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ⅲ
しおりを挟む深夜一時を回ろうかというころに、ようやく飼い主が帰宅した。
「ただいまぁ」
いつもなら疲労が押し寄せる瞬間だが、ここ最近はこの瞬間をもっとも待ち望んでいる。
「ポピー、会いたかったよ」
若いのに若さのないくたびれた顔をぐにゃりと歪ませ、床に背を丸めてうずくまる。ポツポツとヒゲの目立ち始めた肌で、敷きっぱなしの布団にねころがっていた『ポピー』の腹にほおずりをした。顔を離した瞬間に容赦なく爪を立てられたが、こたえていない。
「いい子にしてたね」
「・・・・・」
「ポピーくん」
そっと手をやると、その手にもカッと爪を立てられた。
「さわられるのに慣れないんだな」
ゲーテはこの『ポピー・ハイツ』にちなみポピーと名付けられ、もう二週間ほどこの冴えない大学生と暮らしていた。男は名を『西』といい、若いくせに最低限の身だしなみにも手を抜きがちだ。やぼったい黒縁メガネをかけ、ときには無精髭を生やしたまんまの日もあり、髪は毎日必ずどこかしらに寝グセがついているような、どこか抜けた男である。いまどきなかなか見かけない昔の美大生のような風采が、レトロすぎるこのアパートと相俟って、まるで昭和時代からまるごとやってきた人間のようであった。
「ソファーも、結局お気に召さなかったか……」
一度も使われた形跡のない、ピンクのギンガムチェックのネコ用寝具をじっと見つめる。しかしフッと微笑んで、「早く金を貯めて、いい部屋に引っ越そうな」と頭を撫でた。ゲーテは、いい部屋になど行きたくないからここに来たのだ、と心中でつぶやく。このボロ家ゆえの自由な環境が気に入っていたので、引越しなどはまったく望んでいない。引っ越すのならそのときにはこの男ともこれっきりである。
だが西はうっとうしいけれど、帰ってきて自分をある程度かまったら、すぐに満足するからまだよかった。人のしつこさには、猫カフェでそれなりに耐性はついていたはずだが、いま思えばよくあんな環境下で長いあいだ暮らせたものだと思う。
彼は毎夜寡黙に課題のレポートなどをやっていて、そのあいだはこちらを見向きもしない。切り上げてからは布団で本を読みつつ、手グセで少しはゲーテを触るけれど、どちらかというと本に熱中している。それから少し眠って朝になれば、一度頭を撫でるだけでまた慌ただしく出て行ってしまう。土日は朝から夜までバイトについやし、帰ってきてからまた課題などをやったり、エサだけやったらまた別のバイトに行ってしまうときもある。つまり彼は苦学生らしい多忙の人であり、それゆえ不在ばかりで、ときどきうっとうしいが基本的には"淡白"な、つまり同居人としては理想に近いとも言える、非常に気楽な相手であった。
昭和の遺産のような部屋にパソコンがあるのはどこか不釣り合いだが、毎夜それと真剣にじっと向き合っている。構われるのは好きじゃないけれど、その熱中した背中を見ると邪魔をしたくなるのが、ネコでも化け猫でも変わらぬサガというものだ。バイトから帰ってから寝るまでのわずかな時間で、少しずつレポートを進めているときに、ゲーテはおもむろに起き出して男に気まぐれにすり寄ってみた。
「外かい?」
そう言って玄関をそっと開けるが、そうではないと訴えるように足にまとわりつく。
「ご飯は今あげたばっかりだろ。明日の朝までガマンしてくれ」
扉を閉め、再び画面に向き直る。
「あ、こら」
キーボードの上に乗り、狭いところで窮屈そうに尻をこちらに向けてわめく。
「ポピー、あとでかまってやるから、ちょっと待ってて」
そう言ってどかされても諦めずに乗り直し、西はため息をついてその日はレポートに手をつけるのをやめた。ぐるにゃーん、とノドを鳴らしながら甘えた声で鳴く。西が布団の上に寝そべり本を読み始めると、胸の上でゴロンとやりだした。
「かわいいなあポピー。そっけなくされると甘えたくなるんだな。あまのじゃくな奴だ」
グルグルとノドを鳴らし、文庫本のヒモにじゃれつく。
「君が来てからというもの、文字に関する作業がまったく手につかなくなったよ。……でもまあ、ずっと外にいて構ってやれないからな。悪いパパでごめ……ぶっ……」
ゲーテが西の顔の上に、背中をドスンとぶつけるように寝転がり、思わず笑った。
「わかったよ。もう電気を消そう」
おやすみ、と言って電燈のヒモをひっぱった。九月の半ばを過ぎ、少し肌寒くなってきたので、ゲーテは男の脇のあいだにぴったりと挟まるようにして丸くなった。
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