記憶ってのは、サノが自殺して、そっから……?」
「そこまで話してるかわからんが、サノが宿したクロをきちんと冥界へ送れなかったのは俺の落ち度だ。あんまりにも小さくて見逃したんだな。まだ三ヶ月とかそこらだったから、きちんと人間の魂になってるとも思ってなかった。あいつは何十年と、サノの遺骨のある投げ込み寺でさまよってたんだ。暗闇の中をひとりきりで、自分が何者なのかもわからず、ずっとな。そのときの記憶に苦しめられてるのだと思う」
「…………」
「サノもこの世に降りたてるようになるまで、その許しを得るために何十年と待ったそうだ。生者の住まうこの世と同じで、あの世も死者にあふれた広大な世界だ。許可を得るための冥界の番人に会うには、人より抜きん出た相応の資格が無けりゃ叶えられん。何よりあいつは自死をしているわけだから、他の死者より審査にかかる時間も長い」
「まあ確かに、元自殺者のソーシャルワーカーなんて異例のことだ」
「おかげで見習い期間も人より長いからな。百年前に資格を取っても、自由に往来できるようになったのはここ十年ほどのことだ。だがともかく、あいつは資格を取って見習いとして一度は現世に再び降りることが叶った。そのときに……あいつは佐野とともに暗闇でもがく我が子を見つけたのだ。なんでそこにまだ居るとわかったのか、そりゃやっぱりあいつらが親子だからだろうな」
「はあん。それで見習いのあいだにタブーを破っちまったわけか」
「そういうことだ。だが俺にはそれを責められなかった。やはり俺の落ち度であったし、俺が見逃してなけりゃあの親子はあっちで楽しくやれてたはずだ」
「その辺りからはちゃんと聞いたぜ。だが全編通して、俺にはどうでもいいことだから是非もない。なんであれ生きてりゃ御の字じゃねえか。俺らに限っては、なかなか死なねえことが悩みよ」
ゲーテが二本目のタバコに火をつける。
「捨てられてた赤ん坊は、いずれにせよ長くなかった。泣く気力も無いとなれば、あんときの医療では確実に助からん。生きながらえる見込みがありゃ、二人ともすぐに医者を呼んだだろう。だがあの時代、捨てられて死ぬ赤ん坊は多かったな。みーんな望まれずに生まれてきた、もったいない子どもさ」
肺から吐き出した重い煙が漂う。
「サノはクロのかわりに抜き取ったその魂もちゃんと持ってった。寂しい暗闇でさまようことのないように……それがサノの初めての"仕事"と言っても過言じゃねえさ。だがサノも、おそらくその子どものクロもだが、性格上そのことを完全には飲み込めねえんだな。だから贖罪として、親子であることの関わりを決して持たず、明かすこともせず、隠すことにした」
社長は黙ってうつむいている。
「まだ十年やそこらの付き合いとはいえ、シロと同棲してるサノと、そのコンビみてえなクロがまったく関わらねえのも、よく考えりゃ少し不自然だったな。サノがずっと会うのを避けてたわけだ。だが成長したクロを見たときには、思わずバラしちまいそうになったと言ってたぜ。会えたことも、挨拶をかわせたことも、人間社会でそれなりにやってることも、恋人がいることも、全部があんまりにも嬉しくて。許されぬことをしたが、それをしてよかったと、はじめて救われた気持ちになったそうだ」
「……そうだろうな。俺もいつかあいつが報われる日がくるようにと、養父として厳しく育ててきたつもりだ。いずれ必ず大人になったクロとサノが会う日がくる。そのときには、ちゃんとした人間として生きるクロを見させてやりたかった。……根がまじめな奴だったから、それほど苦労もなかったけどよ」
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