11 / 60
ⅲ
しおりを挟む深夜一時を回ろうかというころに、ようやく飼い主が帰宅した。
「ただいまぁ」
いつもなら疲労が押し寄せる瞬間だが、ここ最近はこの瞬間をもっとも待ち望んでいる。
「ポピー、会いたかったよ」
若いのに若さのないくたびれた顔をぐにゃりと歪ませ、床に背を丸めてうずくまる。ポツポツとヒゲの目立ち始めた肌で、敷きっぱなしの布団にねころがっていた『ポピー』の腹にほおずりをした。顔を離した瞬間に容赦なく爪を立てられたが、こたえていない。
「いい子にしてたね」
「・・・・・」
「ポピーくん」
そっと手をやると、その手にもカッと爪を立てられた。
「さわられるのに慣れないんだな」
ゲーテはこの『ポピー・ハイツ』にちなみポピーと名付けられ、もう二週間ほどこの冴えない大学生と暮らしていた。男は名を『西』といい、若いくせに最低限の身だしなみにも手を抜きがちだ。やぼったい黒縁メガネをかけ、ときには無精髭を生やしたまんまの日もあり、髪は毎日必ずどこかしらに寝グセがついているような、どこか抜けた男である。いまどきなかなか見かけない昔の美大生のような風采が、レトロすぎるこのアパートと相俟って、まるで昭和時代からまるごとやってきた人間のようであった。
「ソファーも、結局お気に召さなかったか……」
一度も使われた形跡のない、ピンクのギンガムチェックのネコ用寝具をじっと見つめる。しかしフッと微笑んで、「早く金を貯めて、いい部屋に引っ越そうな」と頭を撫でた。ゲーテは、いい部屋になど行きたくないからここに来たのだ、と心中でつぶやく。このボロ家ゆえの自由な環境が気に入っていたので、引越しなどはまったく望んでいない。引っ越すのならそのときにはこの男ともこれっきりである。
だが西はうっとうしいけれど、帰ってきて自分をある程度かまったら、すぐに満足するからまだよかった。人のしつこさには、猫カフェでそれなりに耐性はついていたはずだが、いま思えばよくあんな環境下で長いあいだ暮らせたものだと思う。
彼は毎夜寡黙に課題のレポートなどをやっていて、そのあいだはこちらを見向きもしない。切り上げてからは布団で本を読みつつ、手グセで少しはゲーテを触るけれど、どちらかというと本に熱中している。それから少し眠って朝になれば、一度頭を撫でるだけでまた慌ただしく出て行ってしまう。土日は朝から夜までバイトについやし、帰ってきてからまた課題などをやったり、エサだけやったらまた別のバイトに行ってしまうときもある。つまり彼は苦学生らしい多忙の人であり、それゆえ不在ばかりで、ときどきうっとうしいが基本的には"淡白"な、つまり同居人としては理想に近いとも言える、非常に気楽な相手であった。
昭和の遺産のような部屋にパソコンがあるのはどこか不釣り合いだが、毎夜それと真剣にじっと向き合っている。構われるのは好きじゃないけれど、その熱中した背中を見ると邪魔をしたくなるのが、ネコでも化け猫でも変わらぬサガというものだ。バイトから帰ってから寝るまでのわずかな時間で、少しずつレポートを進めているときに、ゲーテはおもむろに起き出して男に気まぐれにすり寄ってみた。
「外かい?」
そう言って玄関をそっと開けるが、そうではないと訴えるように足にまとわりつく。
「ご飯は今あげたばっかりだろ。明日の朝までガマンしてくれ」
扉を閉め、再び画面に向き直る。
「あ、こら」
キーボードの上に乗り、狭いところで窮屈そうに尻をこちらに向けてわめく。
「ポピー、あとでかまってやるから、ちょっと待ってて」
そう言ってどかされても諦めずに乗り直し、西はため息をついてその日はレポートに手をつけるのをやめた。ぐるにゃーん、とノドを鳴らしながら甘えた声で鳴く。西が布団の上に寝そべり本を読み始めると、胸の上でゴロンとやりだした。
「かわいいなあポピー。そっけなくされると甘えたくなるんだな。あまのじゃくな奴だ」
グルグルとノドを鳴らし、文庫本のヒモにじゃれつく。
「君が来てからというもの、文字に関する作業がまったく手につかなくなったよ。……でもまあ、ずっと外にいて構ってやれないからな。悪いパパでごめ……ぶっ……」
ゲーテが西の顔の上に、背中をドスンとぶつけるように寝転がり、思わず笑った。
「わかったよ。もう電気を消そう」
おやすみ、と言って電燈のヒモをひっぱった。九月の半ばを過ぎ、少し肌寒くなってきたので、ゲーテは男の脇のあいだにぴったりと挟まるようにして丸くなった。
0
お気に入りに追加
151
あなたにおすすめの小説
愛玩人形
誠奈
BL
そろそろ季節も春を迎えようとしていたある夜、僕の前に突然天使が現れた。
父様はその子を僕の妹だと言った。
僕は妹を……智子をとても可愛がり、智子も僕に懐いてくれた。
僕は智子に「兄ちゃま」と呼ばれることが、むず痒くもあり、また嬉しくもあった。
智子は僕の宝物だった。
でも思春期を迎える頃、智子に対する僕の感情は変化を始め……
やがて智子の身体と、そして両親の秘密を知ることになる。
※この作品は、過去に他サイトにて公開したものを、加筆修正及び、作者名を変更して公開しております。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
皇帝に追放された騎士団長の試される忠義
大田ネクロマンサー
BL
若干24歳の若き皇帝が統治するベリニア帝国。『金獅子の双腕』の称号で騎士団長兼、宰相を務める皇帝の側近、レシオン・ド・ミゼル(レジー/ミゼル卿)が突如として国外追放を言い渡される。
帝国中に慕われていた金獅子の双腕に下された理不尽な断罪に、国民は様々な憶測を立てる。ーー金獅子の双腕の叔父に婚約破棄された皇紀リベリオが虎視眈々と復讐の機会を狙っていたのではないか?
国民の憶測に無言で帝国を去るレシオン・ド・ミゼル。船で知り合った少年ミオに懐かれ、なんとか不毛の大地で生きていくレジーだったが……彼には誰にも知られたくない秘密があった。
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
魔王と王の育児日記。(下書き)
花より団子よりもお茶が好き。
BL
ある日魔族の王は一人の人間の赤ん坊を拾った。
しかし、人間の育て方など。
「ダメだ。わからん」
これは魔族と人間の不可思議な物語である。
――この世界の国々には必ず『魔族の住む領土と人間の住む領土』があり『魔族の王と人間の王』が存在した。
数ある国としての条件の中でも、必ずこれを満たしていなければ国としては認められない。
その中でも東西南北の四方点(四方位)に位置する四カ国がもっとも強い力を保持する。
そしてその一つ、東の国を統べるは我らが『魔王さまと王様』なのです。
※BL度低め
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる